昭和34年の開業以来、幅広い診療科目と救急診療で、地域の患者さんの健康を見守り続けてきた小林外科胃腸科を訪ねた。どこか懐かしさを感じさせる趣きある医院は、ただ古いだけではない。院長の小林先生が大切に使い続けてきた物たちが、時代を越えてもなお現役でイキイキと活躍し、受付と一体になった診療 室はアットホームな雰囲気を漂わせていた。診療時間外でも患者さんが訪れ、お忙しくされている小林先生だが、取材のために時間を割いてお話を聞かせてくださった。(取材日2009年9月9日)
―医師を目指したきっかけは?
小さい頃から外科医師である父を見て育ち、医療は身近な存在でした。医師を目指したというよりは、医師以外の職業は思いつかなかったと言った方がいいかもしれません。父は開業する前、陸軍の軍医で、実際に戦場に赴き、傷ついた戦士の治療にあたっていました。医薬品が不足しがちの戦地では、麻酔なしで 手術することもあり、今の平和な日本では考えられない状況だったそうです。戦争が終わり、無事帰国した父は病院勤務の後にこの場所で開業しました。昭和20年、20年代は、父のように元軍医で開業した医師が多かったのですが、元軍医には特有の怖さというか、一本筋の通った強さがあって、小さな傷や注射で痛がる患者さんに は父も厳しかったですね。父の代から来られている患者さんが、「お父さんは怖かったね。麻酔なしで治療された時は本当に痛かった」と、思い出話をされることもあります。
―大学時代の思い出をお聞かせください。
大学時代は野球中心の生活でしたね。記憶として残っているのは、練習がとてもきつくて大変だったこと。まるでマラソン選手のように、炎天下の中、ひたすらグランドを走らされました。キャッチボールやバッティングの練習よりも、走っている時間の方が長かったのではないでしょうか。監督が言うには「まず は体力をつけること。今、目の前にある辛さを乗り越えられれば、この先どんなことがあってもそれ以上に辛いことは無いはずだ」。その言葉を実感したのは、医局に入局してからでした。
―医局ではどんなことを学ばれましたか?
大学卒業後、昭和大学の外科に入局しました。10年間、多くの手術に立会い、特に大腸がんを専門に外科の技術を学びました。外科に入局して感じたのは、野球部の延長のようだということ。体力のきつさ、先輩の指示に忠実に従うことのできる精神力が、外科医には必要なのだと思いま した。体力には、野球部であれだけ走らされてきたので、私はそれほど苦痛に感じませんでしたが、運動部を体験してこなかった方には、外科という団体生活に慣れるのが大変そうでしたね。
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