訃報:ネルソン・マンデラさん95歳=元南ア大統領
毎日新聞 2013年12月06日 07時45分(最終更新 12月06日 13時07分)
【ヨハネスブルク服部正法】南アフリカで反アパルトヘイト(人種隔離)闘争を指導し、1993年にノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ元南ア大統領が5日午後8時50分(日本時間6日午前3時50分)、死去した。95歳だった。ズマ大統領がテレビで国民に発表した。マンデラ氏は昨年12月から肺感染症で入退院を繰り返していた。
5日深夜、ズマ大統領はテレビで「彼は家族に囲まれ穏やかに逝った。ネルソン・マンデラは私たちを一つにしてくれた。ともに別れを告げよう」と国民に呼び掛けた。
91年にアパルトヘイトが全廃された後の94年に初の民主化選挙を経て黒人初の大統領に就任。人種間の融和を一貫して訴え、不屈の闘争心と寛容な心を併せ持つ人物として国内外から尊敬を集め、世界の人権運動の象徴的な存在になった。
18年、南ア南東部トランスカイ(現東ケープ州)の農村の首長の家に生まれた。
フォートヘア大学で法律を学び、44年に黒人解放組織「アフリカ民族会議(ANC)」の青年同盟創設に参画。52年、ヨハネスブルクに非白人で最初の弁護士事務所を開いた。ANC幹部として反アパルトヘイト闘争の指導を通じ、黒人大衆の広い支持を得た。
60年にANCが非合法化され、地下に潜伏したが、62年に逮捕された。64年にはほかのANC指導者らとともに国家反逆罪で終身刑の宣告を受け、ケープタウン沖のロベン島の刑務所に収監された。
南アでは80年代に入って反アパルトヘイト運動が激化し、国際社会からも孤立。89年に就任したデクラーク大統領がアパルトヘイト廃止を決断し、マンデラ氏は90年2月に釈放された。収監中も、思想転向せず、意志を貫いた。
翌91年にアパルトヘイト関連法が撤廃され、マンデラ氏はANC議長に就任。デクラーク氏と民主化に向けた交渉を続け、93年にデクラーク氏とともにノーベル平和賞を共同受賞した。
94年4月、全人種参加の初の選挙でANCは第1党となり、大統領に就任。ANCの従来の社会主義的経済政策を見直して市場経済路線を取った。政治面では「真実和解委員会」を設置。アパルトヘイト下の人権侵害を究明する一方、人種間の和解に力を注いだ。
97年にANC議長職を退き、99年に大統領職を1期5年で引退。権力や金銭に執着しない人柄が敬愛され、氏族名の「マディバ」、父親を表す「タタ」の愛称で慕われてきた。