天気は快晴、絶好の小春日和となり、「この時期に輝くイチョウの木とぎんなん出荷量日本一祖父江町をご案内します。楽しんでいってください」と祖父江町商工会の渡辺様と松本駅長の挨拶で始まりました。 |
イチョウは燃え難く防災用と強く冷たい伊吹おろしから家を守るために、江戸時代に植えられたそうです。 また、祖父江のぎんなんは、市場の6〜7倍の高値で取引され、米の生産調整として人々は田を畑にしイチョウを植えたことから、ぎんなんの生産地となりました。 |
イチョウの板に、みなさん時間を忘れ童心に帰り楽しく絵柄を作成しました。出来栄えも上々でいい作品ができました? |
正塔院は尾張七福神 毘沙門天として幸福をもたらす神様。金銀財宝を守護しお金を授けてくださいます。祖父江町内に七つが祀られているので、それぞれ巡って御祈り下され。 |
善光寺では如来様のご安置してある、床下のくらやみを恐るおそる回り、極楽浄土を見ることで縁結びと善根を得ることができます。 |
最後にぎんなん三昧の弁当を賞味、本日森上駅周辺のハロー・マイ・ステーションを締めくくりました。 |
次回は1月18日に岩倉駅で開催します。
「いにしえの笠松、行政と交通の中心地」として開催。
天気にも恵まれ街を散策するには絶好。車は通れない曲りくねった迷路のような道路は、それを抜けると史跡がありワクワクドキドキの2時間半でした。
笠松駅長から、「この地域には史跡が多くありきっと皆さんを楽しませてくれますよ」と挨拶。 笠松町歴史民俗資料館の後藤とし子様のご案内でスタートしました。(笠松駅) |
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かつては、鉄道が岐阜から笠松駅より南の八幡神社まで走っており、この道路上にありました。 鉄道を延伸するため今の笠松駅を通り木曽川を越え名古屋へ。(笠松駅前通り) |
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笠松競馬場の踏切近くに縁結びの小さな神社があり、田縣神社と同じ様なものが祀られてました。 車だと気付かず通り過ぎてしまいます。(魂生大明神) |
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笠松は港町として繁栄、笠松県庁として政治の中心となり発展しました。 1881年の濃尾大地震によりほとんど焼失倒壊。しかし、持ち前の財力でいち早く復興した力強い町との説明に納得できました。(美濃郡代笠松陣屋・笠松県庁跡) |
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人が集まると、心のよりどころとして信仰が盛んとなり、寄進も増え多くの神社、仏閣が誕生しました。 経済と信仰心がひとつとなって発展することは本当の豊かさを感じますね。(誓願寺) |
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昭和31年土地改良工事中に、礎石が出土しご覧の大きさから高さは32メートルの塔があったと推定されています。 「大洪水で流れちゃったかも?」との後藤とし子様(左側)の説明でした。(笠松別院・東流廃礎石) |
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江戸時代に長良川から鵜飼で獲れた鮎を江戸幕府に献上していました。 5日間で発酵してちょうど食べごろになるよう加工したんだそうです。 以上まだまだ、見所はありましたが、ここで終了しました。(鮎鮨街道) |
台風27号が接近し、一時大荒れの天気が予想されたものの、中部地区には大きな影響もなく、
きれいな青空が広がる中での「ハロー・マイ・ステーション」開催となりました。
今回は御嵩駅周辺の散策となります。 13時の集合時間には、参加者みなさまに集まっていただき、 御嵩駅駅舎前での新可児駅長の挨拶で 今回のハロー・マイ・ステーションが始まりました。 |
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写真左の方が本日ガイドを引き受けていただきました 観光ボランティア偲歴会(しれきかい)の渡辺さん(左)と鍵山さん(右)です。 |
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御嵩駅の駅前は、すでに御嶽宿です。 最初の立寄り場所の「中山道みたけ館」に向かいます。 |
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最初にも書きましたが、本当にいい天気です。 御嵩富士が青空に浮かび上がっています。 |
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少し懐かしい里山の風景を楽しんで歩いていくと 「中山道みたけ館」に到着します。 |
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入館すると1800万年前に御嵩の地を闊歩していた 「ゴンフォテリウム・アンネクテンス」(みたけ象)がお出迎えです。 それにしても難しい名前。とても覚えることができない・・・。 |
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館内は御嶽宿の歴史をはじめ 古代の歴史や、隠れキリシタンの展示など 豊富な資料が収蔵されています。 |
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中山道みたけ館を跡にし、 御嵩町様のご好意によりマイクロバスで次の立寄り箇所まで移動しました。 急な坂道を進むこと約10分。 「マリア像」に到着です。 この近辺で農免道路の工事がおこなわれた際、 十字が彫られた石が発見され、この地が隠れキリシタンの郷であることがわかったそうです。 このマリア像は、この地が隠れキリシタンの郷であることがわかったのちに 供養を兼ねて建てられた物です。 |
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さて、 次の場所は「一呑の清水」です。 昔は中山道沿いにこのような水場が多くあったそうですが、 このようなきれいな形で現存している水場は貴重とのことです。 向かって左側が人用、右側が馬用で、人用馬用が並んでいるところに、 昔の旅でいかに馬が大切にされていたかがわかります。 ちなみに昔は屋根や囲いはなかったそうです。 |
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この「一呑の清水」から中山道をたどり御嶽宿へ進みます。 こんな、タイムスリップしたかのような風景が続きます。 |
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この建物は昔旅人が使用した「木賃宿(きちんやど)」の跡です。 「木賃宿」とは、食料を宿に持ち込み自炊して、 燃料代など最低限の料金を支払って宿泊する、 最下層の旅人が使用した旅籠です。 トタンで覆われた屋根は昔は茅葺でした。 安藤広重の「木曽街道六拾九次之内」御嶽宿に描かれている木賃宿といわれています。 |
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木賃宿を過ぎると石畳の急な下り坂が現れます。 謡坂(うとうさか)と名づけられていました。 ちなみに昔の石畳は写真のような平らな石ではなく、 もっと丸まった石で、今より格段に歩きにくかったと思います。 足元の石畳を良く見ると、所々に昔の丸っぽい石が残っていたりします。 |
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道中にある「耳神社」です。 耳が悪い人がお供えしたあった錐を耳に当てたら 病気が治ったと言い伝えられており、 今でも、錐や竹のすだれなどが奉納されています。 |
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御嶽宿まで最後の難所「牛の鼻欠け坂」です。 今は下っていますが、御嶽宿→細久手宿に向かうときは あまりの急な上り坂で、牛が鼻を地面にこすり欠けるほどでした。 距離は短いものの、道はまさしく山道でした。 |
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御嶽宿に戻ってきました。 | |
「商家竹屋」です。 昔の総合商社のような店で、 金融業をはじめ、繭、木材、綿などあらゆる物を扱っていたそうで、 後年にはアメリカ製自動車の輸入販売まで手がけていたそうです。 敷地内には土蔵や茶室などがあり、裕福な暮らしぶりが垣間見えました。 |
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「商屋竹屋」の玄関の上には、昔ながらの潜り戸が残っており、 天井に引っ掛けて設置されていました。 使用するときは矢印のようにばたんと閉じます。 |
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さて今回のハロー・マイ・ステーションも最後の立寄り箇所となる 「願興寺」です。 今から約400年前に武田信玄の先兵の手により焼失、 その後民衆のが持ち寄った材木で再建されたと伝えられているそうです。 |
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武田信玄が自分の手違いによりお寺を焼失させてしまったことをわびる際 このお堂のある一番小さな敷石にひざまついたとされています。 |
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本堂にお参りして、 この願興寺で今回のハロー・マイ・ステーションは終了しました。 時計を見るともうすぐ16時。 すっかり日が傾き、暮れ行く秋を感じつつ帰路に着きました。 |
酷暑の夏も過ぎ去り、乾燥したさわやかな空気に秋の訪れを感じる今日この頃。
久しぶりの「ハロー・マイ・ステーション」開催となりました。
今回は名鉄一宮駅周辺の散策となります。 集合時間の10時となり、一宮駅中央改札口前で駅長の挨拶で今回のハロー・マイ・ステーションが始まりました。 「一番始めは一の宮」の手毬歌で始まった駅長の挨拶。 一宮駅を含む尾西線は尾西鉄道の手により113年前に開業した名鉄最古の路線であることなど一宮駅の歴史について簡単な紹介がありました。 |
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本日ガイドをおこなっていただく 尾張一宮観光ガイドボランティアの市山様です。 |
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まずは、i-ビル(一宮駅前ビル)内にあります一宮市観光案内所に立ち寄りました。 ここは一宮市観光の玄関口です。 |
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中には、一宮観光の様々なチラシのほか 地元特産のお土産品販売コーナーがあり、お買いいただくこともできます。 |
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こちらは、一宮のマスコットキャラクターの「いちみん」 |
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こんなかわいいTシャツも販売されています(笑) |
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では一宮駅を後にして、最初の目的地「ICCテレビ」へ向かいます。 |
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会議室で、ICCテレビ製作部企画課の今枝様(正面の女性の方です)よりICCテレビについて簡単な案内をお伺いいたしました。 ICCテレビは一宮のケーブルテレビ局で、一宮市のニュースやイベント情報、お店の紹介、一宮市の広報番組などを放送しているほか、BS・CS放送の配信や、インターネットサービス等も実施しているそうです。 |
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その後スタジオに移動。 ちょうど情報番組を収録中でした。 30分の情報番組収録に2時間ほどかかるそうです。 収録を中断していただき、駅長を中心にスタジオの雰囲気を味わいました。 |
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隣の部屋で、カメラの操作や音響の調整をおこなうほか、テロップの挿入などをおこなっています。 |
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ICCテレビを後にし、一宮七夕まつり期間中は七夕飾りで賑わいを見せる、一宮の顔本町商店街の入口へ到着です。 |
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市山さんの案内を聞きつつ、本町商店街を真清田神社に向かってのんびり散策です。 本町商店街の起源は、今から300年ほど前に「三八市」に遡ると言われており、それを記念する石碑が商店街にあります。 |
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こちらのお店は、いわゆる乾物屋さん ご主人のこだわりが詰まった商品が販売されており、中でも手で削られた鰹節は、ほんのり甘みが感じられる絶品の味でした。 |
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他にも色々な説明を聞きながら歩いていくと、アーケードが途切れて、真清田神社に到着です。 |
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楼門です。 真清田神社は、太平洋戦争の空襲でほとんどすべてが焼け落ちてしまい、この楼門も、戦後に再建されたものだそうです。 |
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真清田神社では神職の方にご案内いただきました。 |
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先程の楼門に掲げられた「真清田神社」の看板の字は東大寺大仏で有名な聖武天皇の書といわれており、この看板はレプリカですが、本物は宝物殿に保管されているそうです。 |
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楼門の門には神社の家紋「ご神紋」が掲出されています。 このご神紋は「九枚笹」と言われるものです。 |
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本殿も太平洋戦争のときに焼失しています。 戦後、昭和天皇がご視察に見えた際、一宮市役所の屋上から焼け野原と化した真清田神社を望み、強く再建を望まれたそうです。 そして、昭和32年に現在の本殿が再建されたそうです。 ちなみに、真清田神社には、天火明命(あめのほあかりのみこと)が祀られているそうです。 |
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こちらは同じ境内にある服織神社(はとりじんじゃ)。 昭和40年に造営され、天火明命の母神の萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)が祀られております。 別名「棚機姫神(たなばたひめのかみ)」といわれ、織物の神様として信仰を集めています。 |
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この後、境内の宝物殿に移動して、展示物を見学しました。 残念ながら館内は写真撮影禁止のため画像がありませんが、春に開催される桃花祭で使用される馬具や、正倉院に収蔵されており、その昔信長が削り取ったされる香木「蘭奢待」などが収蔵されています。 この宝物殿の見学で今回のハロー・マイ・ステーションは終了となりました。 この後、一宮駅まで本町商店街をあるきながら帰りました。 |
例年より早い梅雨入り宣言。
雨は降らなかったものの、薄曇の蒸し暑い天気の中での開催となりました。
今回は茶所駅周辺の散策となりますが、皆様に集合いただきました駅は岐阜駅。 まず本日のホスト、茶所駅長の挨拶。 |
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そして茶所駅周辺となる加納宿界隈の案内をお願いする「中山道加納宿文化保存会」の皆様です。 |
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毎回少しずつ参加者が増え、今回は17名もの人にお集まりいただきました。 早速、最初の目的地に向かってスタートです。 |
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歩くこと約10分、光国寺に到着です。 |
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徳川家康の長女「亀姫」ゆかりのお寺として知られ、亀姫の墓もあります(赤い矢印の石柱)。 本堂にも上がらせていただき、慶長19年(大阪冬の陣の頃)に書かれたとされる光国寺の地図などを見せていただきました。 当時は約10haあまりの敷地があったそうです。 |
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さて光国寺を後にし、御鮨街道、中山道をたどりながら歩みを進めます。 途中には様々な古い石碑が残り、由来の説明をお伺いすることができました。 |
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この写真は鏡岩の碑です。 「鏡岩」は江戸時代の力士。 力士引退後加納宿で茶屋を営んでいたが、奉公人をこき使うなど、粗暴な振る舞いが多かったそうです。 行為を和尚に諌められ改心、罪滅ぼしのため等身大の木像を作り、旅人に棒でぶたせたそうです。 ぶった旅人にお茶を振舞ったことから「茶所」と言う地名が生まれたそうです。 |
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途中には、地元で有名なパン屋やだんご屋などもあり、全部によることができませんでしたが、だんご屋さんでだんごを買い求めることができました。 写真を撮る前にうっかり1個食べてしまいました…。 醤油味の焦げ目のおいしい団子でした。 |
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腹ごしらえも終え、次は加納城へ。 加納城の石垣は、岐阜城が取り壊されたときの石垣の石が使われているなど色々興味深い話をうかがうことができました。 ちなみにこの石垣の積み方は江戸初期の頃まで使われた積み方で「野面積み」と言うそうです。 |
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加納城の城郭の中です。 今は何もありませんが、昔の様子を想像すると、どんな風だったのかワクワクしてきます。 |
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学問の神様、加納天満宮にお参りし、 |
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その後妙泉寺へ。 奥に見える木像が先程話題に出た「鏡岩」が旅人にぶたせるために作った木像で、「ぶたれ坊」と言います。 |
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最後に、全国に2箇所しかないと言う、ビルの地下で日本酒を醸す蔵、日本泉酒造に立ち寄りました。 |
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地下の醸造所を見学させていただき、その後、蔵で醸したお酒を試飲させていただきました。 |
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最後に茶所駅長の挨拶で終了しました。 スペースの都合で、書くことができませんが、実はまだまだ色々な所に立ち寄り、色々興味深いお話を聞くことができ、楽しいひと時を送ることができました。 |
前日までの予報だと午後には降り止む予定だった雨が降り続き、あいにくの天候となってしまいました。 まずは小牧駅長による自己紹介、駅の説明からスタートです。 |
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まずは駅周辺の散策。 駒止公園、戒蔵院、稲荷堂などを巡りました。 駅長の説明がとても分かりやすいと参加者から好評でした。 |
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古い町並みの中に突然目に飛び込んでくる「屋根神様」。 江戸時代からの祠が今でも所々に残っています。 |
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小牧駅出発から約1時間で小牧山へ。 足元の悪い中、参加者全員一致で小牧山への登山を決行。 特に最後の階段がキツかったが全員無事到着。 |
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小牧城(小牧市歴史館)最上階からの景色。 晴れた日には遠く御嶽山まで望めるとのこと。 |
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下山後約10分で間々観音に到着。 珍しい「お乳のお寺さま」で、雨にも関わらず多くの参拝者がおみえでした。 |
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最後に「しるこサンド」で有名な松永製菓へ。 しるこサンドなどをいただきながら、営業担当の方からの丁寧で楽しい説明を受け、時間が過ぎるのを忘れてしまいそうでした。 テーブルの上のピンクの箱は、ご厚意によるお土産です。 |
夜から降り続いた雨は朝方に上がったものの、春の嵐が吹き荒れるあいにくの天気となりました。
9時50分集合時間となり、佐屋駅長による挨拶によりハロー・マイ・ステーションが開始です。 まず、駅長から佐屋駅にまつわる話をうかがいました。 伊勢湾台風の時には水につかり、弥富から流れてきた金魚(弥富は金魚の名産地です)で金魚すくいができたなど、面白い話を聞くことができました。 |
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その後船頭平(せんどうひら)公園に移動。桜が満開で公園全体が桜色に染まっていました。 |
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船頭平公園内にある木曽川文庫には木曽三川の治水工事にまつわる貴重な資料が収蔵されています。 治水工事にまつわる色々な説明を愛西市のボランティアの人からおうかがいしました。 明治時代におこなわれた治水工事ではオランダから高給で技師を呼び寄せ土木技術を吸収し国内の技術を向上させた話や、この後見に行く船頭平閘門の概要など、非常に勉強になりました。 |
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お昼ごはんは「あいさい弁当」。 「あいさい」は「愛妻」ではなく「愛西市」。 愛西の名産品、レンコンをふんだんに使った弁当です。 |
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お昼ごはんの後は本日の目玉、観光船による「船頭平閘門」の通過体験です。 「閘門」とは水位の違う川や湖を水路でつなぐとき、水位を調整するために設けられた水門のことです。 船頭平閘門は、明治時代に完成し現在も現役で活躍する数少ない閘門です。 |
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早速船に乗り込みます。 |
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当初の予定では船頭平閘門を通り、長良川と揖斐川の間にある千本松原を船から見学して帰ってくる予定でした。 しかし、あいにくの強風で川まで出ることができず、水路の中のみの運航となりました。 閘門の扉の開閉や閘門の中への進入を体験することができました。 ぜひ天気のいい日に再度乗船してみたいと思います。 |
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最後に「道の駅立田ふれあいの里」に立ち寄りました。 産直の野菜売り場がある他、レンコンを使ったソフトクリームやパンなど販売しています。 |