マンデラ氏死去:「この国一つに」人種間の和解追求

毎日新聞 2013年12月06日 12時36分(最終更新 12月06日 13時17分)

マンデラ氏自宅周辺で合唱し、踊る人々=南アフリカのヨハネスブルクで2013年12月5日、ロイター
マンデラ氏自宅周辺で合唱し、踊る人々=南アフリカのヨハネスブルクで2013年12月5日、ロイター

 【ヨハネスブルク服部正法】マディバありがとう、安らかに−−。5日夜、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)を撤廃に追い込み、民主化を実現した「国父」、ネルソン・マンデラ元大統領(95)の逝去が伝えられると、南ア国内は大きな悲しみに包まれた。ズマ大統領の発表は深夜だったが、悲しみを共有しようと街に出る人々も多く、歌と踊りで冥福を祈る人であふれた。

 マンデラ氏の自宅前やマンデラ氏が以前住んだ郊外の旧黒人居住区ソウェトでは、市民が遺影や国旗を掲げ、黒人解放運動の際の「闘争歌」などを歌い夜を明かした。また、米CNNテレビや英BBC放送など海外メディアも繰り返し死去のニュースを伝えた。

 「マディバ(マンデラ氏の愛称)は黒人、白人の差別をなくし、この国の人々を一つにしてくれた。今はありがとうと言いたい」。ヨハネスブルクの富裕層の多い地域で警備員として働く黒人男性トレバー・ムテンブさん(42)がしみじみ語った。また、首に国旗を巻いた白人女性ダナ・エバンズさん(43)は「彼の最も偉大だった点は、(アパルトヘイトを行った白人に)許しを与えたことです」と話した。

 人々の挙げるマンデラ氏の功績の一つが、人種間の和解を追求したことだ。「他人の自由を奪う者は、憎しみの囚人であり、偏見と小心さのおりに閉じ込められている」(自伝「自由への長い道」)。こうした考えを背景に、多人種が調和する「虹の国」を夢見た。

 和解への道が具体的に形となったのが、民主化後に設置された「真実和解委員会(TRC)」だ。加害者と被害者の双方から証言を聞く公聴会を繰り返し開き、アパルトヘイト下でどのような被害があったのか、広範に明らかにした。

 その一方、事実を供述した加害者に対しては特赦を与えた。復讐(ふくしゅう)を防ぐと同時に、深く分断された社会を「新生・南アフリカ」として統合する試みだった。南アのTRCの成果は世界に影響を与え、シエラレオネなど世界各地で紛争解決と和解のための一手法として導入された。

 マンデラ氏の自宅前で、黒人女性ツェピソ・シュエニャネさん(39)が感慨深そうに言った。「自宅前には黒人も白人もインド人もいる。マディバは死んでも我々を一つにしてくれるのだと思う」

最新写真特集