「マスコミのご都合主義」と「左翼」の存在 ―― 特定秘密保護法案反対が盛り上がらない理由
坂東太郎 | 早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事
2013年12月2日現在、参議院で審議されている「特定秘密保護法案」へのマスコミの反発が凄まじい。とくに朝日新聞は連日「これでもか」と紙幅を割いて報じている。
したがって、この法案の是非はマスコミに委ねよう。あれだけ大量に報じているのだから筆者の出番はない。
取り上げたいのは、散々「問題だ」と叫んでも世論が一向についてこない点だ。それは「マスコミは、自分たちにとって都合が悪いから反対なんでしょ」という冷たい目線にある。
なぜ冷ややかなのか。おそらくそのご都合主義を見抜かれているからだ。
●安倍晋三首相の思想は、最初から明らかだった
第一次安倍政権で目指された国家安全保障会議(日本版NSC)創設が、11月に可決・成立した。これは2012年末の衆議院議員総選挙で安倍首相が総裁(トップ)を務める自民党の公約だった。安全保障や外交の危機にさらされた際に即刻対応したり、長期の戦略を描く組織である。中心は首相・外務大臣・防衛大臣・官房長官で構成する「4大臣会合」。傘下に国家安全保障局を事務局として置く。
その前身ともいえる「安全保障会議」は、首相を議長にして内閣法9条が定める首相臨時代理(副総理がいる場合は副総理。置かない場合は首相が指名。最近は官房長官が多い)、総務大臣、外務大臣、財務大臣、経済産業大臣、国土交通大臣、防衛大臣、内閣官房長官(国務大臣)、国家公安委員会委員長(警察)の計10人だった。「数が減っただけ」というのはある意味正しい。多忙な大臣が「いざ」という時にガンクビを並べないと開けない会議では実効性がないという批判がかねがねあった。数が多いと省益がぶつかりあってにっちもさっちもいかない会議にもなり得た。
こうした国家安全保障会議のような組織はアメリカを始め、数多く存在する。日本版NSCは特に同盟国アメリカの本家NSCと国家機密のやりとりをする。そのためには秘密漏示防止が欠かせないので特定秘密保護法案の可決成立を目指すようになった。いわば日本版NSCが目的で、特定秘密保護法案は手段である。まずそこの因果関係追求が手ぬるかった。
さらに安倍首相は年末から年始にかけて確実に集団的自衛権容認に動く。そうしたありようが憲法に違反する可能性が高まった段階で「是か非か」と憲法9条改正に打って出よう。
憲法改正は1955年の自民党結党以来の「党是」だ。
安倍首相の思惑の是非はこの際関係ない。そういう考えの持ち主なのを彼も隠していない。だから必然的に特定秘密保護法案のようなものが出てくる可能性が最初から高かった。洪水のように今さら批判するならば、安倍氏が自民党総裁に返り咲いた12年末時点から「彼は危ない」と訴えるべきだった。なのに、大方のマスコミはアベノミクスを称賛し、首相とマスコミ幹部が会食し、「独占インタビュー」獲得にうつつを抜かし、消費税増税を支持し、参議院で野党(首相を支持しない勢力)多数の状況を「ねじれ」と批判して「決められない政治」とまで言い切った。
もし今「ねじれ」であれば、特定秘密保護法案は参議院で否決できたかも知れないし、そうと分かっていれば与党(首相の味方)も今よりはていねいに法案を扱ったであろう。
●「知る権利」をマスコミは代弁しているのか
マスコミ側は「国民の“知る権利”を代弁している」と信じて疑わないらしい。でも国民感情はどうだろうか。「権力にゴマをすってネタをもらう」といった従来のあり方が、法案によって「ゴマをすってもネタが出ない」となると食い扶持がなくなるので絶叫しているだけではないか。
もし法案を葬り去りたければ、自らがどのような判断で報道しているのか、していないのかを明らかにすべきだ。
例えば「我々は違法を覚悟で日々取材している」と宣言して、権力にけんかをふっかけてみるのもいい。地方公務員法は「職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない」(34条)し、国家公務員法も「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない」(100条)とする。違反すると地方公務員は「一年以下の懲役又は三万円以下の罰金」(60条)で国家公務員は「一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」(109条)となる。こうした行為を「そそのかし」た場合も罰がある。これは特定秘密保護法案云々でなく現行法だ。
では、いわゆる「特ダネ」の多くをどう得ているのかというと、端的にいえば国家・地方公務員に秘密を漏示してもらっているか、させているからだ。でないと、例えば警察官(国家・地方公務員が混在)などの幹部に「夜討ち(夜回り)」したり、「朝駆け」する理由がない。捜査情報を漏らしていただくのが目的でなかったとしたら、何が目的か説明がつかない。
いわゆるリーク情報もそうだ。皆が思っているように、検察官などがにじりよって記者などへ捜査機密を具体的に漏らすケースは滅多にない。ある疑惑を捜査当局と記者が同時に追っているさなか、「これは」という情報を当局以外から得て、それを警察幹部なり検察に「当て」て(尋ねて)みたところ、否定されなかったり、目線で「そうだよ」と教えてくれたとかいった場合に「行け!」(報道のGOサイン)となる。でもまあ、これもまた公務員法違反には違いあるまい。
「そうやって日々危険を冒して、違法スレスレの取材を我々マスコミはしているのだ」「捕まえたければ捕まえてみろ」……と公言すれば、国民も少しは聞く耳を持ってくれそうだけど言わないんだな、これが。
というか、最近はそうした綱渡りすらしてないのではないかという疑問もある。かつて自由に出入りできた刑事課(デカ部屋)の立ち入りは禁止され、警察幹部の携帯電話番号ゲットが不可欠になっている(あれを紛失したら特定秘密保護法違反になりそうだ)。容疑者(法的には被疑者)の顔写真提供もなくなった。どんどん取材活動が狭められて秘密が増えているのに攻め立てる論調を筆者は聞いたことも読んだこともない。
かつて、といっても筆者のさらに前の世代の話だが、ある県警本部長が交代し、警官に記者への口止めを強化した。報道側は猛反発して普段は「武士の情け」で報じないスキャンダルの類を、各社総攻撃であれこれ書き立て撤回させたという。そういう下品な方法で「知る権利」を必死で守ってきた。今はかなり上品である。上品な報道とは権力の手先に他ならない。こうした具体的な事実を知らなくても日々の報道から「ずいぶん退屈じゃないか」というのはわかってしまう。
法案審議の過程でも話に上った1978年の「西山事件」で考えてみる。毎日新聞の西山太吉記者が外務省女性職員から71年の沖縄返還協定で交わされた日米間の密約情報を得たとして東京高裁は国家公務員法111条の「(国家公務員を)そそのかした」者として懲役4月執行猶予1年の有罪判決を記者に下した。最高裁も上告を棄却して西山記者の有罪は動かなかったが、その時に示されたのが「社会観念上是認されるものである限りは、正当な業務行為」という判断である。
ただし西山事件そのものは「正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる」とされた「刑罰法令に触れる行為」で、「社会観念上是認」できない内容とされ有罪が確定した。事件は取材手法が問題となり、毎日新聞も道義的観点から謝罪し、記者を休職処分とした。
ところが2000年と02年にこの密約があったと明記した米政府の文書が米国立公文書館で見つかり、06年2月9日に吉野文六・元外務省アメリカ局(現北米局)局長が毎日新聞の取材に密約があったのを日本側政府関係者としては初めて認めた。もし密約が事実だとすれば日米関係を揺るがす大問題で西山記者の処罰は相対的に小さくなるか意味をなくす。ちなみに元外交官職員であっても国家公務員法の秘密漏示違反は「その職を退いた後といえども同様とする」とある。ならば吉野氏をパクってみろよと挑発したマスコミも知らない。
最高裁が「社会観念上是認されるものである限りは、正当な業務行為」とするのだから「法案がどうなってもビシバシ行くぞ」と、せめて気炎でもあげてほしい。
●マスコミの保身ではないのか
かつて「知る権利」で特定秘密保護法案以上に新聞がスペースを割いて大騒ぎしたのが05年11月に公正取引委員会(公取委)が言い出した「新聞の特殊指定」見直してある。
「特殊指定」とは1947年制定の独占禁止法に基づく。同法はすでにある企業や団体が、その規模や売り上げなどを維持・発展させるために手を組んで価格を統一したり、新しい勢力の登場をじゃましたり、ありえない安売り攻撃でライバルをつぶすような「不公正な取引」を禁じている。そうした行いは巡り巡って消費者の選択を少なくして高い商品を買わされ続ける危険があるからだ。
ただ「不公正な取引」といっても業種によってさまざまだから、同法を運用する公取委は、その特殊性から「不公正な取引」の内容を名指しして指定できる。「あなたの業種は特殊だと指定する。だからあなたはこれを守りなさい」というわけだ。これが特殊指定で、新聞も「あなたの業種」となり1955年に指定された。
「これを守りなさい」は「新聞業における特定の不公正な取引方法」という名の公取委告示で決められている。告示とは公取委のような公の機関の決めごとを知らせるという行為で、新聞特殊指定告示の「不公正な取引方法」とは新聞発行本社や販売店双方に地域や相手によって異なる定価をつけたり、割り引き販売するなどを指し、それをすると法律違反になる。
だから見直し、ないし廃止となると「地域や相手によって異なる定価をつけ」ても「割り引き販売」もしていいとなる。「地域や相手によって異なる定価をつけ」てこそ適切な競争となって消費者が納得できる価格に収まる。そもそもそれが独占禁止法の目指すところで、同法で同法の理念に逆行するような告示をしているのがおかしい……というのが公取委側の主張だった。
それに対して日本新聞協会など新聞側は反対した。新聞は読者に「知る権利」(出た!)を提供するサービス業である。「異なる定価」「割り引き」を認めたら販売店が値下げ競争に突入して体力の弱い新聞社や販売店の経営維持が難しくなる。他の商品やサービスと違って「体力の弱い新聞社」イコール情報の質が低い新聞社、ではない。
したがって強い者だけが生き残る競争にさらせば同じ情報を高い値段で得なければならない地域が生じたり、いろいろな新聞を比較できなくなって多様な言論が失せたり、販売店のビジネスモデルである宅配制度が崩壊して読者に不便を強いるといった反論を示した。「知る権利」の「機会均等」を脅かすというのが主旨といえよう。
公取委は特殊指定との因果関係を認めなかったが指定廃止で宅配制度がピンチに陥るのはほぼ自明である。こうした声に押されるように公取委は廃止を06年に見合わせた。この時も新聞側に国民の強い支持がわき起こりはしなかった。というかちまたでは話題にもならなかった。そこは反省を要しよう。宅配が文字文化や「知る権利」を支えているのか。今時宅配のお陰で朝起きて朝食の際に朝刊を広げるという習慣が多数あるのだろうか、と。
●「左翼」が方便に使っていないか
先に日本版NSCが目的で、特定秘密保護法案は手段と述べた。「目的」の方に力を入れず手段を目の敵にするのは本末転倒である。この「日本版NSC」について日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』が「戦前の戦争を指導した『大本営』の今日版にもなります」(2013年10月13日付)となかなか興味深い指摘をした。同様の論調は中国メディアにもある。
ここでいう「大本営」とは、1937年に設置され、先の大戦を指揮した陸海軍合同の統帥(軍隊の指揮権)機関を指す。戦前に統帥権を持っていた天皇のもと陸軍参謀本部と海軍軍令部の「軍令」(統帥事務)部署が合同した。メンバーは天皇と陸海軍の軍令系統のナンバー3ぐらいまで。首相・外務大臣・防衛大臣・官房長官で構成する日本版NSCに似たところがあるとすると「統帥権を持っていた天皇と自衛隊の最高指揮監督者である首相がトップ」というところぐらいか。大本営のように制服組は加わっていないし、除外されていた外務大臣が入っている。何より目的が違う。
「日本版NSC」を恐ろしいとする主張は理解できるが、「大本営」はかなりのミスリード。ついでにいうと大本営は「うまくいかなかった統帥機関」の代表格でもある。陸海軍統合とは名ばかりで、各自勝手に動き回り、そこがもう少しきちんとしていればあれほどの惨敗にはならなかったであろうと指摘されるほど組織として体をなしていなかった。
「手段」の特定秘密保護法案も当然のように日本共産党など左翼は批判する。ただそこに「アメリカとの軍事同盟反対」とか、護憲とか、「自衛隊は憲法違反だ」とか、果ては「原発反対」といったイデオロギーまで持ち込まれると、大半の国民が鼻白む。多くの国民は「日米同盟自体は問題はあっても重要」と考えているし、自衛隊が違憲かどうかともかく「必要な部隊だ」とは思っていよう。それらこれらを全否定するロジックに織り込む形で「特定秘密保護法案反対」とドヤ顔でいわれると「特定秘密保護法案だけには反対」という人(かなりいる)は困ってしまう。
いや、左翼は黙れといいたいのではない。思想信条は自由だから言いたい放題すればいい。日本共産党も、かつての派遣切り批判や今のブラック企業撲滅キャンペーンなど「いい仕事」もしているし、だからこそ先の選挙で党勢も回復できたのであろう。他の左翼も同じ。たまたまマスコミが特定秘密保護法案反対のキャンペーンを始めたからといって「キターー」とばかりに乗り出さないでほしい。そこに貴方がたの親友はいない。