由比氏は、由比光高が、由比郷に住み由比氏を称した事に始まる。
(その父大宅光延は、源頼朝から駿河国高橋郷・由比郷・西山郷を与えられていた。)
由比氏の系図を見ると、由比氏には、由比光高の子光茂と為光の2つの系統が続いていた事が分かる。しかし、光茂系にあたる由比泰光の所で由比一族が滅んだと書いてある。
1437年に起こった永享の乱の時、今川範忠は、蒲原城を囲んだ一揆勢を逆襲し、敵の大将高山玄光と由比左源太を討取った牟礼範里に感状を出している。
1449年には今川範忠は、光茂系の由比泰光の養子となった由比光数に知行を安堵している。
為光系の由比氏では、高橋貞直が由比氏の婿となって、その孫にあたる由比直任が、今川範忠の子今川義忠に仕えている。
このような所から、永享の乱の時、鎌倉公方足利持氏側に立った由比氏は、今川範忠に抵抗する事で存続の危機を迎えてしまい、他家より養子を入れることで由比氏の家名を残したのではないかと考えてみた。