- 歴史
- 2013-12-08 00:30
防災歳時記12月8日 「夢の原子炉」もんじゅナトリウム漏洩火災
今から18年前の今日12月8日、福井県敦賀市にある高速増殖炉原型炉「もんじゅ」で、冷却材として利用する液体ナトリウムが漏洩し、火災が起きた。
「もんじゅ」は、MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合酸化物)を燃やして発電し、再び燃料として使えるプルトニウムを燃やした以上に生み出せる「夢の原子炉」として、その計画の発端は1960年代までさかのぼる。
共に研究・開発が進んでいた「ふげん」と合わせ、知恵と慈悲を象徴する「文殊菩薩」と「普賢菩薩」から名前をつけたことは有名な話だ。
他の原子炉が「福島第一原発1号機」という風に、地名と数字で識別されていることを考えれば、国がいかに「もんじゅ」に期待していたかわかるというものだろう。
「もんじゅ」は1970年に建設候補地が選定され、1983年に着工。1991年に試運転を開始。1994年4月5日に初めて臨界に達し、着々と歩みを進めていた。
しかし……。
1995年12月8日午後7時47分、性能試験を行なっていた「もんじゅ」で、原子炉の熱を発電系に伝える二次冷却系配管のナトリウム温度が上昇。ナトリウムの漏洩と火災を知らせる警報が鳴り響いた。
火災警報は瞬く間に階を超えて広がり、午後8時には14ヶ所の火災報知器が発報。最終的には66ヶ所に及んだ。最初は「もやっている程度」だった煙はもうもうと立ち込める白煙に変わり、原子炉を緊急停止させるに至った。
空気に触れただけで燃え出し、水に触れると爆発する液体ナトリウムの危険性は、「もんじゅ」の計画段階から指摘されていた高速増殖炉のアキレス腱だ。
だが、先んじて運転している実験炉でそれまで事故はなく、運営する動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は自信を持っていたのだろう。
「もんじゅ」の事故後、動燃は明らかに動揺し、現場を撮影したビデオを短く"編集"して公開するなど、不信を招く対応に終始。後日公開された、おびただしい量のナトリウムが鋼鉄製の床を侵食して飛び散った映像は、動燃の「隠蔽体質」というフレーズと共に繰り返し報道された。
そして、今。
「もんじゅ」は2010年5月、事故から14年ぶりに運転を再開したものの、操作ミスによる制御棒の挿入中断や、燃料を交換時に仮置きする装置を吊り上げ作業中に落とす事故など、トラブルが相次ぎ、昨年には1万点に上る機器の点検もれまで発覚。
動燃の後を継いだ日本原子力研究開発機構に対し、原子力規制委員会は「もんじゅ」の運転再開に向けた準備の停止を言い渡している。
「もんじゅ」の名前には、獅子と象に乗った文殊菩薩と普賢菩薩にちなみ、「巨獣のように強大なパワーを制御し、人類の幸福に役立てる」との思いも込められているそうだ。
沈黙したままの「もんじゅ」に今、見出されるのは、どんな"夢"だろうか。