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選評
ファンタジーの力を信じて 荒俣宏
この文学賞が今年で第十七回と知り、積み重ねてきた歴史の厚みを思った。過去の大賞受賞作はすばらしかった。ということは、回を重ねれば重ねるほど、大賞に推す基準が高くなる。現に、ぼくはここ数年、最終候補作を無意識に過去の受賞作と比較してきた。しかし歴史を重圧ではなく加圧に変えないといけない時期に来たようだ。候補作にプレッシャーを課すのでなく、勢いを加える力とする。この賞がさらに飛躍することを祈って選んだ作品は、「金春屋ゴメス」だった。疫病の拡散を防ぐため封鎖された土地が、独立国を宣言し、何から何まで江戸の暮らし方に徹する。この設定がファンタジーとしての爆発力を予感させた。とくにゴメスの登場のさせ方がすばらしい。江戸なのに国際感覚が豊かなところは平賀源内的な諷刺力である。小技もいたるところに仕掛けられており、引き込まれる。この感性は江戸の見立て、江戸のバサラだ。しかし肝心の疫病についてはこの軽やかな諷刺が利かず、現代医学の説明力に頼ってしまい、ここから話が色気を失う。かつて江戸の豪傑たちは菌を噛み殺して病を防ごうとした。破天荒な江戸の本草や殺菌法が大暴れしてほしい。なにしろ「金春屋」だ。ほんとの金春屋敷は私札を発行し領地の経済を管理した。経済も医学も、もっともっと突拍子のない見立てを導入したシステムであってほしい。江戸の人たちは芝居も絵も小説も、その見立てで楽しんだものだ。とはいえ、この話はおもしろい上に、続編によって進化できる可能性も秘めている。
第二位には「愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ」を推した。結果的には大賞と優秀賞を選ぶかたちになったが、この作品を挙げるのは命がけの覚悟を要した。というのは、同性愛、暴力、ドラッグ、人間関係の破壊、テロリズムなど、いかにも現代の病巣と思えるような問題を次々に繰りだすため、「またか!」と溜め息が出そうな膨満感を抱かせてしまう展開だからである。物語は、客たちの告白を聞いて癒してやる娼婦たちを巡る奇談である。客たちの告白はどこまで本当なのか怪しい。しかし娼婦は、たとえウソの懺悔であってもなお客たちの心を癒してしまう。その点、真実の告白のみを扱う聴聞僧よりも深い役割を果たす「陰の懺悔僧」ともいえる。したがって彼女たち自身の心の救済もまた、聖ではなく世俗の泥の中で追求される。便所コオロギを食べる話だの、いじめの話だの、残虐味を帯びた客の告白内容もまた、濁った俗世を舞台とする。だが、その汚れた泥の世界に真の癒しがある――娼婦たちはいわば、俗世で客をもてなす仕事を通じて、愛を伝道する。
突き離した哀しみのただようファンタジーだが、ラストに近づくにしたがい、話が俗世でなく心の内面へと向かいがちになる。娼婦のはかなく危げな物語がプラトニックな説経節になる。内なるドグマでなく、娼婦の愛の技によって現世に救済が訪れたら、もっとすごかった。この作者には、ファンタジーの救済力が試される作品を書きつづけてほしい。
「琥珀ワッチ」と「天上の庭 光の時刻」については、ともに個性的な小説であるものの大きな設定上の見込み違いが気になった。前者は一人称の語り口が後半のサギ事件に合わないこと。後者は主人公が重要人物の弟を勝手に本人と思い込んでしまう無理さ加減。しかし、この欠点を直して二作とも再挑戦してほしい。ファンタジーというよりも一般的な小説として読めるような強い基礎力がある。
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仕掛けの問題 井上ひさし
「琥珀ワッチ」(斎木香津)は、紳士と美少女の二人組の詐欺師の物語である。主役はこの美少女で、まず敗戦直後の横浜に現われて六人の富裕な青年を結婚詐欺に巻き込み、十数年後には、琥珀を材料にまた一芝居を打ち、さらに舞台を現在へ移してインターネットの投資詐欺を企む。この作品の最大の仕掛けは、この間、美少女がちっとも年をとっていないというところにある。彼女は、川の女神から何千年もの生命を与えられているので年をとらないのだ。なかなか魅力的な話だけれど、この設定を読者に呑み込んでもらおうとして、作者は頭でっかちな前説をつけて、最初から仕掛けをバラしてしまった。もったいない。また、物語と読者のあいだにいつも「大婆」という語り手が介在していて、うるさくて仕方がない。もう一つ言えば、三つの詐欺事件に割り当てられた分量がでたらめすぎる。大半を第一の結婚詐欺に割き、第三の投資詐欺などは全体の四十分の一くらいの分量で駆け足で書いている。物語の構造というものを、もっとうんと考えてほしい。
「天上の庭 光の時刻」(水町夏生)の仕掛けは、人違いである。ここに一人のヒロインがいる。彼女には幼なじみの兄弟がいた。そしていま、彼女は弟の方を、兄とまちがえて恋をしはじめた。短篇なら成立するかもしれないが、長編をこの設定一つで押し通すのはムリではないか。弟がヒロインにひとこと、「ぼくは兄ではありません。弟の方です」と言えば、それで終わってしまう。この設定で長編を書くには、もっと大きな、見晴らしのいい、別の仕掛けの援軍がいる。
「金春屋ゴメス」(西條奈加)は、現代日本から「江戸」が分離独立しているという設定で、これはみごとな発想であり、すばらしい思いつきである。ところが、話の展開が常に横に流れて、一つところに踏み止まって深みを作ろうとしていない。つまり独立時にどんな騒ぎがあったのか、「江戸」の権力構造はどうなっているのか、「江戸」の経済事情はどうか、「江戸」の地理と建物は、私たちが知っていた東京とどう変わってしまったのか、「江戸」とたとえばアメリカとの関係はどうかなど、独立物語になくてはならないことがらが何一つ書かれていない。この設定なら、もっとおもしろいことが山のようにあったはず。そこで評者は設定しか買わない。
今回、評者がもっとも買ったのは、「愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ」(琴音)である。都心の近くに、もともとこの国に存在してはいけない人たちの住む街があって、そこにはたとえば他人の告白を聞くことで生計を立てている女たちがいる。告白を聞くのは「清貧で高潔な」神父たち専売の聖務だが、ここではそれが転倒して、聞き役は「汚れて不幸な」女たちである。この仕掛けには強く惹かれるものがある。そして作者は、この街の住人たちの奇想の日常を通して「真のやさしさとはなにか」を膨大な量の言葉を駆使して考える。やがて聞き役の女たちの一人がこの街に革命を起こそうとして立ち上がるのだが、このあたりの機知にあふれた描き方にも感銘を受けた。物語は言葉で書き、言葉で創るものだという作者の覚悟がいたるところに現われていて、この作者には未来があると直感した。次作にも期待する。
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なりきる楽しさとは…… 小谷真理
全体的に親しみやすく、読者の心にすうっと入ってくるタイプのお話が多かった。読者を物語の世界に巻きこんでいくタイプがずらりそろったという手応えで、独りよがりな作品はなく、楽しい読書体験だった。
「天上の庭 光の時刻」は、謎めいた幼なじみとのロマンスをからませたサスペンス・ミステリかと思ったら、なんと思いこみがつよい女性の妄想小説。読者をひたすら巻きこんでいく女性の妄想力の強さには恐れ入ったし、濃厚ロマンチック路線で突っ走ったところは気持ちよかったが、ネタが割れたときのロジックのはずれかたが少々気になる。
「琥珀ワッチ」は、現代社会にとけ込み、人間になりすまして生きている特殊な人――この場合は人魚――を監視する一族のお話である。海外だと学者がすることを、日本風だとメイドさんがするのだという設定は、やはり発見だろう。これは冴えている。あまりにも長すぎる生をやりすごすため、人魚がひまつぶしに小さな犯罪に手を染めていくわけだが、やや矮小化されているような気がした。このように観察されてしまってよいものか、悩ましいところだ。しかし、この語り口、なかなかの手練れという気がする。
「愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ」は、告白の聞き役という仕事を設定している。告白小説はそれ自体がひとつの大きなジャンルをなす分野である。この物語では、いわゆる娼館のようなところが舞台で、娼婦相手に落とされていく告白の集積が、幻想的構築物に組み上げられて行くという構想になっている。この壮大なテーマに取り組んだ姿勢は、高く評価したい。だが、社会的な正義を背景にした世界観が幻想世界のロジックとしてかたちを取るためには、それこそ説得力十分の文章力が必要とされる。とてつもなく重厚なファンタジー作品になるにはいまひとつ、と言った観が否めない。
さて、今回一番楽しかった作品が、「金春屋ゴメス」だった。これは、『糞袋』、『しゃばけ』に続くひと味ちがった江戸モノ。「そうか、江戸のファンタジーとして、こういう斬新なやりかたがあったのか」という驚きの作品である。しかも、なんというか、底抜けに明るい、お気楽な発想が根底にあるように思われた。そのスタンスにまず、ほっとさせられたのである。著者が江戸という巨大なテーマパークと戯れることを心から楽しんでいるのが、確実に伝わってきたのだ。江戸が独立して国家をなすという物語なのに、政治学的方向にはあえて強く踏み込まず、観光小説的なスペクタクル性のほうを巧みに押し出している。著者の立ち位置には賛否両論あると思うが、わたしはまず「遊び心」とその現代的なRPG性を高く評価したい。
キャラについてもよく考えられていて、松吉の「ニューヨーク生まれ」というところは、思わず笑ってしまった。いっぽう、主となるゴメスはもっと突き抜けた、もっと破天荒な人物であっても、充分イケるような気がする。
なまじアイディア自体がおもしろすぎるため、あれもこれもと欲張りすぎて徹底できず、ちょっとふりまわされてしまったかなという感じ。
江戸のミニチュアに徹底的にのめりこみ、それからどーんと突き放したときに、この物語はもっともっと化けるのではないだろうか。
わたし自身この世界でもっともっと遊んでみたい! そんな期待をこめつつ、江戸コスプレの魅力あふれる作品として、いちばん強く推した次第である。
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北極圏からの手紙 椎名誠
今回は旅行中につき選考会に参加できず申しわけありません。北極の各地を小さな飛行機でのりついでくるので選評の短文を書いた荷物が今、私の到着しているバフィン島の北の村まで届かず、明日からキャンプに出ますので、もし今日の夕方までにそれが到着しなかった場合のことを考えて今の段階で私の結論だけを書いてFAXしておきます。
《編集部注・届きました。先に各選評から》
「天上の庭 光の時刻」は、どうしてこんなふうに思わせぶりに書かなければならないのか――と何度も首をかしげました。小説を書くのはむずかしいけれどわざわざ難解にした未消化の青春小説としか受けとめられなかった。ファンタジーとして深く読み込めないぼくがダメなのかもしれない。
「金春屋ゴメス」は、現代日本に「江戸」の隔離エリアがあってそこでおきる物語、という舞台設定は楽しみだったが、話の内容はありふれた因縁がらみのナゾ解きでそれもいたずらにややこしい。同じややっこしさを日本と隔絶して共存する「江戸」との関係に多面的に展開すれば面白くなっただろうにと残念に思った。そういうタイムパラドックスに似た話の構図を軸にしないと、話は結局「江戸時代の事件のひとつ」で終わってしまう。日本の現代医学を介入させないことも「隔絶江戸」の存在意識のひとつ、と語っているが、その程度ではこの異常かつファンタジックな二重構造世界の本来いろいろとおもしろいだろうお話づくりがまるで浮き出てこない。ミステリのナゾ解きよりもこの異常な二重国家の描きだす錯綜した面白不思議ドラマがないと魅力を感じない。
次に「琥珀ワッチ」について。(1)話の設定と展開が強引すぎる。ここまで時空間を広げてスケールの大きな話にする必要があるのだろうか、という疑問が常につきまとっていた。(2)戦後から現代までの世相や風俗を巧みな背景にして語り手の思いをつたえる技法に筆力を感じたが、それにしても人魚と鳥と美少女のそれぞれの四年ずつ、というのはあまりにも途方もない長さで、こけおどし的な無理矢理を感じた。(3)サギ師の系譜は面白いがこの部分が全体の中から突出しすぎていて本題が分散したような気がする。全体にスケールのあるファンタジー色をこの部分の物語が急に矮小化したかんじ。
「愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ」は、登場人物のキャラクターに不思議な魅力を感じる。そのキャラクターが語る告白のディテールが面白い。けれどこの複雑に錯綜する狂気の嵐と内向していく思考のうずまきに困惑し、ただ呆然と読んでいくだけだった。ぼくには最も苦手な小説のジャンルでこれはおそろしく斬新な作風のようでありながらこのジャンルではとても古典的なナルシシズム小説のような気がした。読み手と書き手の異相が強すぎてぼくには採点をつける能力がないような気がする。
《私の結論》
今回は全体にうなるものはなかった。評価点はABC三ランク採点で四編ともCでした。その中でどれか一編と言われたら、「愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ」でしょうか。他の三編には心を動かされるものはありませんでした。しかしそれも、あまりにも不健康すぎて気持はよくありません。私のいま旅をしている場所の白くて鮮烈な風景の日々にあまりにもかけはなれているからなのかもしれませんが。どうもすいません。
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スケールの大きな作品を 鈴木光司
文学部の学生時代、文芸評論家の秋山駿さんが主宰する戦後文学の勉強会に参加していた。その席上、秋山さんから幾度となくこう言われた。
「鈴木くん、いいかい、文学とは人間の悪を描くものなんだ」
当時ドストエフスキーを夢中で読んでいたぼくは、「なるほど、そうだろうな」と力強く頷いたものだ。
あれから三十年近くがたち、自分自身実作の道に入ってみると、「人間の悪を描くのもいいが、善を描くのはもっと難しい」と思うようになってきた。
昨今、動機の不明な殺人事件が起こって犯人が検挙されるたび、その生い立ちや家族関係などが、克明な取材のもと、詳らかにされる。何冊かドキュメントを読めば、現代の悪には一種のパターンがあるとわかってくる。悪についての物語を書くにあたって素材は豊富に提供され、思考を掘り下げる困難はあまり伴わないですむ。
これに対し、特に日本人は、真っ正面から善を描くのはいかにも苦手だ。いい人や品行方正な人なら書ける。しかし、男性的宗教の伝統を持たないわれわれに、絶対的な善は描きにくい。
いつかここに挑戦したいと思うゆえんである。
ところで、「愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ」の舞台は近未来で、混沌とし、悲惨に満ちている。ここで描かれる悪は、頭の中で勝手に作られただけのもので、現実世界を反映してはいない。十数個並べられたエピソードは、どれも現実の人間の動きとは無縁である。世界の仕組みに対する理解の浅さが気になった。
「琥珀ワッチ」は、最初のうちおもしろく読んだが、途中から落胆に変わった。三度目に生まれ代わり、記憶が消されているとはいえ、ヒロインの煕子は二千年以上生きているはずである。にもかかわらず、どうしてただのしょうもない詐欺師の女としてしか描くことができないのか。二千年生きて唯一理解できたことが、「人生は暇つぶし」ではあまりに情けない。
「金春屋ゴメス」のアイデアはおもしろく、タイムマシンものの変形として読んだ。軽いけれど明るく、ユーモアにあふれている。たとえば地中海の無人島に、ギリシア時代の生活をそっくりそのまま再現させた(社会風俗から政治形態、生活の細部にいたるまで古代ギリシアと同じ)テーマパークができたとしたら、相当に愉快だろう。かといって、現代文明を捨ててまで、そこに移り住みたいとは思わない。小説のラストで「昔はよかった」的なノスタルジーに流れ、「ああやっぱり」とちょっとがっかりさせられた。
もっとも評価したのは「天上の庭 光の時刻」である。ところどころに、短かく適確な表現がちりばめられ、文学的な匂いがある。少ない描写で、登場人物たちのキャラクターを個性的に浮かび上がらせるのに成功している。話し自体は小さいが、好感を持って読んだ。ファンタジーにこだわることなく、力を伸ばしていってもらいたいと願う。
全体を通して小説のスケールが小さいと感じられた。スケールが大きいとは、物語の時間幅が大きかったり、物語が壮大という意味ではない。善に向かって突き進む、崇高な人物を描けるかどうかの心意気にかかっている。一本ぐらい、人間の未来に明るい展望を抱かせる作品があってもいい。
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