東日本大震災:宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ

2013年11月21日

300人を超える住民が犠牲になった宮城県東松島市野蒜地区。全国から集まった青年僧侶約300人が巡礼、鎮魂の読経が海岸に響いた=2013年11月13日、小川昌宏撮影
300人を超える住民が犠牲になった宮城県東松島市野蒜地区。全国から集まった青年僧侶約300人が巡礼、鎮魂の読経が海岸に響いた=2013年11月13日、小川昌宏撮影

 同じく気仙沼の早馬(はやま)神社=梶原忠利宮司(73)=は浸水し、さらに階段を上った先にある小さな境内にある社で約20人が2日間暮らした。梶原さんは、ボランティアでも他宗派・他教団の支援でも、何でも受け入れた。集まった物資を一軒一軒配って歩いた。

 進んでいなかった自治体による宗教施設の避難所指定が、震災を機に増えたのも事実だ。稲場圭信・大阪大学准教授(43)が今年2月に実施した全国の自治体と宗教施設の災害協定の実態調査によると、協定を結んでいるのは43自治体で223施設。うち59・1%の132施設が震災後に締結されたものだった。さらに検討中の自治体は28あった。

 ◇徐々に新たな地縁

 早くも秋の虫の音がする8月25日、福島第1原発から西に約40キロに位置する、福島県三春町の臨済宗福聚(ふくじゅう)寺で毎月恒例の「坐禅(ざぜん)会」が開かれた。住職は作家でもある玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さん(57)。約40人の参加者の中に、三春町の仮設住宅に住む富岡町出身の斎藤泰助さん(84)と、湊谷(みなとや)克巳さん(66)がいた。

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