■松浦忠(まつうらただし)プロフィール
1940年(昭和15年)1月24日、滝川市江部乙町で水田農家の6男として生まれる。
1956年滝川工業高校電気科を卒業し、国鉄入社。
国鉄北海道総局電気部で設計を担当。
1983年札幌市議会議員に初当選、現在6期目。
家族は妻・寛子と一男一女。現在は妻と二人暮らし。
初当選以来、「松浦忠の市政相談室」を設置し、市民のさまざまな相談に応じ、地域の諸問題解決に日々奔走している。
2011年政治団体「改革札幌」を結成。
札幌市白石区菊水上町在住。
■札幌市議会議員松浦忠の原点
遅れていた白石区の住環境整備

私、松浦忠が市議会議員に初当選した1983年当時、白石区は、歴史の古い菊水や菊水上町地区の再開発が進まず、道路や上下水道の整備が遅れ、平和通も途中で工事が中断したまま放置されていました。
旧国鉄函館本線以北の菊水元町、米里、北郷、川北、川下には続々と住宅建設が進んでいましたが水害も多発していました。
住環境整備の基本は、私道を市道にすることで舗装や上下水道、消火栓を整備し、冬季の除雪も市で行えるようにすることです。
しかし、大切な財産である道路用地を、市道のために無償で寄付していただくことは容易ではありません。
また、一本の道路を造るには何人もの地主さんの合意を取り付けなければならないのです。
「100回毎日来い」と言われて
私が最初に手がけたのは83年、菊水上町の故坂東守平氏の土地にある私道の市道移管でした。住民の方から、上下水道の整備の相談が寄せられたことから、地主の坂東氏のお宅に相談に参りました。
この地域は札幌市が橋本市長、原田市長、板垣市長と3代にわたって区画整理事業をおこなおうとしながら大地主の反対で断念させられていた地域でした。大地主の反対理由は、区画整備事業をおこなうと、土地を市に寄付をしなければならないからでした。
坂東氏は最初にこうおっしゃられました。
「他人様に、財産をくれと言われてハイという者はいない。100回、毎日来たら話を聞こう」
それ以来、私は、毎日、坂東さんのお宅を訪ねるのが日課になりました。
お茶を飲みながら、この地域の歴史や区画整理事業が断念された経緯など、この間にどれほど教わったことでしょう。ご近所のみなさまたちとも自然に知り合いになり、さまざまな相談をお受けすることになりました。
そんな日々がしばらく続き、まもなく4カ月になろうかという頃、坂東さんがおっしゃられました。
「道路の件だが、納得したから寄付するんじゃない。納得できないが、お前の熱意に負けたんだ」
私道2本分の土地を市に寄付していただく同意をいただき、この地域の住環境整備を一気に進めることができました。
土地を無償で寄付いただくには、どれだけ誠実にお願いでき、私自身が、将来にわたっておつきあいいただけるかを試されるものと心得させられました。
この経験は、私の市議会議員活動の原点になっています。以後、これまでに百本以上の市道移管を実現して住環境の基盤整備を実現することができたのです。
これは一例ですが、地元のみなさんの複雑に絡み合った利害関係を調整しない限り街づくりは進みません。
平和通り完全開通へ
特に、平和通は、旧国鉄引き込み線があって用地の取得が進まず、工事がストップしていました。
私、松浦忠は、用地の入り組んだ権利関係を整理し、地権者のみなさんのご協力をいただきました。平成16年には豊平川に平和橋も完成し、JR苗穂駅前で北3条通りとつながり、完全開通しました。
おかげさまで、道路舗装や歩道の整備、上下水道、消火栓の設置も進み、街並みは28年前とは見違えるほどになりました。
■札幌ドーム建設・プロ野球球団誘致を最初に提案
はじめは東札幌に建設予定だった

札幌市に全天候型多目的ドームを建設してプロ野球球団を誘致しようと、私、松浦忠が1987年3月に、札幌市で初めて具体的な提案をおこないました。
その内容は旧国鉄東札幌駅跡地に、120億円をかけた多目的ドームの建設し、周辺に公園や市営住宅を建設し、商店街を整備するというものです。JR菊水駅を新設し、そこからドームまでの道路を建設し、菊水、菊水上町地区も含む再開発事業も盛り込みました。
ドーム建設資金は、国のNTT株売却資金の貸し付けを利用できる目途もあって、当時の板垣市長も積極的で、東札幌地区での建設が決まる直前まで計画が進んでいました。
札幌市は第三次長期総合計画に盛り込みました。
自民党市議が反対
ところが、当時の白石区の自民党市議、故山田長吉氏、故鈴木伊佐夫氏らは、「東札幌にドームができたらゴミの山に悩まされる」と、建設反対を表明します。私は板垣市長から、「何とか山田議員を説得してほしい」とたのまれましたが、まだ2期目に入ったばかりの私には、とても長老の説得は無理、「それは市長さんがやってください」とやり取りしたものです。
共和事件とバブル崩壊で建設地変更に
そこに自民党阿部文男代議士が、札幌ドーム建設の資材納入に便宜を図る目的で鉄鋼メーカー・共和からワイロを受け取った「共和事件」が明るみに出ます。この計画は、札幌商工会議所に検討を付託する形で預けられ、その間にバブル崩壊もあって足踏みすることになってしまったのです。
その後、農林省の財政赤字解消策として月寒の農業試験場用地の売却が決まり、国の要請で市は用地購入を余儀なくされ、赤字の地下鉄増収対策もあって、市はドーム建設箇所をそこに決定してしまったのです。
このように東札幌でのドーム建設と再開発計画は、自民党市議らによる時代錯誤な反対運動と「共和汚職事件」で断ち切れになってしまったのです。これらの市の決定は私の落選期間中のことであり、たいへん残念です。
とはいえ、念願の札幌ドームは完成。サッカーワールドカップの試合会場になるとともに、プロ野球日本ハムの札幌移転も実現し、市民の夢が一つ実現しました。