ダンジョン外の話ですので、Δマークは外しております。
以後、ダンジョン外は全て外します。
第一章:娼婦館ラビアン・ローズ救済編
第5話:褐色肌の少女
『換金所』と書かれた看板の中に入る。
中には大勢の探究者たちがごった返しており、男も女も、例外なく実に騒がしい。マリーがそこに入って最初に感じたのは、むせ返るような熱気と泥臭い汗の臭いと……消毒液の臭いであった。
コンクリートと木造が合わさった色合いの室内は、取り付けられた照明によって照らされていた。
窓から見える空はうっすらと黒色が滲んでおり、点々と見えるわずかな星粒は、まるで室内の明かりを吸い取っているように見える。4つの敷居板に分けられた受付には、人の姿が絶えず、休憩スペースに用意された椅子のほとんどが埋まっていた。
ダンジョンから出てきて、まっすぐにここにやってきたのだろう。探究者らしき人たちが身に纏っている防具のほとんどに、傷や擦れた跡が見られ、少なくない割合で、身体のどこかに包帯を巻いている。
笑顔を浮かべている者、悲痛な表情を隠そうともしない者、様々な人たちがいたが、男も、女も、例外なく疲れた顔をしていた。
ぶつからないよう人の波を潜り抜けながら、マリーは整理番号の札を取る。43と書かれたそれを持って、座る場所を探す。空いている椅子を一席見つけて駆け寄ろうとしたが……思いとどまった。
(まあ、特に疲れているわけでもないし、のんびり立って待つか)
そうマリーが思うと同時に、その椅子に初老の男性がどっしりと腰を下ろした。男ははた目にも分かる程に疲れた溜息を吐くと、背もたれにぐったりと背中を預けた。かつての己も同じようなことをしていたので、男の気持ちが痛い程分かった。
ここ、換金所は、エネルギー・オーブを現金に交換してくれる探究者御用達の施設だ。当然のことだが、エネルギーの入ったオーブでなくてはならない。
また、オーブの交換もやっており、持ち帰ったオーブに機能的な損傷が無ければ、基本的には無料で同サイズのものと交換してもらえる。ただし、故意、過失、見た目に関係なく、機能に支障をきたす状態ならば有料で交換となっている。
悲痛な表情になっている人たちは、おそらくオーブを傷つけてしまったか、あるいは収支が赤字になってしまったのではないだろうか。オーブを見つめている人たちを横目にしながら、マリーはそう思った。
柱にもたれ掛りながら、マリーはぼんやりと順番を待つ。先ほど『39番の方!』という職員の声が聞こえたので、もうすぐだろう。内ポケットに入れてある櫛を取り出して、のんびりと手で銀白色の髪を梳かし始める。
もともと髪型にそこまで気を使うような男では無かったのだが、最近は気づいたら髪を梳くようになった。最初は手持無沙汰なとき、暇つぶし程度に髪を手で梳いていたぐらいであった。しかし、いつの間にかそれが癖になってしまったのか、今では定期的に髪を梳かないと、気分的に落ち着かない。
ふと、周囲の視線が自らに集まっていることに気づいた。ぼそぼそと囁き声が聞こえてきて、マリーは我知らず眉根をしかめた。
(また、か)意識した途端、妙に不躾な視線が気になってくる。今の己が人の目を引きやすいことは、とっくに受け入れている。ただ、だからといって注目されることには、まだ慣れていなかった。
少しでも目立たないように、身に着ける衣服を地味なものにしてはいるのだが……どうやら、その程度でマリーの美貌を誤魔化せないようだ。いちいち相手にしても意味は無いので、最近では気づかないフリをしている。正直、鬱陶しいというのが本音だ。
いっそ女の恰好をすればマシになるのではなかろうかと思って、試したこともある。結果、余計に視線を集めるだけで悪化してしまったので、今はもっぱら中性的な衣服に統一している。
ちなみに、鬱陶しくなって髪を全てそり落としたこともあったが、なぜか一晩で元に戻ってしまった。何度剃っても元に戻るうえに、原因も分からなかったので、それからは面倒になって髪型はそのままにしている。
「まあ、色々な意味でむさ苦しい場所にいるんだから、見られても仕方がないか……」
ほう、とマリーはため息を吐いて、櫛を仕舞った。美しい顔立ちと血色の瞳も相まって、その仕草はまるで絵本から抜け出したお姫様のようだ。周囲の視線がさらにマリーへと集まる。
皆の衣服が泥やら汗やらで汚れているのに対し、マリーの衣服にまったく汚れが見当たらない。そのうえ、マリーの衣服は冒険者には見えない軽装であったことが周りからの注視に影響していることに、マリーは気づいていなかった。
『43番の札をお持ちの方、どうぞー!』耳に届いた職員の声に、マリーは顔をあげた。声がした方へと首を向けると、そこには片手をあげて『43番の方は、いらっしゃいますかー!』と呼び掛けている、男性職員の姿があった。
(やれやれ、ようやくか)
首に掛けたビッグ・ポケットの位置を直しつつ、マリーは男性職員の元へ駆け寄った。男性職員は、マリーの姿を目に留めると、にこやかな笑みを浮かべた。
「本日はご足労ありがとうございます。現金との交換でしょうか?」
「ああ、全部現金に換えてくれ」
机を挟んだ向かい側に座ったマリーは、ビッグ・ポケットの中からオーブを取り出して、男性職員の前に置いた。最初はマリーの言葉づかいに面食らった職員たちだが、今では慣れたのか、マリーがどれだけ言葉づかいが汚くても、何事も無く受け流すまでになっていた。
職員は一礼した後「それでは、失礼致します」と告げてからオーブを手に取って、調べ始めた。じっくりとオーブの状態を確認している男性職員を、マリーは固唾をのんで見つめる。
しばらくして職員は、うん、と頷いた。
「特に破損は見られませんね……機能自体にも支障が出ていないみたいですね」
「そうかい、それじゃあ、特に交換は必要ないみたいだな」
男性職員の言葉に、マリーは安堵のため息を零した。サイズによって値段がかなり変わるオーブだが、そもそもオーブは一番小さなものでもかなり高額なのだ。昔ならいざ知らず、今なら別にオーブ代ぐらいはどうってことはないが、払わないでいいのなら、払わないに越したことはない。
「それでは、オーブ内に保有されているエネルギー総量を量りますので、こちらに手を置いて貰えますか?」
「はいよ」
男性職員に促されるがまま、マリーは魔力波動識別装置の上に手を置いた。ジッと、机の下を見ていた職員は、うん、と頷くと「認証できましたので、もう離しても結構です」と言った。
「毎回のことですけど、本当に凄いですね。私、この仕事についてそれなりに経ちますが、毎回オーブを満量にして持ち込んでくる探究者は、あなたが初めてですよ」
書類に鉛筆を走らせながら、男性職員は笑顔を浮かべた。本当に凄いと思っているのだろう。自らよりも頭一つ分以上小さいマリーに向かって、尊敬の眼差しを向けていた。
「よせよ、そう言われると照れるだろ。それに、持って帰るエネルギーの量だけなら、俺以上のやつなんて大勢いるだろ?」
そうマリーが顔の前で手を振ったが、男性職員は首を横に振って否定した。
「確かにいらっしゃいますが、全体的の総量からいえば、あなたも引けをとっていませんよ。いえ、むしろ、コンスタントに成果を出しているだけ、我々共からは重宝されているのですよ……知りませんでしたか?」
「知るわけねえだろ。俺にとっては、金さえ貰えれば、後の処理がどうなっていようとどうでもいいからな」
偽りの無いマリーの本音に、男性職員は苦笑する。これで言葉づかいが可愛ければなあ、と職員は思いつつも「どかん、と一度に出されるよりも、多少は少なくとも、常に一定量供給してくれた方が色々と都合が良いんですよ」と話を続けた。
「おかげで、溜まりに溜まっていたエネルギー所望依頼を順次消化することが出来まして……。あんまり遅れると、依頼主から苦情やら何やらが雨あられのように来ますもので……こっちとしても、面倒な雑務が無くなる分、嬉しいことなのですよ」
「ふ~ん、まあ、褒められるのは嫌いじゃないから、どんどん褒めてくれ。俺がどんどん喜ぶから」
そのマリーの言葉がよほどツボに入ったのか、男性職員は小さく笑い声を零すと、小さな用紙にさらさらと数字を書き込んだ。それを、他の人が覗きこめないように手で隠しながら、マリーの方へと差し出した。
マリーは背後の人達から見られないように身を乗り出す……数字を確認してから頷くと、男性職員はそれをすぐさま細かく千切ると、椅子の隣に置いてある専用のごみ箱に捨てた。中には特殊な水溶液が入っており、時間が経過すれば自動的に復元不可能になるのだ。
「それでは少々お待ちください」
男性職員員は椅子から腰をあげると、オーブを持って職員スペースの奥にある部屋の中へ入って行った。換金所内に設置されている、大型オーブにエネルギーを移しに行ったのだろう。男性職員が戻って来るまで暇になったマリーは、ぼんやりと天井を見つめた。
換金所を出た頃には、すっかり夜空に星々が輝いていた。センターから零れる明かりが、ぼんやりとマリーを背後から照らしている。エネルギーの節約の為、街灯が落とされた通りは閑散としていた。
首に掛けて服の中に入れている財布の重さに、踊り出しそうな気分だ。軽く手でそこを摩ると、ずっしりと固い感触が伝わってくる。ダンジョンでの苦労が報われる瞬間である。
特に急ぐ用事も無いマリーは、のんびりとセンターを出て、飲食街へと向かうことにした。レンガを敷き詰めて整備した歩道を通り、月明かり以外の照明が存在しない裏通りを通る。時々感じる気配に足を止めて、視線を向ける。かすかに感じ取れた人影は、散らすように姿を隠していった。
前はよくゴロツキどもに絡まれたものだが、今では顔を見るだけで逃げ出すようになった。まあ、片手で大の大人をボールのように放り投げる様を見てしまえば、彼らの反応も頷けるというものだ。完全に気配が離れたのを確認したマリーは、再び歩き始めた。
夜空を見上げれば、宝石のように輝く星の輝きが目に留まる(確かあれは、天の川っていうんだっけ……何百年前の言葉だったかな)子供の頃、学校で習った言葉をマリーは思い出した。
この身体になってから、よく夜空を見上げるようになった。裏通りから見える夜空も、自宅から見える夜空もあまり変わらない……やっぱり、あの時に見た夜空が一番美しい。そう、マリーは何時も思う。
裏通りの世界は、あれだけ騒がしかったセンターの喧騒が夢のような静けさだ。レンガを踏み歩く革靴の音と、マリーが吐き出す吐息の音だけが、静寂の中に響いていた。
どれくらい歩いた頃だろうか。お世辞にも良い匂いとはいえない場所に香る、肉の焼ける匂いに、マリーの腹が音を立てた。思わず腹に手を当てて、こみ上げてくる唾を飲み込んだ。囁くように聞こえていた声は次第に大きくなっていく。強くなっていく食べ物の匂いと共に、増していく特有の煩さは、いつしかセンター内とそう変わらないものとなっていた。
迷路のような暗がりを抜けて、十字路を7つ曲がった後。遠くの方に見える夜店や出店の明かりに、マリーは、ほう、とため息を吐いた。同時に、マリーのお腹が盛大に空腹を訴えた。
「何を食おうかな……また肉にしようか。でも、なんとなく野菜も食いたい気分だしなあ」
裏通りから出た途端、マリーの身体を喧騒の波が包んだ。顔をあげれば、臭ってくるのは食べ物の焼ける匂いと、酒の臭いと……大勢の人達であった。死の恐怖と戦うダンジョンの世界が滑稽に思えるぐらいに、陽気な空気がそこに漂っていた。
静けさの霧に覆われた場所に居たせいだろうか。マリーは少しの間、聞こえてくる喧騒に眉根をしかめていたが……すぐに慣れて、緊張を解いた。途端、自己主張し始める腹音に苦笑しつつ、マリーはとりあえず適当に当たりをぶらつくことにした。
てくてくと、人の波をすり抜けながら周囲の出店や夜店に視線を向ける。どれもこれも実に美味しそうで、傍に寄らなくても漂ってくる香ばしさに、マリーは溢れてくる涎を堪えることが出来なかった。我慢できなくなったマリーは、ふと目に留まった『焼き串肉』の、のぼりを掛けた出店へと吸い寄せられた。
出店の大きさ自体は小さなものであった。店主であろう目じりに皺の寄った男が、額の汗を拭いながら団扇を仰いでいた。網の上におかれた赤み肉から滴り落ちる肉汁が、じゅう、と音を立てる。より濃厚に嗅ぎ取れる香りに、マリーの胃袋が音を立てた。つられて、店主の視線がマリーを捉えた。
店主が無言のまま、肉汁が滲み出ている串肉をマリーへと差し出した。30センチ近い串には、焼けた肉が5つ突き刺さっている。肉の1つ1つが、マリーの一口には些か収まらないサイズであった。
思わず串肉と店主の顔を交互に見つめる。早く受け取れと言わんばかりに店主は串を揺らした。
「……貰っていいのか?」
そう、マリーが尋ねると、店主は無言のまま頷いた。
まあ、貰ってもいいと思っているんだから、貰っても文句は言われないだろう。そんな気持ちで串肉を受け取ったマリーは、軽く息を吹きかけてから、串肉に噛り付いた。ぷつりと、思いのほか軽い力で噛み千切れたことを意外に思いつつ、頬張ったことで汚れた唇を指で拭った。
……咀嚼している間、マリーは無言のまま味を噛み締めて、ごくりと飲み込んだ。ほわっとマリーの顔に驚きの色が浮かぶとすぐに、マリーは再び肉に噛り付く。口内に広がる肉汁の味わいに、マリーの頬が喜びに緩んだ。
「美味いなあ」
ポツリと呟いたその言葉に、無表情だった店主の唇が、わずかに弧を描いた。店主は無言のままマリーの前に、メニューを差しだした。何気なく受け取ったマリーは、そこに書かれていた文字を見て、思わず咀嚼を止めた。
『 焼き串肉 餞別した肉だけを使用しています
秘伝のタレに浸けてじっくりと焼いたラドムの胸肉と
餞別した特選塩を使って味付けした豚肉が美味い!
・ラドムの胸肉: 1本 100セクタ
・豚肉: 1本 40セクタ』
(た、高いなあ、おい……いや、でも、この美味さと量を考えれば妥当かもしれないか……ラドムの肉使っているし、やっぱり妥当なのかねえ、これ)
止めていた咀嚼を再開しながら、マリーはそこに書かれた文字を読み返す。何度見ても変わらないそれを見て、そっと店主へと返すと、店主は無言のまま受け取った。
「どうだい、お嬢ちゃん、美味いかい」
「うわ、オッサン話せたのかよっていうか、意外と渋い声しているなあ、オッサン」
失礼なことを口走るマリーを他所に、店主は微笑を浮かべてマリーを見やった「今なら5本で480セクタにするよ、どうだい?」
その言葉に、マリーはキョトンとした様子で店主を見つめる。そして、嬉しそうにしながらも、首を横に振った。
「いや、オッサンの厚意は有り難いんだけど、そんなに食えねえよ。見ての通り、俺の身体は相応に小さくてね……しかも、胃袋は見た目以上に小さいんだ。5本も食ったら胃袋が破裂しちまうよ」
チラリ、と店主はマリーの全身に視線を流して……納得に頷いた。
「確かに小さいな。というより、お嬢ちゃんはちょっと痩せすぎじゃないかな。服の上からでも分かるぐらいに腰が細いってことは……男勝りの元気は見止めるけど、もう少し食べないと力が付かないぞ」
「ほっとけ。食べても太らないんだから仕方ないだろ。半月ほど食べて寝るだけの生活をしても体重が変動しないんだぜ。もう俺は色々諦めているよ」
「それは大変だな。せめて要所に肉が付いていたら、理想的なんだがな……そううまくはいかないか」
「うるさいよ。ああ、もう、分かった、分かったってば……買うよ。5本は食えそうにないから……そうだな、3本。ラドムの方を3本買うよ。そのかわり、持って帰るのが面倒だからここで食べていくからな」
これ以上説教されることを面倒に思ったマリーは、首に掛けた財布を襟元から引っ張り出した。中から紙幣を取り出すと、それを店主へと差し出した。店主は笑いながら紙幣を受け取ると、少量の硬貨をマリーへと返す……受け取ったマリーは、店主の断りも無いまま勝手に出店の中に入ると、立てかけて置いてあった折り畳みの椅子を引っ張り出して、そこに腰を下ろした。
ぽかん、と呆然とした様子でマリーの行動を見ていた店主は、ハッと我に返った直後、堪えきれないと言わんばかりに笑い声を零した。くくく、と苦しそうにしながらも、店主の手に狂いが無いのは、さすがであった。
「ああ、いいよ。食べ終わるまでそこにいるがいいさ……ところで、1本目はタレ、塩、どっちにする?」「さっき俺が食べたやつは、タレ?」「タレだよ。塩にするならすぐに用意できるけど、今度は塩にするかい?」「そうだな、塩にしてくれ」「あいよ」
店主が串肉を網の上でひっくり返す。肉から滴り落ちた肉汁が、じゅう、と音を立てた。網の横に設置された小さな調理台の上に置かれた果実を手に取ると、それをマリーへと見せた。
「いるか?」
「いらんよ。塩だけでいい」
そう、マリーが言うと、店主は果実を調理台に戻した。そして、焼けた串肉の一本を手に取って軽く肉汁を落とすと、マリーへと差し出した「焼けたよ。熱いから気を付けろよ」
「早いな」と言いながら、落とさないように両手で受け取る。湯気立つそれに息を吹きかけながら、先端の肉をかじる。ちょうどよい塩加減に、マリーの頬は力無く緩んだ「塩味も美味い」と舌鼓を打ちつつ、何気なく視線を横にやって……視界いっぱいに広がる少女の顔に、マリーの動きが止まった。
「…………っ」
今にも唇が触れんばかりに顔を近づけていた黒髪の少女と、目が合った。少女のシミ一つ無い褐色の肌が、出店の明かりに照らされていた。
「うぉわ!?」
突然、眼前に出現した少女の存在に、マリーは面食らった。のけ反る様に距離を取り……自分が椅子に座っていることを思い出したと同時に、重心がぐらりと傾いた。
「う、ああっ」踏ん張ろうと両足に力を入れるも、悲しいかな、マリーの筋力では倒れる速度を緩めることすら出来ない。なすすべも無く倒れそうになったマリーが、思わず前に両手を突きだした。
その手を、少女が掴んだ。あっとマリーが反応するよりも早く、少女はマリーの身体を引っ張って立たせた。マリーの背後で、椅子が転がった。
「…………」
「…………」
マリーは呆気に取られたまま、少女の全身を観察した。襟首が伸びた野暮ったいシャツと、膝までの長さのハーフパンツに覆われた四肢は細い。だが、細すぎると言うことは無く、健康的な細さだ。
向かい合って立ったことで、マリーは相手の少女が自らとそう変わりない背丈であることが分かった。
年齢は……14~6といったところだろうか。キリッと顔立ちの整った、冷たさを匂わせる美少女だ。短めに切りそろえられた黒髪が、少女の褐色肌に似合っていた。
いまだ掴まれたままの両腕に視線を落とす。白い腕を掴む少女の腕は、細いながらも筋肉質だ。わずかに筋肉の盛り上がった線が、腕のラインにそって伸びていた。
「ごめんなさい」
少女の唇から、謝罪の言葉が零れた。顔をあげて表情を見れば、少女の顔には懺悔の色が滲んでいた。
「怪我は、ない?」
染み入るように静かな少女の声が、マリーの脳裏を素通りする。どうやら、驚かしてしまったことを謝っているのだということにマリーが思い至ったのは、少女がマリーの顔の前で手を振ったときであった。
「だ、大丈夫だ、平気だ」
近すぎる距離に身を引こうとするも、腕を掴まれているので身動きが取れない。軽く引っ張って催促するも、少女は一向に解放してくれる様子は見られなかった。
「ごめん。お肉、落としちゃった」
そう言って、足元へ視線を下ろす少女に倣ってマリーもそこへ視線を向ける。そこには、先ほどまでマリーが噛り付いていた串肉が、砂と雑草にまみれていた。洗ったら食べられそうだが、味が損なわれているのは、想像するまでも無かった。
少女はマリーへと顔を向けた「お肉、弁償するから」そう少女は言って、マリーの背後へと回った。呆然としているマリーを他所に、颯爽と倒れていた椅子を元に戻し、優しくマリーの肩に手を置いた。マリーは、促されるがまま椅子に腰を下ろした。
「店主、この子が買った串肉を一つ用意して欲しい」
店主は振り返らずに少女に言った。
「格好つけているところ悪いが、お前、100セクタ持っているのか?」
瞬間、マリーは己の肩に置かれた少女の手が、ピクリと動きを止めたことに気づいた。おそるおそる少女を見上げれば、美しい無表情に、ひとすじの汗が頬を伝っていた。
……まさか、こいつ。
脳裏に浮かんだ疑問を尋ねるべきかマリーが判断に悩んだと同時に、背後にいる少女の腹が、盛大に鳴った。あまりに喧しいそれは、耳を澄まさなくても聞こえる程に大きかった。
「…………」
どうしようもない沈黙が、二人の間を流れる。少女の頬を流れる汗はふたすじになり、褐色の頬が、見る見るうちに紅潮していく。チラリ、と少女の視線がマリーへと向けられ、目が合った途端、少女は素早く視線を逸らした。
その直後、再び少女の腹が盛大に空腹を訴えた……少女も、マリーも、この空気をどうしたらいいのか、分からない状況になっていた。そんな二人を他所に、店主は無言のまま串肉に塩を振っていた。いっそ清々しさすら覚える程の対応だ。店主はひとつ頷くと、マリーへと肉の刺さった串を差しだした。
「ほら、二本目の肉だ。今度は落とさずに食えよ」
「え、あ、ああ」
差し出された串肉を、マリーは受け取った。視線を横に向けると、少女の食い入るような視線が肉へと注がれているのが見えた。マリーの存在など、少女の頭からは完全に消え去っているのは手に取るように分かった。今にも唇の端から涎が零れ落ちそうな少女は、音を立てて唾を飲み込んだ……直後、少女の腹が鳴った。通算、3度目だ。
……ゆっくりと、口を開けて串肉へと顔を近づける。途端、少女の瞳が羨望に揺れた。ゆっくりと話すと、少女の瞳がつられて動いた。右に左に揺らせば、暗黒石の瞳も合わせて揺れた。
た、食べにくい。マリーは思った。
「……欲しいなら、いるか?」
そう、マリーが串肉を差しだすと、少女は我に返った。跳び上がる様に距離を取ると、手と首を横に振った。
「い、いらない。それに、まだ私は肉を弁償していない」
「それはもういいから……というより、100セクタ持っていないのに、どうやって弁償するつもりだよ」
「それなら大丈夫。私は娼婦、男の一人や二人を捕まえれば、すぐ」
「へえ、娼婦か。それなら100セクトぐらいはすぐに……いや、待て」
納得しそうになったマリーは、寸でのところで少女へ掌を向けた。首を傾げている少女の全身に、マリーはじっくりと視線を上下させる。マリーの記憶にある娼婦たちと、目の前の少女を照らし合わせ……瞳を伏せた。
どう見ても、眼前の少女は娼婦には思えなかった。少女の放つ、言葉には出来ない雰囲気というか、気配というか、そういうものが娼婦のそれではなかった。マリーはため息を吐いた。
「それじゃあ、肉は弁償しなくていいから、俺が食べ終わるまでの間、話し相手になってくれないか?」
「話し相手? 私と?」
首を傾げた少女の疑問に、マリーは頷いた。
「なにぶん、あんたぐらいの子と……というか、普段女と話す機会は滅多にないからな。都合が悪いなら構わんが、しばらく付き合ってくれよ」
「……時間は大丈夫……そんなことでいいの?」
「十分だよ」
困ったように佇んでいる少女に向かって、マリーは持っていた串肉を差しだした。受け取れないと拒否する少女に「一人だけ食べるのは気まずいから、一緒に食べてくれ」と言ってむりやり握らせると、マリーは店主へと声を掛けた。
「おっさん、ラドムの肉5本追加だ。話しながら食べるから、そこまで急いで焼かなくてもいいぞ」「お嬢ちゃん、金は持っているのかい?」「持っていなかったら注文しねえよ」「そりゃあ、そうだ」
マリーは首に掛けた財布から紙幣を数枚取り出して、店主へと差し出した。「多すぎだよ」と一枚を抜き取って返そうとする店主に「釣りはいらん。そのかわり、しばらくの間ここで好き勝手に飲み食いさせてもらうから」と、マリーは受け取りを拒否した。
さて、と。マリーは改めて少女へと向き直ると、にこやかな笑みを浮かべた。
「それじゃあ、遅ればせながら自己紹介といこうか。俺の名前はマリー。探究者をやっている。あんたの名前は?」
呆然と目を瞬かせた少女は、マリーの言葉にハッと我に返った。貰った肉とマリーを交互に見やって深々と一礼した。
「サララ。私の名前は、サララ。娼婦館『ラビアン・ローズ』に所属している、娼婦の一人」
褐色の少女ははっきりとそう告げると、暗がりの中でも分かるぐらいに……朗らかな笑みを浮かべた。
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