この説を裏付けるかのように、「ホルモン」の語源が「放るもん」に由来しているという説がまことしやかに流布していたが、これは俗説だ。実際は、体の内分泌質を意味する医学用語「ホルモン」が転じ、滋養強壮のある食べものとして牛や豚の内臓を指すようになったとされている。
「ホルモン=放るもん」は否定されているものの、現在でもホルモン焼き起源説は根強く残っている。だが、この説を真っ向から否定する説もある。
『焼肉の文化史』(明石書店)、『焼肉の誕生』(雄山閣)を著した食文化史研究家の佐々木道雄は、明治以前から日本人は山間部を中心に鳥や猪などの肉を直火で焼いて食べていたこと、戦前から牛や豚の内臓を使ったモツ煮込みや、串に刺して焼いて食べるモツ焼きがあったことを、複数の文献をもとに指摘している。
また、1930年代には、当時ソウルで流行っていたカルビ焼きや、すき焼き風のプルコギなど「その場で焼いて食べる」形式が朝鮮からの移住者によって大阪の地に伝えられたと主張。戦後になって焼肉が誕生したという通説に異を唱えている。
2つの説を比較する限り、根拠が多く示されている佐々木説に説得力がある。
だが、朝鮮式の焼肉が移住者だけの間で食されていた可能性も捨てきれない。一般にはどの程度知られていたのだろうかと疑問に思っていたところ、その答えは、新聞記事を検索している最中にあっけなく見つかった。
1933(昭和8)年3月25日付の東京朝日新聞には、「趣味の朝鮮料理 風変りな牛肉料理」と題して、「焼肉と心臓」というレシピが紹介されている。
材料は、上等の牛肉、長ネギ、砂糖、醤油、ごま油、ごま、コショウ、鶏卵。軽く叩いた牛肉に、みじん切りの長ネギ、先の調味料を加えてよく混ぜる。強い火にかけた網の上でそれを広げて<手早く焼きながら熱いうちに食す>と記されている。鶏卵の使途については不明で、もしかしたらすき焼きのように焼いた肉につけて食べたのかもしれない。心臓はよく洗い、筋と脂身を除いてから同じように調理するように、とある。