「朴槿恵」大統領の父は「米軍慰安婦」管理者だった![大新聞が報じない「韓国」の馬脚]〈週刊新潮〉
Book Cafe 矢来町ぐるり 12月5日(木)11時57分配信
国家の安全保障上、あるいは財政上も重要な役割を担っていたとされる米軍慰安婦は、どのような生活を送っていたのか。
64年、22歳のときにその世界に足を踏み入れ、米軍慰安婦として25年間を過ごした金蓮子(キムヨンジャ)さんは、『基地村の女たち』という手記でこう綴っている。
〈基地村のホールで働く女たちは、みな政府が発行する検診証がないと営業できなかった。毎週一回ずつ、性病検査を依託された産婦人科医に行って検診を受けた。(略)その時は知るはずもなかった。「大韓民国は淪落[売春]行為が法で禁止されている国」だということを。数年後にその事実を知ってとても驚いたものだ〉
彼女たちは性病に罹っていると判定されると、モンキーハウスと名付けられた施設に収容された。
〈女たちは誰もがモンキーハウスでの生活を恐れた。ベッド、毛布、薬品、医者……、すべてが米製の収容所で、犯罪者扱いされながら、毎日米軍たちに股を開き、きれいな女かそうでないかを検査されるのは屈辱的なことだった〉
また、なによりも頭を悩ませたのは妊娠と堕胎だという。
〈病院に行くとお金がたくさんかかり、それがすべて自分の借金になるので、病院に行かず薬を飲んだ。生理不順に効く薬をたくさん飲むと子どもが下りるという噂があり、女たちはやたらとその薬を求めた。(略)薬を飲むと一晩中激しい腹痛に襲われる。冷や汗が出て、鋭い刃が休みなく下腹部をえぐるように痛かった。(略)どれほど血が出たかわからない。何日か血を下し続けると、こぶしのような塊が出てきた。(略)その後、私は気を失ってしまった〉
大勢の女性たちが悲惨な生活を余儀なくされた基地村は96年に公的管理ではなくなったものの、今なお存在している。
戦後、米軍占領下の日本でも、一般女性への性的被害を食い止める防波堤として、政府の管理・監督する『特殊慰安施設協会』(RAA)が立ち上げられた。しかし、ルーズベルト元大統領夫人の反対や性病の蔓延を理由に、わずか数カ月で廃止。それ以降、外国の軍人に、日本は国策として女性を差し出すようなマネはしていない。実際のところ、韓国の方こそ、看過できない慰安婦問題を抱えているのではないのか。
国際政治学者の中西輝政京都大学名誉教授は、
「朴槿恵大統領は、自分の父親が慰安所の管理者だった事実をひた隠しにしながら、執拗に日本叩きを繰り返した。偽善としか言いようのないダブルスタンダードな政治姿勢を、日本政府は公の場で追及すべきです」
日本的な悪しき態度であるだんまりが、国際社会での地位低下を招いているのは間違いない。
さらに、何かにつけて朴槿恵大統領が口にする“正しい歴史認識”という言葉に対し、疑問を呈するのは哲学者の適菜収氏だ。
「歴史の持つ性質を真に理解していれば軽々しくそんな言葉を言えないはずです。常に、歴史とは社会的状況や時代から逃れられない存在。なので、一方的に歴史認識を押し付けるのは、あまりに浅薄です。ましてや、歴史学の門外漢である政治家ならば、なおさら謙虚かつ慎重な判断に基づき、歴史を語らねばなりません」
安易に歴史認識を振りかざして相手を非難すれば、いずれ歴史に復讐されることになるのだ。
※「週刊新潮」2013年11月28日号
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最終更新:12月5日(木)15時22分
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