平素より当サイトをご利用頂き、誠にありがとうございます。
この度【元銀行員:佐藤 翼】様より無料ポイントのプレゼント申請が御座いましたので、お客様の所持ポイントに無料にて30000PTを追加させて頂きました。
どうしても貴方に相談に乗って欲しくて、サイトに頼み込み、私からの自己紹介文を特別に貴方のトップページに載せさせてもらいました。
まず始めに頭を下げて謝ります。 突然のご連絡で驚かせてしまって本当に本当に申し訳ありません。ですが今回、貴方だけにしか話せない大切なお願いと相談があるので紹介文に最後まで目を通してもらえればと思っています。
実は私は幼い頃、父の暴力が原因で、母は失踪。これまでの人生、ずっと父に育てられてきましたが、父には一度も感謝の気持ちを抱いた事がありませんでしたし、ずっとずっと身勝手な父を恨んで生きてきました。その一番の理由は、
幼い頃から受けてきたDV。
虐待…。
時に私は父を《この世から消してしまいたい!》
幼いながらに、そんな思いまで芽生えてしまう程、私の幼少期は人様には計り知れない程過酷なものでした。
私には幼い頃の写真が一枚もありません。
それはきっと父も私を我が子として愛してなどいなかった一番の証拠だと貴方も思いませんか?
そんな父が口癖のようによく言っていた言葉。
それはね…。
【お前は金食い虫だ!お前の人生は親の為に働いて、親を食わせて行く為にあるんだ!いいか?高校も大学も金は一円たりとも払わん!お前が自分でバイトをして推薦で入学するんだ。卒業したら公務員になってしっかりと金を稼いで親孝行をしろ!今ままで俺がお前を育ててやったんだから今度はお前がいい給料を貰ってその金で親を食わせるんだぞ!わかったな!?】
私は日々、愛情など全く感じられないようなこんなスパルタな教育を受けこれまでの人生、まるで父の奴隷かのような毎日を余儀なくされてきました。
貴方には考えられますか!?
けれど…。
例えどんな親でも私をここまで育ててくれた父には何ら変わりはありません。
本当は…本当は何度も何度も心の中で《いなくなっちゃえばいいって、いつもいつも思ってました。》
だけど私はそんな父から早く離れたい。一刻も早く逃げたい!まだ学生だった当時はそんな思いから、高校も大学も遊ぶ時間も寝る時間も惜みながら勉学に励み、高校も大学も無事に推薦で入学するに至りました。
卒業後は私の本当の将来の夢でもあった《芸能界》への道を諦め、銀行員として働き、毎月30万円の生活費を父に送り続けてきました。
そのお陰で私はいつも残り少ない10万円以下のお給料のみの極貧生活。
部屋にはお風呂もない築年数50年のアパート。 そのかわり家賃は破格の1万5千円。食費さえ抑えれば何とか生活は出来るレベルではありましたが、働いても働いても給料は残らず、ボーナスでさえ全て取り上げられてしまっていた私は《生きる希望》さえ見失いかけていた時もありました。
正直言えば《自殺》まで考えた事もあるぐらいです。
そんな矢先の出来事…。
私の勤める銀行に突然警察からの連絡が入り、父が交通事故にあったのですぐに搬送先の病院に来てくれと言う電話を受けたのです。
私が駆け付けた時には父は既に心肺停止状態。見るも無残な変わり果てていました。
だけど不思議ですね。
その時はあんなに憎んでいた父なのに、何故か涙が止まらず、
《お父さん目を覚まして?》
《お願いだから息をして?》
《もう一度お父さんって呼ばせて?》
そんな思いが胸の内から湧き上がってきたんです。
もうどれぐらい泣き続けたのかわからなくなるぐらい泣きました。
それから約1週間が過ぎた頃…。
貴方だけに正直に告白しますが、実はその時受けた精神的ショックやストレスからか、私は声を失ったんです。
お医者様には《原因は不明》とはされていますが、実は私はまだ世間での認知が薄い《痙攣性発声障害》と言う病気を患ってしまったのです。
それが原因で私は当時勤めていた銀行での仕事にも支障を来すようになり、まずは仕事を辞めざるを得なくなりました。
それだけでなく、声が出ない私をまるで軽蔑するかのような眼差しで見られるようにもなり、たくさんの仲間だと思っていた人達にもいわゆる《障害者》としての偏見からか、全員私から離れて行ったのです。
父の死を境に私は何もかもを失いました。
生きる事も辛い、死ぬ事も辛い。
こんな気持ち、貴方には分かりますか!?
それからしばらく経ったある日の事です。
何気なく父の遺品を整理しながらふと目にとまった父の携帯を覗いた時の事でした。
そこには受信メールにも送信メールにも今私達が使っている、このサイトのメールばかりが並んでいたんです。
私は恐る恐る生前父がどんな目的でサイトを使っていたのか中を覗いてみると、そこには私の父からのメッセージとは思えない、とても信じられないメッセージがたくさんの人に向けて送信されていました。
父のメール内容↓
《僕は困ってる人を救いたい。その為に金銭的援助が必要な方はメッセージを下さい》
最初見た時には正直意味が分かりませんでしたし、父は無職で貯金もなく、毎月私からの仕送りによる30万円で生活していたわけですから当然あいた口が塞がりませんでした。
だけど私はこのメールを見た時に初めて父にもこんな良心の想いがあり、困っている人を救いたいと願うそんな人としての優しい気持ちを感じた事も事実です。
この時私はふと、生前父からよく言われたこんな言葉を思い出したのです。
《人の為に感謝されるような行いをしなさい。そうすればそれ以上の喜びや笑顔が自分自身に返ってくるのだから。》
このメッセージは父が生前私に残してくれた遺言状にも書いてありました。
貴方はここまでの話を聞いて、私の実の父の事をどう感じましたか?
私自身はこの時、父は本当は決して悪い人間ではなかった。ただ我が子には不器用で間違った教育をさせてしまったかもしれないけれど、本当は世間の厳しさを身を持って学ばせたかっただけだったのではないのかな?
最近になり私はやっとそんな風に前向きに思えるようになりましたが、ここからが本題なのです。
先日、ふと父が使っていたタンスの中の遺品を整理していると、引き出しの中からは《馬券》や《宝くじ》が何十枚も何百枚も出てきたんです。
中には当選しているのにも関わらず、まだ換金されていないものもあるかもしれないと思い、私は念の為に一枚一枚当たり外れを確認していました。
今でもあの時の感覚や衝撃は忘れもしません。
私は当選数字を見た瞬間に指先から全身にかけて身体に震えを覚えたのです。
貴方だけに話しているのでこの事は絶対に口が裂けても誰にも言わないで下さいね!?
実は父が私に残してくれた宝くじの中の1枚が何と、2013年4月5日に発表されていたロト7の1等の当選金である【301,716,500円】に見事に当選していたのです。
その時の抽選結果は本数字が
「07/10/12/17/23/28/34」
貴方もこのくじと過去の当選履歴を見て下されば一目瞭然ですが、間違いなく父が生前購入していたロト7は第1回目のロト7の1等に当選していました。
私は信じられない思いを抱きつつも、翌日慌ててみずほ銀行に駆け込み、当選金の受取を済ませると同時に、何日も何日もこの大金の使い道を考えました。
その時に私は父の遺言状を見返し、一つの結論に辿りついたのです。 生前、憎む事しか出来なかった父が人助けの為に行ってきた行為を私が受け継ごうって…。
天国にいる父もきっとそれを望んでいますし、父の遺言とも思えるメモには今後支援をするはずであった4人の支援予定者の名前も書いてありました。
既に【301,716,500円】の中から3名の方へと7500万ずつお渡しし、残るは最後の一人であります貴方の受け取りを残すのみとなりました。
父の遺言通りに、このサイトでまだ成し遂げられなかった父の望みを叶えてあげる為にも、最後の受取人である貴方が現金7500万を受け取ってもらえませんか?
それが私の使命でもあり、人生最初で最後の
親孝行
だと確信しています。
お引き受け頂ける場合は、ご不明点、心配な事など、私が何でもお答えしますので、まずは一度下記メールフォームよりご連絡下さい。
※【元銀行員:佐藤 翼】様へメール送信
件名:受取承諾
本文:佐藤翼様へのメッセージ
※注意※
【元銀行員:佐藤 翼】様が手数料をお支払いになった事により、無料でプレゼントされた30000PTは一定期間を過ぎてもお使いにならない場合はが掛り、今後一切のご利用が出来なくなりますのでご注意下さいませ。
尚、貴方様には以下4名様からの特別メッセージも寄せられております。
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お相手会員様のお気持ちにお応える為にも、是非この機会に一度ご連絡を取り合ってみてはいかがでしょうか?