「人権週間」(12月4日〜10日)の最中、自民・公明連立政権は「特定秘密保護法」を強硬成立させた。これは戦後民主主義の劣化を象徴する出来事だ。この出来事は政府広報機関と化したマスコミの役割を抜きにしては考えられない。このマスコミの体質をどう変えていくかも重要だ。
今さらのことだが、この法は日本国憲法の精神に著しく反し、主権者たる国民の自由と権利を損なう。「憲法違反・人権を侵害し国民の自由を制限する」と、これまでにない多くの国民や各界各層の人たちが強い反対の声をあげた。これは日本の戦後民主主義の崩壊に通じ、国際的には民主化の流れに逆行する動きだ。
しかし、日本のマスコミは今回も政府与党の主張をほとんど無批判に伝え、この法律の危険性についての反応は鈍く、一部のマスコミを除き、通り一遍の報道に終始した。
読者も周知の通り、マスコミの劣化は今はじまったものではない。原発事故や検察の暴走の問題同様、多様で開かれた民主主義社会を維持する潤滑油であるべき本来の役割を忘れ、政府の広報機関と化していた。今回は、特に海外メディアの報道との落差が著しいことから、あらためて多くの人たちに意識された(「国境なき記者団」が日本での報道の自由の度合いを世界53位にまで引き下げたのはその表れでもある)。
クーデターなどでできた軍事独裁政権は、どの国であれまず放送局を占拠し、次いで新聞社を抑え込むのが常だった。それだけマスコミは国民統制(洗脳)に効果的だからだ。日本では今、そのマスコミが劣化しているため、権力と癒着した場合に全体主義に向かう危険がある。
この1年の経緯をたどるだけでもマスコミのさらなる劣化がわかる。
第二次安倍政権成立に道を開いたのは他ならぬマスコミである。1年前の総選挙報道はどうだろう。原発事故対策、被害者への賠償と補償、放射能汚染と健康被害対策……。これら大きな問題があったのに、選挙戦では“維新の会が云々”、“橋下がどうした”、“石原は……”などと政策論議は二の次にし、もっぱら合従連衡の動きを追うニュースが続いた。
原発問題、貧富の格差など「国民の生活」を正面から掲げて出発した他の新党の動きは申し訳程度に報じただけで、後はほとんど無視。国民多数の反原発への願いを軽視する一方で、景気回復に期待を持たせる安倍自民党に有利な雰囲気作りに寄与した(これが投票率の低下。多くの人たちが投票所に足を運ばない遠因となったと指摘された)。
“あれだけの深刻な原発事故を起こして原発問題がほとんど争点にならず、原発推進党が大勝利とは!?”と選挙結果に海外メディアが驚愕したのは読者も周知の通りだ。
そして、今回もマスコミは本質をそらす報道が主だった。