6日の国会会期末にまにあわせるため、与党は特定秘密保護法案の参院審議を早々に切り上げ、採決を急ごうとしている。

 その姿は実に奇妙だ。成立すれば国会議員はみずからの職責や権限を手放すことにつながるのに、なぜそんなに急ぐのか。

 法案は、閣僚が「安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがない」と判断すれば、非公開で審議できるよう国会に秘密を提供する、と定める。衆院で、提供「できる」を「する」に改めるなど修正を加えたが、基本構造は変わっていない。

 省庁の意のままに、国会に審議させたり、させなかったりできる。それでは政府の暴走を防げず、三権分立は形骸化する。

 政府の秘密とは何か。内外の様々な事例は、武器の性能や暗号といったものばかりではないことを証明している。

 ベトナム戦争の経過を含む米国防総省秘密報告書(ペンタゴン・ペーパーズ)を分析した哲学者ハンナ・アーレントは、その本質を「あらゆる種類の嘘(うそ)」と断じた。嘘は主に国内向けで「とくに議会を欺くことを目的としていた」と指摘した。

 欺いた例が1964年のトンキン湾事件だ。米政府は、米艦船が北ベトナムの攻撃を受けたと発表し、爆撃に議会の承認をとりつけた。だが実は、先に米側が仕掛けたのを隠し、反撃を装っていた。当時の国防長官はのちに、発表した攻撃の一部はそもそもなかったと認めた。

 米国の場合は、謀略がはびこる一方、言論の自由や情報公開を重んじてもいる。

 秘密報告書は、大義なき戦争を止めようとした内部告発者がニューヨーク・タイムズ紙に持ち込んだ。米政府は記事掲載の差し止めを求めて提訴したが、最高裁は認めなかった。

 裁判官らは「政府における秘密は官僚の誤りを温存するものであり、基本的に反民主的である」などと意見を述べた。内部告発者は罪に問われなかった。

 大統領の会話は録音され、のちに公開されている。トンキン湾事件当時のジョンソン大統領が、米艦への攻撃が本当にあったのか疑う会話も公になった。

 権力はしばしば不都合な事実を隠し、国民や国会を欺く誘惑に負ける。それをあばき、過ちを修正する仕掛けや力が社会にあるか否か。日本では閣議の議事録さえ残されず、情報公開も不徹底。民主主義の基盤はいまだひ弱である。

 そのうえ、三権分立の一つの柱である国会がみずからの使命を投げ出すのか。議員は立ち止まって考え直すべきだ。