日本経済の幻想と真実

日本のメディアは国家権力と闘ってきたのか?特定秘密保護法案に反対する記者クラブの偽善

2013.12.05(木)  池田 信夫

 1960年代までのテレビ局は新聞社との系列はあまりなく、NET(現在のテレビ朝日)は教育専門局だった。系列も一本化しておらず、毎日新聞系のTBSの番組が、大阪では朝日新聞系の朝日放送で流されていた。

 しかし新聞の部数が頭打ちになる一方、テレビがメディアの主役になるにつれて、新聞社はテレビ局を支配しようとした。特にこれを強く求めたのは、キー局の中に系列局を持たない朝日新聞だった。

 NETのお家騒動に乗じて朝日は同社を乗っ取り、「総合テレビ局」に免許が変更された。資本関係を整理し、朝日新聞社が筆頭株主になって77年に「テレビ朝日」と改称された。このとき株式交換によって資本関係の変更を調整したのが田中角栄だった。

 放送への新規参入は、他の業界には許されない。朝日新聞は田中の汚職を報道しないという「賄賂」を贈ることによって、この離れ業を成し遂げたのだ。

 免許を握るテレビ局と新聞を系列化することで、自民党は新聞社もコントロールできるようになった。ネット局を増やすため、各新聞社の郵政省記者クラブには記事を書く社会部などの通常の記者とは別に、「波取り記者」と呼ばれる(原稿を書かない)政治部の記者が配属された。

西山記者を見捨てた毎日新聞

 特定秘密保護法案の関連でよく出てくるのが72年の「西山事件」だが、これは反対派の主張の反証である。毎日新聞の西山太吉記者は今の国家公務員法で逮捕されたので、特定秘密保護法案と報道の自由は無関係である。

 この事件で西山氏が有罪になった最大の原因は、彼が取材源を守れなかったことだ。彼は外務省が沖縄返還に関して米軍基地の撤去費用400万ドルを負担する密約を交わした電文を入手して報じたが、あまり反響がないのでそれを社会党の横路孝弘議員に渡して国会で質問させた。これが第1の間違いだった。

 さらに国会で答弁した外務省が「その電文を見せてほしい」というので、横路氏がそのコピーを外務省に渡してしまった。これが第2の間違いだった。決済印から情報の出所が判明し、最後に決済印を押した外務審議官の秘書が自供した。

 その結果、彼女とともに西山氏も国家公務員法の「機密…
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