第一章:娼婦館ラビアン・ローズ救済編
第11話:地上階~地下一階へと続く階段Δ
かつん、かつん。と奏でられるハンマーの音が、地上階の中を反響する。ダンジョンの中は、ざわめきやら何やらであれだけ騒がしかったルームの煩さを、一瞬で忘れさせる静けさがあった。
相変わらず薄暗い地上階の、至る所に探究者の影が見え隠れする。今日はいつもよりも若い人が比較的に多いようだ。青年というよりは、少年という言葉が似合う子供や、緑色の髪を後ろに纏めた少女の姿もあった。
ハンマーの打突音を除けば、時折女性のため息や、男性の苛立ち紛れの舌打ちが聞こえてくるぐらいで、今日は固まって行動しているグループは見当たらなかった。
「さて、と」
くるりと、マリーは振り返る。緊張と不安で顔を強張らせているサララを見やって、マリーはサララの肩を叩いた。
「無理だと思うが、あまり緊張はするな。今日はあくまで雰囲気を体感するだけで、地下一階に潜るだけだから。今からそんなに気が張っていたら、最後まで持たないぞ」
「わ、分かっている。これは、武者震い」
返事をしたサララの声は、はっきりと震えていた。どう見ても、サララの震えは高揚によるものではなく、極度の緊張と怯えからくるものだ。外とは違う、圧倒的な何かを前に、すっかり萎縮してしまっているようだ。
はた目にも緊張しきっているのが分かるが、サララはそれでも虚勢を張ろうと胸を張っている。ビッグ・ポケットの口紐を握り締めている指先が白くなっているあたり、内心が透けて見える。
胸部を覆うプレートもそうだが、サララの身体がカタカタと震えていた。マリーとサララは、出入り口から地下一階へと続くまでの間に立っている。距離にして、ちょうど地上階の真ん中ぐらいの位置だ。
「おーい、サララ、おーい」
「………………」
再び黙ってしまったサララを見て、とりあえず声を掛けて見るが、サララの視点がマリーの合わさることは無い。片手に持ったウィッチ・ローザでサララの顔を照らしてみるも、反応は思わしくなかった。サララの額には、じっとりと汗が滲んでいた。
(……う~ん、雰囲気にすっかり呑まれていやがる。どうにか復帰させねばならんな。どうしたものか……ん?)
マリーの視線が、サララのズボン……に包まれた臀部で止まった。センターにて、ワイヤーサポーターを買ったはいいが、買った物は全てビッグ・ポケットの中だ。まだ、履いてはいない。
つまり、ズボンの奥には、余計なものは無いということだ。
(……他のやつらもいるし、下手に大声出して因縁つけられても嫌だし、ショック療法をしてみるべきか、否か)
サララの顔の前で手を振るが、やはり反応は無い。ブツブツと「大丈夫、大丈夫、大丈夫」と呟いているだけで、ためしに肩を叩いてみるも、反応は変わらない。どうやら、完全に我を無くしているようだ。サララの額には、びっしりと汗が滲んでいた。
むき出しの土肌やら岩肌やらで、四方が埋め尽くされているからなのかもしれないが、ダンジョンの中は何時も涼しい。だからといって寒いというわけではなく、いつも同じような室温が保たれているダンジョン内は、ある意味快適な空間でもある。
その中で、これだけ冷や汗を流しているということは……。そこまで考えを巡らせたマリーは、一つ頷くと、そっと右手をサララのズボンへと伸ばし……ぐにゅ、とズボンの上からサララの尻たぶを掴んだ。
(おおう、柔らかくも弾けるような弾力だ……いつまでも揉んでいたくなるな)
サララの表情に目をやる。ほんの僅かだけではあるが、サララの意識が己に向いているのが、なんとなくマリーには分かった。しかし、まだ完全ではない。効果があると判断したマリーは、そのままぐにゅぐにゅと掴んだ指先を蠢かしていく。
ぐにぐにと、マリーがサララの弾力を堪能するにしたがって、サララの震えが徐々に治まっていく。次第に合い始めた焦点が、マリーへ向けられる。ほんのりと熱を持ち始めた下腹部の感覚を意識すると同時に、マリーは素早く手を離した。
「サララ、これ何本に見える?」
サララの顔の前で、マリーは指を立てる。呆然と立てられた指先を見つめていたサララは、ハッと我に返って「さ、3本」と答えた。その直後、頬を一気に紅潮させたサララは、己の尻に両手を当てた。
「……その、ごめんなさい」
「謝る必要はねえよ。こっちも思わぬ役得だったからな」
「――っ、もうっ!」
軽いチョップが、マリーの頭部を打つ。しばしの沈黙の後、堪えられないと言わんばかりに零れる二人の笑い声に、周囲の視線が二人へと集まる。気づいた二人が唇を閉ざすと、途端に静寂が訪れた。
「最初だけで、そのうち慣れるよ。それじゃあ、地下への入口まで行こうぜ……あと半分だ。モンスターが出ても、俺が対処するから心配するな。今は、ビッグ・ポケットの重さと装備の重さに慣れるのが、サララの仕事だ」
周囲からの関心が薄くなったのを横目で確認したマリーは、そうサララに言った。安心させるようにサララの背中を撫でてから、そっと、サララの手を取った。
「……うん、ありがとう」
サララはマリーの手を握り、俯く。今度は、サララもパニックを起こすことなく、地下への入口まで行くことが出来た。
―――――地下一階へと続く階段―――――
ひやりとした冷気が、二人の間を流れた。地上階とほとんど変わらない気温にも関わらず、何とも言えない寒気を覚える。階段脇に生えているウィッチ・ローザの光が、地下一階入り口周囲を明るく照らしていた。
「よし、俺は少し準備をするから、ちょっと待っていてくれ」
後10段程降りれば地下の土を踏める。そこまで降りたあたりで、マリーは背後にいるサララへと振り返った。
「……準備?」
サララの視線が、マリーの全身を上下する。何を、準備するのだろうか。そう言いたげに首を傾げるサララを前に、マリーは笑みを浮かべると、繋いでいた手を離した。
あっ。
小さなため息が、サララの唇から無意識の内に零れた。サララですら気づかないぐらいに小さいのだから、マリーが気づかなくても仕方がなかった。目じりを下げているサララに背中を向けたマリーは、ほう、と息を吐いた。両腕を軽く曲げて、自然体になった。
静かに魔力コントロールを始めたマリーを見て、サララは邪魔をしないように、少しマリーから距離を取った。気功術を習得しているサララにとって、気をコントロールする際、周りが静かな方が集中しやすい。サララなりの、気遣いであった。
しかし、そうなると手持無沙汰になるのはサララの方であった。階段途中は安全地帯であるということは、事前にマリーから聞いていたので、サララは思い切ってマリーの横に降り立った。
(……っ)
半円状に広がった、眼前の地下一階世界を覗き見た。ここから見えるところだけを見れば、地上階とそう変わりは無い。けれども、その違いの無さが、何とも言えない不気味さをサララに与えていた。
(あそこが……ダンジョンの地下)
初めて見る地下一階の空気を前に、サララはごくりと唾を飲み込んだ。これから、地下に降り立つ。そう考えるだけで、サララは強い喉の渇きを覚えた。
……槍を持っていたら、少しはこの恐怖心を抑えられていただろうかと、サララは己に問いかける。けれども、答えは出なかった。
「……よし、準備が出来たぞ。これからが本番だが……ん、どうした?」
横から掛けられた言葉に、サララはハッと我に返った。慌てて横を向くと、そこには不思議そうに眼を瞬かせたマリーの姿があった。サララは「なんでもない」と首を横に振ると、黙ったままマリーの背後へと移動した。
……まあ、本人が何でも無いと言っているんじゃあ、こっちとしても何も言えないな。そう判断したマリーは、改めて正面へと向き直ると、背後にいるサララへ声を掛けた。
「それじゃあ、今から地下一階に降り立つが、いくつか注意事項がある。これは本番でも同じことだから、しっかり頭に叩き込んでおけよ」
「うん、分かった」
何を言われるのだろうか。ごくりと、サララは唾を飲み込んだ。
「まず、一つ目。物音や異音を感じたら、すぐに俺に知らせて、警戒態勢を取ること。自己判断はせず、必ず俺に尋ねてくれ」
「うん」
「二つ目。今のサララの状態だが、地下にいるときは絶対に武器は手放さないこと。手放す場合は、必ずすぐ手に取れる位置に置いておくこと。なぜか、分かるな?」
「……攻撃手段が、無くなるから?」
「そうだ」
マリーは頷いた。
「俺みたいに徒手空拳を武器とするやつなら話は別だが、サララのような刃物を使うやつは、特に、だ。それに、この状況で武器を持っていないのは、かなり堪えるだろ?」
「うん……正直、緊張で吐き気がする……」
そう口にしたサララは、ギュッと内またになった。かたかたと力無く震えてしまう四肢を、誤魔化すように身じろぎした。乾ききった喉へ唾を送るも、サララの口内は砂漠のように乾いていた。なのに、脂汗だけは鬱陶しい程に全身から噴き出していた。
傍にマリーの姿が無かったら、サララは緊張のあまり、失禁すらしていただろう。その場に膝をつかなかったのは、サララなりの矜持と、覚悟があったからだ。それだけのストレスが、サララの心身に圧し掛かっていた。
「今のサララみたいに、一度その状態になると、ちょっとやそっとじゃあ、心の体勢を整えることは出来ない。これを解決するには、場数を踏んで慣れるしか無いが……今回は時間がないからな。悪いが、最初にデカいのを体験してもらう為の武器無しだ。悪く思わないでくれよ」
表情を強張らせながらも、サララは頷いた。
「薄々、分かっていたから」
「そりゃあ結構なことだ。三つ目だが、決して無理をしないこと。探究者である以上、儲けを優先するのは当然だが、全ては命あってのことだ。金を稼ぐことよりも、命を最優先すること……いいな?」
マリーの問いかけに、サララは頷いた……少し、目に不満の色を残したまま。それを見たマリーは、苦笑した。
「サララの言いたいことは分かっているよ。だけど、俺たちが目的にしているのは、ダンジョン内に出現するアイテムだ。ぶっちゃけそれ以外で借金を返済は無理だからな……いいか、狙うのは、アイテムだけだぞ。欲を出して、無謀はするなよ」
「うん、分かった」
はっきりとした返事に、マリーはサララを見つめた。サララの瞳に浮かぶ、確かな了解を見たマリーは、納得して頷くと、改めて地下一階へと向き直った。
「それじゃあ、行くぞ。俺の傍から離れるなよ。今回は周囲の警戒だけに徹していればいいからな」
「うん! 頑張る!」
力強い言葉を聞いたマリーは、背後のサララの気配を確認しながら……地下一階へと、一歩を踏み出した。
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