ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
ちょっと時間が一気に進むよ

後、少しばかり直接的な表現があるから注意してね
第二章:二度目の奇跡をこの手に(金稼ぎ編)
第十二話:命知らずな大人たち
 

 さすがに、モンスターであることをそのまま館の皆に伝えるわけにもいかない。

 それを理解していたイシュタリアは、ナタリアを「私の従妹の知り合いの母親の双子の妹」という、隠す気があるのか無いのかよくわからない立場で、押し通すことにした。有り体に言えば、赤の他人である。
 幸いにも女性陣の反応は悪くなく、(これは、マリーが別に何も言わなかったからというのが大きい)ナタリアは末女として、受け入れられることとなった。
 サララも特別ナタリアの正体を言うことも無く、あくまで「マリーが決めたことだから」ということで何も言わなかったことも、理由の一つであったかもしれない。

 なにより、ナタリアのあんまりな『世間知らず』ぷりが可愛らしく、女たちはまるでお人形を可愛がるかのようにナタリアに接するようになっていた。
 なにせ、ありふれた食事であっても目を輝かせて満面の笑みを浮かべ、お風呂に入れてやれば幼子のようにニコニコと大人しいままなのだ。
 元々マリアに見込まれた女性たちだけあってか、ナタリアはものの見事に女性陣の母性をガッチリと掴んだのであった。そうなれば、両性具有であるとか、見た目とは裏腹の力とか、もう関係は無かった。可愛いは全てに勝るのだ。

 ……そして、月日が流れた。

 女たちは血豆を幾度となく潰し、毎日へとへとになりながらもひたすら農作業を続けた。途中、何度か弱音が零れることもあったが、彼女たちは毎日を一生懸命に働いた。
 龍成、トミー、クリストの三人も、いつの間にか作業員として数えられるようになっていた。マリーと対面した時にトミーとクリストが驚きのあまりに躓いて穴に落ちたのは、笑い話である。(ちなみに、トミーとクリストが変なイチャモンをつけようとしたが、素手で地面を抉っていくマリーを見て、すぐに考えを改めたらしい)

 庭中の土を掘り返して土を入れ替え、そこにモンスター(ナタリア)の血を巻いて、種を植える。そこからまた、毎日どころか毎時間ごとに土を入れ替えるという大変な日々が始まった。
 枯れてしまえばそれまで。それを防ぐために、皆で力を合わせた。交代で夜通し土壌肥沃装置を動かした。傷は治ったものの、失血のせいで館での安静を余儀なくされたサララも負けじと頑張ったおかげか、カチュの木は見る間に背を伸ばしていった。

 そして、一つ、また一つとカチュの木に『実』らしき物体が生り始めた頃……いよいよ集大成の結果が、目前へと迫っていた。


 明日には、最初の一個を伐採する。イシュタリアのその一言に、館の住人全員が期待と不安で夜を過ごしていた頃……自室の扉をノックする音に、マリーはむくりとベッドから身体を起こした。

「ついに分かったのじゃ!」
「お前、せめて返事を聞いてからにしろよ」

 誰だろうか、こんな時間に。ランプの明かりに照らされた天井を見つめていたマリーは、そう思って扉を開けようと思った。しかし、それをするよりも早く、扉を蹴破る様にしてイシュタリアが部屋に入ってきた。傍若無人にも程がある。

「ついに分かったのじゃ!」

 スタスタとベッド脇に立つと、えへん、とイシュタリアは胸を張った。ともすれば透けそうな程に薄いネグリジェを着ているせいだろうか。明かりに照らされたイシュタリアの身体のラインが、マリーの目にははっきりと映った。

「……分かった。分かったからその無い胸を張るのは止めろ。張ったところで胸なんてねえんだから、張るだけ無駄だ」

 辛辣と言っていい対応である。けれども、それを言うだけの原因を作った……というより、そうなった一端はイシュタリアの方である。それが分かっているからこそ、イシュタリアはそれには何も言わずに話を切り出した。

「ほれ、ちょっと前にお主がナタリアにケツを掘られたことがあったじゃろ?」
「おい馬鹿やめろ」

 温かみのある淡い光の中でも、はっきりと分かる程に青ざめたマリーは、慌てて布団を被って隠れた。一拍置いた後、にゅう、とマリーは顔だけを毛布の間から出した。

「その話は止めろというか、止めてくれ。やっと夢に出なくなってきたところなんだぞ……」

 キョロキョロと、マリーは気配を探ると共に、視線を辺りへ彷徨わせる。こういう話をしていると、決まってナタリアが熱い眼差しを向けてくるからである。
 見た目相応の、少女のように怖がっているマリーを見て、イシュタリアはけらけらと笑い声をあげた。

「なんじゃ、まだ気にしておったのか。お主も存外ケツの穴の小さいやつじゃな……あ、肉体的な意味ではないぞ?」
「お前、それで俺に気遣っているつもりなのか……や、止めろよ……ここ最近のアイツの視線が、本気で怖いんだぞ……」
「何をそこまで怯えておる。肝っ玉の小さいやつじゃな……あ、アッチは小指サイズじゃったな」
「ケンカ売っているなら、買うぞ……おい」
「冗談なのじゃ」

 プルプルと、毛布を小刻みに震わせるマリーを見て、イシュタリアは「まあ、そう言うてやるな」ポンポン、と布団越しにマリーを叩いた。

「幸いにも、あやつの精神は女で、性的嗜好も男相手に限定じゃぞ……女共が襲われなくて良かったと、ポジティブに考えてみるのはどうじゃ?」

 そういう問題では無い。

「お前、一人で風呂に入っていたら、顔を赤らめたあいつが獣の目で風呂に入って来た時の絶望感を想像できるか? 完全戦闘態勢のアレ見て、腰が抜けなかった自分をあの時は心の底から褒めてやりたかったぞ」
「安心せい。そういう時は、私が魔法術で防音してやるから、思う存分溜まっておるのを発散するのじゃ」
「ヤメテ! それだけは本当に止めて! あんなの何度もやられたら俺の心が死んじゃうから! 今だって、サララの眼差しが胸に苦しいっていうのに、これ以上俺に余計な心労を与えるのは止めてくれ!」

 マリーの怯えようも、まあ、仕方の無い事である。常人であれば間違いなくトラウマもの、そういった性癖の人でも心を痛めるであろう経験をしたのである。そのせいで、ナタリアが館に来てからの日々、マリーは一日たりとも満足な睡眠を取れていないのである。
 正直なところ、暗闇に紛れてぶっ殺してやろうと思ったのは一度や二度では無い。しかし、ナタリアを殺せば体液を手に入れる術が無くなるし、第一、ナタリアは既に館の住人達から受け入れられて、可愛がられている。現状、手が出せないのが実際の所である。

 スムーズに受け入れて貰えたのも、ナタリアが両性具有という異常性があったのも理由の一つなのかもしれない。親戚なのじゃ、としか言わないイシュタリアの説明に、何か色々と想像を働かせたのだろう。
 さぞ辛い人生を歩いて来たのね……と同情に涙を流す女性まで居る始末で、ますますマリーはナタリアに手を出せない状態だ。
 というよりも、出したくないというのがマリーの本音である。二人きりになった途端、潤んだ眼差しを向けられて色々困ってしまう。しかも、世間知らずではあるものの、文句ひとつ言わずに率先して雑用等をするし、何よりこの事態を招いたのは、マリーが選んだからに他ならない分、余計に、だ。

 万が一マリーが凶行に走ろうものなら、館の住人達はさぞ悲しむだろう。いや、それだけでは収まらないのは確実だ。最悪、その日から住人達はマリーを恐れるようになってしまうかもしれない……もしかしたら、サララもマリーを恐れるかもしれない。それは、マリーにとっても避けたいことである。
 ちなみに、イシュタリアを除けば、サララだけはマリーがナタリアによって……まあ、色々されちゃったことを知っている。別に隠していたわけでは無かったが、さすがにサララも慰めの言葉が出てこないのだろう。「名器ってことなんだよね?」というよく分からない慰めが、ある意味一番辛かったのはマリーだけの秘密である。

「そ、それで、本題は何だ? これ以上この話を引きずるとアイツが来るかも分からん」

 強引に話を戻す。元々イシュタリアもそれ以上マリーを茶化すつもりはないのか、イシュタリアは素直に受け入れた。

「以前、お主の血液を採取したことがあったのを覚えておるか?」
「……ああ、館に帰ってきてすぐにやったやつか?」

 言われて、マリーはあの後の事を思い出した。予想していたとおりに熱を出したサララを背負って館に帰った時、一時館の中は騒然となった。
 探究者であるからと思って最悪を覚悟していても、目の前で青ざめたサララを見て、平静を保てないのは当然であったのかもしれない。住人全員が心配そうにサララを見舞いする傍ら、ナタリアのことを紹介したり、成果を見せたりと色々している最中に、こっそりとそれは行われたのであった。

「何か病気でも見つかったのか?」

 そういえば目的を聞いていなかったなあ、と思い出しつつ尋ねると、イシュタリアは首を横に振った。

「いやいや、私は医者ではないからのう。そういうことは分からぬのじゃ」
「じゃあ、何を調べたんだ?」
「一言でいえば、魔力じゃな」
「……魔力?」

 興味を引かれたマリーは、のそりと毛布から体を出した。

「詳しい説明は言っても理解出来ぬと思うので省くが、一言でいえば、お主の魔力とナタリアの魔力が混ざり合っていることが分かったのじゃ」
「……ほう、それで?」
「それだけなのじゃ」

 ずるりと、マリーの肩から力が抜けた。拍子抜けもいい所である。冷たい眼差しを向けられることは分かっていたのか、イシュタリアは「いや、これだけでも凄いことなのじゃぞ」落ち着いた様子で弁明した。

「私も長年生きておるが、魔力が混ざり合うというのは今まで、ありえないこととされてきたことなのじゃ。そのありえないことが、今目の前にある……研究者が見れば、跳び上がらんばかりに興奮する話なのじゃぞ」
「ふーん、あっそ。それで、何か俺の身体に異常でも起こるのか?」
「それは分からぬ。なにせ、初めての事じゃからな。魔力は、問題なくコントロール出来ておるのか?」

 マリーは頷いた。

「それじゃったら、別に何かあるということは無いと思うのじゃ」
「……そうかい。それが分かれば十分だよ……俺はもう寝る。今日こそ朝までぐっすり眠りたいんだ」

 あっという間に興味を削がれたマリーは、話は終わりだと言わんばかりにイシュタリアへ背を向けると、横になった。いくら凄いことだと言われても、何かが変わるわけでも無いと分かれば、もうマリーにとってそれはどうでもいいことであった。

「……お主の事だから、なんとなくこういう流れになることは分かっていたのじゃ……しかし、もう少し反応するべきじゃと思うのじゃが……」
「何気なく手に取った自分のドレスが、白濁液でベトベトに汚されているようなことが無くなれば、俺ももう少し面白い反応をするだろうよ」

 そう言うと、「お休み……」マリーは後ろ手で明かりの強さを弱めると、静かに目を瞑った。静寂と共に訪れた暗闇の中、イシュタリアは……深々とため息を吐いた。

 しかし、それでもマリーが反応してくれないので、イシュタリアは諦めて部屋を出ると、後ろ手で扉を閉める。こつん、と扉に背中を預けた。
 エネルギー節約の為に照明が落とされた廊下は、もはや暗闇と言っていい。時刻も深夜と相まってか、どの部屋も静まり返っており、物音一つ聞こえてこない。
 無言のまま、イシュタリアは指を立てる。途端、イシュタリアの指の先に小さな光が灯った。周囲を照らすにはあまりにか弱い明かりであったが、今はこれでも十分であった。

(ツレナイ反応ねえ……まあ、無理も無いか。ダンジョンの情報について何か知っているのかと思っていたナタリアも、蓋を開けてみれば、私達とそう変わらないと分かれば、そうもなるわね……)

 魔法術の光に映し出された天井を見上げながら、イシュタリアはぼんやりと思考を巡らせる。
 単純に一言で言い表すのであれば、ナタリアの知識はたいして役に立たなかった。なにせ、自分が居た隠し部屋が、元々何層にあったかも把握していなかったのだ。嫌な予感を覚えたが、何もしないよりはマシだと思って質問を重ねたのだが……結果は案の定だ。

 なぜ、モンスターがダンジョンで繁栄しているのかも知らない。
 なぜ、アイテムがダンジョンの中にあるのかも知らない。
 なぜ、ダンジョンの中からエネルギーが手に入るのかも知らない。

 知らない、知らない、知らない……思いつく限りの疑問を尋ねたが、ナタリアの知っていたことは、マリーたち人間が知っていることとほとんど一緒であった。正直なところ、落胆の思いが無かったといえば嘘になる。
 戦闘面においては、地下六階のモンスターを片手間にぶち殺す申し分ないモノではあった。だが、マリーとイシュタリアが求めていたのはそれでは無い。
 マリーは肩を落としていたが、イシュタリアは、おそらくマリー以上に落胆したのかもしれない。

(分かったことと言えば、モンスターは誰に教えられたわけでも無く、階を移動出来ないことを知っていることと、階段に近づくと非常に嫌な気分になるということだけ……か。全てのモンスターがそうである保証は無いけど、やはり何かしらの理由があって地上には出てこられないのは確かなようね)

 なぜ、ナタリアが地上に出てこられたのか……いくつかの仮説を思いついているが、確信となる情報が無いので、全て保留にしている。
 とはいえ、全てが同じレベルの信頼性というわけではなく、数ある仮説の中でも、一番有力だとイシュタリアが思っているのは……ナタリアがマリーに行った性行為だ。
 ナタリア自身も、アレをやれば出られるようになると口にしていた。ということは、モンスターは地上の生物と繁殖行為を行えば、自由に地上とダンジョンを行き来できるようになるのだろうか?

 いや、違う。イシュタリアは内心、首を横に振った。

 おそらく、ソレではない……性行為というはあくまで結果を生み出す手段であって、それが目的では無い……そう、永久少女としてのイシュタリアが、否定する。

(……その後のマリーの状況から考えて、ナタリアが性行為に及んだ目的は、お互いの魔力を混ぜ合わせること。多分、それが目的だったのでしょうね)



 そこまで考えて、イシュタリアははっきりと苦笑した。

「とはいえ、さすがにアレは気の毒過ぎて笑えんのじゃ……」

 ナタリア自身は、おそらくそれの意味もアレの危険性も理解していないのだろう。もし理解しているのであれば、射精の快感に心奪われて抜かずの七連発なんて暴挙に出るはずが無い。
 初めての行為に溜まっていた何かが噴き出したのか、魔法術が無かったら、マリーの肛門は完全に破壊されていただろう。いや、それだけに留まらず、マリーは間違いなく命を落としていただろう。
 途中まで美少年(?)同士の絡み合いに目の保養と言わんばかりに鼻の下を伸ばしていたイシュタリアも、さすがにマリーの目から生気が消えかけたのを見て、慌てて止めに入ったぐらいだ。
 無理やり引きはがしたことで露わになったマリーのそこを見て、思わず背筋を震わせたのは、イシュタリアだけの秘密である。
 ……どれだけ酷い状態であったかと言えば、イシュタリアとしても、あれは流石に不味かったなあ……と思ってしまうぐらいの状態……と考えていただければ、だいたいの察しはつくだろうか。

「あれは成人した女であっても裂けるサイズじゃったからなあ……私がやっていたら、辺り一面が血の海になっていたじゃろうなあ」

 カリカリと頬を掻いて、ため息を吐く。幸いにも、ナタリアのそっちの興味は男にしか向いていない。ナタリア曰く『こんなの付いているけど、いちおう私は自分のことを女だと思っているのよ』ということらしいので、本質的には女なのだろう……マリーには気の毒としか言えないが、我慢してもらうより他あるまい。

(とはいえ、どうするかのう……ナタリアのやつも、かなり欲求不満になってきているようじゃしなあ……モンスターであるからなのかは分からぬが、欲求を別の方向に発散出来ていないようじゃし、何とかマリーを説得してみるか?)

 ……無理だ。イシュタリアはすぐにその考えを捨てた。

 マリーが受けた心の傷は治っていないし、無意識に防御反応を示している。このタイミングで再び行為に及ぼうものなら、今度こそ限界を超えたマリーによって、二人とも物理的にミンチにされるだろう。というか、それよりも前にサララが本気で二人を殺しに来るだろう。

(……今度、適当な男娼でも見つけてきて宛がってみようかのう……いや、駄目じゃな。あの小娘、覚えたての猿が如く自制が効かぬから、誰を宛がっても一晩で駄目にしてしまうじゃろうし……ううむ、参ったのじゃ)

 ガリガリと、イシュタリアは頭を掻く。そもそも、誰彼を宛がったところで、ナタリアが満足するのかは微妙なところだ。考えてみれば、極上を通り越して至高とも言っていいレベルの美しさを持つマリーが最初の相手なのだ。
 ナタリアからすれば、いくらそういう方面に手慣れた男娼と言えど、所詮はマリーよりも格下でしかないのだろうと思う。とりあえずの満足を得たとしても、二人目、三人目と数を重ねて行くにつれて、不満を抱くようになるだろう。

(むう……私が相手をしてやってもいいが、女相手ではピクリとも食指が動かぬようじゃしなあ)

 入浴自体は女性たちと一緒に入っているようだが、あの時以来、イシュタリアはいまだに女性を相手に起立したところを見ていない。上玉と言っていい館の女たちを前にしても、反応するどころか全く興味を示さないのだ。そこらの娼婦を連れてきたところで、何も出来なくて終わるのは目に見えていた。
 女性陣もそこらへんに関しては普通の人以上に分別があるので、気紛れでも手を出そうと考える人もいない。というか、あんな化け物サイズを味見しようとする命知らずという名の馬鹿は、この館にはいない。

(かといって薬で無理やり立たせるのも本末転倒というやつじゃし……いかんぞ、これではますますマリーが相手する他なくなってしまうのじゃ)

 イシュタリアとしても、せっかく地上へ連れてきたのだ。無知ではあるものの素直だし、文句ひとつ言わずに言うことを聞くこともあって、なかなかに気に入っていると言っても過言ではない相手だ。
 今はなんとか自力で発散しているようではあるが、禁忌の味を知った身だ。いずれ、我慢の限界に達するだろう。その時までに、何かしらの対策を考えておかねばならない。

(……兎にも角にも、アレを受け入れられることが可能な男娼を見つけてくるのが先決じゃな……まあ、顔は諦めてもらうとするかのう……というか、これで顔まで注文してきたらちんこ捻じ曲げてやるのじゃ)

 そこまで考えて、ふと、イシュタリアは廊下の向こうにある気配に目を向けた。常人であれば姿を確認することはおろか、気配すら感じ取れないぐらいに溶け込んだ暗闇の向こうへ……イシュタリアは、深々とため息を吐いた。

「やれやれ……」

 疲れたようにもう一度ため息を吐いたイシュタリアは、少しばかり気配のある方へと歩み寄った。とん、とん、と地面を叩く軽やかな足音が暗闇の廊下に響く……その足音が、ピタリと止まった。

「……ナタリア。そこで何をしておる?」

 じろりと、イシュタリアの眼差しが暗闇へと向けられる。しばしの後、ぬるりと音も無くナタリアが暗闇から顔を覗かせた。けれども、その視線は決してナタリアの方を向いておらず、明後日の方向へ向けられていた。

「…………」

 黙って見つめていても、ナタリアは何も答えない。こんな夜更けに、こんな場所をうろついている……トイレにしては、妙にバツが悪そうな顔だ。それを見て、イシュタリアは何となく理由を察した。
 スーッと、明かりがともされた指先を下げる。光に照らされたナタリアの姿……シャツとトランクスを内側から押し上げている膨らみを見て、イシュタリアは頭を押さえた。

「……我慢、出来なくなったのじゃな?」
「…………」

 ナタリアは何も言わなかった。けれども、ほんの僅かではあるが、頷いたのを、イシュタリアは見逃さなかった。

(何度見てもビッグサイズじゃのう)

 というか、膨らみの頂点に出来ているシミがいっそう濃くなったので、見逃すも見逃さないも無い。ビクビクと脈動している凶器を見る限り、本当に我慢の限界なのかもしれない。

「……ふむ」

 ごそごそと、イシュタリアはマリーの部屋に行く前に脱衣所にてくすねたソレを、ナタリアへ放った。ほとんど反射的にソレを受け取ったナタリアは、ソレを見た途端……興奮に、頬を赤らめた。

「今度、男娼館へ連れて行ってやろう。それまで我慢するのじゃ」
「……だん、しょうかん?」

 ふがふがとソレに鼻先を埋めていたナタリアが、顔をあげた。

「説明はその時にしてやるのじゃ。今は、外で好きなだけ発散してくるのじゃ」

 静かに、ナタリアは頷いた。『夜は静かに!』とマリアから厳命されているナタリアは、そのまま足音を殺して暗闇の彼方へと姿を消した。気配が、遠ざかっていくのを知覚したイシュタリアは……困ったように微笑んだ。

(残り香がある衣服、汗の浸み込んだシャツ、そして蒸れたパンツと来て……はてさて、いつまで誤魔化しが効くか分からんが、しばらくはマリーに我慢してもらうとするのじゃ)

 ふわあ、とイシュタリアは大きな欠伸を零した。





 翌朝のラビアン・ローズには、久しぶりとなる静かな朝が訪れていた。『実が熟す段階になれば、もう下手に刺激を与えぬ方が良い』というイシュタリアの指示があったからである。
 けれども、慣れとは不便なものだ。短い期間とはいえ、健康的な生活を送っていた女性陣は、誰しもが落ち着かない様子で何時もの時間に起床し、いつもよりも早めに朝食を取っていた。
 女性陣は、何も言わなかった。期待と不安で、確かめに行く勇気が持てなかったのだ。けれども、何時までも屋敷の中に引っ込んでいるわけにもいかない。
 館の中で一番遅くに起きてきたマリーの「カチュの実はどうなったんだ?」という発言があって、初めて女性陣は席を立つことが出来た。
 庭へ向かう途中も、ずっと、無言であった。けれども、誰も足を止めなかった。中には緊張のあまりに転ぶ人もいたが、歩調を合わせて外へと出た。

「――っ!? ちょっと、なんであなた達がここに居るの!?」

 そして、いくつもの実が生ったカチュの木……に心奪われるよりも前に、その傍にたむろしている幾人かの男女を見て、マリアが声を荒げた。一目で堅気の者ではないと分かる男たちと、そういった世界特有の空気を纏った女たちが、マリアの顔を見てげらげらと笑い声をあげた。
 訳が分からずに首を傾げるマリーたちをしり目に、男女の集団の中に居た一人の女性が……ニヤリと頬を歪めた。

「あら、早かったのね。もうちょっと寝坊してくれていれば、何事もなく終わっていたところなのに……運が悪いわね」
「何を……何をしようとしているの!? 答えなさい!」

 そう怒鳴られた女は……ひひひ、と歪に笑った。

「何って、決まっているじゃない。私だってここの元娼婦よ……分け前が有って当然でしょ?」

 その言葉と共に、男たちは一斉に刃物を抜いた。キラリと朝日に煌めく刃に、女性陣に緊張が走る……のを、横目で見ていたシャラは、ふと、自分たちを守るように前に出た四人に視線を移した。

 その四人とは、すなわちマリー、イシュタリア、ナタリア、サララの四人……その四人の方から、何かが切れる音を聞いたような気がしたシャラは……静かに、合掌した。
たぶん、次回で第二章完結


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。