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第一章:娼婦館ラビアン・ローズ救済編
第10話:買い物(という名のお勉強)


 人、人、人、人の群れ。寄せては引いて、引いては寄せてくる人の波から逃れる様に、マリーとサララは流れから飛び出した。はぐれないよう、二人はしっかりと手を繋ぐ。慌ただしく二人は壁に背中を預けると、ふう、と一息ついた。
『センター』の中にある、探究者御用達の店舗が立ち並ぶ一角。およそ一般家庭では見かけない形状の刃物が、当たり前のように店頭に並んでいる。岩すら切れますと書かれたナイフが立てかけられたケースの前で、店員が声高に商品を宣伝していた。
 その横で、また別の店員が、真新しい鎧を指差して叫んでいる。照明の光を浴びて輝いているそれは、サララが着ているものよりもずっと立派で、値が張りそうだ。店員に呼び止められた人々が、チラリと鎧の傍に置かれた値札を見て、首を振って通り過ぎて行く。ここでは、当たり前の光景であった。
 探究者ならば、一度は行くことになる場所であるセンター……そこに、マリーとサララは来ていた。目的は、ただ一つ。ダンジョン地下を目指す為に必要な、最低限の装備を購入することであった。
 探究者御用達の店ばかりが並んでいるので、当然ながら、この一角に来る人たちは、必然的に探究者がほとんどを占める。時折女性の姿も確認することが出来るが、どちらかといえば男性の方が多い。それも、比較的屈強な男性ばかりだ。
 そのせいか、いつもこの辺りは妙な暑苦しさというべきか、他の場所には無い、ある種の圧迫感があった。それが、マリーには殊の外堪えてしまう。かつては、平気であった暑苦しさも、小さくなった今の身体には辛いものであった。

(ああ、もう、本当にどうにかならないのか、これ)

 そう吐き捨てたい思いを呑み込みながら、マリーは深々とため息を吐いた。前に己の装備を買う為に来た時にも体感したことだが、何度来ても慣れない。
 経験済みのマリーでさえこうなのだから、こういった場所に不慣れな……というより、初めての経験であるサララは、マリー以上に堪えていた。胸を覆うプレートが、思いのほか蒸れる。首に掛けたビッグ・ポケットの位置を、サララは無言のまま直していた。

「相変わらずここは何時来ても混んでいるなあ。ここに毎日やってくるやつの気がしれないぜ。どうだ、サララ? 人に酔ったりしてねえか?」

 軽く、マリーは繋いだ手を振る。ぎゅっと、サララはマリーの手を握り返して、動きを止めた。

「……そこらへんは大丈夫だけど、なんだか居るだけで疲れてきそう」

 何だかんだ言いつつもマリーは平気な顔をしているが、サララはことさら疲れ切った顔をしていた。きそう、というのが強がりであるのは、明白であった。

「初めて来るやつは、皆サララと同じ顔しているから、気にするな。俺も平気な顔しているが、正直色々面倒な気持ちになってきているぐらいだ」

 その言葉に、サララはもたれ掛る様にマリーに身体を預ける。プレートの堅い感触が二の腕から伝わって来るが、マリーは何も言わず、されるがままでいた。

「なんでこの一角だけ、こんなに人が多いの? ここに来るまでは、ここまで混んでいなかったのに……」
「ここは一番品ぞろえが良いし、安いからな。多少の混雑を我慢してでも、みんな良い物が欲しいってわけだ。ほらほら、これからが本来の目的なんだ、のんびりしていても、事態は進まないぞ」

 マリーの言うとおり、何時までも疲れた顔のままでいるわけにもいかない。サララは体中に沁みついた疲れを吐き出すような、重苦しくため息を吐くと、顔をあげた。先ほどよりも、いくらか顔色が良くなっていた。

「ありがとう、もう大丈夫」
「なんか飲むか?」
「いらない。それよりも、早く済ませてここを出たい……息が詰まりそう」
「同意見だ。それじゃあまず、必需品となる道具を買いに行こうか」

 そうマリーが言うと、サララと繋がっていた手に、ぎゅっと力が入った。センターに入ってから、長時間手を繋ぎっぱなしにしているので、互いの手は、互いの汗でべとべとであったが……今更の話か。
 記憶を頼りに、再び二人は人の波に潜り込んだ。途端、むせ返る暑苦しさに辟易しつつも、流れに逆らわないよう気を付けながら歩き続ける。
 時間にして、5分少々だろうか。ちらりと目当ての看板を見つけたマリーは、サララに向かって「目的地に着いたから、ちょっとむりやり行くぞ」と振り返らずに声を掛ける。返事は無かったが、握り返される体温を感じたマリーは「ちょっと通るよ!」と流れを横断した。時折舌打ちと共に罵声を浴びせられるが、二人は構わず突き進み、目的の店の中へ足を踏み入れた。
 そこは、様々な道具が並べられた雑貨屋であった。武器や防具などは取り扱っていないが、ダンジョンに潜る為に必要な道具を専門に販売している店だ。
 入口から向かって右奥に支払所が設置されており、左側には手前から奥に向かって並んだ棚には、様々な道具が並べられ、収められている。店の中には探究者とは別に、一般人らしき人たちの姿も見受けられた。
 他と比べていくらか大きい店舗の広さもそうだが、単純に人口密度が減ったおかげだろうか。店の中にも客は居るものの、先ほどまで感じていた圧迫感が、いくらか和らいでいた。

「さて、と。それじゃあ、さっそく必要な道具を探そうか。サララ、カゴを取って来てくれ」

 マリーの言葉に頷いたサララが、離れた所に置かれているカゴへ走っていく。さて、何から買おうかと思案を巡らせるマリーは、パタパタと、襟元を開けて空気を入れ替える。
 傍を通った男性の、邪な視線がそこへ突き刺さるが、気が緩んでいるのか、マリーが気づく様子はない。それどころか、マリーは首に掛けていたビッグ・ポケットを外し、着ているシャツの裾を捲り上げてしまう「はあ、蒸し暑かったぜ」と臍を外気に晒している姿には、奇妙なエロスが見え隠れしていた。
 突如出現したサービスシーンに、マリーの姿を見とめた男の視線が集中する。男ではあるが、見た目は絶世の美少女だ。はた目からは、早々お目に掛かることの無い美少女が、無邪気に素肌を晒しているようにしか見えない。そういう趣味が無くても、ついつい見てしまうのは仕方のないことであった。

「……マリー、ちょっとはしたない……てい」
「あいたっ!」

 仕方がないことではあるが、許容するかどうかは、また別の問題。カゴを持って来たサララは、不用心なマリーの後頭部をチョップした。

「いっぱい見られている。もう少し、恥じらいを持つべきだと思う」

 そう忠告しつつ、サララは乱れたマリーの身だしなみを手早く整えた。ボーイッシュな美少女が追加されたことで、さらに周囲の視線が集まる。四方から向けられる視線を察したサララは、頭を押さえているマリーの背中を押した。慌てふためくマリーの悲鳴を、サララは黙って無視した。



「それじゃあ、まずはアクア・ボトルを買うぞ。代金は気にしなくていいからな……それでも気になるなら、全部終わってから気にしていればいい。必要経費だから、変なところでケチろうなんて思うなよ」

 多種多様のボトルが並んだ棚を前にして、マリーは言った。アクア・ボトルとは、魔術文字式と呼ばれる、特殊な技術を使用して製造される道具の1つである。魔術文字式とは、魔法術を文字に置き換えたもののことで、魔法術以上に使用を簡単にし、誰でも使えるように開発された技術である。
 アクア・ボトルとは、言うなれば体積以上の水を大量に保存できる、魔法の水筒なのである。縦30センチ・横5センチ・奥行5センチの小さなものでも、最大30リットル保存できるボトルなんかも売られており、保存できる量と大きさは、値段によってまちまちだ。
 基本的に、ダンジョン内で手に入る可食物はほとんど無い。食料もそうだが、なにより水を失うのは命取りだ。比較的浅い階層であれば、まだ我慢は出来るだろうが、深い階層を潜ろうとするのであれば、大容量のアクア・ボトルは必須である。
 傍で頷いていたサララが、あれ、と、思い出したように首を傾げた。

「マリーの持っているアクア・ボトルは使えないの? ほら、昨日持って来た白いやつ……それがあれば、一つ買えば済むんじゃないかな?」

 マリーは首を横に振った。

「あれだけだと、持ち込める水が少なすぎて駄目だ。最低でも、あれの倍を溜めることが出来るものじゃないとな……我慢するとか、アホみたいなことを言うなよ」
「……言わないよ」
「それなら、こっち見ろよ」

 そっぽを向くサララを半眼で睨みつつ、マリーは手早くボトルをカゴに放り込む。ことん、ことん、と、思いのほか軽い音に、サララの視線がカゴに引き寄せられる。

「なんだか重さを感じない」そう口にしつつ、サララは何気なくボトルの一本を手に取り「あ、軽い」意外な発見に、驚きの声をあげた。
「感動しているところ悪いけど、それは模型だからな。本物は金を払った後、支払所で交換だよ。といっても、本物も大して重くは無いけどな」
「そうなんだ」

 サララは、左腕に掛けたカゴを揺らす。カラカラと、カゴの中でボトルが転がり合った。

「サララが今持っているやつの倍入るやつで、鳥の羽よりも軽いボトルもあるが、そっちは高すぎて手が出ねえ。悪いが、道具の餞別はこっちでやらせてもらうぞ」
「うん、分かった」

 サララは、頷いた。金を払うのはマリーだし、何よりサララは素人だ。経験者であるマリーの意見に逆らうつもりは毛頭なく、サララは初めからマリーに任せるつもりであった。
 ふと、サララは手持無沙汰となっている右手を見つめる。左手はカゴがあるのでしょうがないが、右手が妙に寂しく感じる。先ほどまであった、マリーの体温と汗の感触は、嘘のように冷えて無くなっている。

(槍は、家に置いてきちゃったものね……)

 槍があったならば、まだ気を紛らわせることが出来たのかもしれない。そう思いつつ、マリーに顔を向けて……差し出されていた左手に、目を瞬かせた。思わず、と言った様子で顔をあげると、マリーの横顔がサララの視界に映った。
 ん、と差し出された手を、サララは黙って見つめる。催促するように、ズイッと迫られたので、サララは慌ててその手を握りしめ……握り返されて、身体を硬直させた。

「ほら、行くぞ」

 軽く、引っ張られる。弱くも無く、強くも無い、その力加減に、サララはしばし言葉を無くし……小さな声で「うん」と返事をした。



 マリーとサララが立ち止まったのは、様々な食品が並び、無造作に置かれた棚の前であった。棚の端と中央付近に立札が設置されており、端の立札には『一般保存食』の文字が。中央の札には『探究者用保存食』という文字が、大きく書かれていた。
 どれを買うのだろう、とサララが首を傾げてマリーを見つめる。視線に気づいたマリーは、ああ、と頷いて、棚を指差した。

「次は食料だな。ダンジョンの中では可食出来るものは無いと思った方がいい。基本的に、食料は全て持ち込みになる。ビッグ・ポケットの中に入れられる量には限りがあるから、持っていく量も考えなければならん」
「沢山種類がある……あれ、こっちのやつは安いね」

 サララの視線が、一般用保存食と書かれた立札の傍にある、干し芋の写真が貼り付けられたカゴで止まった。カゴの中には数十枚程の紙切れが収められており、覗きこんで確認してみる。どうやら、注文用紙であるようであった。
 箱の上部に書かれた説明書きを信じる限り、常温でも保存が可能になっているようだ。写真の横には一食分の枚数が掛かれており、栄養素まで細かく記載されていた。

「これだったら沢山買えるし、値段も安い。マリー、これに」
「しねえよ」

 最後まで、マリーは言わせなかった。あれ、と目を瞬かせているサララにため息を吐くと、マリーはサララに向かって指を一本立てた。

「最初に俺が言ったことを復唱しろ」
「え、あの……」
「復唱」

 困惑に瞬きをしていたサララは、マリーの言葉に俯き……おずおずと「変なところでケチらない」と答えた。間違っていえる可能性を思い、おそるおそる顔をあげたサララの目に映ったのは、満足げに頷くマリーの姿であった。サララは、安堵のため息を吐いた。

「干しイモだけ持っていくとか、お前アレか、マゾか、自分を苦しめるのが好きなマゾなのか?」
「で、でも、安いから沢山買えるし、沢山持って行けるよ」
「それだけで行くと、途中で絶対に腹下すぞ、アホ。ダンジョン内に置いて数少ない楽しみを、苦行にしてどうするんだよ。潜っても最長15日しかならないんだから、多少は味を優先しておいた方がいいぞ」

 そう言うと、マリーは干し芋の注文用紙を6枚手に取ると、それをサララが持っているカゴの中に入れた。一枚一食分なので、合計6食分。二人で分けると、せいぜい一日分しか無い量であった。
 こんなに少ないの、と首を傾げているサララを他所に、マリーは手早く棚の前を右に左に動き回り、注文用紙を次々に手に取って、カゴの中へ放っていく。ふと、サララはカゴの中に入った一枚に目を向けた。

「ねえ、マリー。このカロリー・ビスケットっていうのは?」
「探究者御用達のビスケットだ。各種栄養を盛り込んだ特殊なビスケットで、味もまあ、悪くない。おやつ代わりに食べると色々捗るぞ」
「こっちの棚にある、カロリー・スティックと何が違うの?」
「味と触感と値段が多少変わるぐらいだな。個人的にはビスケットの方が美味いから、俺はビスケットにするが、サララはスティックの方が好きか?」
「ううん、私もビスケットにする」
「そうか……よし、食料はこれぐらいでいいだろ」

 数十枚ほどの紙で白くなったカゴを覗きこんだマリーが、そう頷く。せっせとカゴの中に散らばった用紙をまとめ終えたサララが、顔をあげる。マリーが手を差し出すと、サララは迷うことなくその手を握った。
「他にも買うものがあるから、もうちょっと頑張ってくれよ」と言ったマリーの言葉を聞いて、サララは笑顔で頷いた。

「あ、買い物終わったらサララの望み通りにダンジョンへ軽く潜るから、今の内に覚悟決めておいた方がいいぞ」
「えっ?」

 ピタリと、サララの笑みが凍りついた。


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