第二章:二度目の奇跡をこの手に(金稼ぎ編)
第十話:薄皮で覆われた臓器なんだよ~隠し部屋Δ・M
ところ変わってダンジョン地下六階の隠し部屋。普段であれば人の気配は微塵も感じられないその場所は、爆音と土煙が舞い散る戦場となっていた。
土と魔力によって生まれた土人形『ゴーレム』は、ぱらぱらと体中から砂埃を振り撒いて、マリーへと迫る。目も、鼻も、口も無い、見た目だけは人の体を成したその数は、今や50を超えていた。
しかし、それらを持ってしても、マリーの元にたどり着く者は少ない。そして、たどり着いたゴーレムも瞬く間に粉砕されてしまい、イシュタリアが完全に優勢であるとは言い難い状況であった。
ひゅん、と空気を貫く一閃が、一体のゴーレムの頭を吹き飛ばす。ぱぁん、と辺り一面に土煙が舞うと同時に、頭部を失ったゴーレムが衝撃に耐えきれずに尻餅を付いた。
けれども、ゴーレムたちの動きは止まらない。のそり、のそり、一歩ずつ、ゴーレムは前へと進み、両手をマリーへと伸ばす。痛みも恐怖も無い無機質な彼らにとって、主であるイシュタリアの命令こそが全て。彼らは、イシュタリアの命令に付き従い、そして、また一体のゴーレムが砂塵をまき散らして崩れ落ちた。
ゴーレムたちの身体を通して、最前線の状況を確認していたイシュタリアは、予想通りの状況に舌打ちをする。次々に倒されていくゴーレムたちは、まるで自らギロチンに首を差しこむ狂人のようだ。
(……やはり、こう着状態になったか……予想はしていたが、消耗戦になったのじゃ……む、目が潰れたか)
視界いっぱいに迫った石つぶてによって、フッと視界が暗くなる。もう幾度目かとなる作業にため息を吐きながらも、イシュタリアは新たにゴーレムの一体に『目』を作り出した。
どうせいずれは破壊されるのがオチだが、マリーの姿を見失うのだけは避けたい。負けるつもりは毛頭ないが、近接戦に持ち込まれれば、分が悪いのはこちらの方なのだ。
(やれやれ、新しく『目』を作るのにも魔力は使うのじゃと言うのに、まったく……お嬢ちゃんは、まあ、遊ばれているようじゃな)
もう一つ。サキュバスへと向けていた目から、サララの状況も確認する……どうやら、サキュバスはサララを今すぐどうこうするつもりはないのか、サララに対して致命的な攻撃は行っていないようだ。
挑発を重ねながらも、放たれる攻撃のどれもが、サララの防御が間に合うギリギリのタイミングで繰り出されている。おかげで、サララはいまだ五体満足で鉄層を振り回しているのが見えた。
常人であれば、空間を切り裂く鉄槍の迫力に腰を抜かすであろうほどの、一振り。距離にして二十数メートルはあるというのに、びゅん、ぶん、と鉄層の風切り音が聞こえてくる。
直撃すれば必死。霞めても衝撃で身体を持っていかれるだろう。そういう攻撃を目と鼻の先で避けながら……サキュバスは、モンスターらしく、凄惨な笑みと共に歓声をあげた。
「あははは、ほらほらどうしたの? 私を倒すんじゃないの? そんなとろくさい動きで私を殺そうだなんて、何年掛かるのかしらねえ?」
――舐めるな!
屈辱に噛み締めた奥歯が、ギリリと音を立てる。「はぁ!」体全部と捻りを利用した反転切りが、ヒラリと避けられるのを見るや否や、慣性を利用した斜め上段からの振りおろし。
全力を込めた一撃は、放ったサララ自身でも止めることは叶わない。だというのに「やん、怖い」、サキュバスはそれすらもスルリと避ける。空打った槍は衝撃と共に地面に突き刺さった。
抜かなくては!
サララがそう動くよりも早く、サキュバスはサララの懐に滑り込む。いきなり視界を埋め尽くしたサキュバスに目を見開くサララを見て、サキュバスは、「頑張っちゃって、可愛いわよぅ」にんまりと笑顔を浮かべてサララに抱き着いた。
「な、なにを……」
「うふふ、いっぱい汗掻いているわね……ん」
「――っ、ひぃ!?」
ちゅう、と首筋に吸い付かれる感触に、サララはぞぞぞと鳥肌を立てる。あまつさえ、んん、と唾液で湿る生暖か舌が首筋を這う感触に……サララの嫌悪感は一気に振り切れた。
「――っ、ぬぅん!」
「やん、怒っちゃやぁよ」
湧き上がった怒りのままに振り回した斬撃も、サキュバスには届かない。ウィッチ・ローザの淡い明かりに煌めく刃は、空しく空を切り続けるだけで終わった。
(当たらない……ちくしょう! なんで当たらないのよ!)
焦りと、怒りと、苛立ちが、サララの胸中に広がり始める。イシュタリアの補助を受けて、いつもよりもずっと早く、ずっと重い一撃を繰り出しているはずだ。いつもよりも、ずっと強くなっているはずだ。
なのに、サキュバスには一撃も当らないどころか、かすりもしない。食いつこうと懸命に槍を振れば振る程、必死になればなる程、サキュバスはより早く、より挑発的に、サララの槍を掻い潜る。何もかもが、各上だ。
「はい、おかえし」
サララの手よりもいくらか小さい可愛らしい手が、ぼぐん、と鈍い音を立ててサララの腹部にめり込んだ。
「――っ!? んんん!!」
「おっと……へえ、今のを我慢するんだ。凄いわねぇ」
まるで、どでかいハンマーで腹を叩かれたような衝撃。ぐらりと視界が歪む苦痛を、痛みを覚える程に歯を食いしばって堪えて放った反撃も、笑顔と共に避けられた……そこで、限界が来た。
堪らず、サララの手から槍が零れ落ちる。けれども、サララは構わずその場に膝をつくと、げえ、と胃液を吐き出した。「やだ、汚い」サキュバスの嘲笑に屈辱を覚えながらも、二度、三度、それを止められない。
(ちくしょう……! ちくしょう……!)
涙で視界が潤み、酸欠で視界が歪む。震える指先が、どうにか槍を掴み取り、握りしめる。
大丈夫だ、まだ、折れてはいない。まだ、戦える。
再び、サララの闘志が燃え上がる。ズキズキと無視できない痛みを気合いで誤魔化して、槍を杖にして縋り付く……と。
「ほーら、大丈夫?」
そのタイミングを見計らっていたかのように、サキュバスはサララの背中を撫でた。それも、あくまでも優しく、どこまでもサララを労わっている手つきで。
「…………!」
悔しさに、カッと目の前が真っ赤になって、息が乱れる。けれども、侮るのであれば侮るがいいと、サララはあえてその手を受け入れた。
(とにかく、まずは気を練るんだ……)
静かに、呼吸を整える。胃液混じりのすえた臭いが鼻につくが、そんなことを言っている時ではない。吸っても吐いても痛む腹に、サララはゆっくりと気を送り込む。見てはいないが、内出血しているのは感覚で分かった。
(少しでも、痛みが取れれば……!)
プレートの上からでも痺れが残るサキュバスの一撃。ワイヤーサポーターがあるとはいえ、たたき込まれたダメージは内臓の奥深くまで浸透している。
ただでさえ攻撃が一つも当たっていない。ダメージを負った状態では、もはや当てることすら不可能になってしまう。
サキュバスの動きは俊敏だ。それでいて、一撃が重い。一発でもまともに食らえば、今の様に致命的なダメージを残してしまう。サキュバス自身が遊んでいてくれるからこそ、サララはこうして考える余裕があるのだ……サキュバスが本気になっていたら、とっくに殺されていただろう。
「大丈夫? ちょっと強くしすぎちゃったわね……ほら、痛くない、痛くない……」
無遠慮なサキュバスの指先が、熱を持った腹部を摩る。「――っ!」途端、火が点いたかのように視界が白く染まり、のた打ち回りたい程の痛みが込み上げてくる。
けれども、サララは堪えた。必死に息を整えて、少しでも痛みが薄まるように気を全身に巡らせながら、息も絶え絶えを装う。辛うじてではあるが、振り払う素振りも見せる。
途端、サキュバスの表情は喜色に染まる……のを、サララは気配で察した。それに伴って「もう、恥ずかしがらなくてもいいじゃない」撫でまわす指先が大胆に、それでいて乱雑になったのが分かった。
(……そうだ、それでいい)
稲妻のように走る激痛に堪えながらも、サララは俯いた内心で、笑みを浮かべる。これが、こいつの加虐心を満たすのだということは、この短い間で嫌という程理解している。
つまり、言い換えれば、こいつの欲望を満たしている間は、少しではあるが意識をこちらへと集中できる。その分だけ、イシュタリアに掛かる負担が少なくなると言うことだ。
(マリーが正気に戻ってさえくれれば……逆転出来る!)
その一点に全てを託したサララは、首筋を走るサキュバスの吐息に鳥肌を立てながらも、痛みと嫌悪感に黙って耐える選択を取った。
もちろん、サララの思惑を見逃すイシュタリアでは無かった。『目』を通して見ていた一部始終に、ぎらり、とイシュタリアの目つきが鋭くなった。
(よくやったのじゃ。そのチャンスは無駄にはせんぞ……次はいよいよ私の番なのじゃ!)
ちらりと、マリーの周囲を確認する。地面に点在していた石ころはほとんど見当たらず、残すところはマリーの手元にある数個の小さな石ころ、ただそれだけ。その内の一個も放たれて、ゴーレムの頭部を一部を砕いて、どこかへと飛んで行った。
……好機!
にやり、と意地の悪い笑みを浮かべると、イシュタリアは腕を振り上げる。イシュタリアの魔力によってハリボテの命を得たゴーレムたちは、のそり、のそりと行動を開始した。
(まずは、囲い込んで注意力を分散させるのじゃ)
くん、とイシュタリアが立てた指先に合わせて、地面から新たなゴーレムが、一斉に出現した。その数は50……出現位置は、マリーの背後と左右。つまり、マリーを囲い込む形となった。
ゴーレム同士の隙間をほとんど無くし、みっちりと距離を縮めていく。退路を断たれた形になったマリーは、正気の無い眼差しで周囲を見回すと、その場で迎撃態勢に移る。落ち着いた様子で、油断なく周囲を見回した。
攻めから一転して、守りに移った。たいていの人間であれば、多少なりとも警戒して行動速度を緩めたりするのだが……イシュタリアは、ニヤリと笑みを浮かべた。
サララがサキュバスを抑え、イシュタリアがマリーを抑える。そして、マリーの周辺から投てき用の石つぶてが無くなったのと同時に、全方位から押し潰して動きを封じる。
何もかもが、イシュタリアの思惑通りに動いていた。
(やはり、そうするか……これで、あの小娘に掛けられた命令がどんなものなのかは検討が付いたのじゃ)
しかし、それこそがイシュタリアの狙いであることなど、この時のマリーは気づかなかった……いや、気づけなかった。普段のマリーであったならば、真っ先に退路を確保しているはずなのだが、そうしなかった。その行動が、イシュタリアの予想を確信へと至らせた。
今のマリーにとって、退路を作るよりも前に、イシュタリアを仕留めるか足止めする方へ、優先度を高くしているということ。それはつまり、現在マリーの意識は完全に乗っ取られている状態であり、かつ、サキュバスの指揮下に置かれているということに他ならなかった。
本来、サキュバスは男を操る際、彼女たちが独自に習得している魔法術{チャーム}を使用して操る。だが、術の深度と言うべきか、この術にはいくつかの三段階あり、『対象者の意識がどの程度残されているか』で、どの程度サキュバスの制御下に置かれているかが分かるのだ。
まず、一段階が、単純に感情を操られている状態だ。そして、次に深い状態が意識を完全に乗っ取られた状態で、今のマリーはこの状態になっている。この二段階目こそが、付け入りやすい隙なのである。
意識を完全に乗っ取られているということは、言い換えれば気を失っている状態に近い。つまり、サキュバスの指令無くしては、立ち上がることはおろか、身体を起こすことすら出来ない状態であり……マリー自身が考えて行動しているわけではないのだ。
(ほほほほ……普段のあやつであれば非常に面倒じゃが、操られているのであれば、いくらでも手はあるのじゃ)
魔力コントロールをした状態で操られたのが原因なのか、微弱ではあるが、無意識化でコントロールは続いている。それは不運であるが、無意識化の制御だからだろうか、消費される量と比べて、供給される魔力の方が明らかに少ない。
先ほど投げた石つぶてが、ゴーレムの頭を完全に粉砕できなかったのが、その証拠。マリーの全身を巡っている魔力は、最初の頃よりも明らかに弱まっている。
今であったなら、ゴーレムで押し切ることが出来る。幸いにも、サキュバスはサララを弄ることに夢中のようで、マリーに対して注意を払っていないのは、『目』通して確認していた。
(ぬふふふ、多少は辛いじゃろうが、操られたお主が悪い。命が助かるだけ、感謝するのじゃ)
ふるり、ふるりとイシュタリアが腕を振るうたび、徐々にゴーレムとマリーの距離が縮まっていく。そして、その距離がいよいよ持って0へと近づいて行き……。
0になった、その瞬間。最も近くまで迫っていたゴーレムの頭部が弾け飛んだ。と、同時に、人間が出したモノとは思えない爆裂音が薄暗い室内に響いた。射程距離に入ったゴーレムへ、自動迎撃を行ったのだ。
(今じゃ!)
その好機を見逃すことなく、イシュタリアは地を蹴った。予め作って置いた隙間を掻い潜り、ぐるりと回ってマリーの背後に回り込む。イシュタリアの目の前には、ゴーレムたちによって両手足を封じ込まれたマリーの背中が映った。
(思った通り、振り払えないようじゃな)
イシュタリアは、静かに息を整える。小さな掌に魔力を練り上げて、止める。準備を終えたイシュタリアの目が……ギラリと、マリーの……股間を捉えた!
(操られた者の目を覚ますのは、古来より決まっておる……それは……気付けの一発なのじゃ!)
振りかぶった拳をそのままに、イシュタリアは一気に踏み込む。そして、見た目には分からないが、分かる人には腰を抜かすぐらいに精密なコントロールによって保たれた右手の魔力だけを、下から掬い上げる様にしてマリーへと叩き込んだ。
「目を覚ますのじゃあーーー!!」
ぱちん……打突音は、耳を済ませねば聞こえぬほどに小さかった。それもそのはず、イシュタリアの手は、触れるか触れないかのギリギリのところで寸止めされていたからだ。
しかし、外したわけではない。相手に一切の外傷を与えることなく、叩き込んだ威力の分だけの痛みを錯覚させる技。その一撃を受けたマリーは……不思議そうにキョトンとした様子であった。
「…………?」
無言のまま、マリーは股間に触れるギリギリの位置で止まっているイシュタリアの手を見つめる。その視線が、イシュタリアと手の間を行き来し……ピタリと、予告なく動きを止めた。
「…………」
カタカタと、目に見えてマリーの四肢が震えはじめる。血色がありながらも真っ白だった肌から、見る見るうちに玉の汗が噴き出し始める。それを見やったイシュタリアは、静かに腕を引く。
「…………!」
素早く、マリーは股間を両手で押さえた。けれども、その程度でどうにかなる問題では無く、徐々に脳がそれを認識していく。腹奥からせり上がってくる圧倒的な絶望に、マリーの顔色が青色を通り越して白色になる。
キョロキョロと助けを求めるマリーの目が、イシュタリアを見つける。けれども、イシュタリアは静かに首を横に振って……そのまま、マリーは崩れ落ちる様にして前のめりに膝をついた。
「――!!!」
顔を地面に押し付けたまま、マリーは声も無く呻く。びくん、びくん、と全身を痙攣させながら悶える様は、事情を知らぬ者から見れば、なんかエロい。けれども、事情を知っている者からすれば……イシュタリアのことを、悪魔と呼んだだろう。
「……しておいてなんじゃが、そんなに痛いものなのかのう?」
痛いなんて言葉では済まされない参事を引き起こしたうえでの、この発言。鬼畜の所業とはこのことで、マリーが正気であったなら、もはや全殺しでも済まされていなかったのは明白である。
「付いておらぬから分からぬが、お主でもコレは痛いのかのう?」
「……い、いま、だったら、世界の全てを呪って魔王になれる……」
「おお、もう気づいたのじゃ。さすがはお主じゃな……回復が早いのう」
くぐもった返事に、イシュタリアは蹲っているマリーの頭を、つんつん、突く。のそりと上半身を起こしたマリーの顔は……酷い有様であった。たいていの相手なら、思わず手を差し伸べてしまいそうな状態である。
「まあ、痛みはすぐに引く。所詮は錯覚させるだけの技じゃからな……ほれ、シャキッとするのじゃ。お嬢ちゃんがピンチなのじゃぞ!」
しかし、その程度で心動かされるイシュタリアでは無い……というか、心動かされていたらこんなことはしない。ぱちん、と指を鳴らして、周囲を囲んでいたゴーレムを全て土に返す。露わになった前方にいるサララとサキュバスを見やったイシュタリアは、ため息を吐いた。
「やれやれ、お嬢ちゃんも面倒なやつに気に入られたみたいじゃな……まあ、殺されないだけマシか」いまだ痛みが続いているマリーを無理やり引っ張り起こして「ふぐぅ!?」、肩を貸すと、さっさとサララへと歩き出した。
「お、お前は悪魔か……」
股間から走る痛みに瞳を潤ませたマリーが、ポツリと呟いた。
「女は生まれた時から悪魔なのじゃ。こういうとき、女は男よりもずっと非情じゃぞ」
「て、てめえも一度でいいからこの痛みを味わってみろ……」
「残念じゃが、私のそこには棒も玉もなく、あるのは穴だけじゃ。そういう痛みは来世までお預けじゃな」
のそのそと、二人はサララの元へと歩み寄る。ある程度距離が縮まって来るにつれて聞こえてきた声に、マリーは顔をあげた。マリーを馬鹿にしているようで、後ろから見えるサララの肩が震えているのが見えた。
「……とりあえず、俺のこの怒りをぶつける相手は、あいつでいいんだよな?」
「ぶつけるのは構わんが、程々にするのじゃぞ。殺してしまえば適当なやつを見つけねばならぬし、体液が取れなくなるのじゃ……ああ、後、一度{チャーム}に掛かったら、しばらくは同じ魔法術には掛からなくなるから、安心するのじゃ」
「おう……ちょっと行ってくる」
スルリとイシュタリアの肩から身体を離したマリーは、ゆっくりと二人の元へと歩み寄る。そして、その足はサキュバスの背後で止まった。
「おい、そこの糞女」
くるりと振り返ったサキュバスの目が、驚きによってまん丸に見開かれた。
「あら、あなた……へえ、術から抜け出せたのね。どうやったの?」
「股間への拳を一閃。男に生まれたことを心から後悔したぞ」
「あはは、なぁに、それぇ」
けらけらとサキュバスは笑い声をあげる。注意がマリーへと向いたことに気づいたサララは、覚束ない足取りでサキュバスから距離を取る……その身体を、イシュタリアが支えた。
「ほれ、お嬢ちゃん。ちょっと離れておくのじゃ」
そう言うと、イシュタリアは半ば引きずるようにしてサララを引っ張って行った。二人がある程度離れたのを確認したマリーは……胡乱げな眼差しをサキュバスへ向ける。
「半殺しにされる覚悟は出来ているんだろうなあ……おい。もう、お得意の{チャーム}は、俺には効かねえぞ」
ぱきぱきと、両手の関節が鳴る。直接の恨みをイシュタリアに晴らしたいが、元はと言えばサキュバスが原因だ。後でお仕置きしてやるとして、今のマリーの怒りは、目の前のモンスターに向けられた。
腹を抱えて笑っていたサキュバスも、それを察して静かに笑い声を止める。「なんだ、知っているんだぁ……つまらないの」ニヤリと、見た目不相応の凄惨な笑みを浮かべた。
「じゃあ、予定を変えましょう。あなたを死に掛けたアメーバみたいにした後、あの子の前で徹底的に犯して……私に隷属を誓って貰いましょうか」
ビキビキと、サキュバスの両手が変形する。少女らしい、小さくて可愛らしかった手が、瞬く間にケモノのように禍々しい形へと姿を変える。ものの数秒で、肉と骨を切り刻む狂気へと変わり果てた。
硬質化した指先の刃に、サキュバスはぺろりと舌を這わせた。
「うふふ、まずはどこから切り刻まれ――」
ずどん、と全身を軋ませる衝撃に、サキュバスの視界が明暗した。ぐるぐると視界が回転して、固い何かで半身が削られる。攻撃されたのだと、サキュバスが理解した時には、既に元居た場所から数メートル程転がった後であった。
「――っ!? ――っ!?」
全身を走る激痛に、サキュバスは血反吐を履いてのた打ち回る。焼きゴテで内側から焼かれたかのような感覚に、何が起こったのかを考えるよりも早く、その顔面にマリーの前蹴りが叩き込まれた。
「うーむ、人の身体とは縦に回転するものなのじゃな……あ、違った、モンスターじゃな」
ぐるぐると綿くずの様に宙を舞うサキュバスの姿を見て、イシュタリアはポツリと感想を零した。「見た目はそんなに変わらない」というサララの変なフォローを他所に、地面に叩きつけられたサキュバスは、奇声をあげて立ち上がった。
「――ごろず!」
つんと伸びた鼻は折れ曲がり、綺麗に生え揃っていた歯は数本を残して抜け落ちている。顔中泥だらけの鼻血まみれ、無残な有様になったサキュバスは、ブッと血を噴くと、すう、と息を吸う。小さな胸が、ぶくん、と倍近くまで膨れ上がった。
あ、やばい。そう思うよりも早く、マリーは横に飛んでいた。その直後、そこへサキュバスは破壊の力を解き放った。
{破壊の息吹}!
真空の刃と衝撃波が織り交ぜられた一吹きの突風が、地面を抉り、空間を切り裂いて、壁へとぶち当たる。人間どころか、建物すら一撃で瓦礫と化す破壊の風が、辺り一面に吹き荒れた。
「――っぶねえ! 今のは危なかった!」
まるで爆弾を投げ込まれたかのような惨状を振り返って、マリーは「おおう」冷や汗を拭った……と、同時にマリーは再びその場から跳んだ。
そこに、再び破壊の風が吹き荒れた。ぱらぱらと舞う土埃の中、まるでマーガリンのように削られていく地面を見て、頬を引き攣らせた。
「ぜえ、ぜえ、よ、避けるな、この女野郎!」
二連続の魔法術は堪えるのか、サキュバスは息を乱しながら罵声を浴びせる。そして、大きく息を吸うと、三度目となる破壊の息吹を放った。
「――っ、避けなかったら死ぬだろ、アホが!」
地面を石ころのように転がってそれも避けたマリーは、怒声をあげて立ち上がる。拾っていた石を振りかぶって――腹部に走った熱に、マリーは顔をしかめた。
「あはは、ばーか!」
「いっつぅ……つ、爪を飛ばすとか、どういう身体してんだよ!」
腹部に刺さった爪を一べつする。猛獣の牙がごとく鋭いそれは、威力こそそこまでではないのか、容易く抜けた。痛みと共に、滲む流血を手で押さえる。じわりと、掌が温かくなった。
(い、いてえなあ、おい!)
カッと怒りで痛みが和らぐ。感情のままにぶん投げると、「いっだぁ!」頭がおかしくなりそうな速度で放たれたそれが、サキュバスの腕に突き破った。
「――あ、あんた、どういう腕力で投げたらそうなるのよ!」
「知るか!」
「――っ!? はや――」
一瞬で距離を詰めたマリーの拳が、サキュバスの顔を捉えた。衝撃に歯を四本程飛ばしながら、ぎゅるんと身体を八回転させたサキュバスは、そのままぐらりと意識が混濁する。
「せい!」
放たれた正拳突きが、ずどんとサキュバスの身体をくの字に曲げる。
「オラァ!」
追撃のアッパーパンチが、それをクの形へと変えて。
「オラオラオラオラオラオラオラ!」
有無を言わさぬ拳のラッシュは、サキュバスを着地することも許さずに宙に留める。顔どころか全身に拳の痣を作った後……止めの後ろ回し蹴りに、サキュバスは悲鳴をあげることも出来ずに土埃を立てて地面を転がった。
スーッ、持てる怒りの全てを叩き込んだマリーは、大きく息を吸って、吐く。少し離れた所で、ボロ雑巾のように痛めつけられたサキュバスを見て……マリーは、満面の笑みで腕を振り上げた。
その手を武装していたナックル・サックが、ぽろりと砕け落ちたことに、スッキリした様子のマリーが気づいたのは少し後の事であった。
「……あれは、死んだかもしれんのじゃ」
せめて、サックだけでも外してやればよかったかのう。そう呟くイシュタリアの横で、「さすがはマリー、凄く格好いい」瞳を輝かせているサララの姿があった。
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