トーニャ・ハーディングの思い出 ぼっち&びっちと同じ負の遺産
2013.11.18(Mon)
ナンシー・ケリガン襲撃事件で悪名をとどろかせ、フィギュアスケートから永久追放されたトーニャ・ハーディングについて、ミキムチとからめて書こうと思ったんだけど、重たすぎるわね。ためいきが出るわ。止まらないわ。
ハーディングは練習では4回転ループも決めているし、当時の「優雅に踊っていればいい」女子シングルにアスレティックでスポーティな速度と高難度ジャンプを持ち込んで新風を吹き込んだ天才なの。
伊藤みどりと最大限に違っていたのは山田満知子のようなコーチに巡り合えなかったってことと、それから伊藤みどりほどスケートを愛してはいなかった、ってことかしらね。
ハーディングは「金儲けのためにスケートをしている」「五輪に出て一生分の金を稼ぐつもり」「五輪のゼロの数はこれから稼ぐつもりのゼロに等しい」「ドル紙幣に印刷されたゼロに見えるわ」って公言してたし、インタビューで「五輪に出てケリガンのケツを蹴飛ばしてやるのを夢見ている」と言ってしまうような人間だった。
ものすごく粗暴でラフで、人を驚かせ耳目をひくためだったら何でもやったわ。当時は禁忌に触れるようなふりふりレースのスケスケ衣装とか、演技中にホルターネックのストラップをぶち切ってパイオツポロリ一歩手前!とかやらかしてたし、言葉は汚い、喧嘩は売る、ファンにすら乱暴する、言動は一流アスリートでは決してなかった。
ダメですよと言われるとますますそれにのめりこむような困ったちゃん。
そのくせ、ひどい喘息持ちで、ドーピング検査にひっかかるからろくな投薬治療もできないでぜいぜいはあはあ苦しむくせに演技となると死んでもそんなふりを見せないとか、交通事故で重傷を負ってもスケートに復帰してがんがん攻め込んだ演技をしたり、3歳から氷に乗って、そしてスケートに人生のすべてを捧げていたわ。学校だって卒業に必要な単位以外は全部落として、クラスメイトとろくに口も聞かなかった。
スケートを除くすべてのことは切り捨ててしまえる強さがあった。
だからこそアメリカでは五輪に次ぐ栄誉ある地位とされている全米選手権で優勝したり、五輪にも出場したりと結果は残しているのよね。ただ、そのどれもが黒かった。必ず汚名とセットだった・・・。
ハーディングは母親がスケートに熱心で娘のために十代で八回も引っ越しをしたし、衣装は手縫い、資金稼ぎのためにフルタイムで働いて、家族みんなで支援をしてた。だけどこのお母さんてのがどっかの誰かの母親みたいに娘を食い物にする上に、罵倒しまくるような毒親でね。ハーディングは「親からほめられたことがない」って言ってるわ。「何をしても怒られた」って。母親が毒だった。
確かにね。日本のテレビ局がハーディングをお騒がせスケーター、みたいな形で取り上げるときに必ず使う映像があって、たぶん皆さんの中でも見たことがある人がいらっしゃると思うんだけど、ハーディングがスタジオにいて、親に電話がつながるのね。母親と娘で本当だったら全米が泣いた!的感動の会話になるはずなのに、なんとそのときハーディングの母親は娘をさんざんに罵倒するのよ。あれには本当に胸が痛んだ。さすがのハーディングも受話器を持ったまま固まっていて、無力な小娘にしか見えなかった。可哀想だったわ。
母親がそもそも娘を使ってただ勝てばいい、ただ稼げればいい、そのためだったら何をしてもいい、とずっと言い続けてきたんだから、娘がまともな倫理観を持ってきちんと正当な手続きを踏んで、まじめにスケートに取り組むようになんて、そりゃならないわよ。言葉による過剰な暴力、身体的な折檻。後になって「そんなつもりはありませんでした」「お仕置きなんてしたこともないわ」と親は言ってたけどね。それは嘘だわ。
殴ってでも蹴ってでも、嘘をついてでも勝てばいい、と三歳から洗脳されてきたんだから、そりゃケリガンを殺してでもって思い詰めるようになるわよね。普通の人は絶対に考えもしないようなことをしてしまう。
暴力沙汰には慣れてるからね。本当に哀れで惨めな人生だわ。
姐さんはハーディングがあまりにも可哀想すぎて、なかなか責める気持ちになれないの。ここまでの転落人生、自業自得は豪快すぎる。バカもバカ、大馬鹿よ。
でもきっと海の向こうの国の話であまり身近な存在ではなかったからでしょうね、アメリカ勢が。
当時スケーターだった人はめちゃくちゃに迷惑だったろうと思うわよ。
ケリガンだけじゃなく当時の女子シングル選手だった人は同情なんか死んでもできないでしょうね。
今、見世物になっているハーディングをいくら嘲笑してみたところで、受けた迷惑は取り返しがつかないもの。
メダルの有無、試合出場経験の有無、みんな邪魔されたことしか覚えてないわね。
ナンシー・ケリガンはアメリカ人好みの洗練された白人美女(とアメリカでは言われていたからそう書くけど姐さんはこの人を美女だとは思わないわw)の容姿を持ち、女性らしさを前面に押し出した優美なスケーティングが魅力だった。
もっともケリガンもワーキングクラスの出身で性格もすばらしいとは言えなくて、凱旋帰国後のディズニーランドでのパレードで「ばかばかしい!」と舌打ちしたのがカメラに抜かれてあっという間に人気は下降したけどね。ケリガンの家も後で大問題を引き起こして大変なことになるんだけど、身の丈にあわない位につくと、心構えと覚悟ができてない人は大変ね、といういい例ね。
だけどそもそも本当に五輪出場を目指すのならば、あのときハーディングはケリガンなんか狙うべきじゃなかったの。当時、たとえばミュンヘンのワールドでクリスティ・ヤマグチ、トーニャ・ハーディング、ナンシー・ケリガンが表彰台を独占してアメリカ国旗が二枚しかなくて大騒ぎなんてこともあったくらい、本当に狙うべきだったのはクリスティ・ヤマグチなのよ。
ケリガンも五輪三位と二位のメダリストでそれは立派だったけど、ハーディングのケリガン襲撃は完全な錯誤だわ。嫉妬とか恨みとか、自分の人生のうまくいかなさをライバルにぶつけただけのキチガイ沙汰だわ。
ハーディングの仮想敵は五輪金メダリストにまでなったヤマグチではなく、あくまでもケリガンだった。自分とは正反対の容姿を持ち(姐さんには同じ箱にしか分類できないんだけどね)、優雅でたおやかなレディに見える、米スケ連も押せ押せのナンシー・ケリガン。
ハーディングは「幻想クラッシャー」だったから、闘争心や不平不満を公然と口にして「フィギュアスケートは上品で女性らしいもの」「優雅にして洗練、美しさを競うもの」という大前提をことごとくぶち壊した。
自らが携わる競技のイメージを悪くして、暴力的で粗暴で下品な言動で世間のひんしゅくを買うことに懸命ですらあったと思うわ。真面目に間違えていったのね。真剣に馬鹿だったの。
とんでもなく才能があり、偉大すぎるほど偉大なスケーターになっていけるはずだった子が、自分の言動の無残さでみるみる失墜していくさまを、加熱していた報道合戦のせいで全米に、世界に余すところなく一部始終が公開されて・・・本当にひどかった。
でも彼女のファンたちはそんなハーディングに快哉を叫び、一時期は全米をつなぐ大きなファンクラブが結成されて、ハーディングがデザインしたTシャツが販売され、ハーディング支援のチャリティーショーが催された。ファンからの寄付も次々によせられて、ハーディングは後年、暴走するファンを嫌ったスポンサーがファンクラブとは手を切れと通達したのを拒んで「金銭的に苦労しているハーディングがスポンサーよりも我々を選んだ!」とファンを大喜びさせたりしている。
結局、使い捨てをされるんだけど、ハーディングを支援していたファンの元締めはベトナム帰還兵の男性で、ハーディング支援の理由をきかれると「子供時代の虐待や戦争によるトラウマが、ハーディングと同じだから」と答えているわ。
恨みつらみを晴らしてくれるスターだと思っていたのよ。冷たい世間、無理解な社会、理不尽な差別や貧困、それそのものと闘う前に「そんな世間」を破壊する、力の象徴として彼女を見ていた。それこそ代理によるミュンヒハウゼンシンドロームの負の連鎖よね。
ハーディングのめちゃくちゃな言動に痛快さを覚え、「世間に理解されないハーディング」「でもそんな世間に立ち向かう俺たちのハーディング」という幻想に酔いしれて、自己投影と自己統一化を行っていた。そんな値打ちはない人なのに、自分の人生を捧げるほどに。
トラウマが一緒だから応援する、って、それってアスリートへの態度じゃないわよね。もしも姐さんが選手だったらそんな応援にはゾッとするだろうと思うけど、ハーディングもまた「あたしのことをわかってくれる!」って入れ込んでしまったのね。そのくせ気に入らないとテレビカメラの前でもファンを蹴ったりしてたけどね。ファン主催のパーティをすっぽかしたり、何時間も遅刻したり、それはひどい扱いだったわ。
この、暴走するファンとそれをあおる選手って図式もどっかとどっかでやっているわね。そっくりよ。
羽生や鈴木が病気を抱えながらの戦う姿に、あるいはそれを乗り越えて頑張っている姿に力づけられる、というのと全然違うわ。
ふたりは病を言い訳に使っていないし、病を理由に誰かを攻撃もしていない。病んでいるから反社会的でいいなんてふたりはかけらも思っていないわ。そんな惨めなえこひいき、もしもしてやるよと言われたところで、ふたりはきっぱりと拒むでしょうね。人間としての誇りがあってスケーターとして正々堂々、自分のすべてで戦えるから。
場外乱闘を起こすのは実力がない奴だけなのよ。本当に戦える人間は、そんな無駄足を踏まないわ。
そしてどっかの誰かはぼっちだけど、どっかの誰かはびっちなように、ハーディングもかなり奔放で、普通の自尊心のある女性なら決してしないようなさまざまな男性トラブルと縁が切れず、内縁の夫とも切れたり別れたりそのたびに暴力事件を起こし続け、言動は次第に反社会性を深め、周囲に対してもどんどん暴力的になっていく。
『トーニャ・ハーディング 氷の炎』という本が近代文藝社さんから出ているわ。かなりやっつけな内容だけど、本の前半部分のハーディングの生い立ちや言行録はとても見ごたえがあるわ。
なんでやっつけかと言うと、五輪出場かなうか否かの時期に急に出された本なのよ。
とある新聞社さんの記者がメインで書かれていて、ハーディングがもしも五輪メダリストになっていたら出すはずの自叙伝とか伝記用の資料を流用してるんだと思う。
ハーディングは世界選手権のわずか九日前に旦那を殴打して新聞沙汰になったのね。そしてメダルを逃したときに「わたしがメダルを逃したのはシカゴ・トリビューンの記事のせいだ」ってインタビューで主張したわ。
他罰姿勢も誰かにそっくり。
悪いのはいつも他人。誰かさんそっくりね。
・母親が毒
・頭が悪い
・身体能力はすごかった
・男にだらしない
・反社会的
・ファンとの癒着
・ファンが暴走
・採点の謎
・インタビューでいつも人の悪口
・連盟を批判するくせに過剰なえこひいきを受ける
わーーどっかの誰かさんみたい。
びっちは身体能力だけは大したものだったからね。肩を負傷してマースって言ってるはしから振袖を着てご登場、とか、足をやりましたーって棄権した後にヒールはいて京都散策、とかねwww
ぼっちの身体能力は別にすごかないけどね。驚異の負傷→回復能力は「すごい」けど。試合の日程にあわせて医者がパーセンテージで回復度を断言してくれる驚異の肉体www本当に怪我をした選手に対してなんという侮辱かと思うけどね。最低だわ。
それでね、ハーディングがカネカネ言い続けてきたことや、口を開けば誰かをおとしめなければ喋れない病にかかっていることや、男にだらしなくてどうにもならなかったことや、スポンサーにこびまくるくせに気に入らないことがあるとすぐ悪口を言いふらすところや、どんなに大恩あるコーチでも親子で口撃しまくって二度と一緒に組めないことや、ファンと癒着しすぎて離れられなくなるところや、ファンにまで乞食をするところや、そっくりだなあと思うわけ。
学ばないのね。ハーディングもせっかくフィギュアスケートの歴史に名を残す悪行の数々を繰り返して「他山の石」になってくれているのにさ。
マスメディアを利用しようとして、自分に有利なことしか書くな、流すな、放送するなって主張して、少しでも不利なことを書かれると速攻で訴訟するって脅すとか、そんなところは別に真似しなくてもいいのにね。しかも自分に不利ってのも旦那を殴ったとか銃を持ち出したとか、全部自分のせいなのよ。呆れたものだわ。
そしていくら毒親が悪いと言っても、その恨みつらみを無関係な赤の他人で晴らすのはよくないわ。その人のためにならないわ。毒親だ、と認識するのは辛いことよ。自分の親がダメなやつだったと悟ってしまうのは、たぶん失恋よりも離婚よりももっとずっと辛いと思う。なぜなら子供にとって親は全世界だからなの。どんな親でも子供というのは優しい気持ちでお父さん、お母さんと思うのよ。100パーセントの信頼を親に向けて、結果、さんざんに傷つけられて、それでも親に愛してほしい、認めてほしいと願ってしまうものなのよ。
でも、自分が抱える生きにくさ、どこに行っても同じトラブルに出くわすとか、まわりがわかってくれないと泣くのなら、それがあまりに続くのならば、やっぱり<自分が>変わっていくしかないのよね。
親のせいかもしれない。本当に残酷な形で裏切られ、信頼を利用され続けてきたのかもしれない。だけどあなたの人生は、あなたがコントロールできるのよ。親の人生に手出しはできない。親を変えることはできない。だけどあなたはあなた自身として幸せに元気に楽しく生きていけるの。そう思うところから始まるのよ。
キムチもミキムチも、もう親のせいでーとは言えない年齢になっているわ。自分がしてきたことの責任は自分が取らなければいけないの。
目を覚ましてほしいと思う。姐さんはふたりのことも、スケーターである限り、最後の最後のところでは見切りをつけきれずにいるわ。フィギュアスケートという過酷で残酷で辛いことばかりで、だからこそ、美しくて崇高ですばらしい世界を現実のものとして表現でき、観客と一対一で向き合って、ひとりひとりの人生すら変えてしまうような想像を超えた「その世界」を作り出せるこのスポーツにせっかく携わっているふたりに、・・・目を覚ましてほしいと思っているわ。
ハーディング活躍当時、スケートの採点は公明正大でジャッジの権威は絶大だ、と先に紹介した本の中にも記載されている。それがパブリシティ用の常套文句で本を出すにあたって取材をした先の米スケ連へのリップサービスなのだとしても、「公平さ」「公正さ」が大前提だという認識は、10年たっても100年たっても、絶対に変わらない真実のはず。
ぼっちもびっちも、この大前提を踏みにじっている時点で、競技者と名乗る資格はないし、そもそも競技に出してはいけないのよ。
そしてハーディングはもう二度とスケートの世界に戻れない。彼女はその才能を惜しんだ人の手によって何度も窮地を救われて、復帰の舞台を与えられ、過剰なほどの引き立てを受けてきた。そしてその都度自分の行動でぜんぶぶち壊してきた。最後には彼女をかばう人はいなくなったわ。誰ひとり。
ぼっちもびっちもハーディング以上の汚名を歴史に刻んだわね。現在進行形でそれを見せつけられ続けるのはもううんざり。
進撃の邪悪を阻止しなければ、腐敗は進む一方だわ。

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ハーディングは練習では4回転ループも決めているし、当時の「優雅に踊っていればいい」女子シングルにアスレティックでスポーティな速度と高難度ジャンプを持ち込んで新風を吹き込んだ天才なの。
伊藤みどりと最大限に違っていたのは山田満知子のようなコーチに巡り合えなかったってことと、それから伊藤みどりほどスケートを愛してはいなかった、ってことかしらね。
ハーディングは「金儲けのためにスケートをしている」「五輪に出て一生分の金を稼ぐつもり」「五輪のゼロの数はこれから稼ぐつもりのゼロに等しい」「ドル紙幣に印刷されたゼロに見えるわ」って公言してたし、インタビューで「五輪に出てケリガンのケツを蹴飛ばしてやるのを夢見ている」と言ってしまうような人間だった。
ものすごく粗暴でラフで、人を驚かせ耳目をひくためだったら何でもやったわ。当時は禁忌に触れるようなふりふりレースのスケスケ衣装とか、演技中にホルターネックのストラップをぶち切ってパイオツポロリ一歩手前!とかやらかしてたし、言葉は汚い、喧嘩は売る、ファンにすら乱暴する、言動は一流アスリートでは決してなかった。
ダメですよと言われるとますますそれにのめりこむような困ったちゃん。
そのくせ、ひどい喘息持ちで、ドーピング検査にひっかかるからろくな投薬治療もできないでぜいぜいはあはあ苦しむくせに演技となると死んでもそんなふりを見せないとか、交通事故で重傷を負ってもスケートに復帰してがんがん攻め込んだ演技をしたり、3歳から氷に乗って、そしてスケートに人生のすべてを捧げていたわ。学校だって卒業に必要な単位以外は全部落として、クラスメイトとろくに口も聞かなかった。
スケートを除くすべてのことは切り捨ててしまえる強さがあった。
だからこそアメリカでは五輪に次ぐ栄誉ある地位とされている全米選手権で優勝したり、五輪にも出場したりと結果は残しているのよね。ただ、そのどれもが黒かった。必ず汚名とセットだった・・・。
ハーディングは母親がスケートに熱心で娘のために十代で八回も引っ越しをしたし、衣装は手縫い、資金稼ぎのためにフルタイムで働いて、家族みんなで支援をしてた。だけどこのお母さんてのがどっかの誰かの母親みたいに娘を食い物にする上に、罵倒しまくるような毒親でね。ハーディングは「親からほめられたことがない」って言ってるわ。「何をしても怒られた」って。母親が毒だった。
確かにね。日本のテレビ局がハーディングをお騒がせスケーター、みたいな形で取り上げるときに必ず使う映像があって、たぶん皆さんの中でも見たことがある人がいらっしゃると思うんだけど、ハーディングがスタジオにいて、親に電話がつながるのね。母親と娘で本当だったら全米が泣いた!的感動の会話になるはずなのに、なんとそのときハーディングの母親は娘をさんざんに罵倒するのよ。あれには本当に胸が痛んだ。さすがのハーディングも受話器を持ったまま固まっていて、無力な小娘にしか見えなかった。可哀想だったわ。
母親がそもそも娘を使ってただ勝てばいい、ただ稼げればいい、そのためだったら何をしてもいい、とずっと言い続けてきたんだから、娘がまともな倫理観を持ってきちんと正当な手続きを踏んで、まじめにスケートに取り組むようになんて、そりゃならないわよ。言葉による過剰な暴力、身体的な折檻。後になって「そんなつもりはありませんでした」「お仕置きなんてしたこともないわ」と親は言ってたけどね。それは嘘だわ。
殴ってでも蹴ってでも、嘘をついてでも勝てばいい、と三歳から洗脳されてきたんだから、そりゃケリガンを殺してでもって思い詰めるようになるわよね。普通の人は絶対に考えもしないようなことをしてしまう。
暴力沙汰には慣れてるからね。本当に哀れで惨めな人生だわ。
姐さんはハーディングがあまりにも可哀想すぎて、なかなか責める気持ちになれないの。ここまでの転落人生、自業自得は豪快すぎる。バカもバカ、大馬鹿よ。
でもきっと海の向こうの国の話であまり身近な存在ではなかったからでしょうね、アメリカ勢が。
当時スケーターだった人はめちゃくちゃに迷惑だったろうと思うわよ。
ケリガンだけじゃなく当時の女子シングル選手だった人は同情なんか死んでもできないでしょうね。
今、見世物になっているハーディングをいくら嘲笑してみたところで、受けた迷惑は取り返しがつかないもの。
メダルの有無、試合出場経験の有無、みんな邪魔されたことしか覚えてないわね。
ナンシー・ケリガンはアメリカ人好みの洗練された白人美女(とアメリカでは言われていたからそう書くけど姐さんはこの人を美女だとは思わないわw)の容姿を持ち、女性らしさを前面に押し出した優美なスケーティングが魅力だった。
もっともケリガンもワーキングクラスの出身で性格もすばらしいとは言えなくて、凱旋帰国後のディズニーランドでのパレードで「ばかばかしい!」と舌打ちしたのがカメラに抜かれてあっという間に人気は下降したけどね。ケリガンの家も後で大問題を引き起こして大変なことになるんだけど、身の丈にあわない位につくと、心構えと覚悟ができてない人は大変ね、といういい例ね。
だけどそもそも本当に五輪出場を目指すのならば、あのときハーディングはケリガンなんか狙うべきじゃなかったの。当時、たとえばミュンヘンのワールドでクリスティ・ヤマグチ、トーニャ・ハーディング、ナンシー・ケリガンが表彰台を独占してアメリカ国旗が二枚しかなくて大騒ぎなんてこともあったくらい、本当に狙うべきだったのはクリスティ・ヤマグチなのよ。
ケリガンも五輪三位と二位のメダリストでそれは立派だったけど、ハーディングのケリガン襲撃は完全な錯誤だわ。嫉妬とか恨みとか、自分の人生のうまくいかなさをライバルにぶつけただけのキチガイ沙汰だわ。
ハーディングの仮想敵は五輪金メダリストにまでなったヤマグチではなく、あくまでもケリガンだった。自分とは正反対の容姿を持ち(姐さんには同じ箱にしか分類できないんだけどね)、優雅でたおやかなレディに見える、米スケ連も押せ押せのナンシー・ケリガン。
ハーディングは「幻想クラッシャー」だったから、闘争心や不平不満を公然と口にして「フィギュアスケートは上品で女性らしいもの」「優雅にして洗練、美しさを競うもの」という大前提をことごとくぶち壊した。
自らが携わる競技のイメージを悪くして、暴力的で粗暴で下品な言動で世間のひんしゅくを買うことに懸命ですらあったと思うわ。真面目に間違えていったのね。真剣に馬鹿だったの。
とんでもなく才能があり、偉大すぎるほど偉大なスケーターになっていけるはずだった子が、自分の言動の無残さでみるみる失墜していくさまを、加熱していた報道合戦のせいで全米に、世界に余すところなく一部始終が公開されて・・・本当にひどかった。
でも彼女のファンたちはそんなハーディングに快哉を叫び、一時期は全米をつなぐ大きなファンクラブが結成されて、ハーディングがデザインしたTシャツが販売され、ハーディング支援のチャリティーショーが催された。ファンからの寄付も次々によせられて、ハーディングは後年、暴走するファンを嫌ったスポンサーがファンクラブとは手を切れと通達したのを拒んで「金銭的に苦労しているハーディングがスポンサーよりも我々を選んだ!」とファンを大喜びさせたりしている。
結局、使い捨てをされるんだけど、ハーディングを支援していたファンの元締めはベトナム帰還兵の男性で、ハーディング支援の理由をきかれると「子供時代の虐待や戦争によるトラウマが、ハーディングと同じだから」と答えているわ。
恨みつらみを晴らしてくれるスターだと思っていたのよ。冷たい世間、無理解な社会、理不尽な差別や貧困、それそのものと闘う前に「そんな世間」を破壊する、力の象徴として彼女を見ていた。それこそ代理によるミュンヒハウゼンシンドロームの負の連鎖よね。
ハーディングのめちゃくちゃな言動に痛快さを覚え、「世間に理解されないハーディング」「でもそんな世間に立ち向かう俺たちのハーディング」という幻想に酔いしれて、自己投影と自己統一化を行っていた。そんな値打ちはない人なのに、自分の人生を捧げるほどに。
トラウマが一緒だから応援する、って、それってアスリートへの態度じゃないわよね。もしも姐さんが選手だったらそんな応援にはゾッとするだろうと思うけど、ハーディングもまた「あたしのことをわかってくれる!」って入れ込んでしまったのね。そのくせ気に入らないとテレビカメラの前でもファンを蹴ったりしてたけどね。ファン主催のパーティをすっぽかしたり、何時間も遅刻したり、それはひどい扱いだったわ。
この、暴走するファンとそれをあおる選手って図式もどっかとどっかでやっているわね。そっくりよ。
羽生や鈴木が病気を抱えながらの戦う姿に、あるいはそれを乗り越えて頑張っている姿に力づけられる、というのと全然違うわ。
ふたりは病を言い訳に使っていないし、病を理由に誰かを攻撃もしていない。病んでいるから反社会的でいいなんてふたりはかけらも思っていないわ。そんな惨めなえこひいき、もしもしてやるよと言われたところで、ふたりはきっぱりと拒むでしょうね。人間としての誇りがあってスケーターとして正々堂々、自分のすべてで戦えるから。
場外乱闘を起こすのは実力がない奴だけなのよ。本当に戦える人間は、そんな無駄足を踏まないわ。
そしてどっかの誰かはぼっちだけど、どっかの誰かはびっちなように、ハーディングもかなり奔放で、普通の自尊心のある女性なら決してしないようなさまざまな男性トラブルと縁が切れず、内縁の夫とも切れたり別れたりそのたびに暴力事件を起こし続け、言動は次第に反社会性を深め、周囲に対してもどんどん暴力的になっていく。
『トーニャ・ハーディング 氷の炎』という本が近代文藝社さんから出ているわ。かなりやっつけな内容だけど、本の前半部分のハーディングの生い立ちや言行録はとても見ごたえがあるわ。
なんでやっつけかと言うと、五輪出場かなうか否かの時期に急に出された本なのよ。
とある新聞社さんの記者がメインで書かれていて、ハーディングがもしも五輪メダリストになっていたら出すはずの自叙伝とか伝記用の資料を流用してるんだと思う。
ハーディングは世界選手権のわずか九日前に旦那を殴打して新聞沙汰になったのね。そしてメダルを逃したときに「わたしがメダルを逃したのはシカゴ・トリビューンの記事のせいだ」ってインタビューで主張したわ。
他罰姿勢も誰かにそっくり。
悪いのはいつも他人。誰かさんそっくりね。
・母親が毒
・頭が悪い
・身体能力はすごかった
・男にだらしない
・反社会的
・ファンとの癒着
・ファンが暴走
・採点の謎
・インタビューでいつも人の悪口
・連盟を批判するくせに過剰なえこひいきを受ける
わーーどっかの誰かさんみたい。
びっちは身体能力だけは大したものだったからね。肩を負傷してマースって言ってるはしから振袖を着てご登場、とか、足をやりましたーって棄権した後にヒールはいて京都散策、とかねwww
ぼっちの身体能力は別にすごかないけどね。驚異の負傷→回復能力は「すごい」けど。試合の日程にあわせて医者がパーセンテージで回復度を断言してくれる驚異の肉体www本当に怪我をした選手に対してなんという侮辱かと思うけどね。最低だわ。
それでね、ハーディングがカネカネ言い続けてきたことや、口を開けば誰かをおとしめなければ喋れない病にかかっていることや、男にだらしなくてどうにもならなかったことや、スポンサーにこびまくるくせに気に入らないことがあるとすぐ悪口を言いふらすところや、どんなに大恩あるコーチでも親子で口撃しまくって二度と一緒に組めないことや、ファンと癒着しすぎて離れられなくなるところや、ファンにまで乞食をするところや、そっくりだなあと思うわけ。
学ばないのね。ハーディングもせっかくフィギュアスケートの歴史に名を残す悪行の数々を繰り返して「他山の石」になってくれているのにさ。
マスメディアを利用しようとして、自分に有利なことしか書くな、流すな、放送するなって主張して、少しでも不利なことを書かれると速攻で訴訟するって脅すとか、そんなところは別に真似しなくてもいいのにね。しかも自分に不利ってのも旦那を殴ったとか銃を持ち出したとか、全部自分のせいなのよ。呆れたものだわ。
そしていくら毒親が悪いと言っても、その恨みつらみを無関係な赤の他人で晴らすのはよくないわ。その人のためにならないわ。毒親だ、と認識するのは辛いことよ。自分の親がダメなやつだったと悟ってしまうのは、たぶん失恋よりも離婚よりももっとずっと辛いと思う。なぜなら子供にとって親は全世界だからなの。どんな親でも子供というのは優しい気持ちでお父さん、お母さんと思うのよ。100パーセントの信頼を親に向けて、結果、さんざんに傷つけられて、それでも親に愛してほしい、認めてほしいと願ってしまうものなのよ。
でも、自分が抱える生きにくさ、どこに行っても同じトラブルに出くわすとか、まわりがわかってくれないと泣くのなら、それがあまりに続くのならば、やっぱり<自分が>変わっていくしかないのよね。
親のせいかもしれない。本当に残酷な形で裏切られ、信頼を利用され続けてきたのかもしれない。だけどあなたの人生は、あなたがコントロールできるのよ。親の人生に手出しはできない。親を変えることはできない。だけどあなたはあなた自身として幸せに元気に楽しく生きていけるの。そう思うところから始まるのよ。
キムチもミキムチも、もう親のせいでーとは言えない年齢になっているわ。自分がしてきたことの責任は自分が取らなければいけないの。
目を覚ましてほしいと思う。姐さんはふたりのことも、スケーターである限り、最後の最後のところでは見切りをつけきれずにいるわ。フィギュアスケートという過酷で残酷で辛いことばかりで、だからこそ、美しくて崇高ですばらしい世界を現実のものとして表現でき、観客と一対一で向き合って、ひとりひとりの人生すら変えてしまうような想像を超えた「その世界」を作り出せるこのスポーツにせっかく携わっているふたりに、・・・目を覚ましてほしいと思っているわ。
ハーディング活躍当時、スケートの採点は公明正大でジャッジの権威は絶大だ、と先に紹介した本の中にも記載されている。それがパブリシティ用の常套文句で本を出すにあたって取材をした先の米スケ連へのリップサービスなのだとしても、「公平さ」「公正さ」が大前提だという認識は、10年たっても100年たっても、絶対に変わらない真実のはず。
ぼっちもびっちも、この大前提を踏みにじっている時点で、競技者と名乗る資格はないし、そもそも競技に出してはいけないのよ。
そしてハーディングはもう二度とスケートの世界に戻れない。彼女はその才能を惜しんだ人の手によって何度も窮地を救われて、復帰の舞台を与えられ、過剰なほどの引き立てを受けてきた。そしてその都度自分の行動でぜんぶぶち壊してきた。最後には彼女をかばう人はいなくなったわ。誰ひとり。
ぼっちもびっちもハーディング以上の汚名を歴史に刻んだわね。現在進行形でそれを見せつけられ続けるのはもううんざり。
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