第18回 闘志について語るときに羽生の語ること
2013.12.04更新
王者の首に刃を突きつける奇襲だった。
将棋会館東京将棋記者会室のモニターが映し出す特別対局室の盤上には、見たこともない陣形が広がっている。隣にいた観戦記者は「なんだこれ」と驚いた後で「これは昼までに終わりますね」と言った。まだ11時前だ。対局開始から1時間も経っていない。
若手の登竜門である第44期新人王戦を制した都成竜馬三段が臨んだ記念対局。相手は羽生善治三冠だった。いわゆるエキシビジョンマッチである。非公式戦で、正式な記録としては残らない一局だが、少なくとも都成にとっては真剣勝負だったはずだ。羽生の胸を借り、自らの腕を試すことができるのだから。仮に白星を挙げれば、何より雄弁に実力を示す看板になり、己の背中を押す自信にもなる。天才たちが四段(プロ)昇段への切符をめぐって弱肉強食の死闘を繰り広げる三段リーグに持ち込む、最良の財産となるのだ。
独創的な指し回しはプロ間でも高い評価を受け、奨励会員として史上初の新人王となった23歳は横歩取りに誘導した。今年度、プロの実戦で最も頻出している戦型だが、都成はいきなり定跡を離れ、羽生の浮いた飛車を金で急襲する先制攻撃を仕掛けた。気がついてみると、先手の竜と銀が羽生陣の奥深くへと潜り込み、横利きの飛車が後手玉の退路を遮断するという、のっぴきならない展開に持ち込まれていた。
ただ、羽生は腰を据えて時間を使い、読みを入れた。そして昼食休憩明け、長考の末に放った△4六桂で一気に局面を打開する。前触れなく直接王手を掛ける一手は、王者が素知らぬ顔をして誘う罠だった。
都成が単純に▲同歩と応じた瞬間、勝負はひっくり返った。正着は玉を逃がす手順だった。羽生は敗勢の局面から、相手の一歩をたった1マスだけ動かしただけで、攻守の両輪を駆動させることに成功し、形勢を逆転してしまったのである。
午後4時過ぎ、何事もなかったかのように羽生は勝った。感想戦では、夢を追う途上にある都成を励ますような態度で語り掛けていた。終了後、特別対局室を出ると、私を見るなり「お待たせしました。ちょっと5分だけ待っていて下さいますか」と言った。
インタビューの時間をもらっていた。中村太地六段をフルセットの激闘の末に破った王座戦を振り返ってもらう趣旨だったが、まず「今日はすごい序盤戦だったみたいですね」と尋ねると、羽生は「いや~。横歩は怖いんですよ」と朗らかに笑った。しかし「あの形は珍しいんですか」と続けると、ふと真顔に戻る。「いや、実はかなり研究されている形なんですよ。あまり実戦には出てきてはいないのですが、研究としては進んでいると思います」。私が瞬時に思い浮かべたのは、一昔前に流行した「想定の範囲内」という言葉だった。
あの王座戦を通して、私がどうしても羽生に尋ねてみたかったのは、おかしな話だが、闘志についてだった。あれだけの死闘の渦中に在りながら、いわゆる闘志めいたものを目に見える形で羽生から感じ取ることはできなかったからだ。
彼は、過去の様々なインタビューで「実は将棋には闘争心はいらないと思っているんです。相手を打ち負かそうなんて気持ちは全然必要ないんですよ」といった趣旨の発言を度々している。今でもそう思うのか?とシンプルに尋ねたかった。勝負師に対し「闘志はあるのか」とは随分な質問であるが、羽生は答えてくれた。
「もちろん勝てば嬉しいし、負ければ悔しいということはあります。でも、長い年数やっているので、大舞台で特別な力が出るっていうことはないと思っていて、自分のできるかぎりのことに力を注ごうと思っているんです。切り替えはとても大事なことで、結果にかかわらず次に向かっていく姿勢は、どんなに実績があっても失ってはいけないことなんですよね」
常にフラットであるべき、闘志など持たずに平常心を貫くべき、というふうに解釈しようとした瞬間、羽生は「でも・・・」と続けた。
「達観とは言わないまでも、達観に近いような心境になることは必ずしもいいことばかりではない、というのも間違いないですよね。ある種の貪欲さというか、なんて言うんでしょうかねえ、ギラギラしたものをどこかの部分で持っていないといけないということはあると思います。ええ。際どい勝負をする時には、そういう気持ちの在りようは確かに大きいかなと思います。ロジックだけで説明できない部分はやはりあります。大山(康晴)先生や米長(邦雄)先生には、棋譜で見ると平凡であるはずの一手なのに、実戦ではすごい圧力感を受ける一手というものがありました。もちろん、どこまでが技術で、どこからが技術以外なのか線引きするのは難しいので、メソッドを作りづらいところではあるんですけど」
単純な回答ではないが、羽生は闘志を肯定していた。彼の中で少しずつ変容する何かがあるのかもしれないと思った。当然だ。変化しない人間など有り得ない。むしろ羽生は、常に新しい何かを模索しているから強いのではないか。
「過去と比べても今が最強なのか」
子どもじみた問い掛けには、こんなふうに語ってくれた。
「定跡が進みました、選択肢へのアプローチが増えました、という意味では今がいちばん方法論があると思います。七冠時代の自分と比較しても、ひとつの局面を見る能力は上がっていると思います。ただ、それがイコール棋力ではないというのが将棋の難しいところなんです。経験を積む難しさはあります。経験がプラスになるかどうかわかりませんし、むしろマイナスになったり足枷になったりもする。昔の自分のようには指せないんです。これをやったら咎められるとか、これをしてはいけないとか、やってみたらうまくいくような時でも考えてしまいますから。大切なのは、情報技術の発達とか今現在の外的な要因に対して、自分の持っているものをいかにうまく生かし切れるかということ。自分のスタイルや持ち味を、いかに使っていけるかということを常に考えていないといけないと思っています。だから、七冠時代の自分と7番勝負をやったら勝てるか、という意味では、やってみないとわからないというのが正直なところなんです」
時計を見ると、話を聞き始めて1時間が経とうとしていた。尋ねたいことの1%も尋ねていなかったが、切り上げ時だった。羽生は朝からずっと対局していたのだ。ただ、信じ難いことに、疲れた様子や話を終えようとする素振りを彼は一瞬たりとも私に見せなかった。むしろ、あと1時間でも2時間でも付き合ってくれるような態度で話をしてくれていた。
一緒に将棋会館を出る。辺りはもう真っ暗だ。ブラックのロングコートに身を包んだ羽生は「それではまた、どこかで。お疲れ様でした」と笑顔を残して、闇夜に溶けていった。
※取材後記の追記・・・羽生三冠、中村六段に王座戦5番勝負を回想してもらった文章を来年1月発売の月刊誌「将棋講座」に掲載していただきます。御一読いただければ幸いです。