2011年06月27日

ネトウヨという単語

よくネトウヨ自身はネトウヨというものは存在しない。それは在日や中国の工作員がちょっと愛国心をもってる一般人を貶めるためにそのような単語をばら撒いたのだと言うのである。

正直下らなすぎる。っていうか彼らはそこで言葉の定義云々の話ばかりで本筋から反らすのが目的だから付き合う必要はないのだけど…

そもそも単語ってのはいくら造語したところで、その単語が浸透しなきゃ成り立たないのである。

例えば”猫”といえばみんな一定のイメージは想像できて共通の認識が持てる。
それが単語としての本質であろう。

造語が浸透するうえではそれが全てあってつまり一定の人の共通の認識、共認とでも言うべきであろうかそれが不可欠である。
ネトウヨという単語が定着したのは単純にネトウヨと聞いてある多数の人がどういう人物たちかだいたいイメージができるから、言葉として定着してるのである。

なんかあるサイトでは○○といったらネトウヨと言われたみたいのを表にして、いかにネトウヨという言葉を使うやつがおかしいんだという主張してるとこもあるみたいだが…
それは在日という言葉使うやつも同じで
普通に2chの実況みてても原発推進派は在日、脱原発派は在日だのすでに矛盾している光景を幾度なくみる。
結局都合の悪いものはみんな在日扱い。ただその辺の酷さはネトウヨという単語を上回るわけである。
元々ネトウヨって単語の原点はところ構わず現れる嫌韓厨に対するカウンターの単語して発生したのが始まりだと思っている。
実際昔、2chができてそんな間もない頃か実況なんかでもほんの数秒間、韓国取り上げただけで過剰反応し、嫌韓節を炸裂してたのがその頃からそれなりにいて、他の人はそいつらに辟易していて、こいつらうざいなぁという共通の認識は既にあったわけであるし。

そもそも彼らが基本的に礼儀を弁えて場所を弁えて思想語っていればネトウヨという単語はそもそも生まれなかったと思うし、仮にできたとしても現在のようなレッテルの意味での意味にはならなかったと思われる。

簡単に言うとTPOを弁えない場違いな荒らしが連中がいて、その内容が右派的、民族主義的であったからそいつらに対する呼称になったのである。

またネトウヨという単語には旧来の保守派や右翼とは明らかに違う連中なのでそれとは区別するためにあるという側面もある。
実際、保守派からも彼らと自分らを一緒にされるのは甚だ心外だという声も非常に強い。その意味では保守派のためでもあるのである。

次回では旧来の保守派とネトウヨの違いを考察したい。
posted by 東雲草 at 02:32| Comment(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。