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なろうのデザインが変わったせいか、妙に使いにくいでござる




そう考えて、ふと思い返してみる




よくよく考えたら、前のデザインのときでも使いこなせていなかったでござる
第二章:二度目の奇跡をこの手に(金稼ぎ編)
第四話:地上階Δ~地下一階Δ・M
 地を駆ける。目の前にいた邪魔者を「退けぇ!」蹴飛ばす勢いで走り抜けたマリーは、そのままの勢いで地面を蹴って、跳んだ。

「――よいしょ!」

 ずしん、と腕に掛かる重みを、突き出した蹴りで地面を踏み抜くことで堪える。固く目を瞑り、縮こまっているサララを優しく抱き留めると、マリーは素早くその身体を適当な石にもたれさせた。
 サララの顔にこびり付いた土を、手で払う。じわりと垂れ始めた鼻血を指で拭うと、マリーはサララの胸を覆うプレートを外し始めた。
 遅れて、サララの後ろから追走するように飛んできた強化鉄槍が、二人の傍の地面に、深々と突き刺さった。後十数センチ横にずれていれば、串刺しになっていただろう初老の男が「ひぃい!」と声にならない悲鳴と共に尻餅をつく。もわあ、と男のズボンが、見る間に色濃くなっていった。
 しかし、マリーは男の様子を顧みることなく、プレートを外し終えると、全身の観察を行った。胸元に耳を付けると同時に、片手で呼吸を確認する。特別、不審な点が見当たらないことを確認したら、今度は触診を始めた。
 特に、体重がモロに掛かったであろう両腕と脇もしっかり触診する。ほんのりと、差し込んだ指先から湿り気が伝わってきたが、特別、腫れているわけでも出血している様子も見られない。土まみれになってはいるが、とりあえずは目立った負傷をしていないことが分かったマリーは、安堵のため息を吐いた。
 それにしても、とマリーは思う。イシュタリアから距離を取ろうと重心を落とした、あの一瞬。信じられないことに、コンマ何秒という、サララの意識がわずかに逸れた瞬間を、イシュタリアは狙ったのだ。

(まさか、サララの槍を掴んで放り投げるとは……見た目に反して、大した技量だ……とはいえ)

 マリーの体内に渦巻いていた魔力が、さらに膨れ上がった。精密さなど捨ててきたと思われても仕方がないレベルの、滅茶苦茶な魔力コントロール……けれども、怒りが、マリーの望む効果を生み出した。

(とはいえ……いきなりやりやがったのは、全く許せんなあ……!)

 ギリギリ、と噛み締めた歯が軋む。マリーの全身から放たれる、暴力的なまでの魔力の奔流が、もわっ、と砂埃を舞い上がらせた。

「――ゆるせん! 時間が無いからさっさとぶっ殺してやる!」
「ほほう、それは困るのう」

 背後から聞こえた声に、マリーは反射的に振り返る……と、同時に迫ってきた小さな拳が、マリーの頬を直撃した!

「うごっ!」

 凄まじい衝撃がマリーの全身を走ると同時に、ぎゅるん、とマリーの身体が回転する。その勢いは一回だけでは止まらず、一瞬の間に十数回程回転した後、サララのすぐ傍の地面を削りながら転がった。パラパラと、横たわったサララの身体に砂埃が降りかかった。

「うぐぇ!?」

 同時に、拳を振りぬいた体勢でいたイシュタリアの顔色が変わる。不敵な笑みを瞬時に青ざめさせたイシュタリアは、腹部を両手で押さえると、その場に膝をついて蹲った。ぐぉえ、と耳に障るうめき声をあげたと思ったら、その場にぼたぼたと胃液を吐き出した。
 独特の異臭を放つそれが、地面の奥へと沁み込んでいく。自然と丸まってしまう背筋を伸ばそうにも、制御が聞かない。激痛のあまり、内臓がひっくり返りそうで、イシュタリアは苦悶に顔を歪めた。

(――む、むう、あの一瞬で蹴りを撃ち込まれるとは……!)

 腹部から広がる痛みにイシュタリアは、ぜひ、ぜひ、と呼吸を乱す。腹部を貫かんばかりに放たれた一撃……受けた瞬間、腹に風穴が空いたかと錯覚した程の威力であった。寒気すら覚える内臓のぜん動に、冷や汗が次々と湧き出てくる。こみ上げてくる吐き気は、とうてい我慢できるレベルでは無い。
 早く、体勢を整えねば……そう思って呼吸を整えているイシュタリアの眼前に、さらりと影が落とされた。(あ、いかん)その影の主が誰なのかを理解したと同時に、イシュタリアは素早く両腕で顔を守る。
 直後、首が折れたかと思う程の強烈な衝撃と共に、イシュタリアの身体が宙を舞った。ぐるん、ととんぼ返りしたイシュタリアの背中に、マリーから放たれた鉱石が……雨あられと直撃した。

「そらそらぁ! そこらへんに転がっている鉱石の御味を、死ぬまで味わえぇ!」

 信じられない速度で投てきされた鉱石が、どかん、ばぐん、と音を立ててイシュタリアの肉体にぶち当たって、破裂する。ぐりん、ぐりん、と衝撃と同時に空中で何度も身体を反転させたイシュタリアは、散弾と化した石つぶてに押しやられるように地面を滑り転がっていく。その身体に、さらなる石つぶてが追い打ちされた。

「や、やべえ、逃げろ! 巻き込まれるぞ!」
「ちくしょう! 喧嘩なら地下でやりやがれ!」

 我関せずと言わんばかりに黙々と鉱石を掘っていた探究者たちが、二人の戦いを見て、取る物も取らずに次々とその場を離れて行く。実力が無いから地上階でチマチマ金稼ぎしている彼ら、彼女らにとって、巻き込まれれば最悪命を落としかねない戦いから逃げるのは、当然の行為であった。
 髪を後ろに纏めた若い女性が、鉱石を放り捨てて逃げて行く。腕に包帯を巻いた茶髪の男は、憎々しげにマリーたちをひと睨みしてから離れて行く。森林を思わせる緑色の長髪を風に靡かせた少女が、小走りに駆けて行く。普段は静かであった地上階は、瞬く間に阿鼻叫喚の空間へと変わり果てた。
 もわっと、舞い上がった砂埃が一気に視界を悪くする。とはいえ、若干の湿り気を含んだ土は、すぐさま地面へとパラパラと音を立てて落下する。ぜえ、ぜえ、と荒い息を吐くマリーの視線の先には、すっかり変わり果てた姿となったイシュタリアの背中が見えた。

「…………」

 じーっと、両手に持った鉱石をそのままに、マリーは黙ってその背中を見つめた。ボロ雑巾と化したイシュタリアの肌からは、夥しい量の血が噴き出しているのが見える。裂傷した傷口があるのか、白い肌に目立っている鮮血のぬめりを見て、マリーは……右手に持っていた鉱石を、イシュタリアへと投げた。
 ずどん、と音を立てて、イシュタリアの身体が転がった。露わになった顔は、もはや元の造形が分からぬ程に変形しており、アンニュイな美しさは、もうどこにもない。破れた衣服の隙間から見えるピンク色の頂点が、ぽつん、と顔を覗かせていた。
 マリーは、黙って左手に持っていた鉱石をイシュタリアへと投げる。直撃と同時に、再びごろごろとイシュタリアの身体が転がる。それを見つめたマリーは、素早く地面から新たな鉱石を拾うと、イシュタリアへと放った。
 ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん……。
 静寂な地上階の中で、砕かれた鉱石の破裂音だけが、響き渡る。一発、一発が腹の底まで浸みる程の爆音。固唾を呑んで見守っていた探究者たちの顔色が、先ほどとは別の意味で悪くなり始めた。

『お、おい、さすがにあれはもう死んでいるんじゃねえのか?』
『と、とっくの昔に死んでいると思うぞ』
『い、いくらなんでもしつこ過ぎませんか?』
『そ、それだけ恨み買ったんだろ……声は小さくしていろよ、目があったらこっちに来るかもわからんぞ』

 ぽつぽつと囁かれる畏怖交じりの話し声を他所に、マリーはひたすら必殺石つぶてを放ち続ける。おおよそ、20回程転がったあたりだろうか……足元から手ごろな鉱石が無くなったことに気づいたマリーは、深々とため息を吐いた。

『お、終わったのか? ようやく終わったのか? なんか俺、倒れているあの子がかわいそうで仕方が無かったんだが……』
『お、俺もそれには同意だ……しかし、すげえな。途中から倒れている子が背中を見せたきり、転がりすらしなくなったぞ。体の一部が、地面にめり込んでいるじゃねえのか?』
『あり得るぞ……ていうか、噂で聞いたブラッディ・マリーって、ここまで強いのかよ……もはや人間凶器……いや、もはや歩く殺戮兵器だろ、あれは』

 そんな会話が至る所から囁かれていたが、運が良いのか、不運なのか、マリーには聞こえていなかった。そして、探究者たちの視線を一身に浴びているマリーはというと、動かなくなったイシュタリアの背中を見つめていたと思ったら、キョロキョロと周囲を見回し始めた。

『……?』

 騒動の中心である3人を除いた全員が、内心で首を傾げる。何をしているのだろうかと、マリーの一挙一動を見つめる……ふと、マリーの視線が有る方向で止まった。

『……? なんだ?』

 いまいち真意が掴めない大衆を他所に、マリーはツカツカと視線の先……重さにして数十キロキログラムはありそうな、大きめの鉱石の前に立った。マリーの腰回り以上もあるそれに向かって、マリーはぞんざいに手を伸ばし……一息に、それを頭上に持ち上げた。ポロリと、石底にこびり付いていた土が零れ落ちた。

『――ぃぃいい!!??』

 奇しくも、全員の感情が一つとなった瞬間であった。既に死に体であるイシュタリアへ、ここにきて更なる追撃……というか、止め。鬼畜……まさしく、鬼畜の所業である。
 畏怖から驚愕へ、そして恐怖へと変わり始めた視線の中、マリーはそれを、なんと片手で持ち支えると、ググッと振りかぶる……ふと、マリーはそこで動きを止めた。

「……………」
『…………?』

 何かがあったのだろうか。様子を伺っている探究者たちをしり目に、マリーはパチパチと目を瞬かせた。来たるであろう恐るべき未来を前に、絶句していた探究者たちが、お互いの顔を見合わせる。
 はあ、とマリーはため息を吐いた。そして、目を細めて舌打ちした。

「……おい、いいかげん、その死んだふりを止めろ。でないと、これでお前をサンドイッチにするぞ」

 ポツリと、呟かれたマリーの言葉に、大衆たちは『はあ!?』と目を見開いた。何言っているんだ、こいつ。そう言いたげに困惑する大衆たちを他所に、死んだふりと言われた亡骸は……「なんじゃあ、バレとったのか」ごろりと、仰向けに転がった。

『――っ!? ――っ!?』

 もはや、大衆の驚きは限界を突破して、声すら出なくなる。けれども、気にも留めていない二人は、そのまま会話を始めた。

「やれやれ、驚くのは見物人ばかりか……もう少しは驚いてもらわんと、痛いのを我慢した意味が無くなるのじゃぞ。というかお主、ここは空気を読んで、色々気を利かせる場面じゃろうて」

 顎が砕けているのか、それとも舌を切ったのか。イシュタリアの声は、まるで年老いた婆のように枯れており、また、滑舌が悪かった。呼吸するだけでも想像を絶するほどの激痛があるはずなのだが、イシュタリアは気にした様子も無く、ふぇっへっへ、と奇妙な笑い声をあげた。

「知るか。いきなり連れをあんなふうにされりゃあ、誰だって頭に来るだろ……だいたい、やってきたのはお前の方から……ああ、そうじゃない。俺が聞きたいのは、それじゃない」

 マリーは気持ちを切り替える様に首を横に振った。

「てめえ、なんで“あのこと”を知っているんだ? アレは、サララにだって話していないことだぞ」

 怒気を孕んだ問いかけに、地面に横たわっていたイシュタリアは、ふてぶてしく笑みを浮かべる。片手の指で数えきれるぐらいにまで欠けた歯の間から、唾液交じりの血がどろりと噴き出すと、ブッ、とエナメル質交じりの鮮血を、吐き出す。スッ、と身体を起こすと、黒髪にこびり付いた土くれの塊が、ぽろぽろと零れ落ちた。

「ぬっふっふ……それを私が、そう簡単に教えると思うておるのか?」
「……………」

 にやり、と血みどろまみれの唇と、黒い目が弧を描く。押し黙るマリーを他所に、イシュタリアはもごもごと唇を擦り合せる……と、再び口を開いた。そこには、先ほどまで無かった歯が、キレイに生え揃っていた。

「――っ、……治癒系の魔法術か……呪文の詠唱もせずに、どうやって?」
「いひひ、乙女には色々秘密があるのじゃ……ほれ、折れた手足も、このとおり……」

 そうイシュタリアが言った直後、各関節が四つも増えていた両腕と両足が、耳障りな異音を立てる。むぐむぐと、袖の内側で何かが蠢いた……と思ったら、イシュタリアの手足がまっすぐに伸びた。謎の蠢きは手足だけに留まらず、服で隠された動体にまで及ぶ。破れた胸元の間から、皮膚が波打つように盛り上がっているのが見えた。

「さすがに、内臓の再生はしんどいのう」

 とん、とダメージをまるで感じさせない足取りで、軽やかにイシュタリアは立ち上がった。ぱんぱん、と袖やら何やらについた土を粗方払い終えると、その蠢きは初めから無かったかのように収まった。
 そして、最初の頃と服以外はほとんど変わりない状態にまで回復したイシュタリアは、にやぁ、と笑みを浮かべた。

「まあ、それも大した問題では――」

 顔を上げたイシュタリアが見た者は、視界全体を覆い尽くさん勢いで迫り来る、鉱石の弾丸であった。

「――っ!? ぬおおお!?」

 寸でのところで、イシュタリアはそれを横殴りの拳で弾いた。さすがに、回復し終えた状態で、対応できない彼女では無い。しかし、全く身構えしていなかったこともあって、直撃は避けたものの、イシュタリアは堪えきれずに後方へとゴロゴロと転がった。

「……仕留められなかったか」
「――こ、こりゃあ! お主、舌打ちしよったなあ! 不意打ちはいかんぞ! 不意打ちはあ!」

 振り投げた姿勢のまま悪態をつくマリーに、身体を起こしたイシュタリアが声を荒げた。怒りに顔を真っ赤にすると、ビシッとマリーを指差す。けれども、マリーはそれ以上に顔を赤らめると、怒声をあげた。

「最初に不意を突いたのはお前だろ! ていうか、結局お前はなんで知っているんだよ! ご託はいいからさっさと答えろ!」
「せこい不意打ちかますようなやつに、教えることは何も無いのじゃ!」

 ぶちり、と己の中で何かが切れる音を、マリーは聞いた……ような気がした。

「それじゃあ、お前何のために俺たちにちょっかいかけてきたんだよ! 俺もお前も、ただ殴りあっただけじゃねえか!」
「男が細かいことをグチグチグチうるさいのう! 話そうと思ったが、やっぱり止めじゃ! お主に話すことなど何もないのじゃ!」

 そう言うと、イシュタリアはそっぽを向いてしまった。なんというか、先ほどまであった、威厳というか、威圧的な雰囲気がまるで感じられない。ピンクの先端が露わになっているというのに、まるで気にする様子も見せない様は、むしろ年端もいかない子供のようにすら見えた。
 まあ、それは、マリーにも同じ……というわけでは無いのだが、どちらにしても、気づいていないのは当人たちばかりである。激怒したマリーによって、戦闘が再開したのは、それからすぐのことであった。






 どれくらい経ったのだろうか。フッと湧き上がった意識に、サララはそれを思考した。けれども、目を閉じ、意識を閉じたサララに、それを知る術は無かった。

(……あれ?)

 とはいえ、何時までもそのままでいるサララではない。サララの脳は、訪れない刺激を前に、危険が去ったことを認識すると、おそるおそる閉じていた瞼を開かせた。
 じん、と鈍い痛みが眼底に走る。よほど強く力を込めていたのだろう……見開いた視界は初めの内、水で出来た薄壁を一枚挟んだかのように滲んで、よく分からなかった。

「……おう、起きたか?」

 聞き覚えのある声……それは、サララが知っている声の中で、とても心に残っている声。それをはっきりと理解した瞬間、サララの視界は瞬く間に澄み渡った。

「……マリー?」
「ういーっす。マリーさんですよー……気分はどうだい?」

 サララの目の前には、マリーがいた。その後ろに、様子を伺うように顔を覗かせているイシュタリアの姿があり……直後、サララはグゥッと両手で地面を叩くと、その勢いを利用してイシュタリアへ手刀を繰り出した。

「よしよし、まあ、落ち着け」

 しかし、繰り出したその一撃は、守ろうとしたマリーの手によってあっさり止められた。「えっ?」困惑に目を見開くサララを他所に、マリーはクッ、と親指でイシュタリアを指差した。

「あのバカは俺がこれでもかと制裁をくれてやったから、とりあえずサララは一旦気を落ち着かせろ。全てあいつが原因だけど、とりあえず今は堪えろ。目の前のこいつは、まだ毎日お漏らししちゃう年頃の幼子が仕出かしたことだから……ぐらいに考えておけ」
「……は、はあ?」

 マリーの言っていることの半分も理解出来なかったが、とりあえずはマリーがそう言うのであれば、とサララは頷く。イシュタリアの胸元が一部露わになっているとか、気を失っている間に何があったのかなど、色々聞きたいことはあったが、とりあえずは黙っておくことにした。

「おいこら。お主、なに当たり前のように不名誉なことを教えておるのじゃ。寝しょんべんなんぞ、今では10日に一回ぐらいしかしておらんわ」

 えっ?
 まん丸に目を見開いたマリーは、驚いて振り返った。

「……冗談で言ったつもりなんだが、嘘だよな?」

 そう尋ねたマリーに返って来たのは……不思議そうに首を傾げるイシュタリアの姿であった。

「……? なんで私が嘘を言わねばならんのじゃ?」
「……………」

 呆れを多分に含む……というより、もはや呆れを通り越して白けてすらいるマリーと、状況を呑み込めず、ただただ困惑するサララを前に、「ああ、言いたいことは分かったぞ」と胸を張った。

「私が、ただ黙って漏らすままでいると思うか? そんなわけなかろう。私のはほとんど無色透明で臭いもほとんどしないという、特別仕様じゃぞ。そんじゃそこらのものと比べて貰っては困るのう」
(いや、誰もそんなこと尋ねていねえよ)

 その一言が、喉元まで出かかっていたが、マリーは寸でのところで堪えた。これ以上余計なことを話されては面倒だ。ただでさえ色々と面倒くさい状況なのに……。

「……って、マリー、顔の、それは?」

 いまいち要領を得ておらず、困惑の眼差しをマリーに向けていたサララが、それに気づいて飛び跳ねるように身体を起こした。マリーの頬にうっすらと残っている痣を見つけたからだ。サララは、それに向かって手を伸ばす。指先が、そっとそこへ触れると、「いちち、さすがに今触られると痛いぜ」ぴくん、と嫌がるようにマリーは少し顔を離した。
 瞬間、サララの顔色が変わる。「おおう、若いやつは動きが違うのう」と一人暢気にしているイシュタリアを、睨みつけた。その迫力ときたら凄まじいもので、遠目から様子を伺っていた他の探究者たちが、悲鳴と共に腰を抜かすぐらいであった。

 ――ぶっ殺す!

 体内の奥深くに疼いていた痛みが、その瞬間、消え去る。己でも制御出来ない程に瞬時に沸き立った激情が、サララの身体を突き動かした――!

「だから、落ち着けと言っているだろうに」

 けれども、その怒りがイシュタリアへ向かうことは無かった。サララが行動に移るよりも前に、マリーが素早くサララの前を通せんぼすると、素早くその胸に抱き着いたからであった。

「――っ、え、あ、あの、マリー!?」

 怒りに我を忘れかけたとはいえ、さすがに抱き着かれれば気は逸れる。その時、サララは今更ながらに、胸を覆っていたプレートが外されていることに思い至った。もしかしてマリーが外したのか、とサララの思考がそこに行き着くと同時に、マリーはスリスリと、猫のように顔をそこへ擦りつけた。

「いやあ、怪我が無くて良かったー最悪ショックで心停止でもしていたらー命が危なかったけどーとりあえずは無事のようで一安心だー」
「……え、あ、マリーが、手当、してくれたの?」

 ぐりぐりとこすり付けられるマリーの頭を、サララは反射的に抱きしめる。色々と思考が混乱しすぎて、もはや何をしていいのかが分からなかった。

「特に傷とかはないぞーでも服の上からじゃあ分かりにくいからーこうして傷があるのを確かめているんだー決してー他意はないぞー」
「え、あ、う、うん、ありがとう」
(あれ、確かめるんだったら、手で触った方が早いような気が……)

 そんなことを考えながら、ぐりぐりと胸元にこすり付けられるマリーの頭をそっと抱きしめる。そのまま時間にして、十数秒ぐらいだろうか。「ふう、怪我が無くて安心だぜ」と妙に満ち足りた様子で顔をあげたマリーは、そう言ってサララから離れた。
 さすがに、もう尋ねても良い頃だろう。そう思って唇を開いた瞬間、眼前ににゅう、と差し出されたプレートに、思わずサララは仰け反る。チラリとプレートを掴んでいる腕へと視線を向けると、ニヤリと笑みを浮かべたイシュタリアと目が合った。

「ほれ、お嬢ちゃんのプレートじゃ」
「……お礼は、言わない」
「もとより、期待しておらん」

 強奪するようにイシュタリアの手からプレートを奪い取ると、サララは一つ息を吐いて、立ち上がる。先ほどは気づかなかったが、己の真後ろに置かれた強化鉄槍を見て安堵したサララは、プレートを装備し始めた。

「……ところでマリー。いいかげん、何があったのか事情を説明してほしい。そろそろ、私の我慢も限界なのだけど」

 その言葉と共に、サララはジト目でマリーを見つめる。「ん、ああ、まあ、落ち着いたみたいだし、もういいか」さすがに、これ以上話を先延ばしするつもりは無い。マリーはあっさりと頷くと、イシュタリアを指差した。

「この不意打ちかましてきた女の名前は、イシュタリアって言って……あ、名前は憶えているか?」

 サララは、頷いた。

「確か、イシュタリア・フェロクス・ブーマンだった気がする……合ってる?」
「ああ、それで合ってるよ。それで、そのイシュタリアなんだが、目的はただの『興味本位』だってよ。サララが目覚めるまでサンドバッグにしてやったら、やっと吐きやがった……」
(結局、なんで“あのこと”を知っているのか言わなかったなあ……本当は何が目的なのやら)

 その言葉を、マリーは唾と一緒に飲み込む。別段、そのことが他所に漏らされたところで、何かがどうなることは無い。それはマリー自身、理解していた。
 しかし、理解していても、どうしてもマリーは他者にそれを知られているという事実が我慢ならなかった。マリーにとって、あのときの出来事は……いや、もはや痕跡すら、耳にも、目にも、入れたくなかったのだ。
 ある程度冷静になった今、マリーは己の中にある……心の奥底にへばりついている感情に、驚いている。それに意識を向けようとするたび、何か、黒くて巨大な何かが顔を覗かせる……それが、マリーには嫌で堪らなかった。
 だから、全力で殺そうとした。サララが攻撃されたことに怒りを覚えたのも事実だが、それ以上にマリーは、あの一瞬、イシュタリアが憎くて仕方が無かった。不思議なほどに憎しみが湧いたから、徹底的なまでの追い打ちをかけた。
 ……まあ、イシュタリアの再生能力とも言うべき魔法術の力によって、結局仕留めることは出来なかったのは、誤算ではあった。あの瞬間、我を忘れる程に湧き上がった憎しみは、今は全く感じられない。マリーは、己の感情がよく分からない。
 言い合いを終えた後、『しかし、喧嘩を売るかの様な、ちょっかいをかけたのは悪かったのじゃ』という、イシュタリアからの一方的な謝罪を受けた。その際、イシュタリアから慰謝料と治療費として受け取った額がそれなりだったからなのか、『まあ、サララも怪我は無かったし、金さえ払ってくれるならいいかな』で済ませたのは、そういった感情の揺れ幅があったからなのかもしれない。

(……ええい、考えたところで意味はねえ。こういうことは、さっさと忘れるに限るぜ。サララに言わなくちゃあならんことがあるしな)

 しかし、結局のところ、マリーは内心に決着を付けて、一つ、頭を軽く振ってから顔をあげた。

「……色々思うところはあるだろうけど、俺の顔に免じて、今回は許してやってくれねえか?」
「……理由を、聞きたい」

 マリーのその言葉に、サララは目を細めた。今さっき目覚めたばかりのサララにとって、イシュタリアと名乗る女性は信用に値する人物ではない。マリーが許してくれと言うのならば、許してやろうという気持ちにはなるが、だからといって、理由も無しに、ということではないのだ。
 当然と言えば、当然のサララの反応に、マリーは頷くと、背中のビッグ・ポケットを手前に持ってきて、ごそごそと中身を漁る。首を傾げるサララの前に、重量感のある大きな袋を掲げた。

「迷惑料として、現金をかなり貰ったから」
「それなら、許す」
「よし、それじゃあ、話を戻すぞ」
「うん」
「……ん、素通りしかけたが、ちょっと待つのじゃ。先ほどもそうじゃが、お主はなぜそうやってデタラメを教えるのじゃ。私の名前は、イシュタリア・フェペランクス・ホーマンじゃぞ」

 1人マイペースなイシュタリアは、訂正の言葉を述べた。しかし、マリーはもちろん、サララも、全く聞こえなかったかのように話を進めた。彼らもまた、マイペースなのだ。

「……それで、こっからが本題なんだが……」
「なに?」
「こいつが、あの『時を渡り歩く魔女』らしい。聞いてもいないのに漏らすことをカミングアウトするようなやつだが、どうも、嘘ではないみたいだ」

 時を渡り歩く魔女。その名は、一種の都市伝説になっている名前である。曰く、魔法術を極めた者。曰く、存在している全ての魔法術を扱える……ダンジョンに関わる仕事をやっていれば、どこかで耳にする名前である。

「なんか含みのある言い方じゃのう。これでもお主らの十倍は生きているのじゃぞ。少しは人生の先輩に対する口の聞き方をじゃな……」
「時を渡り歩く……魔女?」

 しかし、サララは探究者となって、日が浅いし、シャラからもそういった話を聞いたことが無い。聞き慣れない単語に首を傾げたサララに、マリーは、ああ、話していなかったか、と頷いた。

「魔法術の天才と言われている人で、魔法術の力で寿命を延ばしているという、一種の伝説みたいな存在になっている魔法術士のことさ。嘘か真か、実年齢は数百歳に達するとか何とか……まあ、色々な逸話がある人物だよ」
「はあ……?」

 こいつが、と言いたげにサララはイシュタリアを横目で見やった。

「とりあえずは、色々物知りで魔法術に精通していて、凄い糞ババアだと思っていたらいいぞ」
「いや、その纏め方は、あんまりじゃと思うのう!? 少しぐらい悪意を隠してくれたっていいと思うのじゃが!?」

 さすがに黙っていられなかったイシュタリアが声をあげる。

「分かった。さっきはありがとう、糞ババア」
「お嬢ちゃんもあっさり納得するでない! い、いや、私の不用意な行動の結果だから、甘んじて受け入れるつもりじゃが……そ、そこはせめてお婆ちゃんじゃろ!? せめてお婆ちゃんぐらいに留めて貰えんか!?」

 けれども、その声は当たり前のように無視された。イシュタリアの怒声と懇願の悲鳴が、ダンジョン地上階に響く。キンキンと響き渡るその声に……耳を澄ませていた探究者たちは、一様に顔をしかめた。
 すっかり忘れ去れているだろうが、ここはまだダンジョンの中である。いくら地上階が広々としているとはいえ、大声を出せば、そのいくらかは反響する。特に、イシュタリアの声は見た目よりはいくらか落ち着いた声ではあるが、それでも一般の成人女性よりもいくらか声が高い。イシュタリアの声は、鬱陶しく思える程に、地上階の隅から隅まで届く。
 その時、地上階にて作業を再開していた探究者たちの心が一つとなった。

『……う、うるせぇ……!』

 騒動もひとまずは静まり、避難していた探究者たちは鉱石取りを再開している。けれども、警戒をしないわけにはいかないので、意識だけはある程度そちらへ向けていた。
 そこに来て、この声。顔の一つや二つ、しかめても仕方が無かった。当然ではあるが、彼等、彼女らも、遊びでそんなことをしているわけではない。目的こそ違うものの、皆が皆、金が欲しくてやっている。
 中には……というより半分以上が、生活費を得る為に採掘作業を行っているのだ。しかも、今日は邪魔者のせいで、いつもよりも稼ぎが少ない。そうなると、今後の予定を変えなければならなくなる。
 彼ら、彼女らからすれば『いいかげんにしてくれ!』というのが正直な気持ちなのであった。まあ、それを言葉にする度胸と自殺志願のある探究者は、今の所一人もいなかったのが、せめてもの救いである。

「私の記憶が正しければ、この女がマリーに近づいたと同時に、マリーが反撃したように見えた。あの時、何があったの?」
「――ああ、見ていたのか」

 そうサララが何気なく尋ねた……瞬間、マリーの表情が強張るのを、サララは見逃さなかった。(しまった!)とサララが己の発言を悔いる。今しがたの発言を自ら訂正するべきか否か……判断に悩むサララを他所に、マリーはハッと表情を引き締める。次いで、苛立ち紛れに頭をがりがりと掻きむしると、苦笑した。

「ん~……正直、俺の事だけれども、俺の口からは言い難い……というより、言いたくない。それが今、俺が答えられる精一杯の答え……で、納得してくれるか?」
「おお、無視か、無視じゃな。ここまで露骨な無視をされるとは……これは、あれじゃな、苛めて興奮するサディストとかいうやつじゃろ?」

 サララは、深々と頷いた。

「うん、それで十分……それと、ごめんなさい」
「なんで、サララが謝るんだよ」

 さらに苦味を強めたマリーの笑みを見て、サララはそっと目線を逸らす。ふと、サララはマリーのことをあまり知らないことに思い至る。同時に、サララは己の事を……マリーに話していない沢山のことがあることに、改めて気づいた。
 いつか、話して貰える日が来るのだろうか。そんなことを、ふと考えたサララは、静かに首を横に振った。

(今は、まだ考えるときじゃない。今は、当初の目的を果たさないと……)

 くるりとマリーに背を向けて、サララは地面に転がっていた強化鉄槍を手に取る。ずしりと肩に圧し掛かる重みに安心感を覚えつつ、ふわりとそれを肩に担ぐと、マリーへと振り返った。

「行こう、マリー。無駄な時間を費やした」
「……そうだな。早く行って早く帰らないと、夕飯に遅れちまうな」

 顔をあげたマリーは、ハッとした様子で目を見開いた。視線の先にある、滅多に見られないサララの満面の笑みを見て……マリーは、ふてぶてしく笑みを返した。
 ふわさ、とマリーは己の銀白色の髪を掻き上げる。パラパラと髪に絡み付いていた土埃が、黒い雨がごとく零れ落ちる。舞い上がった髪が、ウィッチ・ローザの光を受けて、優しくきらめいた。

「行くか」
「うん」

 淡々と、それでいて力強いサララの返事に、マリーはくくく、と笑い声をあげると、地下一階へと続く階段へと歩き出した。その後ろを、サララが笑顔と共に追いかけた。


 ―――――地下一階―――――


 ……マリーとサララが許したのは、あくまで二人に対して行った行為だけである。それは、イシュタリアが支払った迷惑料でチャラにした。しかし、その後の同行を許可した覚えも無ければ、誘ったわけでもない。
 背後から漂ってくる、何とも言えない視線を感じつつも、マリーとサララは時折雑談を交えながら、襲い掛かってくるモンスターを返り討ちにした。途中、わざとらしい悲鳴が背後から上がったが、それは無視した。演技であることは、とっくの昔に分かっているのだ。
 そして、二人が1人の邪魔者を引き攣れながら、地下一階の中を歩き回ること、しばらく。猫なで声やらわざとらしい喘ぎ声やらで、そろそろマリーの堪忍袋が切れかけそうになった頃。背後から聞こえてきた本気のすすり泣きに、二人は見計らったかのようにピタリと足を止めた。

「……無視されっぱなしでいるのも悲しくなってくるのじゃが……そろそろ、相手してやってもいいと思える頃じゃないのかえ?」
「……黙れ、糞ババア。元はと言えば、すべてはてめえが蒔いた種だろうが……というか、お前なんで付いてきているんだよ? さっさと家に帰って、せっせと若作りに励んでいろよ」

 さすがに、トボトボとずっと後をついてくるイシュタリアに堪えきれず、マリーは振り返って声を荒げた。サララも同じ気持ちであったのか、イシュタリアを見つめる視線は冷たいを通り越して、凍りつきそうな程であった。
 けれども、その程度で気後れするイシュタリアではない。というより、気後れする性格であれば、初対面の相手にいきなりあんなことはしないだろう。
 今まで流していた涙が嘘だったかのように、目じりに浮かんだ涙を男らしく拭うと、にやにやと気持ち悪い笑みを浮かべた。

「気分転換したくて暇なんじゃよ。ちょっと一緒に行動するぐらい良いではないか。男はどーんと構えて受け止めるべきじゃぞ」
「元凶が何をほざく」

 ポツリと呟かれたサララの一言は、見事なぐらいにイシュタリアの耳を素通りした。

「私も、最近は研究に行き詰っていてのう……渡りに船とは、このことを言うのかもしれんのう」

 改めて、面倒なやつだと、マリーは痛感した。

「見た所、お主らは二人じゃろ? ここで魔法術に精通した私が加入することで、探究がグッと楽になるぞ」
「間に合っているから、いらん」
「照れるでない。『時を渡り歩く魔女』と敬われる私が加入するとなって、多少は気後れするのも分かる。じゃが、お主らならば、いずれは私の名に恥じぬ存在になろうぞ」
「いや、人の話聞けよ!」

 再び始まろうとする二人の掛け合いを横目に見やりながら、サララは思った。

(……これは、結局最後まで付いてくるような気がする)

 そう、サララが予感した通り、結局イシュタリアはその日はずっと二人の後をついて回った。サララの絶対零度の視線にも、マリーの罵倒にもめげることなく……。
さすがにダンジョンの中ではエロを入れにくいでござる


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