<< 前の記事 | アーカイブス トップへ | 次の記事 >>
視点・論点 「特定秘密保護法案(1)」2013年11月28日 (木)
東京大学教授 長谷部恭男
今の臨時国会で審議されている特定秘密保護法案は、政府の保有する情報のうち、国民の安全の確保という見地から特に保護の必要性の高い情報を適切に保護するための制度を定めようとするものです。ただこの法案については、いろいろな批判があります。今日は、そのうち主なもののいくつかについて、お話をします。
第一に、そもそも日本という国には特別の保護に値する秘密など存在しないという立場も、理論的にはあり得るとは思いますが、あまり常識的な立場ではないでしょう。そうした特別な保護に値する秘密を政府が保有している場合、みだりに漏洩が起こらないよう対処することには高度の必要性が認められ、そのための制度を整備することも十分に合理的と考えられます。また、機密性の高い防衛情報やテロ関連情報を、政府内部の各部署の間で共有する仕組みを作ることは、それぞれの部署が個別に持つ情報を付き合わせることで、より効果的な対策を検討する上でも必要です。他の国でも似た制度は少なくありません。また、日本でも、自衛隊法で定められた防衛秘密の制度など、同様の制度がすでに部分的に導入されています。
第二に、この法案自体でも、何が特別な保護に値する秘密かについての基本的な考え方は示されていますが、より具体的に、どのような情報が特別な保護に値する「特定秘密」なのかが分からないことが、批判の対象とされることがあります。ただ、これは、閣僚や国会議員の方々を含めて、人がおよそ全知全能ではないため、何が特別な保護に値する秘密かを予め隅々まで確定することが不可能であり、その答えは、具体的な事例ごとに専門知識を持つ部署で判断し、個別に指定していくしかないからです。似た制度は、世の中に広く見られます。
個々の情報の保護の必要性は、時代によっても国際環境によっても変化します。誰が考えても特別な保護に値する情報、誰が考えてもそれに当たりそうもない情報を例示することはできますが、その他の情報については、具体的事例ごとに、専門知識を持つ各行政機関で合理的に判断し、その都度、指定したり解除したりするしかないわけです。
逆に言えば、何が特別な保護に値する情報として指定されるのか、事前に隅々まで判明していない限り、こうした制度を作ることは認められないという考え方では、およそこの種の制度を作ることは不可能になります。事前に隅々まで確定できないのは、われわれの生きるこの世界が、そういう風にできているからであって、仕方のないことです。
こうした仕組みだと、「特定秘密」として指定される情報が際限なく増えていくのではないかとの懸念の声も聞かれますが、これは心配のしすぎだと思います。この仕組みは、たとえて言うと、特別な保護の必要な情報を厳重な金庫の中にしまっておいて、信頼できると分かっている権限のある人だけが、金庫を開けて中を見ることができるというものです。政府の保有する情報を何でもかんでも金庫に入れて、限られた人だけが見られることにすると、政府の仕事がやりにくくて仕方がありません。常識的に考えて、秘密指定の範囲が際限なく増えていくことは、ないと思います。
第三に、この法案は、政府が保有する情報のうち、公になっていないもので、特定秘密として指定されたものについて、それを漏洩する行為や、漏洩を唆したり、煽動したりする行為などを処罰の対象としています。巷間では、民間人が独自に収集した情報や、すでに公になっている情報についても、それを保有することが処罰の対象とされかねないとのホラー・ストーリーが流布しています。もちろん、こんなことを処罰の対象とすることには、私も絶対に反対です。ただ、それはこの法案の内容とは違う話ですので、こうしたホラー・ストーリーは、この法案を批判する根拠には、ならないでしょう。
第四に、この法案が報道機関の取材活動に悪影響を及ぼすのではないかという懸念が示されることもあります。ただ、広く知られているように、いわゆる外務省秘密電文漏洩事件に関する昭和53年の最高裁の決定(最決昭和53・5・31刑集32巻3号457頁)は、ひらたく言うと、よほどおかしな取材の仕方をしない限りは、報道機関が公務員に対して情報を求めたからといって、処罰されることはないと言っています。今回の法案の21条2項の条文は、こうした判例の考え方がこの法案に関しても当てはまることを改めて確認しています。
この21条2項についても、何が「著しく不当な方法による」取材行為かがはっきりしないと批判されることがあります。しかし、報道機関の記者は子どもではなく、大の大人ですから、何が「著しく不当な方法」かぐらいは、自分で判断して当然のように思われます。「正当な理由なく」他人の住居に侵入すると、刑法の住居侵入罪で処罰されますが、この規定について、何が「正当な理由」なのかはっきりしないではないかと文句を言う人はそう多くないと思います。大人なら分かるはずだからです。裏返して言うと、報道機関の記者がどのように取材すべきかを一々法律で決める方が善い社会だとは言い切れないでしょう。
他方、この条項については、具体的に言って誰が報道機関のメンバーと言えるかが明確でないとの批判が加えられることがあります。私は、これはさほど困った問題ではないと考えています。常識的に言って、誰が報道機関のメンバーであるかは大部分の場合、容易に判断できるはずです。また、仮に判断の難しい事例が起こりうるとしても、そうした判断が求められるのは、実際に秘密の漏洩を唆す行為がなされた場合ですから、そうした事件が実際に発生したときに、その具体的な状況に即して果たして当事者が報道機関のメンバーであると言えるか、彼の行為が公益を図る目的からなされたもので、しかも、著しく不当な方法によるものではないかを裁判所が個別に判断すれば十分だと考えます。前にも申し上げたように、人間は全知全能ではありませんから、予め法律の条文でこの種の問題の結論を決め切ってしまうことが賢明であるとは言えません。
さらに、こうした法律を作ること自体が、政府の保有する情報を取り扱う公務員の萎縮を招き、報道機関の取材活動を困難にすると言われることもあります。報道機関の側からすれば、あまり苦労をしないで公務員から情報を獲得したい、できるだけ楽に仕事をしたいと考えるのは無理からぬところがあります。ただ、この法案の目的がそもそも特別な保護を必要とする政府保有情報に関して、とくに慎重な取り扱いを求めるものですから、慎重な取り扱いをすることは、悪く言えば萎縮しているというだけの話のように思われます。つまり、この問題は、そもそも日本という国には、特別な保護に値する政府保有情報はあるのかないのか、という冒頭の問題に戻っていくことになります。国民の生命や財産の安全よりも知る権利の方が、いつも必ず大切だと、言い切ってしまっていいのかという問題です。