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立身編
防御専門の紋章師
 「……紋章師(ルーラー)……」
 ポルテのその呟きが聞こえたのか、ソリオは肩越しに彼女へと振り返るとにかりと悪戯小僧のような笑みを浮かべた。
「さっきも言ったけど、詳しいことは後でね。今は……」
 ソリオの視線が再び前へと向けられる。と、同時に、彼らを覆っていた盾のようなものも消滅する。
「そ、そそそソリオさんっ!? け、結界を消したら無数の霧状生物(ガスト)があっしたちに襲いかかって──ぎゃああああああああっ!!」
「コルトはなに勝手に悲鳴を上げているの? ほら、よく周りを見て」
「え? あ、あれ?」
 ポルテに促され、勝手に半狂乱になっていたコルトが周囲を見回せば、それまで彼らの周囲に(たか)っていた霧状生物の姿が綺麗さっぱり消え失せていた。
 どうやら、先程の亡霊(ゴースト)の攻撃魔法が霧状生物も焼き尽くしたらしい。
「へ、へへへ……あーっははははははっ!! これでもう怖いものはないッスなあっ!!」
 コルトが腰に手を当て、胸を反らして高笑いする。
「何言っているんだか……怖いものなら目の前にまだいるでしょ? それに、霧状生物は不死者(アンデット)の魔素は吸わないよ?」
「え? そ、そうなんッスか?」
「うん。不死者になっちゃうと魔素も負の方向に歪んじゃうからね」
「じゃ、じゃあ、あっしがこれまで霧状生物を恐れていたのって…………………………全くの無駄だった?」
 かっくんと大きな口を開けて驚くコルトの言葉に──彼なりの優しさから──反応することなく、ソリオは前方の亡霊へと集中する。
 その亡霊は再び指先を宙に踊らせ、新たな紋章を描いていく。
「今度は〈雷〉の紋章(ルーン)か!」
 亡霊が描く紋章の意味を読み取ったソリオも、新たな紋章を描き出す。
 描かれた紋章は三つ。それらはそれぞれ別の意味を有していた。
〈対魔〉〈対雷〉〈防御〉
 それら三つの意味の紋章を組み合わせ、紋章術が発動して今度はソリオたちの前方に光の盾が現れた。
 同時に亡霊の紋章術も完成し、半ば透き通ったその指先から紫紺の雷が放たれる。
 放たれた雷光は空気を切り裂きながら蛇行し、それでも正確にソリオたちへと襲いかかった。
 だが、ソリオの前方に展開された光の盾は、襲いかかる雷光を完全に防ぎきる。
「……す、凄い……」
 その光景を盾の内側から見ていたポルテが感嘆の呟きを零す。
 そして今になって、あの時どうして自分たちが全く怪我をしなかったのか、その理由がやっと分かった。
 あの時。この地下道に入ってすぐに発動した火精(かせい)を利用した(トラップ)。やはり、あの罠から自分を守ってくれたのはソリオだったのだ。
 おそらく、先程の火炎魔法を防いだような盾を造り出して。
 その後も、亡霊は様々な攻撃用の紋章を描き出していった。
 先程のような炎や雷、それ以外にも氷や風、時には氷と風を合わせて吹雪にしたりと、実に多彩な攻撃を放ってきた。
 だが、ソリオもそれに対応させた盾を展開させて、ことごとく防いでいく。



 この時、ポルテは一つの事実に思い至った。
 ソリオが紋章師だったことは確かに驚きだが、それはそれよりも更に驚愕すべき事実だ。
 ソリオは亡霊が描く紋章を正確に読み取り、それに合わせた防御用の紋章術を展開している。
 つまり、ソリオは相手よりも遅く紋章を描き出し、そして相手よりも早く紋章術を発動させているのだ。
 しかも相手はクリソコラ文明期、すなわち紋章術が最も発展していた時代の死霊術師(ネクロマンサー)である。それを考えると、ソリオはクリソコラ期の紋章師に勝るとも劣らない実力を秘めていることになる。
 もちろん、あの亡霊がクリソコラ期でどの程度の実力者だったのかは不明だ。だが、周囲に吹き荒れる炎や吹雪を見る限り、単なる三流紋章師ということはないだろう。
「ソリオ……あなたは一体何者なの……?」
 今も相手の紋章術を的確に防御するソリオの背中を見つめながら、ポルテは小さく呟いた。



 もう何度目かになるのかも分からない、亡霊が発動させた火炎魔法。
 その魔法を紋章術で的確に防ぎつつも、ソリオは内心でじりじりした思いを味わっていた。
 彼の懐に入っている二つの魔素含有水晶。その内の片方は既に含有していた魔素を使いきっている。残る一つもその残量は半分を切っている状態だ。
 あとどれぐらい相手の攻撃が続くのか。亡霊の魔素が尽きるまでこちらの魔素が保つのか。
 光り輝く盾越しに、ソリオは亡霊の姿を見定める。
 コルトの主人というあの亡霊は、ソリオが行使した紋章術に反応した。
 死霊術師は、クリソコラ文明期でも忌わしい存在であっただろう。ならば、当然敵も多かったはずだ。
 彼が生きていた時代では、敵の殆どが紋章師であったはずである。そのため、紋章術を使用したソリオを敵としてあの亡霊は認識したに違いない。
 今もまた、背景がぼんやりと透けて見える指先を宙に踊らせ、新たな紋章を描き出す亡霊。
〈炎〉〈炎〉〈炎〉〈攻撃〉
 炎の紋章を三つも掛け合わせた攻撃魔術。その威力は今までのものより遥かに強力だ。
 それを読み取ったソリオもまた、頑強な防御魔法を築き上げていく。
〈対魔〉〈対火〉〈防御〉 〈対魔〉〈対火〉〈防御〉 〈対魔〉〈対火〉〈防御〉
 炎属性に特化した盾を三枚重ねて発生させ、敵の攻撃に備える。三枚の盾が展開されると同時に、今までで一番激しい炎の嵐がソリオたちの周囲に吹き荒れた。
「く……ううううぅ……っ!!」
 あまりに強力な炎の嵐。炎そのものは盾で遮断されているものの、熱までは防ぎきれずにじりじりとソリオたちの身体を炙る。
 熱と緊張で汗を滴らせながら、ソリオは必死に展開した三枚の盾を支える。
 一番外側と真ん中の盾が業火に耐えきれずに音もなく同時に砕け散る。それでも最後の盾は何とか炎を耐えきり、その内側のソリオたちを守り抜いた。
「ポルテ」
「え? え? な、なに?」
 突然ソリオに名前を呼ばれ、ポルテは慌てて彼の近くに移動する。
「俺が合図したら、精霊術を使って欲しいんだ。いいかな?」
「精霊術……? そ、それはもちろんいいけど……何をするの?」
「あの亡霊を攻撃して欲しい」
 身体を持たない亡霊に、物理的な攻撃は無効である。その亡霊に有効なのは魔法か魔素を付与した武器のみである。
 ポルテもそれは承知しているが、どうしてソリオがその攻撃を自分に頼むのかが分からない。
 ソリオほどの紋章師ならば、ポルテよりも余程強力な攻撃魔法が使えるはずなのだ。
 今に伝わる紋章術の伝説によれば、紋章術を用いて天空から巨大な隕石を雨のように降らせたり、そびえ立つ長大な城壁を一瞬で塵に変えたなどという逸話がたくさんある。
 そんな強力なものでなくとも、実際に亡霊と互角に渡り合うソリオならば、相手と同等の攻撃魔法が使えても不思議ではない。
「え? ソリオが紋章術で攻撃したら駄目なの?」
 だから、ポルテはそう尋ねた。いや、彼女でなくても誰でもそう尋ねるだろう。だが、そのソリオからの返答はポルテもコルトも予想さえしないものだった。
「それが……できないんだ」
「え? 今、何て言ったんスか?」
「うん、実はね。俺は防御系の紋章術は使えても、攻撃系は一切使えないんだ」
 亡霊から視線を外すことなく、ソリオは背後の二人にそう告げた。
「これも後で詳しく説明する。だから今は俺に従って欲しい。それから……コルト」
「はいッス。あっしも何かした方がいいッスか? はっ!? ま、まさか、あっしに囮になって欲しいとか言うんじゃ……っ!? 嫌ッス! 御免蒙るッス! あっしままだ死にたくないいいいいいいいいいいいいっ!!」
 美しく儚げな外見──中身はともかく見た目は──の森妖族(エルフ)の少女が、頭を抱えて喚き散らす。
 背後から聞こえる喚き声に、もうとっくに死んでいるだろ、と心の中だけでソリオはツッコみを入れた。
「そうじゃないよ。ここであの亡霊……コルトの主人だった亡霊を倒してしまうことになるけど……いいね?」
「それは……さっきも言ったッスよ? ご主人はもう死んでいるッス。ここで倒してしまった方が……その方がご主人を解放してあげることになるッス」
「分かった。じゃあ、ポルテ。準備をよろしく」
「了解」
 亡霊が再び紋章を描き出すのを注意深く観察しながら、ソリオはポルテに指示を出す瞬間を見極め始めた。



 亡霊とは、この世に未練を残した死者の意識や魂が、周囲の魔素に宿って残留したものである。
 つまり、亡霊などの肉体を持たない不死者もまた、精霊と同じ意志を持った魔素であると言える。
 ただし、万物の流転に必要不可欠な精霊とは異なり、その存在は歪んだ存在であり、生者にとっては恐るべき敵である。
 そして、意志を持った──大抵の場合、その意志は歪んだものである──魔素である亡霊が魔法を使う場合、自身を構成する魔素を用いて行使する。まさに自分自身を削りながら魔術を用いるのだ。
 当初、ソリオは亡霊が消滅するまで魔法を使わせ、自滅に追い込むつもりだった。
 こちらに有効な攻撃手段がない以上、それが最も合理的な倒し方と判断して。
 だが、亡霊を形作っている魔素の量は、ソリオの予想以上に多かった。あの亡霊は、余程強い恨みや執着をこの世に残しているらしい。
 ソリオはこのままでは自分の魔素が先に尽きると判断し、ポルテの精霊術による攻撃で止めを刺すことにした。
 だが、これにも不安材料がある。
 第一に、ソリオはポルテの精霊術がどの程度の威力を有するのかを知らない。これまで彼女が精霊術を使うところを見たことがないのだ。
 第二に、今のポルテが行使できる精霊術に限りがあるということ。先程彼女は精々四、五回使うのが限界だと言っていた。ならば、極力最初の一撃で亡霊を倒したい。
 そのためには、限界まで相手に紋章術を使わせる必要がある。相手が魔法を使えば使う程、その存在は薄くなる。つまり、止めが刺しやすくなるのだ。
そして、そのためには敵の紋章術を完全に防ぎきらねばならない。
 今もまた、亡霊が打ち出した十数本の氷柱を氷属性の防御力を持った盾で弾き返しながら、ソリオはじっと亡霊を見つめる。
 亡霊の姿は変わらないものの、その身体の透け具合が最初に比べて大きくなってきている。亡霊を形作る魔素が徐々に希薄になってきているのだ。
 その後、亡霊の攻撃を数度防いだ時、ソリオの魔素含有水晶に蓄えられた魔素がついに底を突いた。
 だが亡霊もまた、随分とその身体が希薄になっている。相手も限界が近いに違いない。
「ポルテ! 今だ!」
 周囲に吹き荒れる吹雪が止んだのを見計らい、ソリオはポルテに指示を出す。
 その指示に従ったポルテは、彼女と契約を交わした精霊を召喚のための門である契約の石から呼び出した。
「呼び出しに応えて! 私の最も親しく最も頼もしい友達……エンジェライト!」
 『絶対無敵の盾』更新

 そろそろ、この第一章も大詰め。残すところあと数話といったところ。
 上手く纏まれば、次で一区切りつくかもしれません。

 では、次回もよろしくお願いします。



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