デモ活動がテロ行為であろうはずがない。デモは有権者による意思表示の重要な手段で、憲法も表現の自由を保障する。デモの持つ重みを理解していないのなら、あまりにも鈍感で、政治家失格だ。
政権与党の幹部が、国会周辺で繰り広げられているデモ活動をどのように見ているのか、本音がよくうかがえる発言ではある。
自民党の石破茂幹事長が自身のブログに、デモ活動を「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思う」と記した。
その後、「党の責任者として、行き届かなかった点があったことをおわび申し上げる」と陳謝。テロ部分の表現を「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思う」と修正したが、デモ活動を批判する姿勢は変えなかった。
国会周辺のデモは「国会議事堂・外国公館等周辺地域の静穏保持法」や東京都の集会条例で規制されている。デモが憲法でその自由が認められた活動とはいえ、法治国家である以上、法律や条例を順守して行われるのは当然だ。
そう考えると、特定秘密保護法案や原発再稼働に反対するデモ活動が、警備の厳重な国会周辺で今も行われているのは、法律や条例に違反していないからだろう。ベテラン政治家なら、その程度のことはご存じのはずではないのか。
有権者にとって政治家や政策を選択する最大の機会は選挙だが、白紙委任をしたわけではない。政治が自分たちの思いと違う方向に進もうとしているのなら、声を上げるのは当然だ。
石破氏は、デモ活動が民主主義社会で果たす役割をどこまで理解しているのか。政権与党の幹部なら、自らの政策への痛烈な批判と受け取るべきでなかったのか。
石破氏の記述を見過ごせないのは、安倍内閣が国民の声に耳をふさぎ、特定秘密保護法案の成立を強行しようとしているからだ。
この法案はテロの定義があいまいで、「主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要」する行為も、テロに該当するかのように読めてしまう。
正当なはずのデモ活動が「主義主張を強要した」としてテロに認定され、取り締まりの対象になってしまうとしたら、そんな国家が民主主義体制と言えるのか。
石破氏はデモに対する誤った認識を撤回し、自ら責任を明らかにすべきだ。種々の懸念が指摘されるこの法案が、廃案とすべき悪法であることは、言うまでもない。
この記事を印刷する