日本ファンタジーノベル大賞



第二十二回日本ファンタジーノベル大賞


選評


多彩な収穫 荒俣宏

 今回の最終候補作は、例年にも増してヴァラエティー豊かな陣容であった。この一点を取り上げても、この分野がまだ未知の可能性を秘めている証拠であると考えたい。今回は四選考委員ともに、第一回から本賞の発展に尽力してこられた井上委員のご遺志を思い出しながら、才能の芽を一つでも多く掬いあげたいと、いつになく慎重な話し合いを行った。
 結論から書くと、今回の候補作には決定的な優劣の差がなかった。その中でどれかを推薦するには、説得力と覚悟が要る。私は『前夜の航跡』を1位に推すことにした。非常に静かな、庶民の日常感にあふれた戦時奇談である。改題前のタイトルから推測される戦争懐古ではなく、世界的な軍縮会議の方向に副いながらも自国の戦力増強を目指さなければならない時代背景にあって、じつは実戦よりもずっと不条理かもしれなかった「訓練中の海難事故」をテーマにしている。全体は、明治から昭和にかけての海軍事故にまつわる秘話で構成されるが、一見するとどれも同工の地味な話のように見せて、戦艦の造りが進歩するのと並行して事故の危険も増す方向に改められていくという、興味ぶかい裏テーマを隠している。その流れに翻弄されて訓練事故に遭う軍人たちと、かれらを救済するふしぎな彫刻を製作する仏師の係わりを描く。はじめは事故死した兵士の怨念を鎮めるのだが、やがては訓練事故そのものへの静かな怒りへと変わっていく流れが、読ませた。この視点に、作者の個性を感じた。軍国主義との関係を危ぶむ声もあったが、個人的にはその心配はないと思う。
 次に、心に残った作品は『月のさなぎ』と『外法居士KA・SIN』だった。私はこれまで、なるべく積極的に、江戸期以前を舞台にした時代ファンタジーを支援してきたつもりだが、本作品も戦国期の幻術家として知られる果心居士を取り上げた意欲に注目した。ただ、信長や秀吉の歴史的な謎をも一気に解明しようという壮大な試みは、しばしば難解で複雑な時代劇になりやすい。作者はそれを回避しようとしてか、非常に流れのいい、女性的な美文調によって、情景を短く描き重ねている。そのあっけなさの逆作用か、登場人物すべてに情念が籠もらなかった。ファンタジーという器を活かすには、歴史最大の謎解きに焦点を合わせるだけでは不十分かもしれない。いっぽう、『月のさなぎ』はファンタジーの器を目いっぱい活用した奇想ロマンだ。謎解きも適度に組み込まれている。だが、前者と同様に、器をうまく使いまわしたこと以上の迫力を体感できぬ物足りなさがあった。お二人には、ぜひ次回へのチャレンジを期待したい。
 残った『ホール・ショベル』は、正体の分からない人物とその行為を、分からぬままに物語るというファンタジーの方法を採用した異色作だ。随所に摩訶不思議な雰囲気を醸しており、大いに期待したが、読者を引きずりこんでしまう物語の仕掛けが、まだ確立されていない。冒頭、登場人物の名を一人だけAとするなどは、いきなり違和感を与えてしまう。まだ若い人なので、じっくりと技を磨き上げてほしい。


海の幻想力と、少女の想像力と 小谷真理

 全体的に好印象だったので、さんざん迷った末、思春期の性差とセクシュアリティを扱ったSF『月のさなぎ』を推す気持ちで、選考会にのぞんだ。
 舞台は、どちらの性へ変化するかわからない「月童子」という子供たちが暮らしている学園。この月童子、数千人に一人の割合で生まれるのだが、少年にしては、線の細すぎる、少女にしては妙に骨太な生徒たちの学園は、ちょっと目には不自然で非現実的な感触があり、現実性を重んじる文学畑とはことなった、曰く言い難い雰囲気をもっている。でも、それが少女漫画とライトノベルの感触にちかいものだ、と悟った瞬間、わたしには違和感なくすんなりとけこめた。少女の多様性にかけては当代随一をほこるわが国の少女漫画のスキルをわがものとし、ヴィジュアルではなく文章力によって再構築しているわけだから、ベースは、センチメンタルでロマンチックでノスタルジック。これを偏っているという前に、世界のどこにもない特殊な個性と評価したい。
 ふたりの主人公は、外界からやってきた少年や保健室の医師(理系・白衣・眼鏡というキャラ)との関係をもつうち、性の分化が始まる。そうした日常的な成長譚と、月童子とはなにか、学園とはなんのために作られていたかという、世界の秘密を解き明かすシナリオが絡み合って、繊細でありながら、ダイナミックな物語になっている。女性的想像力から発想されたとおぼしきストーリーは、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアや萩尾望都の子孫たる風情があって、ほほえましかった。今までのファンタジーノベル大賞の受賞作に、こういう個性はなかったように思う。
『前夜の航跡』は、海軍という国家戦略の一環として海へ駆り出され、生命の危機にさらされる訓練生たちと、それを助けるためにやってくる小さな神々とのファンタスティックな関係を描いていて、これはこれで、大人の品格のある完成された幻想奇譚集である。なかでも、木片となって砕け散った猫の彫り物のお話が、読後に余韻を残し、せつないと同時にどこか心があたたかくなるような感じがした。国策のために無惨な運命に直面する若い人々を、不思議な彫刻家が彫った小さな神が救出するシナリオは、日本の民の間で小さな神々が果たしてきた役割を考えさせると共に、両者の補完関係にも少々問題を感じさせた。その神々が助けてくれるが故に国策がさらに強力に推進されてしまうようにも読め、右翼的な見地から誤読される危険性が高いのではないか、と思われたからだ。井上さんがいらっしゃったら、どんなふうにお読みになったのだろう、と少々寂しく思った次第である。
 この二作をめぐる議論はかなりはげしかったが、さまざまな解釈に触れ、結果には非常に満足している。
『外法居士KA・SIN』は、先行作が山ほどある戦国時代が舞台ゆえに、個性をいかに出すかが難しいところ。同作品は、戦国時代の幻術士・果心居士にスポットをあてている。この題材は新奇であり、伝奇的背景に西洋文化との衝突より、中国大陸ルーツの幻想性を見ているところが面白かった。
『ホール・ショベル』は、ヨーロッパらしき世界で、穴を掘ることにかけては天賦の才能をもつ男の生涯が描かれ、穴掘り哲学が垣間見える。息苦しくなるような複雑怪奇な坑道や、掘られた先から流れ込んでくる未知の物質の不可思議なイメージなど、幻想的想像力はバツグンだ。
 二作とも、そのとてつもないアイディアをどう効果的に読ませるのか、という点で、文体や筆致などスタイルに関する方法論がまだ練れていないように思えた。今後に期待したい。


堂々たる力技─受賞作 椎名誠

『ホール・ショベル』を期待して読みすすんでいった。しかし結果的には、これは未完成なのではないのか、と思った。文体とその語り口に、ソフトな架空世界を創出しているのはいいが、現在存在する場所や生活空間からほんの少し足をぬいた程度なので、とても異世界とまではいかず、かといってどこかの国のどこかの時代のへんてこな話、というふうにもとらえきれず、寓話でもなく力ずくのホラ話でもなく、つまりはファンタジーという一番曖昧なところでほんわりおわってしまったという物足りなさが残った。フランスからイタリアに抜けられる一人用トンネルの発見、とかパナマ運河のとなりにもう少しでつながるトンネルがあった、などという話をメーンのストーリーとは関係なしに挿入していくような、とぼけた空転などでもっと豪快に遊んでよかったのではないか。
『外法居士KA・SIN』は「会話」のやりとりだけで主な話をすすめていく、というこの文体に問題があった。かなりの作品を書き込んでいかないと、これはなかなか難しい技だ。無から物語を紡ぎだしていく、ということはまことに手間のかかるもので、ある程度基本を踏まえた客観的な状況設定をほどこしてからでないと、会話だけで読む人の感情を動かしていくことはなかなかできない、という小説づくりの基本を冷静にうけとめてほしい。
『月のさなぎ』はミステリアスな状況を設定し、ミュータントまがいの若者があるエリアに幽閉されている、という話である。話の進展によってかれらの置かれている特殊事情がじわじわと読む者にもわかってくる、という、かなり常套的な組み立てのなかにある作品だが、どこかしらに常に類型的な既視感があって、事態の進展に驚嘆する、ということもなかった。平易な文体、わかりやすい話の展開、明確なキャラクターのかき分け、等々、大きな難点となる問題はないのだが、作品の鮮度としてはどうなのだろう。
『前夜の航跡』はワシントン軍縮条約下の日本海軍の「様々な演習」を小説の大きな舞台にして、一途に軍隊生活に身を投じる青年とそれをとりまく当時の国情、社会生活といった背景がひろがる。
 冒頭は怪談話で、いったいこの長そうな物語はどうなっていくのだろうか、と心配になるのだが、怪談の背景に神木を素材にした彫刻師、仏師が関与する。不思議な曖昧感で一話が終了し、どうなることかと心配しながら読んでいくと、海軍の演習と、軍縮に対応するための無理やりの実質的な軍備拡張と、仏師の作る彫刻が怪しい地下茎のように背後で作品全体にからんでくる。緻密に書き込まれたその時代の社会風俗、持ち物や会話、日々の生活ぶりなどが活写され、作品全体の安定感が増していく。
 話は四話によって構成され、それがとても近似しているのを欠点とする意見も選考会ではあったが、わたしはその四話をわざと近似させて全体の「わだつみ」や「鎮魂」というテーマにじっくり織り込んでいこうとしているのだ、というふうにとらえた。もとより作者の本当に意図しているところかどうかはわからないが、久しぶりに安定した堂々の力作登場であろう、これを大賞に推薦した。


重力に逆らえ 鈴木光司

 重力に従えば、水は高いところから低いところへと落ちる。川の流れに乗って移動するのに苦労はなく、水面が乱れることもない。重力に逆らい、流れに抗って屹立すれば、大変な労力を強いられる代わりに、うしろには渦という独特の模様ができる。抗おうとする強度が大きいほど、模様はダイナミックで美しいものとなる。それこそが、小説を始めとするすべての芸術表現の果実だ。
 既にある流れに身を任せて執筆される小説と、流れに抗おうという自覚を持って執筆される小説。ぼくが評価するのは断然、後者となる。
 ここ数年続けて、候補作の一本には必ず、登場人物の性別が明かでない作品が含まれている。少女なのか、少年なのか判然としない主人公が出てきて、自分のことを「僕」と呼ぶ。『月のさなぎ』は、明確な意図のもとに主人公の性を消してあり、どうにかこの潮流からは逃れている。ウィルスが蔓延して危険な外部と、性別も抗体も持たない集団が安全に暮らす内部を、ラストで逆転させるアイデアは秀逸だが、もっと効果的に使えば子どもたちの成長が描出できたはずである。文章のセンス、瑞々しい表現力は、生まれもってのもの。さらなる習練の後、本物の書き手の顔が現われると期待する。
『前夜の航跡』は、四本の中編を集めた連作集である。どの作品も、アメリカとの戦端が開く数年前を時代背景として、旧日本海軍の内部を扱い、戦争そのものではなく演習における海難事故が描かれる。物語の運びは見事というほかなく、読んでいてつい引き込まれてしまう。唯一、残念なのは、四本の作品とも登場人物、構成とも似たような展開になっている点である。海軍中尉と仏像の彫師を中心にストーリーが展開し、彫師の彫った手、猫、薔薇、女の仏像が、悪霊退治、人命救助、病気治癒を行うというものである。似たような物語を使い回すのではなく、一本の長編としてまとめてほしかった。
『外法居士KA・SIN』の語り口は、リズミカルで小気味いい。しかし、この手の文体は、思いのほか書くのが容易である。文章を書く上で難しいのは、環境と呼応させながら登場人物の意識を自然に流すことである。ト書きふう、シナリオふうに、ぶつ切れの文章を並べるだけでは、風景に触発されて絡まり合う精神の複雑さを表現することはできない。シーンとシーンをいかに繋げるか、その糊代の部分こそ文章表現の肝だ。
『ホール・ショベル~ある穴掘りの物語~』は、『フォレスト・ガンプ』を彷彿とさせる作風で、好感を持って読んだ。フォレストが、ただ走りたいから走るのと同様、ホール・ショベルはひたすらに穴を掘り続ける。それにしても、イノセントそのものであるホール・ショベルが掘る「穴」とは、一体何のメタファーなのか。もう少しわからせてくれたほうが親切というものだ。文章は安定していて、小説としての完成度は高いのだが、全体の印象が薄く、深みに欠けるのが惜しい。時間を凝縮させて克明に描くシーンを、効果的に挿入すれば、重厚な作品となる。候補作中、もっとも欠点の少ない作品と思われた。
 荒削りであっても、ストーリーが少しくらい破綻していても構わない。重力に逆らおうとする情熱を、執筆という行為の中で、迸らせてほしい。



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