法務省と全国人権擁護委員連合会が中学生が、日常生活の中で得た体験に基づく作文を書くことを通して、人権についての理解を深めることを目的として実施している「全国中学生人権作文コンテスト」で、宮城県古川黎明中学校の大沼逸美君(14)が書いた「それでも僕は桃を買う」が最高賞の内閣総理大臣賞を受賞した。6,930校の中学校から,941,146名という過去最高の応募があった中での受賞となった。
福島の桃は,被害ではなく,「差別されているのだ」とはっきりと感じた。
大沼君は家族旅行中に福島産の桃が並んだ売店で、「桃が食べたい」とせがむ子に母親が「だめ。」「だって,この桃,福島産だよ。放射性物質っていう良くない物がついてるかもしれないからね。」と説き伏せ、しぶしぶ諦めた子どもの姿を見た。
大沢君はかつて、中国籍であることを理由に友人から「黙れ、中国人」という言葉を投げかけられた経験があるという。
大沢君は「だって福島産だよ」という言葉とその時の経験を重ね合わせ、心の中である決意を固めた。
『僕の場合は,中国という国のことを知りもしないのにばかにされ,福島の桃は,放射性物質のことをあまり知らないのに,危ないと決めつけられ,自分と桃が重なって見えたのだ。風評被害という言葉は知っていたが,この時,僕は,福島の桃は,被害ではなく,「差別されているのだ」とはっきりと感じた。』
『だから,僕は,桃を買うことにした。僕は差別される側の気持ちを知っている。それなのに,その僕が,知らず知らずのうちに,他の人と同じように福島県産の桃に偏見をもち,差別していた。それは,桃だけにとどまらず,福島の人々を差別していることにもなるのだと気づき,これではいけないと思ったからだ。新潟からの帰り道,僕は,磐越自動車道のサービスエリアで,桃を買った。それは,もう偏見をもたない,差別などしないという,小さいけれど大きな僕の決意でもあった。』
内閣総理大臣賞
「それでも僕は桃を買う」
宮城県 古川黎明中学校 3年
大沼 逸美(おおぬま いいみ)
夏休みのある日,僕は,家族といっしょに旅行することになり,一路,新潟を目ざして車に乗っていた。
朝早く家を出発し,東北自動車道から磐越自動車道に入り,サービスエリアで休憩をとった。サービスエリアの売店にはたくさんのお土産が売られていた。その中に,福島県特産の桃が並んでいた。その桃を見て,無邪気な子どもが母親に「桃食べたい。」とせがんでいた。しかし,その子どもの母親は「だめ。」と子どもに言い聞かせようとする。子どもも引かず「なんで。」と反論する。すると,母親は「だって,この桃,福島産だよ。放射性物質っていう良くない物がついてるかもしれないからね。」と説きふせたのだ。しぶしぶ諦めた子どもの姿を見ながら,僕は,心の中に何かひっかかりを感じていた。
車に戻り,走り始めた車の中で,僕は両親にさっきの出来事を話した。父は「やっぱり放射性物質がついていないとは言い切れないからな。」と言い,母も「確かに心配ではあるね。」と言った。これまでの自分を振り返ってみると,僕も同じようなことをしていたことを思い出した。僕の住んでいる地域のスーパーマーケットでも,「福島産」と表記されていると,どうしても避けてしまうことがあった。しっかり検査を受けて市場にでていると分かっていても,なんとなく不安だったからだ。サービスエリアの出来事にひっかかりを感じてはいたが,僕はそのことを忘れようと思った。
しかし,僕の頭から,「だって福島産だよ」という言葉が離れることはなかった。なぜ,そんなにも,その言葉が気になるのか,僕は,旅行中,ずっと考え続けていた。そして,思い当たった。僕が小学五年生の時に友達から言われた,あの言葉と同じ,嫌な響きを感じたからだ。
小学五年生の時,僕は仲のよかった友達と大げんかした。理由はささいなことだったが,言い合いはとまらなくなり,とうとう互いに相手を罵倒するようになった。その時,最後に友達が僕にこう言ったのだ。
「黙れ。中国人。」
僕は中国生まれの日本育ちだ。日本に来てからずっと,自分が中国国籍であることを表に出して生活してきた。そのことに対して,友達の誰も触れることはなく,僕も中国国籍であることを気に留めることはなかった。
しかし,あの時,その友達の言葉は,鋭利な刃物となって僕の心に突き刺さった。そして,自分は他のみんなと違うんだと切なくなった。仲の良かった友達が,心の中では僕を差別していたんだと感じ,悔しくてしかたがなかったのだ。幸い,友達とは仲直りすることができたが,しばらく,あの友達の放った言葉は,僕の胸をひっかき続け,嫌な響きとなって耳の奥に残っていた。
その嫌な響きと同じものを,「だって福島産だよ」という言葉に僕は感じたのだ。僕の場合は,中国という国のことを知りもしないのにばかにされ,福島の桃は,放射性物質のことをあまり知らないのに,危ないと決めつけられ,自分と桃が重なって見えたのだ。風評被害という言葉は知っていたが,この時,僕は,福島の桃は,被害ではなく,「差別されているのだ」とはっきりと感じた。
だから,僕は,桃を買うことにした。僕は差別される側の気持ちを知っている。
それなのに,その僕が,知らず知らずのうちに,他の人と同じように福島県産の桃に偏見をもち,差別していた。それは,桃だけにとどまらず,福島の人々を差別していることにもなるのだと気づき,これではいけないと思ったからだ。新潟からの帰り道,僕は,磐越自動車道のサービスエリアで,桃を買った。それは,もう偏見をもたない,差別などしないという,小さいけれど大きな僕の決意でもあった。
二十一世紀の今,日本そして世界中のあちこちで,いまだに多くの偏見や差別が残っている。生まれた地域や肌の色,病気,そして,福島原子力発電所のように事故に関係するものなど様々だ。それらの偏見や差別の根本にあるのは,何なのだろう。僕は,警戒心ではないかと思う。よく分からないから,見えないから怖く疎ましく,自分から遠ざけようとする。その気持ちが,偏見や差別を生むのだ。
では,どうすれば,私達は警戒心をもたず,この世界から,偏見や差別をなくすことができるのだろうか。その鍵は,二つあると僕は考える。一つは,他の人のことをよく知ろうとする姿勢。もう一つは,他の人の気持ちを思いやる想像力。
この二つが,未知のものへの警戒心を取り去ってくれる。
偏見や差別を,この世界からなくすことは本当に難しいかもしれない。けれども,二つの国の良さを知っている僕は,相手を知ろうとする姿勢と思いやる想像力をもち,周囲の人に接していこうと思う。いつかきっと,お互いを慈しみ合う世界になることを信じて。
(pdf)内閣総理大臣賞「それでも僕は桃を買う」:宮城県・古川黎明中学校3年大沼逸美