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【産経抄】12月8日
南アフリカのマンデラ元大統領が生まれた1918年、第一次大戦が終わり、翌年1月パリ講和会議が始まった。悲惨な戦いの反省から国際連盟結成も議題となる。「戦勝国」として参加した日本はこの連盟結成にからめ各国に人種差別撤廃を提案した。
▼連盟規約に「加盟国は他の加盟国国民を差別しない」という条項を求めたのである。米国で日本人の土地を取り上げる法律ができたことや、欧米で根強い「黄禍論」への反発が背景にあった。人類普遍の理念というより日本やアジア諸国の国益を守る狙いだった。
▼米国や英連邦などの国々は当然のごとく反対に回る。アジア系ばかりでなくさまざまな人種問題を抱える国としては、国内の反差別運動に火がつくのを恐れたのだ。このため日本も条項でなく宣言とすることで妥協する。表決では11対5という圧倒的な賛同を得た。
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