非常に気持ちの悪いタイトルだが、ネタで言っているわけではなく本気で言っている。常々私は狂気じみているが、今回も狂気じみてしまうかもしれない点をご容赦いただきたい。
1.魔法少女まどか☆マギカとは
2013年のヲタクの世界では言わずと知れたビッグタイトルだが、一応説明していくと、最悪の結末を回避するため、時間を何度もループして最良の結果を模索する物語であり、可愛らしい絵柄とエグいストーリーが深夜放送のアニメ(大人向けアニメ)にもかかわらず人気を集め、2011年文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を受賞したほどである。1)また2012年には劇場版が2作、今年は1作が公開された。平たく言えば近年人気のある大人向けアニメといったところだろう。
このアニメの特徴は全くと言っていいほど男性が出てこないところにある。またたとえ男性が出てきても主夫であったり、殆ど喋らない脇役であったりと、徹底的にまで登場人物が少女に純化されているのである。
さらに先程も述べたとおり可愛らしい絵柄で感情移入しやすい点も注目に値するだろう。
まとめると魔法少女まどか☆マギカとは徹底的な少女性と感情移入しやすいアニメと言える。
2013年のヲタクの世界では言わずと知れたビッグタイトルだが、一応説明していくと、最悪の結末を回避するため、時間を何度もループして最良の結果を模索する物語であり、可愛らしい絵柄とエグいストーリーが深夜放送のアニメ(大人向けアニメ)にもかかわらず人気を集め、2011年文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を受賞したほどである。1)また2012年には劇場版が2作、今年は1作が公開された。平たく言えば近年人気のある大人向けアニメといったところだろう。
このアニメの特徴は全くと言っていいほど男性が出てこないところにある。またたとえ男性が出てきても主夫であったり、殆ど喋らない脇役であったりと、徹底的にまで登場人物が少女に純化されているのである。
さらに先程も述べたとおり可愛らしい絵柄で感情移入しやすい点も注目に値するだろう。
まとめると魔法少女まどか☆マギカとは徹底的な少女性と感情移入しやすいアニメと言える。
2.少女とは
では次に少女について説明する。外面的な少女は『年若い女の子。普通,七,八歳から一五,六歳くらいまで。おとめ』2)であるのは当たり前のことで、内面的な少女とは『何にも制限されず、自分のなりたいもの何にでもなることができる」自由な意識そのものでもあり、またそのような「自由」を追い求める心性』3)と表現されている。つまり自由を求めるということは生物的な女性や社会的な女性に抵抗・反発するということであり、それが内面的な少女なのである。女性は生理、破瓜、出産で生物的な女性を否応なく自然と押し付けられ、父権社会の成立後は結婚により男性に従属を強いられてきた歴史をもつ。これに対する反発が少女という心理であり、大人の自立した女性(パルテノス的女性)ではない。
ではこの少女を魔法少女まどか☆マギカのストーリーに当てはめていくと、過酷な運命はあるものの、生理、破瓜、出産もなく、男性の存在そのものが希薄でそれに従属することもなく、まさに少女そのものを体現しているといえ、極めて純化した少女を表現しているように見える。
では次に少女について説明する。外面的な少女は『年若い女の子。普通,七,八歳から一五,六歳くらいまで。おとめ』2)であるのは当たり前のことで、内面的な少女とは『何にも制限されず、自分のなりたいもの何にでもなることができる」自由な意識そのものでもあり、またそのような「自由」を追い求める心性』3)と表現されている。つまり自由を求めるということは生物的な女性や社会的な女性に抵抗・反発するということであり、それが内面的な少女なのである。女性は生理、破瓜、出産で生物的な女性を否応なく自然と押し付けられ、父権社会の成立後は結婚により男性に従属を強いられてきた歴史をもつ。これに対する反発が少女という心理であり、大人の自立した女性(パルテノス的女性)ではない。
ではこの少女を魔法少女まどか☆マギカのストーリーに当てはめていくと、過酷な運命はあるものの、生理、破瓜、出産もなく、男性の存在そのものが希薄でそれに従属することもなく、まさに少女そのものを体現しているといえ、極めて純化した少女を表現しているように見える。
3.少女に感情移入するということ
ではこの少女に感情移入していくとどうなるのだろうか。可愛い絵柄な上に人気もある作品であるのだから、かなりの感情移入がなされたはずであるし、私自身も生活に支障が出るほど感情移入してしまった経緯がある。感情移入が深化していくと、登場人物の視線で物語を体験していくことになる。極端な表現をすると見ている側が魔法少女そのものになってしまうのだ(実際にはもっとマイルドで個人差が大きくあるだろう)。視聴している物語の中だけは自らのジェンダー(社会的性別)をばっさり切り捨てて、魔法少女たちと感情をシンクロさせて物語へ没頭していくのである。つまり視聴者が少女化してしまうのである。極端な感情移入が引き起こす非常に恐ろしい現象であるが……そこが心地良いのだ。このロストジェンダーというべき感覚が実社会の重荷(子どもが生めないこと、汚れた男性性や責任)から開放し救済してくれ、物語の中で一時の幸福感を得ることができるのだ。
さて、ここで別の視点も加えてみよう。先ほど実社会の重荷(子どもが生めないこと、汚れた男性性や責任)から開放し救済してくれると述べた。これを2で述べた少女に照らし合わせると、実に奇妙な合致が起こる。ロストジェンダーと元来の少女という概念は、性に抵抗し反発するという点(おおっぴらにはしないが)で極めて似ているのである。(男性の場合少年化と表現するべきなのだろうが、普段の生活で性に反発するような文化を持ち得ないので、あえて少女とするべきだろう)これはもう物語に感情移入することでロストジェンダーして少女化するといっても良いだろう(ダメだろうw)
ではこの少女に感情移入していくとどうなるのだろうか。可愛い絵柄な上に人気もある作品であるのだから、かなりの感情移入がなされたはずであるし、私自身も生活に支障が出るほど感情移入してしまった経緯がある。感情移入が深化していくと、登場人物の視線で物語を体験していくことになる。極端な表現をすると見ている側が魔法少女そのものになってしまうのだ(実際にはもっとマイルドで個人差が大きくあるだろう)。視聴している物語の中だけは自らのジェンダー(社会的性別)をばっさり切り捨てて、魔法少女たちと感情をシンクロさせて物語へ没頭していくのである。つまり視聴者が少女化してしまうのである。極端な感情移入が引き起こす非常に恐ろしい現象であるが……そこが心地良いのだ。このロストジェンダーというべき感覚が実社会の重荷(子どもが生めないこと、汚れた男性性や責任)から開放し救済してくれ、物語の中で一時の幸福感を得ることができるのだ。
さて、ここで別の視点も加えてみよう。先ほど実社会の重荷(子どもが生めないこと、汚れた男性性や責任)から開放し救済してくれると述べた。これを2で述べた少女に照らし合わせると、実に奇妙な合致が起こる。ロストジェンダーと元来の少女という概念は、性に抵抗し反発するという点(おおっぴらにはしないが)で極めて似ているのである。(男性の場合少年化と表現するべきなのだろうが、普段の生活で性に反発するような文化を持ち得ないので、あえて少女とするべきだろう)これはもう物語に感情移入することでロストジェンダーして少女化するといっても良いだろう(ダメだろうw)
4.劇場版新編では・・・
さて、ここで劇場版新編の話をしよう。ここまで視聴者は少女に純粋化された物語に感情移入するロストジェンダーを経験することで快感を得たわけだが、この度2013年に公開された「叛逆の物語」を俯瞰するに、最悪の結末を体験する人も出てきたであろう。詳しくはネタバレになるので控えるが、登場人物の一人が壊れた裏切りを行い、絶望に果てるのである。因果応報といえば因果応報だが、感情移入をしてロストジェンダーして少女化までしてきた視聴者も絶望に果てるしかないのである。もはや「虚淵さん(脚本家)お願いします……」と言いながら、続編に願いを託して救済されなければ少女化した者共が救われないのである。
ここまで魔法少女まどか☆マギカと少女について説明し、感情移入からロストジェンダーして少女化することを語ってきた。ここで注目すべき点は男性向けアニメの中にジェンダーへ反発する傾向が出てきたことである。これまで女性向け漫画・アニメではそういった作品(ベルサイユのばらやBASARAなど)が見られたが、男性向けではなかなかお目にかかれなかっただろう。また女性同士の同性愛に着眼した百合物も男性性を排除する傾向から、ロストジェンダーによる少女化を起こしやすいのではないか?と仮定することもできる。非常にこれは面白い。
しかしである。少女化することは抑圧からの一時的開放であって決してそれが害悪を及ぼすものではないにしろ、自主・自律・独立した個人(例えば父親、母親)が要求される現実社会においてあまり良い目では見られないだろう。ロストジェンダーして少女化した者共は早々に卒業して自主・自律・独立した個人に昇華するべきだろう。これを以って結びとする。
さて、ここで劇場版新編の話をしよう。ここまで視聴者は少女に純粋化された物語に感情移入するロストジェンダーを経験することで快感を得たわけだが、この度2013年に公開された「叛逆の物語」を俯瞰するに、最悪の結末を体験する人も出てきたであろう。詳しくはネタバレになるので控えるが、登場人物の一人が壊れた裏切りを行い、絶望に果てるのである。因果応報といえば因果応報だが、感情移入をしてロストジェンダーして少女化までしてきた視聴者も絶望に果てるしかないのである。もはや「虚淵さん(脚本家)お願いします……」と言いながら、続編に願いを託して救済されなければ少女化した者共が救われないのである。
ここまで魔法少女まどか☆マギカと少女について説明し、感情移入からロストジェンダーして少女化することを語ってきた。ここで注目すべき点は男性向けアニメの中にジェンダーへ反発する傾向が出てきたことである。これまで女性向け漫画・アニメではそういった作品(ベルサイユのばらやBASARAなど)が見られたが、男性向けではなかなかお目にかかれなかっただろう。また女性同士の同性愛に着眼した百合物も男性性を排除する傾向から、ロストジェンダーによる少女化を起こしやすいのではないか?と仮定することもできる。非常にこれは面白い。
しかしである。少女化することは抑圧からの一時的開放であって決してそれが害悪を及ぼすものではないにしろ、自主・自律・独立した個人(例えば父親、母親)が要求される現実社会においてあまり良い目では見られないだろう。ロストジェンダーして少女化した者共は早々に卒業して自主・自律・独立した個人に昇華するべきだろう。これを以って結びとする。
結論は『俺が、俺達が魔法少女だ!でも、虚淵さん続編お願いします』である。大人になるのはその後ということで……。
1) http://archive.j-mediaarts.jp/festival/2011/animation/
2) 大辞林 第三版 http://kotobank.jp/word/%E5%B0%91%E5%A5%B3
3)大阪大学教育学年報. 7 P.155-P.166 藤澤佳澄『女性における「処女性」に関する臨床心理学的研究』-「少女性」との対比から
2) 大辞林 第三版 http://kotobank.jp/word/%E5%B0%91%E5%A5%B3
3)大阪大学教育学年報. 7 P.155-P.166 藤澤佳澄『女性における「処女性」に関する臨床心理学的研究』-「少女性」との対比から
これを自分の例に当てはめるとですね、私は知らず知らずのうちに感情移入→ロストジェンダー→少女化→ほむほむになっていました。これで自分がなぜカップルだと『まどほむ』好きであり、単品だと『まどか』が好きなのかよくわかりました。私自身がまさにほむほむだったわけです。『まどか』を好きなのは当たり前だったんですね。そして現在、劇場版を見た後、どうしようもない喪失感はこの現象であったと思われ、具体的にはほむほむが大事なものを失う→自分も同じように大事なものを失う→どうしようもない喪失感というわけです。いやーすっきりしたね!
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