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選評
ファンタジーの『王道vs破格』 荒俣宏
今回もまたユニークな最終候補作が集まった。まるで芥川賞の受賞作を読むかのように意欲的な内容、構成をもつ作品が多く、選者の一員として毎年こちらが試されている気分すら、抱くことがある。
まずAランクとしたのは「太陽の塔/ピレネーの城」であった。通常の意味のファンタジーではない。夏目漱石や「けんかえれじい」を思いださせる青春妄想小説であり、男子寮の知と痴が暴力的にからまりあう。京都における京大生の尊大ぶりと稚戯性とを巧みなレトリックで描きあげた。地域も時代も極度に狭いだけに、危い妄想に満ちみちている。それでいて、どこかに純な心情があふれている。まるで岡本太郎の作品のように突拍子もない「彼女」の研究を通じ、よい意味で明治文学の真面目さを感じさせる小説であった。これならファンタジーの読者にも支持されると確信して、一位に推した。しかし問題もないわけではない。あまりに技巧に走りすぎた場合、鼻につく危険のある文体である。この作品では成功したが、はたしてこのようなバンカラ一人称でもっと幅の広い物語に挑戦できるものかどうか、若い作家だけに注目して次回作を見てみたい。
第二位に推したBランクは二本「象の棲む街」と「ラビット審判」だった。「ラビット審判」は、Aとした「太陽の塔/ピレネーの城」と同じく、題材、文体ともにきわめて狭い分野を狙った作品である。一種の聖人伝説あるいは聖人の裏面伝説という、日本人には馴染みにくいテーマに挑んだ。ふつう、理想的聖人の裏面を探る場合、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』のごとく、なまなましい禁欲生活の偽善的側面がグロテスクに描かれがちとなる。本作品も基本的には同テーマなのだが、単調で説教でも聞くかのような語り口と、少年だけの教団という「男子寮」的妄想のおかげで、ムッとするようななまぐさい部分を消すことに成功している。読後、ふしぎな静寂があり、私は気に入った。が、これも通常にいうファンタジーとは異なる。「象の棲む街」のほうは逆に、堂々たるファンタジーで、連作形式のストーリー群に多彩な幻想シーンが盛り込まれていた。登場人物は極限情況の東京に生きる逞しさと機知とに恵まれ、魅力的だが、惜しむらくはどの人物に対しても「読み切った」というカタルシスが湧いてこない。最後のところでスルリと消えてしまうのだ。もしも、書かずに想像力にゆだねる手法の結果だとしたら、一層の努力を希望する。とはいえ、正統的ファンタジーだけを選ぶのなら、今回の優勝作である。
Bマイナスと評価した「影舞」は読むのに苦労した。たとえば、舞士の技がどのようにすばらしいのか、その本領が伝わってこない。こと細かに付けられた名前の説明もくどすぎるが、情報力あるいは世界創造力に尋常ならざる熱意を感じた。これはファンタジーの王道だ。いわばデバッグが済んでいない新パソコンOSを操作するような、無駄だらけだがひょっとすると途方もない別機能が搭載されているのかと期待させる「未知」のパワーを秘めている……のかもしれない。ここは急がず、時間をかけて巨大ファンタジー世界を構築してほしい。
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美点満載、文句なし 井上ひさし
「ラビット審判」(彼岡淳)は、「少年司祭」という存在を考え出したところが魅力的だ。もう一つ、彼らが信奉する世界宗教、テペル教の司祭たちの中でとくに選ばれた者が持つ超能力もおもしろい。この超能力の持ち主は、だれでもよい、たとえば井上某氏の持ち物を媒介に、井上某氏の記憶、彼の思いを「映像」として受け取ることができるのだ。
さて、発祥は紀元前という古い歴史を誇るこのテペル教の開祖は、ただ「聖人」とだけ呼ばれているのだが、〈この国には聖人のまとっていた衣服の切れ端が分けられて、鍵のかかる箱に入れられている……〉ので、超能力を持つ司祭がその聖遺物にもしも触ることができれば、開祖聖人の記憶や思いを映像として受け取ることができる道理になる。これをカトリックにたとえるなら、選ばれた者がキリストの聖衣に触るならば、キリストの記憶と思いを自分のものにできるという仕組み。こんな凄い設定でどのような物語が展開するのかと、わくわくしながら読みはじめたのだが、残念ながら物語そのものはまことに小さかった。設定に物語が押し潰されてしまった感がある。
「象の棲む街」(渡辺球)は、二十二世紀初頭のアナーキーな東京が舞台で、その荒れ果てた街で五人の男がドブ鼠のように生きる様子を、おもしろいエピソードを次々に繰り出しながら達者な筆で描いた作品である。作者は明示していないが、なにか途方もない大事変があって、日本国はアメリカと中国の管理下にあるらしい。じつはこういうところが困るのだ。なにがあってそうなったのかを知りたいのだが、その手がかりがない。日本管理に重要な意味を持つ象がじつは「不在」であったという物語の落としどころも月並みである。ただこの作者には「場面」をおもしろく作る才能がある。その才能を大切にしながら、もっと構造のしっかりした作品を書いてほしいとねがう。
評者が推したのは「影舞」(小田紀章)と「太陽の塔/ピレネーの城」(森見登美彦)の二作である。
「影舞」は地球規模の広大な物語で、その一端を記せば、大空を風に乗って漂う巨木があり、その巨木は、根を大海に垂らし、海水を真水に変えて吸い上げて、植物、動物、虫などを養い、それを数十万の人間が食料にして生きており、しかもこういった巨木が世界の空に三千も浮遊しているというのだから、すさまじいほどの構想力である。話はこの三千の巨木の一本に生まれ育った三人の若者(二人は芸術家、一人は精霊使い)を中心に展開して行くが、奔放にして古典的な物語に身をゆだねているうちに、思いがけなく切ない結末がやってくる。文章は華麗にして安定。ただ、思ったほど票が集まらなかったのは残念である。
「太陽の塔/ピレネーの城」は、美点満載の、文句なしの快作だった。なによりも文章が常に二重構造になっているのがすばらしい。では、それはいったいどういう仕掛けになっているのか。京都大学を〈休学中の五回生〉の「私」が主人公で語り手をかねているのだが、この「私」が女性にモテたくてたまらないのにまったくモテないので、客観的にはみじめで哀れな毎日を送っている。ところが「私」には、つまり主観としては、自分がモテないのは世の中がまちがっているように見えている。この客観と主観のズレが全編に絶え間なく愉快な諧謔を作り出していて、読者はいつも主観と客観の、抱腹絶倒の二重唱を聞くことになる。これは生半可な技術ではない。持って生まれた才能だろう。この才能がこれからもまっすぐに伸びて行くことを切に祈っている。
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バンカラが好き! 小谷真理
一読して、一番強烈で、一番笑いこけた作品は、もちろん「太陽の塔/ピレネーの城」である。
主人公が恋するオトコ、作品の形式はファンタジー――などというと、若きウェルテルかプレーボーイ・スパイかと思ってしまうところであるが、そうではない。なんとこれが、ふられオトコのスラップスティック・コメディで、今風に言うなら、もてないオトコの妄想小説。そう、恋をすりゃ犬も詩人に、バンカラもファンタジーになってしまうというわけだ。
これは、実は危険なネタである。政治的な正しさがもとめられているキビシイ現代社会においては、一歩間違えると、ストーカー小説になりかねないからだ(しかも、評者にフェミニストが一匹いる)。まことにヤバい状況ではあるものの、でもオッケー、と寛大にゆるされてしまうのは、この主人公がなぜか「ストちゃん」と呼びたくなるような、ラブリーな存在であるからだ。トホホ感覚漂うかわいらしさが、今時のオトコにとって充分な武器になることを、この作者はよく知っている。
下半身から襲ってくる圧倒的なパワーに翻弄され、その気もないのに勝手にエネルギー充填され、にもかかわらず、エネルギーのアウトプットがうまく行かない。ついに猪突猛進してしまったら、やっぱり撃沈。で、勝手に羽ばたく恋の翼は、「女」という幻想を増強することに……。ちなみに、単なる週刊誌的興味半分に、「ストちゃん」をここまでファンタジストにしてしまった相手の女性ってどんなコかしらとその描写をさがしてみたら、いやはやなんとも宇宙的にすっとんでいて、実体がよくわからないほどすごい。
似たようなむくつけきオスどもと繰り返されるしょーもない日常? これは七○年代頃読みまくったムツゴロウ、庄司薫、遠藤周作といった青春文学のなつかしい味わいだ。とすると、やっぱああいう青春小説なんてファンタジーだったんだ、と、木原敏江の『摩利と新吾』みたいなコペルニクス的転回に、拍手をおくるものであります。現実を異化して笑い飛ばす、こんな痛快な小説がでてくることをどこか待っていた、気もする。
設定はいいのに、物語力がいまひとつと感じたのが、「影舞」と「ラビット審判」。
「影舞」のほうは、異世界設定マニア中枢をいたく刺激する、とんでる快作で、その異世界設定のおもしろさ、緻密さ、奇抜さはあまりにもすばらしい。しかし、残念ながら、そのぶん物語力のつたなさが目立ってしまった。この作品に必要なのは、デザイナーとシナリオライターの力ではなかろうか。王樹の世界設定を用いた別の物語で相まみえることを期待したい。
いっぽう「ラビット審判」は、宗教的な法悦とボーイズラブとの組み合わせという、わたし的にはおいしすぎる素材を扱っているにもかかわらず、いまいちエロスにかける展開で、乗り切れなかった。
「象の棲む街」は、アメリカと中国に蹂躙され、首都に閉じこめられてキツキツの生活をしている異世界の日本が舞台。物資が極端に不足した抑圧的な世界で、たまたま袖振りあうことになった数人の男女の逸話をオムニバス形式でつづっている。
ジリ貧を機知で乗り切るサバイバル感覚の展開は、もともと創意と工夫に富んでいておもしろいものなのだが、本作品でも例外ではない。怖ろしい現実の閉塞感とともにリアルさが伝わってくる。説得力あふれる文章の端正さにも、感心した。
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楽しめた受賞作 椎名誠
「太陽の塔/ピレネーの城」をこの賞に推薦した。今回はそういう声が多かったが、難点はこれがファンタジーかどうか、ということであった。他の作品に見事にファンタジーの本流を行くものがあったのでどうしてもそういう論議は出てくる。
この作品は、マンガ家いしいひさいちのいろんな作品の、単純で滑稽で常にどこか不条理で結構屈折した哲学なども含有している、あのヘンテコな面白さに通じている、と思った。たとえば東淀川大学に所属する貧乏できったなくて本能に貪欲で変に気位の高い落ちこぼれ学生群を描く「バイト君」を文学にするとこんなふうになるのではないか、と。有名マンガを文学にするというのはなかなか難しい。たとえば『サザエさん』を優れた長編小説にするのは相当なハンデと努力がいるだろう。この作品はそういう意味で作品世界全体がファンタジーになっているのではないか、とぼくは広義に解釈した。久しぶりに力のある変な小説を書く新人が出てきたのではないか。ただしこの思わせぶりな、だけどあまり意味のない二重タイトルはいただけない。
「象の棲む街」はある不幸な日本の未来の或る時代の無気力で混沌とした世界を描いていて、そこに読む者をどのくらい興味深く旅させてくれるか、ということが最大の評価ポイントであったように思う。この作品世界の「ここにいたった」背景、つまり作品の骨格が不明なので戸惑う、という評価もあったが、ぼくはそういう理由や背景を説明しなくてもその世界を生き生きと表現できていたらその必要はないと思った。それには注意深く丁寧で有無をいわさぬ興味深いディティールの積み重ねが必要だ。この作品はそこのところが少し弱いと思った。
「影舞」はちょっとした島宇宙を連想させる巨大な空飛ぶ樹木の中に生きる独特の階級レベルをもった妖精種族たちの物語である。海面すれすれに飛ぶその樹木世界は水面から海水を吸い込み、淡水に濾過してそれをこの世界の活力にしている。そういう巨大な空飛ぶ樹木がその世界には沢山飛び回っている。なんともワクワクするような舞台設定である。そこに不思議な名前を持つ沢山の登場人物、動物、舞台装置などが登場するのだからファンタジーストーリーの王道をいく物語である。けれど読み進んでいってもあまり胸が弾まない。楽しくこの作品世界を遊ぶことができない。素晴らしい世界をつくることはできたが、外部の者が覗いて楽しむための娯楽装置とその解説用語がまだ完成されていないのではないか、と思った。
「ラビット審判」は聖人と超能力の難しい世界と独特のテーマに挑戦した意欲的な作品だったが、エンターテインメントとしての咀嚼力にいま一歩、という読後感だった。もう少し読者の理解力を考慮しながら話を書き進めてほしかった。ぼくの読解力が劣っているということもあるのだろうが。
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血肉に昇華させるべき 鈴木光司
大学に入る前から作家志望であったため、若い頃から小説を書いては捨て書いては捨てを繰り返してきた。学生時代の習作など、作品としてはまったく使い物にならないものばかりだが、捨ててきた原稿が自分の血となり肉となっているという実感はある。書いて捨てる枚数の膨大さが、作家へのハードルを越えるチャンスを与えてくれる。若書きの習作、おおいに結構。しかし、捨てるべきものは捨て、血肉に昇華させる覚悟を持たなければならない。
今回、達者ではあるがまだ賞には早すぎると思われる作品「太陽の塔/ピレネーの城」が、ひょっとして高得点を集めはしないかという危惧を抱いて、選考会に臨むことになった。案の定、ぼく以外の選考委員がすべてAをつけ、大賞受賞ということになった。この作者は確かに可能性がある。もう少し捨てるべき原稿の量を増やしてもらいたいという願いを込め、敢えて苦言を呈したけれど、受賞した以上は、新人作家として暖かく見守っていくつもりである。
「ラビット審判」は、損なキャラクターを登場させる。堅実でまじめ、善人を絵に描いたような少年司祭が主人公である。小説というメディアは、善人より悪人のほうがずっと描きやすい。唯一絶対の神を持たない日本では特に、善を表現するのが困難になる。敢えてそこにチャレンジした心意気に好感を覚えた。二、三差し挟まれる寓話が、作者オリジナルの創作だとしたら、より評価したいところだ。
「影舞」を読むと、自分が正統的なファンタジー読みではないという思いを強くする。異世界に連れていってくれるのがファンタジーのよさだとしても、地球以外の場所で人間以外の生命が登場する物語を読まされる意味がわからない。作者が独自に作り上げた世界の構造をあらかじめ説明されてからでないと、話しに入っていけないというのでは困ってしまう。面倒臭がり屋で、どんな製品を買ってもまず最初にマニュアルと保証書を捨ててしまうぼくは、この物語についていけなかった。小説こそ、マニュアルなしで読むものだろう。
それに比べ、「象の棲む街」は、作者によって構築された異世界が冒頭からすんなりと頭に入ってきて、これが小説だとうならされた。世界大戦が起こったであろう百年後の東京が舞台で、四千万人という人口を抱える巨大都市の猥雑さが、臭いまで喚起するかのように生々しく伝わってくる。最初に全部説明することなく、短編を紡ぐ描きかたで、徐々に世界の輪郭を浮かび上がらせてゆくところがいい。世界大戦後の近未来という設定は使い古されて陳腐だが、作者は独自の表現方法を身につけていると思われる。今回、ぼくがもっとも高得点をつけた作品である。
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