東日本大震災:宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ

2013年11月21日

300人を超える住民が犠牲になった宮城県東松島市野蒜地区。全国から集まった青年僧侶約300人が巡礼、鎮魂の読経が海岸に響いた=2013年11月13日、小川昌宏撮影
300人を超える住民が犠牲になった宮城県東松島市野蒜地区。全国から集まった青年僧侶約300人が巡礼、鎮魂の読経が海岸に響いた=2013年11月13日、小川昌宏撮影

 漁業が盛んな沿岸は、海に出れば常に死と隣り合わせ。神社への尊崇の念は深い。福島県いわき市にある大國魂(おおくにたま)神社の御神輿(おみこし)保存会「豊間海友会」会長、鈴木利明さん(72)は、遠洋漁業の船乗りだった。「神社に手を合わせ、沖を3回まわってから漁場に出ていった」。元の自宅があった豊間地区では「まずは神社仏閣から」と、蓄えていた区費で2神社に鳥居を建てた。

 大國魂神社では、お潮採り神事を震災の年の5月に催した。だが、みこしは担げる状態ではなく、代表者が浜辺で神事だけ行った。「お正月が毎年やってくるように、年に1回の大事なお祭りをできるならやりましょうということ。何の不思議もありません」と山名隆弘宮司(71)。

 震災前、鈴木さんは民宿を経営して繁盛していた。「民宿がなくなり、今後のことを考えると夜中に目が覚め眠れなくなった。山名先生(宮司)がいろいろ引っ張り出してくれなかったら、裏の山で首つってたと思うよ」。忙しさに救われる。そんな人たちが周囲に大勢いる。

 豊かな港町だった岩手県山田町は、秋の例大祭ともなれば町中が盛り上がる。しかし、津波と火災の被害は大きかった。山田八幡宮、大杉神社などの宮司を兼ねる佐藤明徳さん(53)によると、氏子の中で半数を超える漁師が海から離れたという。津波に流された大杉神社では「祭りをやろう」との声が自然に上がり、11年から小規模に行ってきた。

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