特定秘密保護法案を問う(14):政治史学者・今井清一さん、戦争体験こそ尊い遺産
2013年12月7日
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「21世紀の世の中で、短兵急にこんな法案が可決されることになるとは」。無念を吐き出したのち、絶句した。1955年、戦後の近現代史研究の原点となった「昭和史」を共著したことで知られる政治史学者、今井清一さん。かの大書でとりわけ満州事変から敗戦まで、侵略とファシズムが行き着いた破局の歩みに光を当てたのは、不戦の誓いがあったから。国民の知る権利を脅かす特定秘密保護法に「いつか来た道」を想起し、その胸は波立つ。
歴史学者の遠山茂樹、藤原彰と執筆した初版のはしがきにつづった。
〈とりわけ執筆者が関心をそそいだのは、なぜ私たち国民が戦争にまきこまれ、おしながされたのか、なぜ国民の力でこれをふせぐことができなかったのか、という点にあった〉
「世の中がキナ臭くなっていた。戦争再発のため、歴史の真実を伝えなければと思った」
1950年の朝鮮戦争勃発を受け、連合国軍総司令部(GHQ)の要請で警察予備隊ができ、保安隊への改組を経て出版前年の54年、自衛隊が発足していた。
かつての陸軍幹部候補生、惨めで後ろ暗いあの日々を繰り返すまいとの一念で筆を執った。
〈政治、経済、文化の諸分野の動きを統一的につかもうとした〉(新版はしがき)
その試みは、のちに議論を呼び、いまに続く歴史認識、教科書問題の発端となったが、「平和主義に立った歴史の分析、記述には自負がある」。刊行から58年余、信念は揺るぎない。
■治安維持法の亡霊
その目に歴史が重なって映る。
「国民に情報を与えようとしない特定秘密保護法は、国民を戦争に引っ張っていく国家をつくる第一歩になる」
秘密の恣意(しい)的な指定の余地を残し、あいまいな条文が拡大解釈を可能にし、市民までが処罰の対象に含まれている。国民の耳と口をふさぎ、戦争へといざなった治安維持法の亡霊がよみがえる。
希代の悪法が誕生したきっかけは23年の関東大震災だった。
社会不安を抑える目的で、勅令として発せられた「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」がもとになった。「相当にひどい悪法には違いなく、刑罰も厳しかったが、当初は取り締まりの範囲は治安関係など限定的。最初から『こわもて』なわけではなかった」
2年後に普通選挙法と抱き合わせで制定されると、牙をむき始める。政府は思いのままに解釈を拡大し、取り締まりを強化。小林多喜二の拷問死や横浜事件など数々の弾圧を生んだ。
「国民は口と耳をふさがれ、自分たちのあずかり知らないところで物事が決められ、戦争の下準備のために敷かれたレールに乗せられていった」
■根強い「差別意識」
時代が違う、と言い切れるだろうか。
安倍晋三首相は法案の説明のなかで「マスコミには今後も伸び伸び取材してほしい」と発言した。
「思い出してほしい」と持ち出したのは「国旗・国歌法」のことだ。
96年ごろから、公立学校では日の丸の掲揚と君が代の斉唱が事実上、義務付けられた。反対派は憲法19条「思想・良心の自由」に反すると主張し、社会問題化したが、曲折を経て99年に成立。当時の野中広務官房長官は「決して国民に強制させるようなことはしないと約束する」と答弁した。
実際は、君が代斉唱の際に起立しない公立学校の教員が教育委員会から訴えられる例が続く。
そして、いま、在日コリアンの排斥を訴え、街中で公然と繰り広げられるヘイトスピーチ(憎悪表現)である。「根強く残る差別意識のあらわれだ。不況が続き、日本人が心の余裕を失い、不満のはけ口として拡大している」。差別意識と表裏にある優越意識を燃料に暴走は始まる。
■領土に通じる発想
ライフワークとして研究を続ける関東大震災を例に引き、朝鮮人と中国人の虐殺は、迫害の裏返しとしての報復への恐れと、不況下にあって出稼ぎ外国人に職を奪われているという倒錯した不満が重なった結果だったと説く。
そして31年の満州事変、37年の日中戦争、そして太平洋戦争…。無謀な戦争を支えた意識が確かにあった。
日露戦争の勝利という成功体験によるおごりと「日本人が持っていた中国などアジアに対する侮り」である。
「侮り」が生まれたのは明治以降。近代化で先んじ、朝鮮半島を植民地支配下に置き、中国大陸でも権益を得た。
そうした意識は、綿々といまに続く。中韓との間の領土をめぐる対立にも同じメンタリティーを見て取る。「日本人が心の底に持っている『中国、韓国になめられるな』という意識は、日中戦争を起こした当時と同じ発想だ。激発しないか危うさを感じる」
■問われる民主主義
時代は違うはずだ、とも思う。
言論の自由、表現の自由は憲法が保障する。政治家に法案への反対運動が「テロ」と言われても、市民が声を上げ、行動することができる。問われているのはつまり、戦後民主主義はどれだけ市民一人一人に根付いているか、だ。
地方の首長選挙で自民党が推薦する現職が相次いで落選している。長いものに巻かれるだけの国民ではない、と信じる。
「安倍首相は戦争ができる体制づくりを進め、そうである以上、中国との偶発的な衝突の危険性を感じる」。それでも「深層でうごめく市民の力が、新たな対抗軸の芽となる可能性がある」。
昭和史初版本から4年後の新版のはしがきに託した思いがあった。
〈この時期の歴史はくりかえし語られなければならない。そこには私たちのつきぬ思い出があり、忘れることのできない犠牲がはらわれている。戦争体験こそ、今日および明日、日本人が生きてゆくための叡智(えいち)と力をくみとることができる、尊い国民的遺産である〉
それから半世紀余、出現をみた特定秘密保護法はこの国をどこへ導くのか。
あす8日は72年前、侵略の果て、破滅に向かう太平洋戦争に突入した開戦の日である。
★いまい せいいち 群馬県生まれ。横浜市立大名誉教授。横浜市立大、湘南国際女子短期大学教授を歴任。「西園寺公と政局」(岩波書店)の編集に関わり、以後日本近現代史を研究。多年にわたり地域史研究にも従事し、戦災と空襲を記録する運動に携わった。「昭和史」(同)のほか「大空襲5月29日」「横浜の関東大震災」(以上有隣堂)など著書多数。2010年に横浜文学賞、13年に神奈川文化賞を受賞。89歳。
歴史学者の遠山茂樹、藤原彰と執筆した初版のはしがきにつづった。
〈とりわけ執筆者が関心をそそいだのは、なぜ私たち国民が戦争にまきこまれ、おしながされたのか、なぜ国民の力でこれをふせぐことができなかったのか、という点にあった〉
「世の中がキナ臭くなっていた。戦争再発のため、歴史の真実を伝えなければと思った」
1950年の朝鮮戦争勃発を受け、連合国軍総司令部(GHQ)の要請で警察予備隊ができ、保安隊への改組を経て出版前年の54年、自衛隊が発足していた。
かつての陸軍幹部候補生、惨めで後ろ暗いあの日々を繰り返すまいとの一念で筆を執った。
〈政治、経済、文化の諸分野の動きを統一的につかもうとした〉(新版はしがき)
その試みは、のちに議論を呼び、いまに続く歴史認識、教科書問題の発端となったが、「平和主義に立った歴史の分析、記述には自負がある」。刊行から58年余、信念は揺るぎない。
■治安維持法の亡霊
その目に歴史が重なって映る。
「国民に情報を与えようとしない特定秘密保護法は、国民を戦争に引っ張っていく国家をつくる第一歩になる」
秘密の恣意(しい)的な指定の余地を残し、あいまいな条文が拡大解釈を可能にし、市民までが処罰の対象に含まれている。国民の耳と口をふさぎ、戦争へといざなった治安維持法の亡霊がよみがえる。
希代の悪法が誕生したきっかけは23年の関東大震災だった。
社会不安を抑える目的で、勅令として発せられた「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」がもとになった。「相当にひどい悪法には違いなく、刑罰も厳しかったが、当初は取り締まりの範囲は治安関係など限定的。最初から『こわもて』なわけではなかった」
2年後に普通選挙法と抱き合わせで制定されると、牙をむき始める。政府は思いのままに解釈を拡大し、取り締まりを強化。小林多喜二の拷問死や横浜事件など数々の弾圧を生んだ。
「国民は口と耳をふさがれ、自分たちのあずかり知らないところで物事が決められ、戦争の下準備のために敷かれたレールに乗せられていった」
■根強い「差別意識」
時代が違う、と言い切れるだろうか。
安倍晋三首相は法案の説明のなかで「マスコミには今後も伸び伸び取材してほしい」と発言した。
「思い出してほしい」と持ち出したのは「国旗・国歌法」のことだ。
96年ごろから、公立学校では日の丸の掲揚と君が代の斉唱が事実上、義務付けられた。反対派は憲法19条「思想・良心の自由」に反すると主張し、社会問題化したが、曲折を経て99年に成立。当時の野中広務官房長官は「決して国民に強制させるようなことはしないと約束する」と答弁した。
実際は、君が代斉唱の際に起立しない公立学校の教員が教育委員会から訴えられる例が続く。
そして、いま、在日コリアンの排斥を訴え、街中で公然と繰り広げられるヘイトスピーチ(憎悪表現)である。「根強く残る差別意識のあらわれだ。不況が続き、日本人が心の余裕を失い、不満のはけ口として拡大している」。差別意識と表裏にある優越意識を燃料に暴走は始まる。
■領土に通じる発想
ライフワークとして研究を続ける関東大震災を例に引き、朝鮮人と中国人の虐殺は、迫害の裏返しとしての報復への恐れと、不況下にあって出稼ぎ外国人に職を奪われているという倒錯した不満が重なった結果だったと説く。
そして31年の満州事変、37年の日中戦争、そして太平洋戦争…。無謀な戦争を支えた意識が確かにあった。
日露戦争の勝利という成功体験によるおごりと「日本人が持っていた中国などアジアに対する侮り」である。
「侮り」が生まれたのは明治以降。近代化で先んじ、朝鮮半島を植民地支配下に置き、中国大陸でも権益を得た。
そうした意識は、綿々といまに続く。中韓との間の領土をめぐる対立にも同じメンタリティーを見て取る。「日本人が心の底に持っている『中国、韓国になめられるな』という意識は、日中戦争を起こした当時と同じ発想だ。激発しないか危うさを感じる」
■問われる民主主義
時代は違うはずだ、とも思う。
言論の自由、表現の自由は憲法が保障する。政治家に法案への反対運動が「テロ」と言われても、市民が声を上げ、行動することができる。問われているのはつまり、戦後民主主義はどれだけ市民一人一人に根付いているか、だ。
地方の首長選挙で自民党が推薦する現職が相次いで落選している。長いものに巻かれるだけの国民ではない、と信じる。
「安倍首相は戦争ができる体制づくりを進め、そうである以上、中国との偶発的な衝突の危険性を感じる」。それでも「深層でうごめく市民の力が、新たな対抗軸の芽となる可能性がある」。
昭和史初版本から4年後の新版のはしがきに託した思いがあった。
〈この時期の歴史はくりかえし語られなければならない。そこには私たちのつきぬ思い出があり、忘れることのできない犠牲がはらわれている。戦争体験こそ、今日および明日、日本人が生きてゆくための叡智(えいち)と力をくみとることができる、尊い国民的遺産である〉
それから半世紀余、出現をみた特定秘密保護法はこの国をどこへ導くのか。
あす8日は72年前、侵略の果て、破滅に向かう太平洋戦争に突入した開戦の日である。
★いまい せいいち 群馬県生まれ。横浜市立大名誉教授。横浜市立大、湘南国際女子短期大学教授を歴任。「西園寺公と政局」(岩波書店)の編集に関わり、以後日本近現代史を研究。多年にわたり地域史研究にも従事し、戦災と空襲を記録する運動に携わった。「昭和史」(同)のほか「大空襲5月29日」「横浜の関東大震災」(以上有隣堂)など著書多数。2010年に横浜文学賞、13年に神奈川文化賞を受賞。89歳。
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この記事へのコメント
-
kanzu [2013/12/7 16:14]
- 戦争の原因を国内にしか求められない政治史学者に何の存在価値があろう?戦争って一国でやるんじゃないんだよ?相手が必要なんだよ?自国の事情があって他国の事情があって、その事情が譲り合えないから武力衝突が起こる。なのに、こういう人は「世界と日本」の視点で戦争を考えられない。それで本当に「戦争の原因」なんかわかるのかねえ?国と国の争いを国内問題の視点でしか考えられない人はもう要らない。引退して欲しいです。
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