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【グラニュース】ピクシー「重要な仕事を成し遂げられた」2013年12月2日 紙面から
◆本紙評論家・米山さんが聞くラストインタビュー<前編>名古屋グランパスのドラガン・ストイコビッチ監督(48)が7日の新潟戦(東北電ス)で6年間の監督生活に別れを告げる。2010年にJ1初優勝するなど大きな功績を残したピクシー。選手時代に敵として戦い、監督と選手の関係でもあった本紙コメンテーター、米山篤志さん(37)との対談で、6年間の本音を明かした。2回に分けて紹介する。 米山「ミスター、僕はずっと、謝らなきゃいけないと思ってたことがあって。(08年に)グランパスの最後の試合に使ってもらった時のことなんだけど」 ピクシー「覚えてるよ、札幌戦だね。美しいゴールだった」 米山「ゴールが決まって興奮し過ぎて、監督が迎えに来てくれたのに気付かなくて、僕は選手たちのほうに行って。後で映像で見たら、大変なことをしちゃったなと、気になってたんですよ。ごめんなさい」 ピクシー「大丈夫。ヨネがクラブを離れることは聞いていたから、あの瞬間は本当に興奮した。だから飛び出していったけど、すれ違いだったね。でも、最高のストーリーだった」 米山「ミスターが名古屋に来た時、正直に言うと、選手たちは不安のほうが大きかった。前の年の成績は良くなかったし(11位)、補強もほとんどなくて、初めて監督をやる人だったから」 ピクシー「期待や疑問、ジレンマもあったかもしれない。監督が決まって自分自身に問い掛けた。私はグランパスのために何ができるかと。面白いサッカーをしようと思った。結果は保証できない。ただ、スペクタクルなサッカーで、みんなを喜ばせたかった」 米山「僕も一応、監督(東京23FC=関東社会人1部リーグ)をやらせてもらってますが、あらためて監督のすごさを感じている。ほんの短い間で、何年も監督をしているような雰囲気を、選手たちは感じていた」 ピクシー「選手が理解し始めたなと思ったのは、最初の指宿キャンプの後だった。この監督を信じていいのかなという選手の雰囲気を感じた。監督と選手との関係がポジティブに回り始めたと思う」 米山「僕は最初、ほとんど試合に使ってもらえなかったけど、選手のことを本当によく見ているなと思っていた」 ピクシー「いつだって、新しい監督は何かを変えたいと思う。名古屋に来る前に、選手たちがどのポジションでどんなプレーをしているか映像で確認した。ナオシ(中村)はサイドでプレーしていたが、中央でプレーしたほうが持ち味を生かせる。玉田はプレーすることすら許されず、忘れられようとしていた。だけど玉田は素晴らしい技術があって、スピードもある。精神面は…まあまあかな。簡単ではないが、いろんなことを変える必要があったし、やりくりしながら選ばなきゃいけない。この気持ちは、ヨネなら理解できるだろ」 米山「ええ、いつも感じています」 ピクシー「当時、センターバックは5、6人いた。米山という経験のある選手。一方で、吉田という若くて将来を嘱望された選手もいた。私は半年後、1年後をイメージしながら、誰を使うか決めた。6年間のなかで、私はいろんなミスを犯したかもしれない。でもモウリーニョ(チェルシー監督)だって間違いはある。私は自分の本能に従って決めてきた。ヨネが重大な決断を迫られたときには、自分の直感を信じてほしい。いろんな人が多くの情報を耳に入れてくるだろう。でも最後は自分を信じることだ」 米山「そう理解しても、監督の思惑と、選手の考えることがズレるっていうことはないですか」 ピクシー「とっても大きなギャップがあるね(笑)」 米山「それで苦しんだのは、どんなケースですか」 ピクシー「うーん、玉田かな。素晴らしい選手であることは間違いない。でも100%じゃない時がある。ピッチで消えてしまうことは私としては受け入れがたい。後半、何度か交代を告げると『何でオレが』という身振りをしていたが、ハイレベルな選手なのに、それを出せないのは難しい。選手は代えられるのが好きじゃないが、戦術的な変更が求められることもある。私は冷静に対処してきたが、他の監督なら、アウトにしていたかもしれない。2010年の玉田は素晴らしかった。たくさんゴールを取って優勝に貢献してくれた。あの輝きをもう一度見たい。何度も言うが、クオリティーの高い素晴らしい選手だし、私の大好きな選手の一人だ」 米山「僕は、ミスターが、ファーガソン(マンチェスター・U前監督)やベンゲル(アーセナル監督)のように、ずっとグランパスを率いると思っていた。6年間で一区切りついたことを、どう思っていますか」 ピクシー「重要な仕事を成し遂げられたと思っている。面白いサッカーを見せることができた。毎年優勝するのはとても難しい。他のチームは研究するし、補強もする。もっとできたかなとも思うが、完ぺきはあり得ない。6年間で、この仕事の形は確立できたと思う。選手が面白いと思うメニューを考え、それを理解させる作業はできた。1週間、1カ月のスケジュールも立てて、チームとして一つのやり方を植え付けられたと思う。プロとしての振る舞いに加え、選手たちがプレーを楽しんでくれた。私はそれを誇りに思っている」 <ドラガン・ストイコビッチ> 1965年3月3日、セルビア(旧ユーゴスラビア)・ニシュ生まれの48歳。現役時代はFW、MF。90年イタリアW杯8強。94年にグランパス入りし95年JリーグMVP。98年フランスW杯にも出場した。2001年第1ステージ限りで引退。J通算184試合57得点。引退後は、セルビア・モンテネグロ協会会長などを歴任し、08年にグランパス監督就任。10年J1最優秀監督。監督通算成績は203試合103勝58敗42分け(1日現在)。家族は妻と1男2女。 <米山篤志(よねやま・あつし)> 1976(昭和51)年11月20日、宇都宮市生まれの37歳。神奈川・桐蔭学園高から駒大に進み、1998年、V川崎(現東京V)入り。ピクシーの現役最後の試合で、V川崎DFとして対戦した。2007年から2年間、グランパスでプレー。現在、東京23FC監督。日本代表1試合。J1通算244試合14得点。12年から本紙Jリーグコメンテーターを務める。 PR情報
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