ジョージ・ソロス(George Soros)
ジョージ・ソロス(George Soros)
1930年、ハンガリー生まれ。金融投資家、慈善活動家、リベラル政治活動家。ソロス・ファンド・マネージメント及びオープン・ソサエティ財団会長。1947年にイギリスへ移住し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業。1956年にアメリカに移住、証券会社勤務を経て、投資会社を自らで設立(のちのクォンタム・ファンド)、運営を始める。以後、世界一ともいわれる運用実績を上げ、莫大な資産を築く。1979年、オープン・ソサエティ財団を設立し、これまでに開発途上国や貧困に苦しむ人びと、支援団体などに60億ドル(約7200億円)もの援助金を投入。オックスフォード大学、エール大学をはじめ数々の教育機関から名誉博士号を授与されている。著書『グローバル資本主義の危機──「開かれた社会」を求めて』(大原進訳、日本経済新聞社)、『ブッシュへの宣戦布告──アメリカ単独覇権主義の危険な過ち』(寺島実郎監訳、藤井清美訳、ダイヤモンド社)、『世界秩序の崩壊──「自分さえよければ社会」への警鐘』(越智道雄訳、ランダムハウス講談社)他多数。

山本 正(やまもと・ただし)
山本 正(やまもと・ただし)
1936年生まれ。米国セント・ノーバート大学卒業、ウィスコンシン州マーケット大学院経営学修士号取得。1970年、財団法人日本国際交流センターを設立。代表理事を経て、1985年より理事長に就任。三極委員会のアジア・パシフィック・ディレクター、日英21世紀委員会、日独フォーラム、日韓フォーラムの幹事委員を務めるほか、公益信託「アジア・コミュニティ・トラスト」運営委員会委員、日本NPOセンター顧問、イースト・ウエスト・センター理事を兼任。1999年には「21世紀日本の構想」総理懇談会幹事委員を務めた。2004年の世界基金支援日本委員会設立に伴い、ディレクターを務める。編著書『戦後日米関係とフィランソロピー』(ミネルヴァ書房、近刊)、『「官」から「民」へのパワーシフト──誰のための公益か』(TBSブリタニカ)、『迫りくる東アジアのエイズ危機』(連合出版)他多数。
「開かれた社会」を目指して 「開かれた社会」を目指して

「開かれた社会」を目指して
山本 まずは、あなたの慈善活動家としての一面について、お聞かせください。そもそも、あなたが慈善活動を始めたきっかけは何でしょうか。
ソロス わたしは、投資家として、ファンド・マネージャーとして非常に大きな成功を収めました。しかし、この仕事はきわめてストレスの多い、精神的にとても疲れる厳しい仕事です。あるとき、わたしは自問しました。
「なぜ、こんなことをしてまで大金を稼ぐ必要があるのか?」
「稼いだ大金を自分はいったいどうしたいのだろうか?」
 1979年、50歳のときのことです。熟考を重ねた末、わたしは、自分が本当に大切だと思っているのは、より良い世界をつくること、できることならば、世界の秩序を改善することだという結論に達したのです。この考えは、わたしの師である、哲学者のカール・ポッパーの考えに刺激を受けたものです。
 わたしは、ユダヤ人としてハンガリーで生まれました。14歳のとき、ハンガリーはドイツに占領されました。もしあのときに、父が偽の身分証明書をわたしたちに持たせて身を隠す方法を考えついていなければ、わたしは殺されていたでしょう。ドイツ軍が去ったあとには、ソ連の占領もありました。わたしは、このような出来事を通して、政治体制というものがいかに重要であるかということを強く認識しました。そうして、わたしはハンガリーを去り、イギリスに行ってカール・ポッパーに学んだのです。

(中略)

ソロス カール・ポッパーは、『開かれた社会とその敵』のなかで、「ナチス体制と共産主義体制には共通点がある」と言っています。ポッパーの説明は、次のようなものです。
 二つの体制とも、自分たちは究極の解答を持っていると信じている。しかし、それは絶対に実現することはない。なぜなら、わたしたち人間は、世界に対して完全な理解を得ることはできず、常に不完全な理解をもとに行動するものだからである。したがって、もし自分たちのイデオロギーや思想こそが究極的な解答を与えてくれるものだと信じて実現させようとするならば、それは力ずくで押しつけるしか方法はない。
 ポッパーのこの説明で、わたしは非常に大切なことを学びました。そして、彼の「開かれた社会」の思想の敬虔な信者となったのです。「開かれた社会」というのは、まさしく民主主義のことを言っているのです。
 実は、市場経済も人間の不完全な理解のもとに動いています。市場経済は、「わたしたちは皆、誤りを犯す存在であり、世界に対するわたしたちの誤解が実は世界を形成している」という認識をもとにして動いているシステムなのです。この考え方は、金融市場で働く上でたいへん役立ち、わたしに大金をもたらすことになりました。しかし、わたしは金融市場で稼いだお金を今度は善きことのために使いたいと思ったのです。ですから、50歳のときに財団を設立しました。
山本 財団名が、「オープン・ソサエティ(開かれた社会)財団」となっているのも、あなたの師であるポッパーの影響なのですね。
ソロス そのとおりです。


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