日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
所報第32号:402頁〜 |
第三十回中央教化研究会議 |
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部会報告(要旨)
第一現代教学部会
座 長 大塚教行
問題提起 コーディ
ネーター 難波宏正
パネラー1 武田隆雄(日本山)
パネラー2 笹森行周(日本山)
パネラー3 吉本光良
パネラー4 松脇行真
記 録 西口玄修・望月昌光
運 営 三原正資・西片元証・大西秀樹
馬渡竜彦
参加人数 四十一名
今回は「私たちは何を目指し、誰の為にお題目を唱えるのか?」という題で、パネルディスカッションを行った。
コーディネーターから「釈尊は衆生成仏の為法華経を説き、祖師は末法衆生の盲目を開き、「立正安国」仏願達成の為唱題修行をされた。さて我々は、どういう立場で唱題修行をなすべきか?もしかしたら、祖師の意に背き自己正当化の為の唱題修行ではないか?」と問題提起され、実践行動されている日本山妙法寺より、武田隆雄、笹森行周両師を迎え、宗門代表パネラー(吉本師、松脇師)と共に討議に入った。
まず二十分程の日本山の紹介ビデオを上映し、活動の様子を勉強した。武田、笹森両師はそれぞれ平和行進、海外布教の報告を「藤井老師に教えられ、ただひたすら歩き、そして唱題する、これが立正安国となり、平和行進となり海外の問題地域の開教につながっている(例ガンジー氏との交流)。」と述べた。
出席者からは、宗門と日本山の行脚の違いは、日本山は礼拝行であり、ゆっくり唱題し宗門の行脚は、教化感覚で下種結縁してやるという威圧的であるとの意見があった。
藤井老師の修行姿勢についての質問には、常不軽菩薩の姿の後を継ぐ姿であったとの答があり、最後に藤井老師の「時が来た、立っても座ってもいられなく、我が家を跳び出す時が来た。天を仰ぎ地に伏して、誰にも彼にも訴えて共に嘆く時が来た。是が世界平和行進、是が世界宗教者結集大会である。」という言葉を引用し、最近は『立正安国論』にある旅客すらなるものがいない、いままさに我々が旅客となる時ではないかとの提言で終了した。
休憩の後、質問形式での意見交換。
○日本山の生活と唱題修行の感想は?
朝夕の勤行と必要に応じての作務。
お題目によって健全な精神が生まれ、これからも唱題したい。(武田)
お題目は人種国籍に関係なく、導く力があることを実感している。(笹森)
○国内でも日本山がないところがある。(例四国等)開教の方法は?
発願者次第である。出家した者が場所を選択し、許可を得て開教していく。
○日本山の坊さんは問題地域を歩く、宗門は寺あり檀家あり家族あり、それぞれの枠組みにとらわれず出来る人、心ある方々が撃鼓宣令する事をのぞむ。その行を続け、つなげていくことが力となり一番の行ではないか。
○宗門の海外布教には行脚がない、施設の中が中心である。
○日本山での海外の公用語は?必要最小限度の言葉を使い、基本は撃鼓宣令である。
○唱題行でなく、礼拝行が主ではないか。礼拝の心を持っていかなければならない。
○日本山の唱題行脚は礼拝の精神が宿っているのではないか。
最後に、コーディネーター難波師は、藤井老師が亡き母の法要をつとめた時、老師は母の回向文を読まれなかったが、私がその理由を問うと「これほどありがたい題目に出会えたのにこれ以上なにをのぞむのか?仏様のよろこばれることだけつとめればよい。お題目を唱え、人々の幸せを祈るのみでよいではないか。」というエピソードを紹介し、「これから我々は仏や祖師のよろこばれることを捜していかなければならないのではないか。互いのよい処を見つけだし、欠けている処をおぎない、少しでも祖願達成につとめなければならない。」と述べ、まとめとした。 (望月昌光)
第二現代教化部会
座 長 進藤義遠
問題提起 伊藤立教
記 録 小沢惠修
運 営 中村潤一・植田観樹・小川英爾
内山智修・岩永泰賢・田口学正
小倉孝昭
参加人数 四十八名
今年の第二部会のテーマは、日蓮聖人の立正安国を、今年より向こう三年間継続的に検討を加えるために、問題提起を行うことを目的とした年と考え、以下の事柄を提示した。
「果たして現代は無宗教社会なのか?」
という命題のもと、日本社会が無宗教民族と評価される背景を検討しながら、NHKビデオの「無宗教日本のゆくえ」という番組を会議資料として、特に、顕正会、創価学会の宗教活動を垣間見る中で、日蓮聖人の「立正安国」の思想が現代の宗教意識の中でいかなる意味を提示できるのかを考えることを目的とした。その一つの検討項目として、宗教が日本の歴史の中でいったいどのような役割をなしてきたのか、また、日本の教育行政を背景として、宗教的素養の在り方がどのように変化してきたのかなど、我々の直面する社会との関わりを再検討しながら意見交換を行った。
まず、問題提起者から、いくつかの柱を提示し、資料としてのビデオの上映となった。その柱とは、
@日本人の宗教意識とは
「無神論者」をキーワードとして、現代日本人の宗教観を考える。
A国とは
「廃仏毀釈」をキーワードとし、単なる国家論ではなく、「立正安国」の国の意味を掘り下げ、日本の歴史観の中における宗教的な意味での国と、歴史上における国の意味を検索し、近代の「国」への意識を検討しながら、現代における具体的な「立正安国」とは何かを考える。
B立正安国とは
「宗教法人法」をキーワードとし、近年の宗教が関わる社会現象、事件を発端とする政治的宗教政策等の背景の中で、非権力の範疇における純粋なる信仰に根差した、本来の宗教の在り方を考える。
C歴史認識とは
「原理主義」をキーワードに、現代の若者を取り巻く環境を分析し、通常の歴史観と原理主義との関係を模索しながら、現代人の求めている幸福と、「立正安国」が掲げる「国を安んずる」の本来の意味を考える。
これらの事項を提起し、資料であるNHKビデオを参考に討議を行った。
以下、その要旨を報告する。
○日蓮宗の教師として信仰をしているかが問題である。(誇りと自信の有無の問題)
○宗門として社会貢献はすべきであり、それによって市民権は獲得出来るはずである。論議をするよりも、個人の考え方、生き方(信仰)の問題であって、宗門全体でのレベルの問題では無い。
○資料のビデオから、現代の日本人の心の拠り所が何処なのか、また、それを受けての反省と指針を考え示さなくてはならない。
また、教化が出来る資質の問題ではなく、その展開の問題であり、「何故、御題目でなくてはならないか」の問題意識の有無を含めた日蓮宗の独自性を考えなくてはならない。
○現代は無宗教社会ではなく、寺院に対しての批判が存在しており、人々の感情に既成の宗教者が答えられないことに原因がある。
また、墓地を人質とした寺院運営への安心感や、葬儀を含めた人々のニーズの多様化に対応出来ない実態がある。
○「葬儀に僧侶はいらない」という問題には常に自分が、それに答えられる姿勢と問題意識をもっていれば良い。
○寺檀関係については、都市と地方の問題もあるが、全体的に社会は宗教者が思う以上に僧侶を無視し始めている。権威主義を払拭して人々との結び付きを計るしか無いのではないか。
○現在の教育現場(義務教育)においては、一宗派に偏った教育は認められないが、その思想の源流を知ることは大切なことではないかと思う。
○公的な機関が宗教教育をするのではなく、宗教教育は僧侶に依存されているものであるから頼ってはならないと思う。また、日本独自の先祖崇拝の歴史にもっと自信をもって、宗教的に確立する努力が必要である。自信が無くなれば、日蓮宗は衰退して行く。
○寺院を離れた社会機構、環境の中での先祖崇拝意識への対応を考えて行かなくてはならないのではないか。
○人々を取り巻く環境、例えば墓地の在り方の変貌等を考えて行けば、納得した創造をすることが出来るはずである。
○既成宗教への人々の不信感は確実に浸透しており、社会教化の重要性はひしひしと感じる。日本人の信仰、宗教観への回帰が必要であり、社会教育の現場での宗教教育が必要である。
○現代的「立正安国」を考えて行かなくてはならない。
○原理主義は過去の不受不施の問題を掘り起こすことになりかねないのではないか。
○日蓮聖人の教えを社会に対して提示して行く為に、学習し研鑽して行くことが大切である。これが「立正安国」ではなかろうか。
○「立正安国」には縦と横の線がある。
先祖崇拝から家族安穏、国土安穏への縦の線に対して、御題目を信じ、人々がそれぞれの立場において幸福を目指し、我々は教化を考えて行く。これが横の線である。
○先祖崇拝の重要性と具体的な命の問題を考えて行くことが必要である。
また、他を廃するのか、共存するのかも考えて行く必要がある。
この様に、提示されたすべての意見を挙げることは出来ないが、問題提起、ビデオ等の資料提示を受けて討議が成された。今年は問題提起にも示された通り、四つのキーワードを頭の隅に置きながら、予定調和の無い、結論付けを行わない討議を行い、現状認識を目的とした。
この作業は「立正安国」という抽象的な部分をもっと掘り下げて行くための準備段階であると考えて頂きたいと思う。特に、近年の宗教界の現状を考えるに、「国」への問題意識は大切な部分であり、現代社会に教化活動をして行く上で十分に学習し、検討されなくてはならない問題であろうと考える。
今年の討議内容を基盤として、その抽象的な部分へのアプローチを段階的に行うことが来年以降の課題であり、これが真の「立正安国」を目指し、現代に提示することを可能ならしめる結果となることを願いたい。
(小沢惠修)
第三現代教育部会
座 長 中山観能
問題提起 田島辨正・影山教俊
記 録 斎藤哲秀・宮淵泰存
運 営 新間智照・井本学雄
木村勝行・原 顕彰
龍沢泰孝・岩本泰寛
岩渕真永
参加人数 四十名
1.先ず座長の中山師による会議進行の説明。
2.次に問題提起者である田島師からの会議趣旨の提示が行われた。
今までこの第三部会で話し合われたもので現実化されている面も多くある。しかし宗門の教育の問題についはまだ様々な問題がある。除々に改革を重ねながら、やがて理想の状態にまで成るよう持っていく目的で年々討議が重ねられている。
一昨年は教師の理想像と現実とのギャップについて話し合われ、昨年は「あなたならどう育てますか?」「あなたにも心のかたちが見えますか?」と題して、子弟教育の現場における諸問題を検証しながら、主として指導者養成や指導方法に関して討議がなされた。今回は、これらの議論を踏まえて法器養成プログラムの作成を試みたい。そして、その中で今後求められる法器養成の具体的な姿について考え、自発的に信心の発露を促して熟成させていく長期生涯教育システムとはいかにあるべきかを探求していきたい。したがって、今の宗門で直ちに実現出来る教師の生涯学習プログラムのプランニングに奮って挑戦して頂きたい。
3.エゴグラム体験
先ず初めに、影山師より概略の説明があり、グループワークの参考データーとして、東大式エゴグラム(TEG=心のバランステスト)を実施した。
このエゴグラムとは、社会一般に広く行われているもので、第3部会においは昨年から導入され、自らの心の在り方を見つめるのに非常に有効な手段と認められている。そして、その昨年の成果を反映して、最近の信行道場においても活用されて成果を上げている。
4.ディスカッション
具体的な法器養成プログラム試案の作成に先立ち、その基本方針やプランニングの方法などについて検討すると共に、参加者各個の自己紹介と意見を聞く。
○僧侶として我慢の足りない人が多い。
○僧侶は心理学等を徹底的に学ぶべきだ。
○信行道場を読経唱題のみの信仰中心にして、教学の研鑽は身延、立正でおこなうべきだ。
○大聖人の心の問題に心開くべきであり、日常生活に於いても御遺文や法華経という原典に学ぶべきである。
○宗門の大学に正しい信仰を確立する必要がある。
等々活発な意見が続出した。
5.グループワーク
エゴグラムによって、参加者の心の特徴を捉えながら、四つの小グループに分かれ、それぞれが教育全般にわたって検討し、再び部会会議に戻して各班の発表を行った。
一班.道場は自己研鑽の場である。道場で教える内容、指導者の教えることを統一すべきである。教化の専門職の人が必要である。信行道場を出たからといって、直ちに住職の有資格者とすべきでない。読経試験を徹底し、法華経を通読できるようにしてから入場させるべきである。
二班.信行道場では、法華経と御遺文を徹底的にやるべきである。
三班.読経試験に教区のずれがあるが、もっと徹底すべきである。僧風林に力を入れるべきである。将来的には義務化して、多くの人に体験してもらう。また年輩者でも希望者は受講できるようにしたらどうか。指導者のカリキュラムが必要。宗務院の中に一つの組織を置き、その中で指導者の養成を統括的に行ったらどうか。信行道場を出た後でも、技術的な面で学べる場が必要であり、また布教研修所ももっと多くの人が入れるような工夫が必要。師僧の子弟教育についての意識を高めるべきである。
四班.教師となる門戸を檀信徒にまで広げるべきである。信行道場を出た者にすぐに教師資格を与えるのではなく、本山への給仕、ボランティア活動、対社会的な奉仕活動などを行った後に本免許を与えたらどうか。教師資格を持つ人も求道心を持ち続けるべくチェックすべきである。
6.エンディング
今回のまとめと次回に向けての意見交換。
グループワークの結果をもとに、作成した法器養成プログラムをいかに現実化させるかについて討議がなされた。今後これら有益な意見をより具体的に継続して討議し、また、教務部に提出して、カリキュラム検討委員会、教育制度検討委員会においても活用していただくようアピールしていきたい。
時間を二十分ほど超過して熱烈な討議を終了した。
(宮淵泰存)
第四現代社会問題部会
総合座長 山口裕光
運 営 久住謙是・蟹江一肇・秋永智徳
玉川覚祥・柴田寛彦・奥田正叡
梅森寛誠
Aいのちの倫理〜脳死・臓器移植を考える〜
座 長 山口裕光
問題提起 @吉田永正 A石川修道
記 録 平井良昌
Bいのちの営み〜環境と仏教〜
座 長 古河良晧
問題提起 中井本秀
記 録 灘上智生
Cいのちの輝き〜女性と仏教〜
座 長 貫名英舜
問題提起 @中村雅輝 A庵谷妙慧
記 録 都 泰雄
当部会は毎回、現代社会が生み出す様々な問題に対して、“いかに考え、いかに教化活動に生かしていくか”を討議してきた。今回は、「現代社会における“いのち”に関する様々な問題を考える」を全体テーマとして、現在最もホットな主題である「脳死・臓器移植問題」「環境問題」「性差別問題」を取り上げ、これらの情報・知識を共有しつつ、討議を通じて我々に問われている解決に向けての方向性を模索した。
会議の運営方法としては、「脳死・臓器移植問題」を前半の二時間で全員参加のもと討議をした。その後、「環境問題」「性差別問題」の二つは分散会方式で討議をした。
今回は、参加者が五十名近い数になり、これらの問題に対する本宗教師の関心の高さを示しているといえる。
各問題の討議内容は以下の通りである。
Aいのちの倫理〜脳死・臓器移植を考える〜
「いのちの倫理〜脳死・臓器移植を考える〜今何がこの問題において、我々仏教者に問われているか〜」と題して、二名の発題者より問題提起が行われた。すなわち、
○いのちをやさしく見つめる視点が現代に欠けていないか。
○仏様から頂いたいのちを自分で決めて良いのか。
○死を生の対立概念としてではなく、生の延長として捉えるべきではないか。
○質の良い命を救う為に質の悪い命を捨てる効率主義が、生命の尊厳より優先されていないか。
○大聖人が病をどのように捉えたかを人々に示し、医療現場に仏教の慈悲心を注ぐべきではないか。
○医者の論理に宗教的に反論できるような人間を養成するべきではないか。
○臓器移植の先進国であるアメリカの「臓器移植の問題点」
@米国では、患者が死と闘うため最期の力として生命維持にアドレナリンを放出する。そのアドレナリン放出を妨げるレジチン薬が注射投与されている。
A交通事故等による脳障害者の血液凝固を止めるためペパリン薬が注射投与されている。そのため脳内出血は止まらず完全に死に至る。
現在の米国医師による臓器摘出、移植は脳死者だけではなく脳障害者にも行われていた事実が判明した(全体の3〜5パーセント)。日本においては、ドナー(臓器提供者)が、脳死者を拡大解釈して脳障害者まで含まれないように宗教界は提言すべきである。等々である。
本来はこれらの問題提起について一つ一つ討議するべきであるが、広範囲にわたり又時間的制約もあるので、ポイントを絞る為、本教研全体会において日医研が実施したアンケート項目の一部について討議をした。つまり、
1、脳死は人の死か否か
2、死を法制化することについて
3、臓器提供は布施行・菩薩行か
4、自分の命を自分で決めること(自己決定権)の是非
である。
この中で、1、2については「脳死は人の死ではない」「人の死を法律で決めるべきではない」という意見が大多数を占めた。但し、「そもそも人の死とは何なのか?どのような状態なのか?宗教的にみて死とはどのようなものなのか?という問いに対する宗教者としての回答が社会に待たれているのではないか。」という意見があったことを付け加えておく。
一方、3、4については意見が分かれた。主な意見をあげると次の様なものになる。
3、「臓器提供は布施行・菩薩行か」について
○「布施は、する側・する物・される側の全てが清浄でなければならない」という観点に立つと、臓器売買もある現実はとても布施行・菩薩行とはいえないのではないか。
○慈悲・布施・菩薩といった言葉だけが先走ると大変尊いことのように思えるが、臓器売買や質の悪い命といった弱者の犠牲の上に成り立つ命ではあってはならない。言葉だけにとらわれることには注意しなければならない。
という否定的意見と共に
○同じ人間という仲間の病を助け合って治していく。その気持ちこそが布施であり慈悲心である。この点より考えれば、自分の臓器を自分の気持ちで提供するということは菩薩行である。もちろん売買や強制は論外であるが…
という肯定的意見があった。
4、「自分の命を自分で決めること(自己決定権)の是非」について
○自分の意思で命を決めるということは、一般社会では そうかもしれないが、宗教者としてはどうなのであろうか。仏様から頂いた命を自分が決めるということは信仰の世界にはない筈である。
○死とは脳がダメになったとか、心臓が止まったからといったことではなく、残された者達が時間をかけて受容していくことだと思う。その意味から言うと自分だけの命ではないので自己決定はダメだと思う。
○生きることは、権利ではなく義務であると考えるべきである。権利を前提として考えるから自己決定権といったことになってしまうのである。
一方、肯定的意見としては、
○法華経信仰の上に成り立った自己決定権もあるのではないか。お題目にすがって信仰し真剣に考えたことは、仏様の意思であり自己の意思ではない。仏様に生かされているからといって、そのような決定さえもしないことは、かえって仏様の意思に背くことではないのか。
○生きていくうえで決定しなければならないことはたくさんあるが、信仰による決定は仏様の意思であるので自己決定ではない。
以上、色々な意見が活発に出たが、時間的に当初考えていたアピール文を出すといったところまではとてもいけなかった。全体として学習会的になってしまったことは否めないが、今後の教化の糧にしていきたいと思う。
(平井良昌)
Bいのちの営み〜環境と仏教〜
現代の地球環境は、化石燃料の消費・森林破壊による地球の温暖化、フロンガスによるオゾン層の破壊、エネルギー問題、人口爆発と食糧問題といった諸問題を抱え、危機的状況にある。
現在の生活の維持を続ける事は困難であり、一方、開発途上諸国に現状維持を望むのは、先進諸国の傲慢な態度である。この様な状況下では、我々はエネルギー消費の現状維持をしても、環境悪化の進行は止まらないという厳しい状態におかれている。
この様な環境問題を抱える中、他宗では様々な取り組みがなされている。その中でも、曹洞宗では「グリーンプラン」と銘打ち、生命と環境の調和を目指し、縁起観を中心に据え、少欲知足を理念の根拠にし環境保全を訴えている。
我が宗門が環境問題に取り組む際に次の三点が必要であると考えられる。
@理念的根拠
A実際の具体的な呼び掛け・目標
B現在の環境の危機的状況の認識
である。
理念的根拠としては、法華経譬喩品の「今此の三界は皆是れ我が有なり」、彌三郎殿御返事の「今此日本国は釈迦仏の御領也」、観心本尊抄の「今本時の…」が挙げられる。我々は本仏釈尊の国土に住まわさせて頂いているのに、その国土を汚すとは、とんでもない事である。
また実践活動は身近な所から行うべきで、例えば植林による森林回復運動が挙げられる。大量消費大量廃棄は心地よいものである。しかし我々各人が痛みを持たなければ、環境問題を乗り越える事はできないのである。
以上のような問題提起がなされた後、討議がなされた。現状の宗門としては、立正安国の実現を妨げる破邪の対象として環境問題を位置付け、新聞・教箋等を使った啓発活動を行ったり、言説布教の中で環境問題を取り上げていくことが必要である。教学的には人間と環境は一体であるとする依正不二論、そして一念三千論により、日蓮教学の理念を一般の人に解りやすい形で説明することが必要である。
何が必要で何がいたらなかったのか、我々のライフスタイルを反省し、問題点を論議することで環境問題を学習する。そして屋根にソーラー発電機を設置したり、少欲知足の実践として電気をこまめに消すといった実際の取り組みが必要だという意見が出された。
(灘上智生)
C命の輝き〜女性と仏教〜
「現代は女性の時代だ」といわれ、法や制度がいくら男女平等を謳っても、社会的状況や男性の意識向上がなかなか進まず、さまざまな差別がある。日蓮聖人の教えにも法華経による絶対的な平等を説くが、宗門内の現実を見ても、意識の問題として差別が現前としている。日蓮聖人の信仰に立脚し、偏見や差別のない平等で平和な社会を実現する為に、また宗門の活性化のためにも、宗門内にある女性問題について考えていきたい。」
以上の問題提起のもと、女性教師の生の声をふまえ、いかに宗門の中に女性教師を生かしていくことが出来るかと言うことで討議が進められました。
*女性教師の生の声として
・法要に式衆として、なかなか出座させてもらえない。
・お寺の行事の折り、台所に配置されたり雑役が多く家政婦のようである。
・法華経が平等ならば、女性教師が宗門の役職についてもいいのではないか。
・師僧に質問すると、不機嫌になり、女性教師はただお題目を唱えていればいいんだと言われた。
・師僧の男性教師は有髪なのに、女性教師は剃髪だといわれた。
・寺庭婦人の教師に対する蔑視がある。
*補教信行道場の問題として
・同じ道場に入り同じことをしながら、居士衣が着用できず、改良服で三十五日を過ごすなど差別がある。
・声明は、女性の声に合うように女性の指導者が望まれる。
・女性の指導者の育成が必要。
・宗門内に女性教師の修行・勉強の場が少ない為、信行道場が最後の勉強の場となってしまう。
・信行道場を終了して資格が与えられても、活躍の場が少ない為、またふつうの生活へと戻ってしまうことが多い。
・女性教師が増えたのは、信行道場のおかげである。
・訓育に当たって職員の声を宗務院当局がなかなか取り上げてくれない。
*まとめ
今、全国約八千名の教師の内、九百八十六名約十二パーセントが女性教師である。その女性教師には女性特有の能力がある。それを活かし、もっと積極的に女性教師を活用していく為には、私たち一人一人の意識改革と、宗門でも制度を変えて、活躍の場を与えていくことが必要ではないか。
日本仏教では、最初の出家者は女性であるとされている。また、宗門では他宗に比べていち早く女性教師の住職を認めている。にもかかわらず、様々な差別が見られるのが現状である。
この様な女性教師の現状をふまえた上で、宗門に対して要望書を提出する、ということになりました。
要 望 書
平成九年九月四・五日に開催された第三〇回中央教化研究会議において、第四現代社会問題部会で「いのちの輝き〜女性と仏教」をテーマに討議致しました。
その結果、左記の諸点について宗門当局に対して要望することが全体会議において合意されました。
一、女性教師育成の、信行道場をはじめとする教育制度の改革と充実
二、女性教師の地位の向上
三、男女同権・平等・共同参画に関する宗門全体の意識向上
以上について、宗門として特段の取り組みを行うことを要望致します。
平成九年九月五日
第三〇回中央教化研究会議
参加教師一同
日蓮宗宗務総長 永井祥文殿
(都 泰雄)
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