
13年12月7日付・朝刊
西山事件一審裁判長の山本さん(高知市) 官僚勝手に秘密作り隠す
「秘密保護法案、反対」の声は、同法が成立した6日も夜遅くまで途切れなかった。そんな日々が続く中、高知市桜馬場の静かな住宅街で、元裁判官の山本卓さん(88)は国会審議をじっと見守っていた。「西山事件」の名で知られる沖縄密約漏えい事件。東京地裁で行われたその刑事裁判で、山本さんは裁判長を務めた。約40年を経て、再び鋭く問われた秘密と知る権利、国家と市民。「官僚は勝手に秘密を作り、隠し通す。昔も今も。裁判所は強制捜査権がないから、隠し通されたら手の打ちようがありません」。厳しい指摘が静かな口調で語られた。
弁護士資格を持つ山本さんの自宅兼事務所には、専門書や新聞が積み上がっている。西山事件を扱った故・山崎豊子さんの「運命の人」も見える。
事件が起きたのは、1972年のことだ。
沖縄返還で日本中が沸騰していた最中、国会で「密約」が浮上した。返還協定では表向き米側が支払う400万jを、本当は日本が負担するという密約がある―。社会党(当時)の衆院議員が外務省の機密電文を手に政府を問いただした。
後日、電文は外務省の女性事務官が持ちだし、毎日新聞記者の西山太吉氏に渡していたと判明する。2人は秘密漏えいなどで国家公務委員法違反に問われ、裁判が始まった。
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東京地裁701号法廷で黒い法衣(ほうい)を着込んだ山本裁判長は「国家機密とは何か。知る権利を侵してまで守らなければならない機密なのか。知る権利はどう実現されるべきか」を考えていたという。
世間の耳目は、密約の内容そのものではなく、事務官と記者の男女関係に注がれ、取材行為が倫理的かどうかにも焦点が当たった。
でもね、と山本さんは言う。眼鏡の奥で時折、目をつむる。
「取材方法がけしからんと、検察は攻めたが、けしからんという罪は今もない」
国家機密と知る権利をめぐる異例の裁判。山本裁判長は、ドイツやアメリカの事例を翻訳し、勉強を重ねた。
「それは大変じゃなかった。手を焼いたのは官僚の高い壁だよ」
起訴状記載の極秘電文3通を証拠提出するよう求める裁判所にあらがい、検察側は出さない。新聞に写真も掲載された電文だ。再三の要請で2通は出てきたが、残る1通の全文は最後まで証拠提出されなかった。
証人の外務官僚らは「わかりません」「覚えてません」を連発。「国家機密。許可がないと答えられない」と証言拒否も続出した。
刑事訴訟法は、職務上の秘密について「監督官庁の承諾がなければ証人尋問できない」とする。「国の重大な利益を害する」と行政が判断すれば証言が拒否できる。
法廷での真実究明は暗礁に乗り上げた。
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山本裁判長は、官僚の証言拒否を想定し、裁判所と外務省大臣官房を結ぶ電話を法廷に引き込んでいた。東京地裁では初めてだったという。「証言一つ一つに外務省まで許可を取りにいってたら、裁判が何年かかるか」。官僚に証言させよ、という異例の要求だ。そのやりとりを、書記官が傍聴席に聞こえるよう復唱した。
それに対し、受話器の向こうからは「承諾できない」という返答ばかりが続いた。
元裁判長は「国家の重大な利益だって、全部拒否されたんです」と振り返る。
「普通の事件だったら、検事や刑事が一生懸命に証拠を集める。あの事件は逆。外務省と検事が一緒になって真実を隠そうとした」
「裁判所には強制捜査権がない。提出された文書や証言しかない。限界がある。国家の重大利益に関わる、と行政が隠し通せば手の打ちようがない」
山本裁判長は事務官を有罪(執行猶予)、西山氏を無罪とした。事務官は控訴しなかったが、西山氏の高裁判決は逆転で有罪(同)に。そのまま最高裁で確定した。
もし、官僚たちが「違法な密約だ」と証言していれば判決は違ったと、山本さんは考えている。
その同じ目が、特定秘密保護法案の国会審議を見守った。
「今でも官僚は裁量で秘密を決め、隠し通している。沖縄密約だって、まだ政府は存在を認めていない。何が起きているかを国民が知り、判断するのが民主主義。なくなったら旧ソ連や中国と同じようになっちゃうよ」
【写真】「官僚は秘密を作り、隠す」と話す山本卓さん(高知市桜馬場の自宅兼事務所)
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