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【芸能・社会】サブちゃん 最後の紅白 区切りの50回出場 後進に道2013年12月6日 紙面から
演歌歌手の北島三郎(77)は5日、東京・渋谷区の日本クラウンで記者会見し、今年大みそかの「第64回NHK紅白歌合戦」の出場を最後に来年以降、同番組への出場を“卒業”する、と発表した。今年史上最多の50回出場を決めた北島は、「50回を区切りに紅白に線を引き、若い人たちにとって、素晴らしい紅白になればと思った」と後進に配慮した上での決断だったことを明かした。一方で歌手活動からの引退は否定し、「北島三郎はまだやめません!!」と現役続投をアピールした。 ブルーのスーツで会見に臨んだ北島は冒頭で「日本で一番大きな歌の祭典である紅白で、半世紀、50年間、ファンや関係者の方に支えていただいた。50回を区切りにひとつ、いっぺん紅白に線を引いてみよう、と自分勝手に思っていました」と切り出した。 大トリ、トリを務めた回数は合わせて12回。1963年の第14回から晴れ舞台に出場し続けた、“ミスター紅白”の顔は終始晴れやかだった。「50回、自分で驚くと同時に、うまくやってこられたなと。本当に多くの人に支えられました。感謝でいっぱいです」 卒業を決断したのは、今年3月ごろだったという。NHK側には今月4日に正式に卒業の意向を伝えた。師匠の作曲家船村徹さん(81)にも相談し、後押しされたという。「今年は喜寿も迎え、今年50回の紅白出場が決まったら、と思っていました。勇気も必要だったし、寂しさもありましたが、ズルズルは好きじゃない。ちゃんとしようと、決断しました」。デビュー50周年の11年にも一度、卒業を考えたが東日本大震災があり、歌い手として歌で被災者を元気づけなければと思い直したという。 思い出に残る紅白について聞かれると、「風雪ながれ旅」を紙吹雪の演出で歌った1981年の舞台を挙げ、「紙吹雪を食わされちゃった。紙を食いながら歌ってましたけど」と笑った。 報道陣からは健康面での不安が卒業の理由では、との声も出たが、北島は「異常なしです。体調もいい。後輩たちの壁になるのは良くない、道を譲って、あけてあげるのも先輩の務め。ファンのみなさんもわかってくれると思う」と話した。そして、「僕はプロですから、ファンの方を心配させるようなことがない限り、80、90歳まで歌いたい。ビートルズも頑張っているし、俺だってまだまだやりたい!!」と生涯現役をアピールした。 ただ、5000回を数える1カ月単位の座長公演には、「(体が)きつくなってきて、来年いっぱいで線を引いてみようと思います」と話し、座長公演についても、卒業する考えを明かした。 最後となる大みそかの紅白では、代表曲の「まつり」を歌唱したいという。「悔いのないように、北島三郎の心ある歌を歌いたい。そして、歌仲間たちにありがとう、頑張って、との思いを伝えたい」と力を込めた。 ◆元日に新曲発売来年は元日に新曲「人道(じんどう)」を発売。年明けからテレビ出演なども控えている。座長公演については、9月に東京・明治座、11月に大阪新歌舞伎座が予定されている。また、2015年1月には福岡・博多座での座長公演も計画されている。所属事務所では「それ以降の公演については、現在のところ未定」とした。 ◆今年の紅白曲目は「これから決める」 NHK紅白担当部長紅白の演出などを担当するNHKの古谷太郎エンテーテインメント番組制作部長(54)は、北島の卒業について「いつかこういう日が来るのかなと思っていましたが、胸がいっぱいになる思いがあります」とコメント。大みそかの北島の曲目については「『まつり』も候補の一つですが、これから北島さんとお会いして決めることになる」とした。 ◆国成長背景に演歌 NHK松本会長NHKの松本正之会長(69)は定例会見で北島の卒業について「ちょうど私たちの年代が、経済などいろいろな面で上昇に向けて成長していく過程で、背景にあったのが演歌」とし、「北島さんがここまで頑張られたのはすばらしいこと。歌った歌は、これからも生きていく」とたたえた。 ◆北島三郎(きたじま・さぶろう=本名大野穣=おおの・みのる) 1936(昭和11)年10月4日生まれ、北海道知内町出身。上京後、流しをしながら歌手を目指し、62年にデビュー。65年「函館の女」の大ヒットでトップ歌手の仲間入りをした。以後、「与作」「風雪ながれ旅」「まつり」「北の漁場」などのヒットで不動の地位に。舞台やドラマで役者としても活躍。「原譲二」の名で作詞、作曲も手掛けている。 PR情報
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