東日本大震災:宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ

2013年11月21日

300人を超える住民が犠牲になった宮城県東松島市野蒜地区。全国から集まった青年僧侶約300人が巡礼、鎮魂の読経が海岸に響いた=2013年11月13日、小川昌宏撮影
300人を超える住民が犠牲になった宮城県東松島市野蒜地区。全国から集まった青年僧侶約300人が巡礼、鎮魂の読経が海岸に響いた=2013年11月13日、小川昌宏撮影

 この梅花講を支える住職は「(田老地区では)200人近く亡くなっている。その死を前にベラベラしゃべれない」と、取材には応じてこなかった。しかし、数々のエピソードが住職の姿を物語る。例えば、被災者がまだ避難所にいた頃のことだ。首をつって死ぬという匿名の手紙が届いた。住職は避難所に乗り込み「これ書いたの誰だ? このばかやろうどもが。いつまでも被災者面して甘えてるんじゃねえ!」と怒鳴りつけた。帰ろうとすると檀家(だんか)の一人が寄ってきた。「人間関係がぐちゃぐちゃしてしょうがなかった。一喝してくれて助かった」と口にしたという。

 何と乱暴なと思うかもしれないが、日ごろの結びつきが強いからこそ、言えた言葉だったのだろう。「がっぷりつき合って普通に話ができるからな」とだけ、住職はつぶやいた。

 ◇避難所の機能も

 門を閉ざしたケースはあったものの、被災地で津波を免れた宗教施設は、避難所としても機能した。

 宮城県気仙沼市の曹洞宗清涼院=三浦光雄住職(66)=には、仮設住宅ができるまでの5カ月間、被災者らさまざまな人が出入りした。2年前に妻を亡くし、「ご愁傷さま」と周囲からいくら声をかけられても慰めにならないことを知っていた三浦さんは、ただ被災者に寄り添った。少し落ち着くと酒とつまみを用意して、ボランティアを交え夜通し話をした。そんな雰囲気の中からボランティア同士でゴールインする例も生まれた。

最新写真特集