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- 2013年11月29日 17:22
秘密保護法は必要
政府は国家安全保障会議の創設を目指している。外交、防衛問題や安全保障政策などの審議や立案調整(武力行使の是非決定)などを行う機関で、多くの場合、大統領、首相、内閣に属し、助言を行う。日本の場合は、内閣に属する安全保障会議があるが、国家公安委員長の時、私もメンバーの1人であった。
今度創設されようとしている国家安全保障会議は、アメリカのNational Security Councilから、日本版NSCと言われる。(注・民主党政権も提案していた。)
この会議を創設するにあたって最も大事なことは、各国と情報のやり取りをすることだが、その為には特定秘密保護法が無ければ各国から信用されず、情報を貰うことが出来ない。
日本の場合、「抜け穴」とよく言われるように、秘密が守られない国、「スパイ天国」とレッテルを張られている始末、これでは世界の信用は得らない。敵に漏れれば国の安全が脅かされる情報を、国が秘密にすることは当たり前の事なのだが、それが法律として出来ていないのが日本なのである。
言うまでもなく国家の使命は国民の生命保護と国土の保全にある。国際水準の法整備を1日も早く実現させなければならないのである。
今回出されている内容を見れば、防衛、外交、スパイやテロ行為防止等、安全保障の分野の機密事項を「特定秘密」として指定し、厳格に管理することを目的にしている。いずれも国家、国民の安心安全のために最低限必要なものに限られている。
然し、マスコミは驚くほどの勢いで反対のキャンペーンを張っている。朝日新聞は相変わらず突出している。
知る権利や報道機関の取材活動に悪影響があると言うのだが、「懸念がある」と言うことで最初から反対するのは民主主義に無成熟過ぎないか。
村田同志社大学教授が「情報を守る側と公開を迫る側のせめぎ合いが、活力ある民主主義を支える」と述べているが私も同感である。
29日の朝日新聞で、漫画家の小林よしのり氏が、「秘密に触れればわしも逮捕?」で、「情報を得る為に官僚に接触する時もある。その時特定秘密に触れれば逮捕されるのか。言論人やジャーナリストが委縮して、権力の嘘を暴けなくなれば民主主義は成り立ちませんよ」と書いている。
一漫画家が、さも重要な国家機密に触れられる立場にあるように言うが、一種の「はったり」としか聞こえない。もし本当に特定秘密を官僚が伝えたら、文句なく法律に抵触する。当たり前すぎて笑いにもならない。
言論人やジャーナリストが委縮して何も出来なくなると言うが、そんな信念も度胸も無い者は言論人、ジャーナリスト失格者ではないか。
国会審議の中で、国会の秘密会等で行政機関から特定秘密の説明を受けた議員が、後援会などで漏らしたら懲役5年になるのかとの質問に、政府は「その通り」との見解を示した。
元内閣安全保障室長の佐々淳行氏は、「特定秘密保護法の最も大きい意義は、実は政治家に守秘義務を課せられるようになることだ」と皮肉なことを書いている。
アメリカで多発テロが起こった直後、当時の田中真紀子外務大臣が、記者会見で大統領の避難先を喋りまくって、アメリカ合衆国の機密情報を漏洩したと大問題になったことがあった。この法律はまず政治家の言動を律するために在るのかと考えると面白い。
大事なのは「適性評価」の導入だ。機密を漏らす危険性があるかどうかを調査し、危険が無いと判断された人にのみ機密情報に対するアクセス権を与え、漏えいするリスクを可能な限り低減させようとしている。欧米各国に定着している制度である。
具体的に言えば、「特定秘密」を扱う公務員などに、本人の同意を得た上で、犯罪・懲戒歴や飲酒癖、借金の有無などを調べることを義務付けるということである。例によって朝日新聞は「民の私生活も冒すのか」との見出しで、基本的人権が侵されるかの如く書いている。限りなく一方的に拡大解釈を続けて「危険だ危険だ」と騒ぐ、これでは「風が吹いたら桶屋がもうかる」の類ではないか。国家の機密を扱う者に適性があるかないかを調査するのは、至極当然の組織インフラなのである。
「なぜそんなに急ぐのか」と維新の国会議員が言っていたが、どうも不勉強でいけない。秘密保護法は中曽根内閣の時から国会で議論され、成立出来ずに長い時間をかけ議論されてきた懸案事項なのである。
中国など無法国家が近くにあって、今日本の安全は脅かされている。世界の警察国家と言われたアメリカも、もはや後退して、自国は自国で守るという時代になった。
70年近く戦争の無かった国は、日本を除いて他にほとんどない。しかし、いつまでも平和ボケのままでよいわけがない。もうここいらで主権国家としてのきちんとした体制を整え、国の安全を守ると共に、安全保障やテロ対策などで国際協力の実を挙げ、世界に信頼される国にならなくてはならない。
勿論、政府のすることに何でも従えと言うのではない。秘密保護法にもいくつかの問題点は残っている。それらをきちんと注視し、誤りなきよう監視していくことも必要だと私は思っている。
今度創設されようとしている国家安全保障会議は、アメリカのNational Security Councilから、日本版NSCと言われる。(注・民主党政権も提案していた。)
この会議を創設するにあたって最も大事なことは、各国と情報のやり取りをすることだが、その為には特定秘密保護法が無ければ各国から信用されず、情報を貰うことが出来ない。
日本の場合、「抜け穴」とよく言われるように、秘密が守られない国、「スパイ天国」とレッテルを張られている始末、これでは世界の信用は得らない。敵に漏れれば国の安全が脅かされる情報を、国が秘密にすることは当たり前の事なのだが、それが法律として出来ていないのが日本なのである。
言うまでもなく国家の使命は国民の生命保護と国土の保全にある。国際水準の法整備を1日も早く実現させなければならないのである。
今回出されている内容を見れば、防衛、外交、スパイやテロ行為防止等、安全保障の分野の機密事項を「特定秘密」として指定し、厳格に管理することを目的にしている。いずれも国家、国民の安心安全のために最低限必要なものに限られている。
然し、マスコミは驚くほどの勢いで反対のキャンペーンを張っている。朝日新聞は相変わらず突出している。
知る権利や報道機関の取材活動に悪影響があると言うのだが、「懸念がある」と言うことで最初から反対するのは民主主義に無成熟過ぎないか。
村田同志社大学教授が「情報を守る側と公開を迫る側のせめぎ合いが、活力ある民主主義を支える」と述べているが私も同感である。
29日の朝日新聞で、漫画家の小林よしのり氏が、「秘密に触れればわしも逮捕?」で、「情報を得る為に官僚に接触する時もある。その時特定秘密に触れれば逮捕されるのか。言論人やジャーナリストが委縮して、権力の嘘を暴けなくなれば民主主義は成り立ちませんよ」と書いている。
一漫画家が、さも重要な国家機密に触れられる立場にあるように言うが、一種の「はったり」としか聞こえない。もし本当に特定秘密を官僚が伝えたら、文句なく法律に抵触する。当たり前すぎて笑いにもならない。
言論人やジャーナリストが委縮して何も出来なくなると言うが、そんな信念も度胸も無い者は言論人、ジャーナリスト失格者ではないか。
国会審議の中で、国会の秘密会等で行政機関から特定秘密の説明を受けた議員が、後援会などで漏らしたら懲役5年になるのかとの質問に、政府は「その通り」との見解を示した。
元内閣安全保障室長の佐々淳行氏は、「特定秘密保護法の最も大きい意義は、実は政治家に守秘義務を課せられるようになることだ」と皮肉なことを書いている。
アメリカで多発テロが起こった直後、当時の田中真紀子外務大臣が、記者会見で大統領の避難先を喋りまくって、アメリカ合衆国の機密情報を漏洩したと大問題になったことがあった。この法律はまず政治家の言動を律するために在るのかと考えると面白い。
大事なのは「適性評価」の導入だ。機密を漏らす危険性があるかどうかを調査し、危険が無いと判断された人にのみ機密情報に対するアクセス権を与え、漏えいするリスクを可能な限り低減させようとしている。欧米各国に定着している制度である。
具体的に言えば、「特定秘密」を扱う公務員などに、本人の同意を得た上で、犯罪・懲戒歴や飲酒癖、借金の有無などを調べることを義務付けるということである。例によって朝日新聞は「民の私生活も冒すのか」との見出しで、基本的人権が侵されるかの如く書いている。限りなく一方的に拡大解釈を続けて「危険だ危険だ」と騒ぐ、これでは「風が吹いたら桶屋がもうかる」の類ではないか。国家の機密を扱う者に適性があるかないかを調査するのは、至極当然の組織インフラなのである。
「なぜそんなに急ぐのか」と維新の国会議員が言っていたが、どうも不勉強でいけない。秘密保護法は中曽根内閣の時から国会で議論され、成立出来ずに長い時間をかけ議論されてきた懸案事項なのである。
中国など無法国家が近くにあって、今日本の安全は脅かされている。世界の警察国家と言われたアメリカも、もはや後退して、自国は自国で守るという時代になった。
70年近く戦争の無かった国は、日本を除いて他にほとんどない。しかし、いつまでも平和ボケのままでよいわけがない。もうここいらで主権国家としてのきちんとした体制を整え、国の安全を守ると共に、安全保障やテロ対策などで国際協力の実を挙げ、世界に信頼される国にならなくてはならない。
勿論、政府のすることに何でも従えと言うのではない。秘密保護法にもいくつかの問題点は残っている。それらをきちんと注視し、誤りなきよう監視していくことも必要だと私は思っている。
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