「漱石と京」光当てる 「會」設立、語り合い5年
9日は夏目漱石(1867~1916年)の命日。97年前に亡くなった文豪と京都との関わりに光を当て、作品を読み解く活動が続けられている。漱石研究家で茶道家の丹治伊津子さん(76)=京都市北区=が設立した「京都漱石の會(かい)」。隔月で読書会を開き、会報を年2回発行して5年になる。「近代の矛盾を見据えた作品は現代でも決して色あせていない」と丹治さんは話す。
「『虞美人草(ぐびじんそう)』は見事に観光小説である」。11月初旬に京都市内で開かれた京都漱石の會の例会で「『虞美人草』における京都 漱石の二都物語」と題して講演した東京大の小森陽一教授が語った。
「虞美人草」は京都と東京が舞台。登場人物が比叡山に登る場面から始まり、嵯峨・嵐山、天龍寺、保津川といった名勝が登場する。小森教授は「都でなくなった京都が近代化を進め、観光都市として生まれ変わろうとする姿を東京と対比して描いた」と指摘した。
例会であいさつした會の代表の丹治さんは、あらためて會を立ち上げた狙いを振り返り、「漱石が京都に来て、これだけの名作を残したことを多くの人に伝えたい」と話した。
虞美人草は漱石が東京帝国大講師を辞し、朝日新聞社に入社して「職業作家」として初めて世に出した作品だった。入社前に京都を訪れ、観光地を巡っており、その体験も生かされているとされる。
しかし、虞美人草はのちに一部の評論家から「失敗作」と評された。「『こころ』や『吾輩は猫である』が重要視され、彼が心血を注いだ虞美人草が、ゆかりの京都でもあまり知られていない」と丹治さんは残念がる。
會を07年末に立ち上げたのは、そんな思いも後押しした。発起人には、漱石の孫でオレゴン大名誉教授だった故松岡陽子マックレインさんが名を連ねた。
翌年から毎年春と秋に例会を開き、一線で活躍する漱石研究者を招いて講演会を開いている。これまでに作家の半藤一利さん、松岡さん、東大名誉教授の芳賀徹さんのほか、京都在住で著書に「漱石の京都」(平凡社)がある水川隆夫さんや和辻哲郎賞を受賞した末延芳晴さんらが漱石について語った。
また、隔月で佛教大で開いている読書会では研究者や市民が「夢十夜」や「永日小品」を朗読し合い、議論を重ねている。例会に合わせて発行する会報「虞美人草」は30ページ前後で毎回、研究者の論考や随筆を載せ、12号を数える。会員は京都だけでなく全国に広がり、115人に上る。
丹治さんは「京都体験が漱石の作品に大きな影響を与えている。彼の目線を通して、この街の在り方も考えていきたい」と話す。
【 2013年12月04日 21時30分 】