ソリオたちは今、結界に守られたコルトの部屋を後にし、ゆっくりとだが地下通路を進んでいた。
彼らの周囲には、幾体もの霧状生物が群がっている。
しかし霧状生物たちは、一定以上にソリオたちに近づくことはできない。
「餌」を求めて、ある一定の距離まで近づいた霧状生物は、まるでそこに見えない壁があるかのように、それ以上ソリオたちに近づけないようだ。
「……どうやら、本当に大丈夫のようッスよ?」
先頭を行くソリオに続き、おっかなびっくり周囲を見回しながら歩を進めるコルトは、目の高さで角灯を持ちながらふわふわと漂うように移動するポルテに声をかけた。
今、そのコルトの背中には、いまだに目を覚まさない人猫族の少年、バモスが背負われている。
「ええ……でも……さっきソリオが使ったのは──」
コルトの声に応えて頷いたポルテは、先程ソリオが見せたその技を改めて思い出す。
二つの魔素含有水晶を懐にしっかりと納めたソリオは、右手の人差し指と中指を立てた。
そして、その指先に僅かな蛍の光の様な輝きが灯ったのを、ポルテとコルトは確かに見る。
ソリオはその輝く指先で、空中に文字のような図形のようなものを二つ、三つと描いていく。
やがてソリオの指先から輝きが失せると、彼らの周囲に一瞬だけ光り輝く膜のようなものが出現し、すぐに見えなくなった。
その光景に、ポルテとコルトは目を見開いて驚く。
「そ、ソリオ……い、今のってもしかして……」
「え? え? ど、どうしてソリオさんがそれを……?」
口々にまくし立てる二人に、ソリオはにかりと笑う。
「詳しい説明はここを出てから、ね。もう大体の予想はできていると思うけど、こいつは燃費が悪いんだ。二つの魔水晶の魔素が尽きる前に、問題を解決しなくちゃ」
そう言いながら、ソリオはコルトの部屋の扉を開けた。
途端、雪崩のように黒い霧のようなものが一気に部屋の中に押し寄せて来る。
もちろん、それは霧状生物だ。
無数の霧状生物が部屋へと入り込み、「餌」を求めてソリオたちへと殺到する。
しかし、ある一定以上の距離まで近づくと、霧状生物たちはそれ以上ソリオたちに近づかない。いや、近づけない。
「これって……もしかして、さっきの……?」
その光景を前に、ポルテは先程ソリオが造り出したと思しき光の膜を思い出す。
「うん。この部屋に張ってあった結界の簡易版みたいなもの。効果はここの結界より劣るけど、結界ごと移動できるからそいう点では優れているかな? ただし、結界の移動にはある程度の集中が必要なんだ。だから、ゆっくりとした速度でしか移動できないし、結界も霧状生物のような魔法生物の接近を阻む効果しかないから」
ソリオの説明に頷いたポルテとバモスを背負ったコルトは、ゆっくりと進み出したソリオに続いて、結界の張られている部屋から、霧状生物がひしめく地下通路へと足を踏み出したのだ。
結界の周囲に霧状生物を纏わり付かせたまま、ソリオたちは初めて霧状生物を目撃した広間までやって来た。
この広間からは通路が三つ伸びている。
一つは今ソリオたちが通って来た、コルトの部屋へと通じる通路。もう一つはバモスたちが嵌った例の落とし穴へと続く通路だ。
ソリオは迷うことなく、いまだ足を踏み入れたことのない三つ目の通路へと向かう。
コルトによるとこの地下通路では、いつの頃からか霧状生物が無限に沸いてくるようになったらしい。
ならば、その原因は今まで行ったことのない場所にあるはず。それがソリオたちの判断だった。
「ねえ、コルト。この先には何があるの?」
「この先はあっしのご主人の実験場と物置とッスね。ご主人はこの廃棄場でも時々、色々な実験を行っていたッスから」
死霊術師だったというコルトの主人。その主人に命じられ、コルトはかつて様々な死体をこの奥へと運び込んだことがあるという。
「それこそ野生動物や魔獣、あっしたちのようなヒト族の死体までいろいろあったッスよ?」
かつて主人が造り出した力仕事専門の魔人像と共に、この廃棄場へと死体を運んだ過去を語るコルト。
その話を、ポルテは心底嫌そうな顔をしながら聞いていた。
「コルトのご主人様って、そんなに死体ばかり集めて一体何の研究をしていたの?」
「あっしのご主人は、死霊術で『究極の屍肉魔人像』とやらを造っていたッス。いや、それがどんなものかは、所詮は奴隷だったあっしに聞かれても分からないッスからね?」
「ふーん……じゃあ、ソリオなら分かる? ポルテの言う『究極の屍肉魔人像』とやらって何なの?」
もしかして彼ならば、コルト以上に彼女の言っていることが分かるかもしれない。
そう思って彼の方を見たポルテの目に、ソリオの意外に逞しい背中越しに扉が映り込んだ。どうやら目的の場所に到着したようだ。
そして、先頭のソリオがポルテたちを振り返る。
──開けるよ? いいね?
目だけでそう語るソリオに、ポルテとコルトは先程までの会話を忘れて神妙に頷く。
軋んだ音と共に開かれる扉。
角灯の光が扉の奥へと入り込み、そこを照らし出す。
橙色の光に照らされたそこは、先程通過した広間よりも遥かに広い場所だった。
そこで、彼らは見た。
大柄で知られる鬼人族よりも一回り以上大きな身体を持つ異形を。
そして、その異形の足元でぼんやりと霞むような人影が、一心にくるくると空中に複雑な模様のようなものを書き込んでいるのを。
「ご……ご主人……?」
大きく目を見開いたコルトが、掠れるような声を上げた。
しかし、彼女にご主人と呼ばれたその人影は、コルトの声など聞こえないかのように延々と空中に模様や図形を描いている。
コルトの主人だという人影は、一心不乱に指先を宙に踊らせて何やら模様を描く。すると、空中に黒い何かが凝り固まるように現れ、うぞうぞと蠢きながら地面に落ち、そのまま地表近くを這うように動き出す。
「……霧状生物……」
驚いて目を見開くポルテ。そんな彼女の前に立っていたソリオがぽつりと呟く。
「……どうやら、俺は思い違いをしていたみたいだ」
「どういうこと?」
「俺は、霧状生物が長い年月をかけてここの魔素を食らい尽くしたんだと思ってた。でも、そうじゃなかったんだ」
ソリオの視線が、魔法陣から這い出してくる霧状生物からぼんやりと霞む人影へと移動する。
「この地下道に魔素が殆どない理由。それはあいつが……コルトの主人だった人物の成れの果てが、ああしてずっと霧状生物を造り出していたからだったんだ」
そしてそれが、この地下道に霧状生物が溢れた理由だ、とソリオは付け加えた。
「な、成れの果て……? それはどういう意味ッスか、ソリオさん?」
ソリオは結界を維持しつつ、すっと部屋の奥を指差した。
「え……あれって……」
「あ、あっしのご同輩……じゃ、ないみたいッスね……」
彼が指差したところには、床に倒れている骸骨が一体。そしてその骨だけの骸の胸には、錆びて朽ち果てた剣が肋骨に引っかかるように突き立っていた。
よくよく見れば、骸骨が纏っている衣装は経年でかなり朽ちてはいるものの、今、ソリオたちの目の前でゆらゆらと指先を踊らせているぼんやりとした人影の衣装と同じものだということが分かる。
つまり。
「……あ、あれは……あっしのご主人の……亡霊……?」
「うん。間違いないと思う」
死霊術師であったコルトの主人。その命を狙っていた者が存在したとコルトも言っていた。
ある時、命を狙われたコルトの主人は、襲撃者から逃れるためにこの地下道へ逃げ込んだ。しかし、襲撃者に追撃され、この場まで追い詰められて剣を突き立てられたのだろう。
おそらく、それがコルトの主人の死の真相。
では、なぜ彼はこの部屋に逃げ込んだのか。それは目の前に直立したまま動かない、異形の巨体がその理由ではないだろうか。
『究極の屍肉魔人像』。コルトの主人はそれを造っていたという。ならば、この異形の巨体こそがその『究極の屍肉魔人像』に違いない。
人族や動物、そして魔獣。様々な死体をでたらめに──少なくともソリオにはそう見えた──つなぎ合わせた異形の巨人。
命を狙われた死霊術師は、その身を守るためにこの『究極の屍肉魔人像』を起動させようとした。
だが、『究極の屍肉魔人像』は未完成だったのだろう。『究極の屍肉魔人像』は起動せず、死霊術師は追撃者の手にかかってこの場で息絶えてしまった。
しかし、死霊術師の生に対する執着は凄まじいものがあったのだろう。それとも、『究極の屍肉魔人像』の完成に対する執着だろうか。
自分の命が尽きてもなお、千年以上こうして『究極の屍肉魔人像』を起動させようとしている。
「以前、養父から霧状生物は魔法生物の失敗作だったんじゃないか、って聞いたことがあったけど……」
亡霊がどんなに『究極の屍肉魔人像』を起動させようとも、未完成の『究極の屍肉魔人像』が起動することはない。その代わりに湧き出したのが、失敗作である霧状生物というわけだ。
ちなみに、コルトが主人から命じられた霧状生物の駆除であるが、その霧状生物もここでの実験の結果発生した失敗作だったりする。
つまり、コルトは主人の失敗の後始末を押しつけられていたわけだ。
幸いなことにこの場にはもう魔素が殆どないので、頻繁に霧状生物が現れることもない。今では霧状生物が沸くには、魔素が一定まで溜まるまでかなりの間隔が必要なのだろう。
そして溜まる端から亡霊が魔素を消費してしまうので、この場の魔素はいつまで経っても回復しないというわけだった。
ソリオから以上の推測を聞いたポルテは、改めてかつてコルトの主人だった亡霊を見つめる。
「じゃあ……霧状生物を根絶やしにするためには、あの亡霊を何とかしないといけないのね?」
「そうなるね。それとも一旦地上に戻って、領主様辺りにこのことを報告する?」
街の地下にクリソコラ時代の亡霊がいて、その亡霊が無限に霧状生物を生み出していると知れば、当然この地方を治める領主も黙っていないだろう。
何もこのまま、ソリオたちが亡霊をどうにかしなければならない理由はない。彼らは単に、穴に落ちたバモスを探しに来ただけなのだから。
「ソリオの言う通りにした方が良さそうね。確か、亡霊って普通の武器じゃ攻撃しても無駄なんでしょ?」
「うん。亡霊に打撃を与えるためには、魔法か魔素が付与された武器じゃないと駄目だって話だ」
亡霊には肉体がない。そのため、普通の武器では亡霊に打撃を与えることはできないのだ。亡霊などの肉体を持たない存在に有効な打撃を与えるには、魔法を用いるか魔素が付与された武器を用いるしかない。
だが、この魔素を宿した武器は現在では造り出すことができない。魔素を帯びた武器は、クリソコラ文明期に製造されたものが遺跡から発掘されるだけの貴重なものなのだ。
「じゃあ、ここは一旦逃げましょう。そして、このことは街の上役の誰かに報告すればいいわ」
自分たちの手に負えないと判断したポルテは、撤退を選択する。そして、ソリオもコルトその判断に同意した。
「……コルトはいいの? 亡霊になったとはいえ、主人を見捨てるような形になるよ?」
「……いいッスよ、ソリオさん。確かにこのままご主人を放っておくのは心苦しいッスけど……でも、ご主人はもう死んでいるッス。後は誰かがご主人を妄執から解放してくれればあっし的には大丈夫ッスよ」
力なく、儚げに笑う──少なくとも見た目は──森妖族の少女。ソリオは彼女の心中を推し量り、それ以上は何も言わないことにした。
「じゃあ、念の為に霧状生物避けの結界を張り直して……」
ソリオの指先に再び光が宿り、その指先が亡霊と同じように空を踊る。
それに合わせて、一瞬だけ彼らの周囲に光の膜が発生してすぐに消えた。
その時。
それまで一心不乱に空中に何かを描いているだけだった亡霊が、ぐるりとその輝きのない暗い瞳を初めてソリオたちに向けた。
「しまったっ!!」
ソリオは亡霊の反応を見た途端、自分の失策を悟った。
『究極の屍肉魔人像』を起動させるという事実に魂を縛られた存在である亡霊は、他のことには一切興味を示さない。
だが、すぐ間近でソリオが行使したその力を感じ取り、その力に身の危険を感じでもしたのか。
自身が行使する力と、同種の力ゆえに。
そして、亡霊はソリオたちへと指先を突きつけると、それまでとは違った何かを描き出す。
「──っ!! あれは〈炎〉の紋章っ!? 攻撃魔法っ!!」
ソリオはその紋章を見た途端、それまで維持していた霧状生物避けの結界を放棄。そして、亡霊と同じように新たな何かを空中に描いていく。
次の瞬間、ソリオたちの周囲で紅蓮の炎が弾けた。
炎はソリオたちだけではなく、その周囲にいた無数の霧状生物たちをも飲み込んで燃え盛る。
そして、燃え盛る炎はすぐに消滅する。その内側に抱え込んだ、全てのものを焼き尽くして。
だが。
紅蓮の炎が消えた時、そこには以前と変わらないソリオたちの姿があった。
いや、一つだけ違うものがある。
それはソリオたちを覆うように展開された、光り輝く盾のようなもの。
「……やっぱり……これは紋章術……」
「……間違いないッス。これは紋章術ッス。じゃあ……じゃあ、ソリオさんは……」
光り輝く楯に覆われながら、ポルテとコルトの瞳がソリオへと向けられた。
「……紋章師……」
ポルテの呟き。それは今ではもう遺失された系統である、紋章術を行使する魔術師の総称であった。
そしてそれは、長い長い歴史の中で消え去った紋章術という遺失魔法が、再び甦った瞬間でもあった。
『絶対無敵の盾』更新。
ようやくです! ようやく「盾」が登場しました。
いやー、ここまで長かった(笑)。これでもうタイトルに偽りありなんて言わせないからなっ!!
では、次回もよろしくお願いします。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。