|
選評
四半世紀の積み重ねに期待 荒俣宏
今回の候補作をすべて読了し、「ファンタジー」という新ジャンルの広がりぶりに感心した。これまでに本賞から生まれたさまざまな傑作が、各々にサブジャンルを形成しつつある証拠だろう。点が線になり、やがては面になる途上、という手ごたえがあった。
その上で四候補作についてコメントしたい。私がいちばん心惹かれたのは『ワーカー』であった。まずその文体だが、地の文章ですら現代若者口語ともいうべき乱暴で卑俗な話し言葉を連発する。私は1930年代のパルプ小説から生み出された文体を思い出した。ハードボイルド・スタイルに発展したその文体とは比較にならないが、良くも悪くも現代の若者の心情を写しだす鏡に見えて面白かった。作品内容は、いわば昆虫の生態を社会風刺に活用した知的な異生物共生問題であり、一方、巨大な人間と小さなアリやハチが直接語り合うという唐突な展開はナイーブな童話ファンタジーの素直な借用に見えた。その何とも言えないアンバランスさに魅力があった。チャペックの『山椒魚戦争』や小松左京の『日本アパッチ族』のようなタイプの作風に成長することを期待したい。
次に心惹かれたのが、江戸の美剣士+怨霊をてんこ盛りにした怪作『朝の容花』である。私は江戸小説に珍しい本草学をテーマにした展開を大いに楽しんだ。江戸の薬草栽培術は現在のバイオ技術の先駆けであり、黄色い朝顔の作出も含め、おおむね歴史的事実にあたっている点も面白かった。が、尾張対紀州の将軍職争いや江戸の女性の図太い化け物精神など非常に興味深いプロットを仕掛けているにもかかわらず、学芸会みたいな騒がしさだけで押し切ったのはもったいない。たぶん、武士の不器用さ、俗物性をもっと際立たせるには、活きがよくて潔い町人層からもキャラクターを用意する必要があった。これは作者に内緒でつぶやくのだが、幕末の品川浦漁民女房の門訴事件や、将軍慶喜と火消しの親分新門辰五郎との親密な交わりに見られるような、町人のすかっとした大人っぷりが加われば、もっとニューウエイブになったかもしれない。それにしても、江戸時代を扱う小説がこれだけ自由度と自在さを具えてくると、あと一歩で時代小説の壁も破れそうだ。
その点、『遠国』はひたすらノスタルジックな日本の異界・他界観を追い求めた「和風」タッチの作品である。キツネ面の異人、押し入れの中にある異界への出入り口、といった既視感ある設定を敢えて採用したために、料理としての取り合わせや満腹感にはすこし欠けた。作中に登場する訳ありの異世界学者にもっと活躍の場を与えれば本格料理になったと思うが、作者はむしろ日本的ノスタルジーにこだわりたかったのだろう。その意図が読者を感電させるほどの異界物語に昇華するよう、一層の頑張りを祈る。
最後の『恐竜ギフト』は、アトピーの少年や毎日変化のない暮らしを続ける女性の身に起こる偶然の出来事を描いた点では、いちばん小説的といえる。この部分だけを抽出しても読めるほどの完成度と、虫めがねで象を観察するような意外な視点もおもしろかった。とはいえ、若干の肩透かし感が否めないのだ。科学博物館に恐竜展を見に行ったら、日常ドラマだったというような。しかし反面、この違和感は返し技に使える。たとえば、やがて地上の生物が絶滅するという宇宙的な悲しみを逆にもっと小さく日常物語化させることで、逆転は実現するのではないか、と思うのだが。
|
昆虫SFとチャンバラ活劇の新時代 小谷真理
タイトルに思わず吸い寄せられるように読み始めたら止まらなくなったのが、『ワーカー』だ。昆虫が一定の知性を獲得した世界の話で、人間社会に溶け込んでいる。ストーリーは、使い捨ての労働者を得るために、女王蟻を拉致し単なる出産機械として酷使する「蟻工場」の存在を、偽悪的な青年が暴露ネタとしてキャッチしたところから、サスペンスフルな追跡劇が開始される。なんという世界だろう!
「働き蟻」なんてことばがあるように、もともと社会を構成し、生物学的に分業体制になっている蟻が、人間の世界でもその目的で繁殖させられ酷使されているのはまことに気の毒な話だが、それを絶妙に現実の労働運動の問題点をえぐり出しながら戯画化していくのには感心した。過酷な労働からの解放への姿勢は、一種人間中心主義の押しつけか? といった気がしないでもなかったが、昆虫の世界のルールはそのような疑義さえはねのけるほどの複雑さを持っており、人間社会に組み込まれることによって、ひょっとしたらこれまでの本能が崩壊し別の進化への序曲が始まっているかのように暗示され、そうした人間社会と昆虫の世界との駆け引きをめぐる考察が、ハードコアSFの思索を深めており、圧倒的に面白かった。
ときに残酷とも思われる描写は、誇張の程度が、文学的というよりはどぎつくわかりやすいエンターテインメントの特徴をそなえ、その表現の安易さにはちょっと違和感をもつヒトがいるかもしれない。また昆虫嫌いや社会問題嫌い、エンターテインメント読書をファンタジーに求めない人には、むかないかもしれない。そういう意味では少々マニアックで読者を選ぶ作品だが、評者には楽しめたし、マニアならではの腰の据わった異世界構築術の真面目さには非常に好感が持てたので、強く推した。
『朝の容花』は、女難の相があるのでは? と疑いたくなるようなイケメン剣士が主人公。江戸時代のお庭番こと、忍者たちの攻防戦に怨霊話を取り混ぜたニュー時代劇である。チャンバラに加えて、怨霊に対抗するために自死して怨霊になったり、生霊vs.怨霊の戦いが繰り広げられたりと、ヒロイック・ファンタジー、つまり剣と魔法の物語の本質を地で行くがゆえの、かなり出鱈目で突飛なアイディアをこれでもか、という勢いでバンバン繰り出している。これが快哉をさけぶほど、よかった。
ときにバカバカしいが、笑いに富み、全体的にのびやかな作品で、今までのファンタジーノベル大賞では類のない、斬新な作品と見た。
他の二編『恐竜ギフト』と『遠国』は、ともに現実からの逸脱を描く、ファンタジーの王道ともいえる主題を貫く。両作品ともリアリティある筆致なので、その逸脱性は説得力をもちうる。ただ『恐竜ギフト』で気になったのが、ティラノサウルスという恐竜の性格造型だ。主人公たちが、現実の価値観からずれてしまうきっかけがティラノサウルスである理由がよくわからない。ティラノサウルスでなくてもかまわないのではないか、と思われたからだ。
また、四作の中では一番イメージがクリアで、とくに擬態語の使い方が達者なリズム感のある文章を繰り出す『遠国』は、生と死の狭間の領域を描くことによって、現実にある矛盾や理不尽を再考しようとする意欲作。愛らしい表層からは想像もつかない不気味なものが顔を出してくる顛末は面白かったが、王道であるだけに、既存の作品と比べてちょっと小粒にすぎたのが、残念。
|
惜しい! 椎名誠
『遠国』はファンタジーフィクションのストライクゾーンをいく題材で、作者は完全にこの世界を自分のものにしているようだ。文章もうまいし、表現力もあるが、問題のいくつかは、いささか斬新さに欠ける、というところだろうか。似たようなモチーフや題材のものをわたしたちはかつて沢山目にしてきたような気がする。その意味ではストライクゾーンのマイナス部分だ。全体にモノクロームトーンで、サイレントな気配があり、それが魅力だが、やはりそうなるといつかどこかで見たアニメーションが頭にちらついてしまうのだった。
『恐竜ギフト』は手慣れた筆致で、物語がいったいどういう意図をこめてどこに進んでいくかわからない、という小説としての魅力をきちんと持っている。話づくりも、読んでいるほうがそんなに不安にならないほどに、それなりに思いがけない方向へ帰結していき、好感が持てるのだが、個人的に感じた最大の物足りなさは「スケール感」だった。どうせなら「なんでもあり」のこの賞の懐の深さを利用して、もっと大きなホラ話にしていってもよかったのではないか。ストーリーの骨格とその舞台が、町の小さな個人経営のミュージアムという設定がそうさせたのか、読者としてはその意図まで読めないが、それならば短編でキリリと締めたほうがより効果的だったかもしれない。
『ワーカー』は選考会で評価が二分した作品だった。いつかどこかの世界で、人間がアリやハチとのコミュニケーションをとれるようになり、そこに悪徳のダークビジネスがからんでくる、という設定は、発想自由のこの賞の、これもまたストレートコースを貫くものだが、ぼくはこういう小説こそディテールが大事だと思っている。作者もそのへんはいろいろ研究して、色っぽい昆虫の描写など苦心しているようだが、問題は、人間との会話のリアリティだ。なんでもありのジャンルだけれど、子供向けの絵本ではないのだから、哺乳類と昆虫との会話成立にもそれなりにリアリティがほしい。この一点がぼくには不満だった。
候補作とは関係ない翻訳ものの新刊だが参考までに書いておきたい。『心のナイフ』(パトリック・ネス著 東京創元社)という小説は人間と動物が会話できてしまうようになったある世界の話だが、犬は「うんちしたい」「いたい、いたい」などとしか言えない。そのくらいのことしか考えていないし発言もできない、ということなのだろう。爆発するような発想のワンダーランドにもリアリティは必要だ。
『朝の容花』は困った作品で、登場人物の殆どがまともな人間ではない。妖怪だったり、とんでもない動きをする忍者だったり、モノノケだったり、なにかの化身だったりで、一ページごとに何かろくでもないことがおきているかんじだ。じっさいしばらくは何が語られているのか、ぼくは理解不能だったのだ。
けれど、この作者の嵐のような話の乱流とその変幻自在のアクション構成は、どうみてもタダモノではない。ところどころでとんでもない笑いの連発をぶちまけたりの大暴れで、なんだかめくらましにあったように、気がつくとこのヘンテコな物語にからめとられていたのだった。残念ながら大賞とはならなかったのは、今回の全体のアベレージがそういういうことだったのだろう。
|
もっと高く、自由に 鈴木光司
二十二年前に第二回日本ファンタジーノベル大賞に応募したのは、ファンタジーというジャンルの持つ間口の広さに無限の可能性を感じたからだ。「ジャンルが違う」という理由で、『リング』が「横溝正史賞」を逃した直後だけに、本賞への期待は大きく膨らみ、希望通り、作家になるという夢は叶えられた。選考委員になってからは、恩に報いるべく、おおらかな選考基準を打ち出し、実力ある書き手を輩出してきたつもりである。
ところが、ここ数年の候補作には、自ら進んで近視眼的ファンタジーの枠に作品を押し込めるという、自縄自縛傾向が強くなってきた。異界もの、江戸もの、人間以外の生き物の擬人化と、過去の受賞作に衣裳替えを施して、再提出してきたような印象を受ける。
ファンタジーらしさという余計な衣裳は捨ててほしい。ばりばりの純文学、私小説が提出されてきたとしても、「ジャンルが違う」という理由で拒絶することはない。そもそも小説はすべてファンタジーである。判断基準は、あくまでも、優れた小説か、否かで、ジャンルに忠実か、否かではない。
ここ数年続いている、安易にファンタジー色を盛り込もうとする傾向に歯止めをかける意味もあり、今回は、大賞なしという選択肢を取ることにした。
『遠国』には、現実と異界を繋げる扉が出てくる。やはり、昨年も類似した作品が提出された。押し入れの奥にキツネがいる、崖を転がり落ちると蛇男がいる、といった具合に、何の伏線もなく、唐突に異物を出現させるのは、想像力とは別の作業である。思いつきを列挙するのではなく、シーンとシーンを丁寧に繋げてほしい。
『朝の容花』の舞台は、八代将軍吉宗の時代である。紀伊徳川家と尾張徳川家の権力争いの裏で繰り広げられる、隠密同士の闘いを描いている。
剣士はみな子どもっぽく、マザコンだったりするのが現代風。読みやすく、ストーリー展開はスピーディかつおもしろい。母と息子の会話にはユーモアがあって、読者サービスは申し分ない。剣士の右京と、盲目の美少女、美也との恋は、右京に下された使命のために、大きな葛藤が生じる。登場人物それぞれのキャラが描き分けられ、チャーミングな作品に仕上がっている。
『ワーカー』には、人間のように言語を操るアリやハチが出てくる。戦争時の生物兵器や廃水の影響らしいが、変異するに至ったメカニズムが明かされることはない。機械の部品のように、集団となって働かされるアリたちは、立場の弱い現代労働者のシンボルであろう。コンセプトは新しく、理解できるが、少々乱暴な文章が気になった。
『恐竜ギフト』は、「ふ博物館」職員の暖子と、ティラノサウルスの全身骨格の化石を見て涙を流す俊を軸に、物語が展開する。両親から逃げ、祖母の家で暮らす暖子は、自分の弱さを自覚している。十七歳の少年、俊は、いくつかの食物アレルギーを抱え、身体的容器ができそこないであることを自覚している。
困難をよりよく克服したいという彼らの態度は、ティラノサウルスの「試練は克服するためにある」という台詞に込められている。
自分が授かった身体を、できそこないの容器と考えていた者たちが、ギフトであると考えるに至るまでの過程を描いて、実にすがすがしく、テーマに共感を覚えた。孤軍奮闘して大賞に推したが同意を得られず、『朝の容花』と『ワーカー』二作の優秀賞に賛成票を投じた。
|
私としては、全体的に好み 萩尾望都
今回の選考会は時間がかかった。三國青葉『朝の容花』と関俊介『ワーカー』と井上綾子『恐竜ギフト』の三作が三つ巴となったからである。
張間ミカの『遠国』は押す人が少なかった。文章はうまいが、「トビラを開けると異世界という設定が安易」「狐のお面が平凡」という評である。しかし私は好みであった。現世とあの世を行き来する体質を持つ少女というアイデアが面白かった。ただ、やや長過ぎると感じた。
『恐竜ギフト』を押したのは鈴木光司選考委員である。鈴木氏は選考作を同時に読む。30ページずつ順番に読む。A作品を30ページ読んだらB作品、C作品、D作品もそう読む。またA作品にもどり次の30ページを読む。このようにして並列の同時読みをするのだという。読むうちに書き手の性格に触れる。手触りが一番良かったのが『恐竜ギフト』で、一番悪かったのが、『ワーカー』だという。
実は私は『ワーカー』が一番面白かった。昆虫世界と人間世界が共存している。集団生活を営む蟻や蜂などが人間世界の労働者として安く使われている。乗り気のしないルポライター(人間)が、その労働をルポルタージュして行くうちに、次第に共存する社会の意味、未来への不安、崩壊の予感、虫達への共感を深めて行く。わずか10センチの黄色スズメバチに対する、それは愛かも? そういう甘い余韻も残る。
また、別荘で巨大なスズメバチの巣に遭遇した小谷真理委員にも、この話は受けた。後半のハードボイルドシーンで主人公はいくつもの蜂の巣のある団地に潜入する。ハルニレの蜜だけを持って。その恐怖と緊張。鳥肌である。
しかし昆虫が、なぜ人間の言葉をちゃんとしゃべれるのか、蟻は、カチカチとしか音を立てないではないか、この設定はマンガだ、我々は、文学の選考をしているのだという厳しい意見も、椎名誠選考委員から出た。言語発声のために口吻が変化しているとか、少し構造を説明した方がリアル感が出る気がする。
『朝の容花』とは、朝顔のことである。これだけは飽きずに読めたと、椎名委員が推薦した。文が良い。落ちも良い。加えて江戸時代マニアの荒俣宏委員が、植物を扱う“お庭番”というのが実在していた、それを書いてるのが面白いという。私も、面白かった。しかし、登場人物は誰も彼も気がつくと隠密か妖怪である。ちょっと、妖怪と人間に疲れた。すみません。
『恐竜ギフト』も良い話だ。ティラノサウルス、博物館、片思いも切ない。アトピー少年にも胸きゅんとなる。だけどなんだか微妙に構成がゆるい。この絶妙のゆるさが作品世界の甘い手触りを創りだしているのかもしれないが。
で、大賞はというと、推薦するなら命をかけよということになって、どれも一長一短があるといって決まらない。荒俣さんは『ワーカー』を強く押していたが、「このマニアックさが良いが、リスキーだな」という話になる。
巴戦の結果『朝の容花』と『ワーカー』を優秀賞にすることに決まった。各選考委員の個性が色濃く出た命をかけた選考会は終わった。たいそう面白かった。
|
|