History 盾と矛
テーマ:ブログこの場所にやってきて、もう3年。
ここでの、ささやかなHistory。。。
いろんなことがありました。
友達ができたことが、いちばん良かった事。
一方で
『みなみさんはケンカばっかりやって頭おかしいんじゃないの』とも言われておりまして。
(^-^;
はい、頭おかしいです。
だからといって、不幸ではないので、心配しないでくださいね
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
闘いの道具としての
『矛』と『盾』。
『矛』は、攻撃。
『盾』は、防衛につかうものですよね
慰安婦問題について記事を書いていたとき、ブログ友達のひとりが
「戦争時には、ひとりの人が、加害者であり被害者でもある…というケースが多くなる」というメッセージをくださいました。
この言葉は心に響きました。
盾と矛は、ちがう役割をもった別々の道具だけれど、セットです。
「矛だけを使っている」、「盾だけを使っている」、そういうつもりの状況もあるでしょう。
しかし、
盾と矛の役割が、ぴったり重なる状況もあるのでは?
そういうことを、考えさせられたりもするのです。
「攻撃は最大の防御なり」
↑この言葉も、それをあらわしていると思うのです。
あと
「矛をおさめる」という言葉があります。
攻撃をやめることで、闘いをおわらせる方向へもっていくときにつかわれます。
自分が攻撃をひかえたら、相手も攻撃してこなくなった…こういう状況を作り出すわけですね。
こういう場合、矛をおさめた事が、「防衛」につながった、といえます。
盾と矛。その役割が重なる場合があるのなら、
自分としては「盾を持っているだけ」のつもりでも
他者の目から見たら、「あなたが使っているのは、矛だ!」といわれる場合もあります。
防衛と攻撃は、どこかでつながっているのです。
私がアメーバで、友達だった人とケンカしてしまったのは、もう2年以上も前のことになります。
ケンカ相手の人は、わたしのブログを「攻撃」だと言いました。
みなみのブログの「破壊力」によって救急病院にいるのだと、ご家族のかたがメールを代筆するかたちで、そう言ってこられたので、
『わたしは攻撃者と認定されたんだな…』と思いました。
でも、じっさいは、その方はピンピンしておられまして、「救急病院に搬送された」というのは作り話でした。
そういう表現で、「自分は被害者、みなみが加害者」と主張したかったのだと思われます。
作り話をされた私は、そのやり方に激怒。
怒りの記事を続けざまに投稿しようとしましたが、
「矛をおさめなさい」と言ってくださるかたが、二人いたのです。
(アメーバのなかに1人。リアルにも1人)
それで、あらそいをやめる方向にむかいました。
いま、ふりかえっても、アドバイスしてくれた二人の方には感謝の気持ちでいっぱいです。
自分の被害に目をむけているとき、「自分側」の状況がクローズアップされますから、相手がどんな心境でいるだろうか、という点には、なかなか思い至りませんでした。
二人は、私の気持ちを汲みとってくれると同時に、「相手がどんな気持ちでいるのか考えなさい」と言ってくださったのでした。
当時のことを思い出し、「防衛とは、具体的にどういうことだろう」と考えてみました。
自分が「どんなつもりだったか」について、口にすることは、むずかしくありません。
「攻撃しているつもりはなかった」
「むしろ防衛のつもりだった」とかね。
重要なのは
「自分は、こういうつもりだった」ということより
「自分の行為が相手にどう認識されたのか」だと思います。
解釈は相手の領域です。
心外な解釈をされる場合も少なくありません。
あらそいに発展しているときは、とくに。
「その解釈はちがいます」と主張したいのは、おたがいさまだったり。
導いてくれる人たちがいたから、二年前、私はあらそいに終止符をうつことができました。
ほんとうにありがとうございました
「矛をおさめる」のは防衛の一手段だった。いまは、そう思います。
さて
現在も、私のブログは、あるひとから「攻撃ブログ」とよばれています。
私自身には、そういうつもりはなくても、その人は「攻撃された」と解釈。
二年前といっしょだわ
解釈は、その人自身のもの。
私は、人の領域で、他者の解釈を、変えようという発想はもちません
「攻撃しやがって」と言われるのなら
あなたの解釈は、そうなっているのですね…としか思いません
毎度毎度、迷惑メッセージに振り分けられるほど、強い言葉を発する名無し様。
あなたも、きっと
攻撃ではなく、防衛のつもりなのでしょうね
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