■作曲家・冨田勲さん

 ぼくの少年時代は「箝口令(かんこうれい)」の世の中でした。大戦末期、愛知の三河地震に遭遇しました。けが人をリヤカーに乗せてガタガタ道を運び、寒さに震えながら、誰もが情報を待っていた。どこで手当てしてもらえるのか。援助物資はいつ来るのか。しかし、我々の思いとは逆に、国は報道管制を敷きました。日本が弱っているように外国に思われたくなかったのでしょう。結果、死ななくてもよい命がたくさん死んでゆきました。

 偽りの情報は、不毛な憎しみを育てます。B29から落下傘で降りてきた米兵を、人々が寄ってたかって鍬(くわ)で殴り殺したとの噂(うわさ)も出ました。実際は手厚く看護していたのに。

 秘密の保持そのものは、なくてはならない局面もあるでしょう。しかし、それがひとたび歪(ゆが)んだかたちで漏れたとき、臆測をまとって広がり、一部の人間にうまく利用されかねないということを政府は知るべきです。正しい情報を隠すことは、デマの発生に加担することなのだと。

 昨年、老体にムチ打って、宮沢賢治を素材にした新しい交響曲を世に問いました。大戦や震災を体験した人間として、自然やいのちの本質を、言葉や世代の壁を超えて伝わる音楽で残しておかねばならない、と。未来に向け、私たち一人ひとりが重大な責任を持たねばならないのは、まさにこれからではないでしょうか。情報から真実を判断し、自ら考え、行動する権利を守る。そういう責任です。