Shinya talk

     

 

2013/12/02(Mon)

自己弁護のために民主主義という矜持を利用するな。

デモはテロと本質的に同じ素っ頓狂発言は当然のごとく炎上し、さっそく石破はお詫びと訂正を入れたらしい。



お詫びしたとしても彼がそのような偏狭な考えを持っていたことはすでに披瀝されてしまっているわけであり、彼の日頃の発言を聞くともう少し大人だと思ってたが、どうもそうではないようだ。



というより今回の子供染みた発言を聞くと、なぜか彼がキャンディーズフリークだったころのあの20歳の童顔が思い浮かぶ。



デモとは異なるものの、スーちゃんの横に坐るくらい入れ込んでいた石破青年(少年)はおそらくキャンディーズのライブの折りにはフリークたちのあの気持ちの悪い一斉のかけ声(コール)と熱狂唱和ししたであろうことは想像に難くない。



ひょっとしたら彼は自からのその”我を忘れた熱狂”を大声のデモに重ね合わせ、その忘我の危険性を指摘したのかも知れないが、言っておくが原発デモや秘密法案デモは、キャンディーズコールと同じくらい大きな声を出したとしてももっと理性的であり、なによりも天下国家のことを憂えての行動であり、天下国家とは隔絶したオタク世界のコールとは本質的に異なる。





ただしそうは言うものの、今回の石破の発言はそれなりの一定の功績はあると言わねばならないだろう。



「特定秘密法案」なるものが施行された場合、それによってどのように一般市民やジャーナリズムの表現の自由が制限されるのか、ということは実際にそれが施行されてみなければわからないというもどかしさの中で、反対運動が起きているわけだが、少なくとも、彼のその勇み足的発言によって(デモさえテロと見なしてしまうという)権力側の本音が透けて見えたからである。



訂正、謝罪など”その場凌ぎ”のことでどうでもいいことであり、彼のその発言(本音)には極端に言えば自分と異なる思想や意見を持った者はテロリスト(犯罪者)として許さないという公権力の怖さが顔を覗かせている。





私はあなたの意見には反対だ、 だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。





とフランスの哲学者ヴォルテールは言ったが、石破の言う「民主主義として望ましい」とは本来このことであり、民主主義という矜持は自己弁護のために使うものではない。







     

 

2013/12/02(Mon)

強権の足音が聴こえる。

国会周辺の市民デモは本質においてテロと変わりはないという石破発言はデモに許可を与えた警視庁がテロを容認したことと同じである、と同時に表現の自由に制限を加えようとする「秘密保護法」の強権の足音が聴こえる(藤原新也)。




以上ツイッター拡散要望。

     

 

2013/11/25(Mon)

猪瀬たった一人はいかにも寒々しい。

23日のトーク「警告」は炎上し、膨大な数のツイート、リツィートが流れ、今だに続いているようだ。



猪瀬問題をスクープした朝日新聞は当然「秘密保護法」に”待った”をかけなければならない立場にあるわけだから、各紙の競争原理の中(絶妙のタイミングで秘密保護法問題を霞ませるスピンネタとなってしまうことを承知で)この猪瀬問題を報道しなければならないことに自己矛盾を感じているはずである。



オリンピックで一躍脚光を浴びた矢先の、金問題によるこの都知事の転落は「特定秘密保護法」に比して大衆にも非常にわかりやすく、しかもセンセーショナルなネタであり、情報操作を将棋に準えるなら、正念場においてちょうど飛車角クラスの持ち駒を”誰か”が手にしていたということになる。



将棋さしは重要な持ち駒は温存し、ここぞという場面でパシッとその駒を碁盤に打ち込むわけだが、地検は猪瀬に金の渡ったことをすでに去年の段階で掴んでいるにもかかわらず(地固めをする必要があったとしても)一年近く経ち「特定秘密保護法」衆議院通過間際で反対運動が盛り上がりつつある、この”時”に絶妙なタイミングで、まさに”今でしょ!”とばかりお披露目となった。

それが地検がリーク”した、しない”にかかわらず「特定秘密保護法」問題を衆目から逸らす絶好のスピンネタになったことは、この週明けのテレビ報道が猪瀬問題一色になったことからも証明されている。



しかしこのように言いながら私は地検にたってお願いしたいことがある。



猪瀬は氷山の一角であることはあなた方はお知りではないかということだ。



日本の重鎮政治家がほとんど二世であることが示しているように、この毛並みと襲名政治の跋扈する日本という国において、名前も地盤も看板もないあの徳之島という最果ての島から中央政治に打って出ることは並大抵のことではなく、その力となるのが唯一”金”であったことは想像に難くない。



一説によると徳洲会が全国に勢力を伸ばす過程でばらまかれた金は猪瀬の5、000万などは端金で何十億もの金がう動いているとされるが、たとえばグループが開設した老人保健施設に認可を与えるとともに都が約7億5千万円の補助金を支出した石原元都知事時代の知事の選挙活動の前に今回の猪瀬と同様の金が動いたことはなかったのか。



あるいはまた自民党幹部にそういった種類の金が流れてはいなかったのか。

東京地検はこのあたりを公明正大にやってもらいたいと思うのである。

逆に言えば、「特定秘密保護法」成立直前の”猪瀬たったひとり”ということであればいかにも”寒々しい”ではないか。

     

 

2013/11/23(Sat)

警告。

猪瀬直樹都知事の5000万円受領問題をこのタイミングで東京地検特捜部がリークしたことは市民レベルで盛り上がりを見せる「特定秘密保護法案」問題の目くらましであることを忘れてはならない。


Twitterをしている方々は拡散してちょうだい。


Twitterへのコピペ。



猪瀬直樹都知事の5000万円受領問題をこのタイミングで東京地検特捜部がリークしたことは市民レベルで盛り上がりを見せる「特定秘密保護法案」問題の目くらましであることを忘れてはならない!!!と藤原新也が警告。




     

 

2013/11/21(Thu)

ますます重要になってきた日米安保の上にとつぜん植え付けられはじめたトッッピングとしての特定機密保護法案。(Cat Walkより転載)


一党独裁、安倍はこのところTPP、消費税と、あたかも通過儀礼のように”慎重に検討してますポーズ”だけとって”やりたい放題”である。



野党の意見を”聞いていますポース”をとっている「秘密保護法案」も同様。



その本心は弱小野党などどこ吹く風。



従軍慰安婦番組問題で怨念を残すNHK人事にも遠回しに手をつけはじめているから安倍は節目の無い竹のようなお坊ちゃんであるがゆえに怖い。





この夏、その安倍首相のお膝元は山口県の岩国基地に入ってまざまざと見せつけられたことがある。



岩国基地は錦帯橋下流の河口に広がる三角州に実に甲子園球場145個分のの敷地を占める広大な基地だ。



一般に岩国基地と言えば自衛隊岩国基地という風に考えがちだが、日本本土で唯一の米海兵隊の航空基地として米軍が同居している。



ベトナム戦争時では出撃基地として利用され、湾岸戦争でも兵員が派遣されたことからもわかるように、日本における米軍最重要基地のひとつなのである。



私がこの基地を訪れたのはこの夏のトークにも書いたように救難飛行艇US-2に乗るためだが、単なる飛行機見たさのミーハー訪問ではなく、その機会に日米関係というものを理論ではなく”生もの”として存在する現場を見てみたいという思いもあった。



そこで見せつけられたのは日米地位協定というものが米軍と日本国民の間のみならず、自衛隊と米軍の関係の中においても存在しているという厳然とした事実である。





基地に入るには当然ゲートをくぐらなければならない。

いわゆる”玄関”である。



”何!”と思ったのはいきなりその玄関口からであった。

実はその玄関は事実上米軍が管理している。

そのゲートを潜るとそこは米海兵隊の広大な駐屯地となっており、巨大なハムみたいな兵隊や巨女が私服でユタユタとジョギングしていたりするのである。



そこはいきなりアメリカだったのだ。

ファストフードショップもあればアメリカンスーパーもある。

当然撮影禁止。



それではめざす自衛隊クンは一体どこにいるのか。

手をこまねくがどこにもそれらしいものは見えない。



その米海兵隊街の中を通る道路をくねくねと通って、しばらくしてやっと海上自衛隊の航空基地(海兵隊基地に比べるとちょっとみすぼらしい)に至るという寸法。



つまりゲートから自衛隊駐屯地に至るその過程で日米軍の力関係があからさまみ見えてしまった。

自衛隊とはアメリカ軍の腹にくっついているコバンザメなのである。

これが日米安保の偽らざる正しい姿。





来週にでも衆議院を通過しそうな雲行きの「特定秘密保護法」もこの従属的日米関係に端を発すると私は考える。





ご承知のように、アメリカは長年アフガニスタン以西から中東に至る地域を世界戦略の重要な位置づけとしていた。



それはイスラエル問題以上にエネルギー政策上の石油戦略でもあり、そのことはウソの口実とともにイラクの石油欲しさに無謀な侵攻を果たしたことがよくそれを表しているのだが、最近アメリカはイスラエル問題を省いては中東に対するかつてのような情熱を失っている。



それはアメリカのアフガニスタンやイラクの駐留が意味をなさなくなった以上に、単純にシェールガス革命によって今後10年の間にアメリカが逆に石油資源の輸出国になるという見通しから、中東の石油を必要としなくなったからである。





それと相対するように、インドから日本に至る東アジアが世界経済圏の主軸となりつつあり、アメリカ経済(軍事を含む)の世界戦略が中東からアジアにシフトされつつあると見るべきだろう。主に東アジアを巻き込んでのいきなりのTPPの押しつけもその戦略の一環だと考える。



加えてその新たな世界戦略の対岸にアメリカが建国以来、多国籍国家としてその結束とアイデンティティを保持するために常に仮想しなければならなかった敵国、ドイツ、日本、ソ連、特定地域の中東に続く巨大敵国である中国が獅子の口を大きく空けている。



今日東アジアはその二重の意味でアメリカにとって最重要地区となったわけだ。



世界政治というものは猫の眼のように変わりやすいと言われるが、アメリカがその軸足を東アジアに移すとともに東アジアの盟主、日本はその拠点として、もっとも重要な国となりはじめたということだろう。



オバマがアメリカにおいて絶大な人気のあるケネディ元大統領のキャロライン・ケネディさんを在日大使に特命したのもこの流れの中にあると見なすべきだ。





そんな中、これからあの岩国基地のように一心同体というより、子飼いとしての自衛隊とアジア戦略に打ってでなければならないアメリカとしてはこの自衛隊のなまぬるさにガツンと釘を刺しておく必要がある。



アメリカとしてはあの尖閣ビデオのように簡単に軍の機密が漏れるような今のぬるい自衛隊では困るのだ。



岩国アメリカ基地の奥座敷に居候する自衛隊の兄ちゃんが休暇でゲートの外に出たあとに、米海兵隊が使いものにならないくらいデブデブに太っているというような”機密”を外部に漏洩しては困るのである。



まあこれは冗談だが、岩国を見る限りにおいて、あの元CIA職員スノーデン氏のごとく自衛隊員は漏洩するに足るだけのアメリカ軍の機密を掠め取ることのできる位置にあるわけだ。



畢竟、たとえば尖閣を想定した日米合同軍事訓練で共有した秘密作戦を漏洩する自衛隊のあんちゃんが輩出することは国家の生命線にかかわることだ。





「特定秘密保護法案」に関しては市井における戦前国家のような人身管理が施行されることのみがクローズアップされているが、(当然そのことも重要だが)私たちはその法案がなぜ今どこからやって来たかという大前提を知っておく必要がある。



その大法規にかこつけて、姑息な現政権と官僚が機密保護の投網をまさに虎の威を借る狐のごとく”その他”の名目でトッピングのようにぐちゃぐちゃとつけているというのが正しい理解の仕方である。



要するにどさくさにまぎれてというヤツだが、おそらくターゲットとしては今”危機感を抱いている”という大メディア(それは彼らの自分に対する過大評価だろう)というより、おそらくネットという匿名のアンダーグラウンドメディアということになる。



ネットとは尖閣ビデオに限らず件の近々ではSの映像が世間に流布したように機密漏洩の海なのである。



逆に言えばTwitter黎明期に私が朝日新聞で書いたように、そこに展開される個人の機密が漏洩し、監視されるということでもある。



いよいよその傾向が強まって来たなというのが私の偽らざる感想であり、実を言うと10年続けていた公開サイトをクローズドにしたのも、公開サイトを運営している間にその危機感(あるいは実害)をひしひしと感じていたからだ。



この件のトークはCat Walkにもかかわることであり、他日に譲りたいと思う。



     

 

2013/10/30(Wed)

一流ホテルさえこのざまだからという負の想像力の必要な時代。



「福招庵さん?

あんたんところのうな丼についてちょっと聞きたいんやけど、

ご主人いらっしゃる」



「はい、わたしですが」



「昼あんたのところのうな丼食ったんやけど、あれ出来合いのパックを電子レンジでピッってやって客に出したもんやな」



「え………」



「黙っとってもわかるんや、一口食って残したんやけど」



「残したんですか」



「それも気づいてないんか、あれパックやろ、正直に言え」



「……そうですね」



「お吸い物もパックやろ」



「………」



「飲んだらすぐわかるんや、ごまかせん、正直に言え」



「そうです」



「あんたんとこと立ち食い屋か」



「立ち食いじゃないです」



「バカ野郎!!

代官山にちゃんと店舗を張って何十年もなる立派な店がなんで汁物がパックなんや」



「あれ、ウナギについてくるもんで」



「それじゃ味噌汁はどうや、あれもパックやろ」



「そう言われればパックかも知れません」



「知れませんって、おまえがパック仕入れて作っとるんやろが、俺10年前にお前のところの味噌汁飲んで、ちゃんと出汁をとってない味噌汁とわかってそれ以降行ってないんやけど、今日はたまたま魔が差したというか、飛び込んだんやな。

まあ10年も経てば味も変わっとるやろう思うて。

やけどこのざまや。

味噌汁くらいちゃんと作れこのボケ!」



「出汁からとるんですか」



「…………………おまえ、何屋さん?」



「料理店です」



「味噌汁、出汁から取るってこれ常識やろうが、そんなこともわからんのか」



「………」



「ウナギはもうどうでもええが、今度もう一度食べに行くから、ちゃんと出汁を取って自分で味噌溶いて作った味噌汁出せ。

変な味噌汁出したら承知せんからな」





とまあ、これは今日できたてホヤホヤの電話のやりとりだが、このバカ野郎にはさすがの私も頭に来て、はしたない言葉を使ったが、ここのところのホテルのレストランでの偽装工作、関西だけかと思いきや出るわ出るわ北から南まで偽装のオンパレード。

世の中全部がブラックじゃないでしょうか、という一主婦の言葉が身にしみる昨今だが、私たちは今回の件では一流ホテルがそんなことを、ではなく、一流ホテルさえこのざまだから、普通の町の料理屋では何が起こっているかわからない、という風に考えるべきだろう。



そのサンプルが今日の一件であるわけだが、味噌汁を出汁から取ることが特別なことと思っている信じがたい料理人が客にメシを出している世の中なのである。

この福招庵という店は私の仕事場から歩いて5分のところにあるのだが、店構えはなかなか立派である。

さきほど話した主人というのは若かったから先代がなくなって後を継いだのだろうが、先代(10年前の飲めない味噌汁を作った人間)のパック味噌汁という技もちゃんと引き継いだということだろう。



驚くのはこういった店にもそこそこ客が入っているということである。

味のわからない人間がこの世には大勢いるということの証でもあるが、最後に若造に一言言って電話を切った。



「あんたな、一度お客さんに美味しものを食べさせようという心構えをもってくれよ。

それはあんたの店の将来にもつながることやし、あんた自身そんななげやりなメシ作って暮らすと、あんたの人生もなげやりなつまらないものになるんや、わかったな」



     

 

2013/10/02(Wed)

手品師が一番いやがるお客さんでいること。


昔トルコのイスタンブールでヤクザの見張る買春宿の居並ぶ一角(ゲネレブ)があった。



一角には頑丈な門扉がありそこにはヤクザの見張りがおり、門から入った各家にもヤクザが見張っていた。



その現場を撮影しょうとしてイタリアのカメラマンが袋叩きに遭って血だらけで門の外に放り出されたという曰く付きのところだが、そこを撮影するために一計を案じた。



観光客を装い、腕組みにし、体を横向きにして肩からぶら下がるカメラのシャッターを押すということをやったわけだ。

その際、シャッター音をかき消すために大きな咳払いをするという手の込んだことをやった。

ただし現場が薄暗く、咳払いによってカメラブレが起こるため、ホテルで予行演習を何度もしたものだ。







                         ◉







昨日の安倍首相の消費税増税会見を見ながら、なぜかふと私はあの時の自分の曲芸を思い出した。



「復興特別法人税の前倒し廃止」という不埒な政策をかき消すための「消費税増税」という咳払いをするという曲芸だ。



「消費税増税」と「復興特別法人税の前倒し廃止」とは何の関係もない別々の事案であり、本来別々に発表されるべき筋合いのものである。



すでに前々から決まっていた「消費税増税」よりとつぜん持ち出された「復興特別法人税の前倒し廃止」の方が寝耳に水で、報道と論議に値する案件であることは一目瞭然なのだが「消費税増税」の”ことの大きさ”に報道も世間の論調も引きずられ、安倍の手法は半ば功を奏したと見る。



私たちの所得税は25年間、税額に2.1%を上乗せするという形で徴収され、住民税は10年間、年1000円引き上げるにも関わらず「復興特別法人税」というものがわずか3年間というこの優遇処置と不公平をうかつなことに私は知らなかったが、さらにそれを1年前倒しで廃止するというのである。

この理不尽をうすらぼんやりと見送っているマスコミも完全に”安倍マジック”に洗脳されていると言わざるをえない。



思うにこの「復興特別法人税の前倒し廃止」というのは、かねてより財界からの要望が強い法人実効税率引き下げを留保する”見返り”案として安倍と経団連の間で密談されたとも勘ぐることもできるだろう。

昨今財界べったりの安倍は国民の見えぬところで経団連の老醜と何を話し合っているかわかったものではない。



だいたい「復興特別法人税の前倒し廃止」による企業の内部留保増大分を労働者に還元配分し、それによって消費を拡大、それがまた企業を活性化するし、それが成長戦略に繋がるというほど復興特別法人税が巨万の額を占めているわけでもない。



内部留保を社会や労働者に還元するというなら、なにも「復興特別法人税の前倒し廃止」を待つまでもなく、今現在においても企業の内部留保は腐臭が立ちのぼるほど”腐るくらいにある”のだから、どこかの予備校教師の言葉ではないが”やるなら今でしょ!!”の世界なのである。



つまり還元する意欲と誠意があるなら「復興特別法人税の前倒し廃止」を待つまでもなくすでにやっているということだ。

ということは「復興特別法人税の前倒し廃止」が履行されたとしてもそれは十分に”還元”されることなく、新たな内部留保の財源になる可能性が大。



企業の内部留保は現金貯蓄のみではなく当然土地や建物にも投資されているわけだが、このニッポンの企業の溜め込み癖こそが国(社)栄えて民滅びる、日本固有のいびつな経済風土を生んでいるひとつの要因であることは疑いようのない事実である。



大企業の内部留保だけでも461兆円というあのベルルスコーニもあっと驚く天文学的数字。

さらに10年間ごと100兆円が増加するこの恐るべきだぶついた贅肉の肥大。

ちなみに2011年3月期の内部留保ランキングは、



1/トヨタ自動車/13兆8630億円



2/本田技研工業/7兆7826億円



3/NTTドコモ/4兆7250億円



4/キヤノン/4兆3141億円



5/パナソニック/4兆1662億円



6/日産自動車/4兆24億円



7/三菱商事/3兆4946億円



8/東京電力/3兆2652億円



9/ソニー/3兆876億円



10/関西電力/2兆4595億円



それぞれが国家か?と錯覚するくらい巨大である。



絶対損をしない『総括原価方式』に庇護されている東電(8位)、関電(10位)、中電(20位)がランクインしているのもふざけきっているわけだが、国から3兆円の支援を受けた東電の内部留保がまだ3兆円以上もあるというのはブラックユーモアである。

あきらかにこの国は狂っている。



ちなみに調べてみるとたとえばトヨタ自動車の内部留保13兆8630億円はあのアジアの大国インドネシアの国家予算13兆6510億円に相当するわけだから、つまりトヨタ自動車というのは”国家”なのである。





                          ◉





というわけで、今後安倍が大きな咳払いするときには、その裏に何か隠したい案件が潜んでいるのではないかと冷静に事態をみつめる必要ある。



昨日の会見でもそうだが”人相鑑定家”の私が観るところ、最近安倍は言葉巧みな手品師の立ち居振る舞い、面構え、に似てきている。



手品師が一番いやがるのは衆目を注意を逸らすべくブラフをかける手以外のところを見つめている醒めた客だが、逆を言えばそういう風に安倍と現政権の行状を見つめる楽しみもあるということだ。

     

 

2013/10/01(Tue)

食えない詩人と世間の向こうにいる高校生とのクロネコセッション。

詩人とは失業者の別名と言った詩人がいる。

「私は小説家です」と言った時、その言葉を聞くと”ああ小説で食っているんだな”と思うわけだが「私は詩人です」という言葉を聞くと”ああ詩を書いているんだな”とは思うが詩で食ってるんだなと思う人はまずいないだろう。


かくも左様に詩は経済行為に結びつかない表現である。


今回Cat Walkフォトアワードの審査のおひとりとして参加していただいた伊東友香さんは詩人だが、当然食っていけないからふだんは会社の経理で働いているとのこと。

フォトアワードは基本的には私が審査するが、プロの目で見たものではなく、素人の方が自分の好きな写真を一点選んでいただくというプレミアムも必要と考え、出版社からの紹介で入っていただいたのが伊東さんである。


その伊東さんが(やっとこさで)何冊目かの詩集を出された。
昨今、売れない詩集を出してくれる出版社はないが、この詩集は不登校児の通信高校の生徒とタッグを組み、伊東さんの詩に高校生がイラストをつけるというひとつの方法論が功を奏して出版にこぎつけたらしい。


”クロネコ”とは自からの中にいる収まりきれない感情の暗喩であり、撃ち殺したくなったら、というのはおそらく自分の心に刃を向けたくなったらという意味のように思える。


高校生向けということでストレートな言い回しの詩が多いが、そういう言葉の方が子供には響くのだろう。


こういった本はなかなか売れないということでいろいろと”行商”しているらしいが、とある猫愛好団体にコンタクトをしたところ”猫を撃ち殺すとは何事か”という会員からのクレームが入り、とりあってもらえなかったというエピソードもあるらしい。


ご興味のある方は応援のつもりで買ってほしい。


とくに中高生のお子さんをお持ちの方にはよいかも知れない。


出版元「学びリンク株式会社」


〒102-0076 東京都千代田区五番町10 長島ビル2F
TEL:03-5226-5256 FAX:03-5226-5257
E-mail:info@stepup-school.net


 


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以下出版社(学びリンク社)などの内容紹介から。


 


「10代は人生で一番辛い」そう話す詩人・伊東友香が自身の思春期を振り返り


高校生と交流し、生み出した弱った心にひびく詩集。


本書を彩る絵画は芸術を学べる通信制高校 北海道芸術高等学校の生徒たちが描きます。


 


~作者からのメッセージ~
子供であることは大人であることより、 よほど辛い。
好きで生れてきたわけじゃない子供たちへ。
まずは手に取ってひらいて下さい。
もうひとりのあなたが助けを求めています。


出版社からのコメント


弱った心にひびく詩集です。
クロネコを撃ち殺したくなってしまうような、悲しみや怒りが心を覆ってしまっているとき。
心が疲れて元気がないときに手にとって欲しい詩集です。


伊東友香の詩は、不完全な存在を連想させます。
思春期のまっただなか、絶望のまっただなか、悲しみのまっただなか。
しかし、絶望は必ず終わると、知っているからこそ、紡げる明るさも同時に垣間見えることでしょう。
そんないくつもの感情を彼女が乗り越えてきたからこそ生み出せました。


「待つんだ」
無理に笑おうとすれば笑える
なら大丈夫
無理に笑おうとして泣きそうだったら

もう無理はおやめ


じっとしているんだ

その場所で

心の闇が通り過ぎていくのを

ただ 待つんだ


悲しみの混乱のなかにいながら、闇がふっと開ける瞬間を切り取ったような詩たち。


本書を読み終えたとき、辛い気持ちがいつの間にかかわっていることを願います。


本書を彩るイラストは、芸術が学べる通信制高校の生徒が描きます。
詩人伊東友香の詩とその詩から高校生がイメージしたイラストが繊細さをより際立てます。


北海道芸術高校とは…


広域通信制・単位制・普通科 北海道芸術高等学校 日本でも数少ない、芸術を学べる通信制高校です。
生徒たちの興味・関心のある芸術分野を学習の切り口とし、入学時に 学力で区別せずに同じスタートラインに立つチャンスを与え、学びの きっかけを作ります。
そして芸術の学習を通し、知識・技術を修得することで、自らが進む べき進路を決定し、自立・自活していこうとする態度を育成します。


     

 

2013/09/16(Mon)

青年の滝のような汗を見た岩国の一日。(CAT WALKより転載)

思うに沖縄の米軍基地は外から見たことはあるが”自衛隊基地”というものに入ったのはこれがはじめてである。

憲法改正が云々されており、自衛隊も常に俎上に上るが、私がそうであるように、実際に自分の目で自衛隊基地を見た日本国民がどの程度いるかというと、ほとんどの国民が、と言ってよいほどその空気に触れた人はいないのではなかろうかと思われる。

そういう意味では多くの国民は”架空の場”を議論の対象にしていると言えなくもない。



岩国といえばあの日本で最も美しい橋と言われる錦帯橋が目に浮かび、その土地の独特の名称とあいまって優雅な歴史を感じさせるお国柄だが、こういったところに基地があるというのは不思議な光景だ。


だがもともと昭和13年あたりから岩国の海岸線には旧日本海軍の航空基地があったわけで、終戦時にアメリカが進駐し、現在米軍海兵隊が管理する日米共同使用の基地となっている。

その海兵隊基地と同居するのが海上自衛隊の第31航空群で、自衛隊基地だけでも陸上780万u、海上2000万uと広大だ。

この第31航空群の第71航空隊に例の勇名を馳せた純国産救難飛行艇US-2が配備されているわけである。



ゲートを入ってみるとそこは実に広大な治外法権地帯(迎えの車の中からの撮影が禁止)。

まずアメリカ人がジョギングをしており(彼らも朝が早い)、なぜか超デブちゃんな女性ばかりが目立ち、英語のサインボードやジョナサンがあったり、まさにアメリカそのもの。ここに自衛隊が同居するわけだが、直感的雰囲気としてはその空気に主従の関係がありありと感じられる。すでに”結婚”して長い年月を経ている夫婦のようなもので、さしずめ米軍は夫、自衛隊は妻というところか。


治外法権地帯”アメリカ”の道路を基地内制限速度の40キロでゆっくりと横断し、やがて地続きの海上自衛隊基地へ(米軍基地と自衛隊基地の間にはゲートもない)。

ここが例の第71航空隊であることはその入域道路の2カ所に鋼鉄製の頑丈な格子が敷かれていることで知れる。

この幅20メートルの見慣れない鋼鉄製の敷物は、その上を車が通るとガタガタと衝撃があり、よくある車のスピードを抑制する装置かと思うとそうではなく、車のタイヤに付着しているゴミや小石を取る、言わば人間の足拭きのようなものだ。

飛行場のある基地内にはゴミひとつ落ちていてはならないのだ(確かに広大な飛行場を歩くと、足元のコンクリートは実に細かい刷毛目の規則正しい撫でたくなるようなサーフェイスである)。


広報の小坂君に案内され記帳所で身分証明書を提示。




小坂君。広報クンらしくなかなか感じがよろしい。




会議室のボード版には過去の海上救難実績のデータ札が無数に貼られている。


たとえば

16・10・4

漁船 第11日光丸

鼻血止まらず

1、 7(1、1)34m

とあるのは平成16年10月4日。漁船名。遭難状態、あるいは病気の症状。波高1、1〜1、7m。波長(波と波の間の距離)34m。

ということである。


ざっと見ると遭難状態、症状は「喘息発作。急性肺炎。気球落水。カジキマグロによる外傷。インフルエンザ。ヨット遭難。急性胃潰瘍。甲板から転落。右目不純物混入。虫垂炎。ガス爆発。腸閉塞。左手挫創。凍傷による体温低下。サメに噛まれ出血。右手親指切断。頸椎損傷。ノルーウエー船と衝突。米艦艇事故。状況を得ず。脳内出血。右膝複雑骨折。両手指切断。心筋梗塞。排尿困難。前立腺肥大。衰弱自力で歩行できず。」とさまざまだ。


辛坊さんもこういった一連の海上遭難救助の一例だが、ネットでは有名人だから海自も頑張ったのではないかといううがった見方をする論調もあったが、このボード板を見ると、軽症と思われるような事例にも真剣に対応しており、のちにそのことを幹部に問うたおり「断じてありえない、私どもはそれが韓国籍であろうと中国籍であろうと日本の漁船であろうと、人命を預かるわけですからいっしょです」としっかりした口調で仰っていた。


それは当然だろう。




ついに威風堂々たる救難飛行艇US−2にお目もじ。

飛行艇の腹はV字型だ。

このV字は一般的な船の船底の形状と同じで、海面に刺さり、波当たりを軽減する。

着水時には上向き6度の角度で入る。

その6度とは飛行艇の腹の後ろ3分の1が海面と平行になるということである。波が高いからと言って機首をさらに上に上げると、後ろ3分の1のV字線が海面と平行を失い、機首がふらつくことになる。

つまりこの飛行艇が3〜4mの波に対応するということは海面に6度の上向き角度で入水した折の機首下と海面の距離が4mということである。

この4mの荒波に対応する救難飛行艇は世界でUS−2のみ。




出発時の点呼と行程発表。

機体 幅33×長33×高10mだが大の男が整列すると狭い。

乗員11名。

指揮官。操縦班。看護衛生班。機器操作班。救助班。など。




コックピットには気の狂いそうなくらいのボタンやスイッチ類が上下左右にある。右が正操縦士、左が副操縦士。




救助オペの目標物が投下される。




着水!




ボートを海上に落とす。

スペースぎりぎりの大きさである。




滝の汗。

働く若者の汗は久方ぶりに見た。




クルーとの記念撮影。

真ん中の女性は整備士。

父親が自衛隊だったのでこの道を選んだのだという。

左はし、メガネの青年が正操縦士。

前の二人は救助員。


人を助けることも日本を守ることのひとつということを学んだ一日だった。/p>

みなさんご苦労さん!!!


 


     

 

2013/09/08(Sun)

オリンピックの功罪の功もあながちないとは言えないが、浮かれ過ぎの自失は要警戒。(Cat Walkより)


私は一昨日、めったに電話をすることのないスペインのマドリッドに住む姪に電話をかけている。



「そちらはどう?」



「何のこと?」



「オリンピックだよ。大きな騒ぎになってるのかな」



「日本は騒いでるの?」



「大変な騒ぎだよ」



「そうなんだ。こっちは何か普通だけど」



「普通って」



「オリンピックの誘致やってるんだ、って程度で、カコなんかオリンピックのこと知らなかったくらいだから」



「えっ、知らない!」



「あまり興味がないから知らないのかも知れないけど、こっちの人って日本人みたいに集団でワッとひとつの方向く感じじゃないから、カコみたいに知らない人もいると思うよ」



カコとは姪の旦那のことである。

40代のバリバリの働き盛りである。



しかしいくらオリンピックに興味がないと言っても、日本のことを思えば候補地のマドリッドに住む人間がオリンピック誘致のことを知らないということには耳を疑った。

そしてあらためて今回の日本のオリンピック誘致の熱狂がすざまじいものだったことに思いが及び、誘致に臨む他の国が日本と同じ状況にあるものと勘違いしているであろう日本人の国際感覚の欠如にも思いを致さなければならないだろう。



思うに今回東京オリンピックの誘致に関して日本のまるで国の命運を賭けたかのような、悲壮感すら漂わせた熱狂は、よくも悪くも東日本大震災や福島問題が関わっていると常々感じていた。



それは今回のオリンピック誘致に対する異様とも言える熱狂と前回の石原都知事時代の誘致に対する国民やマスコミのほどほどの距離感がよくそれを物語っている。



3・11によって日本はまるで国全体が大殺界に入ったがごとき様相を呈した。

一難去って、また袋小路に入ってしまった原発、さらには南海トラフ巨大地震に対する恐怖、洪水、竜巻、と言った追い打ちをかけるような数々の自然災害、陰惨な事件の連続、さらにはハレの世界の花火大会ですら豪雨での中止、ガス爆発による死傷者。



3・11以降の日本のこういった奈落の底的状況がアベノミクスに対するバブル的幻想を生み、そして今回のオリンピック誘致の異様とも言える熱狂を生んだということは否めない。



そして、今回日本が誘致に失敗するということは一種の追い打ちをかける災難のようなものであり、国民の沈んだ気分をさらに沈殿させるだろうと思ってはいた。



そういう意味においてオリンピックの是非はさておいて今回東京オリンピックの誘致を当てたことは”底付き”の状態から気分の上でまがりなりにも浮かび上がることができるだろうということで、よしとすべき面もある。



ただし、今回東京オリンピックが承認されたことによって、原発問題もなかったかのような様相で、これからメデイアに展開するだろう浮かれたようなお祭り騒ぎはいまだ故郷を失い悶々としている福島の人々のことを思うと複雑な思いがある。



そしてまた、余震によって福島の状況が急変する可能性を秘めていることを考えると、7年後にオリンピックが開催できるかどうか完全に保証されたものではないことは念頭に置いておくべきだろう。

     

 

2013/09/07(Sat)

あんた何言ってんの?(Cat Walkより)

今日のトークに関連してのことだが、私たち日本人(就中、オリンピック招致委員会)は今回の外国メディアとのやりとりを勘違いしているところがある。

外国メディアの質問が汚染水問題に集中したのは「東京オリンピックは大丈夫か」ということのみではなく、汚染水が世界の海を汚していることに対する暗黙の”非難”であり、また今後さらに高濃度で海を汚染する可能性のあることに対する恐れの現れと受け取るべきなのだ。

私が海外の人と接触する限りにおいて太平洋で直接繋がった環太平洋諸国のみならず、ヨーロッパでさえ、私たちの想像以上に福島問題にはナーバスになっているのである。

しかし、間接的な被害を受ける可能性がありながら、これまで非難の持って行きどころがなく、悶々としているというのが海外の人々の偽らざる心情ではないかと察する。

そこでたまたまオリンピック開催都市投票で直接日本の代表に質問をする機会に恵まれ、これまでの思いが一気に吹き出したというのが実情ではないか。

その答えが「東京は大丈夫です」ではあんた何言ってんの、ということになるだろう。
恥ずかしい。
その言葉には他者に対する想像力がまったく欠落しているのだ。
いかにも高度成長を走って来た日本人丸出しだ。

猪瀬氏もそうだが、今回のスピーチではまずこの福島問題で世界の皆様に大変迷惑をおかけしている、という謝罪の言葉から入るのが筋であり、そういった謙虚な言葉は放射能汚染を間接的に共有させられつつある海外の人々になんらかの感銘を与えるだろう。

その上において、数値を示し、東京の安全性を強調するというのが順序である。

願わくばこのトークが彼の耳に届いてほしい。

今からでも遅くはない。


     

 

2013/09/07(Sat)

世界言語と日本言語の間に流れる深い川(Cat Walkより転載)

今日は土曜なのでトークは休みだが、オリンピック開催地喧伝に関する日本の対処の仕方の甘さが際立つのでひとこと。



猪瀬知事は会見に先立ち、5日には本番会場で2回目の公式リハーサルを行った。猪瀬知事は「関係者から『ほぼ完璧』と評価された。この勢いで本番に臨みたい」と決意を語った。



と自画自賛しているがその中で



「東京の放射線量はロンドンやニューヨーク、パリと同じ。水も食物も空気も絶対に安全なレベル」と強調するらしい。



東京オリンピック開催に向け東京開催なら参加しないというアスリートもいるように、原発問題がネックになるであろうことは早くから予想されていたことであり、それが最終選考の今現実のものとなっている。



そして今回の一連の報道を見るとそれへの対策、準備があまりにお粗末と言わざるを得ない。



こういった海外の席では言葉は常に実証を伴う必要がある。



「東京の放射線量はロンドンやニューヨーク、パリと同じ。水も食物も空気も絶対に安全なレベル」というアバウトな言葉は実に日本的な情緒言語であり世界には絶対通用しないのである。



世界言語というのは実証があってこそ、説得力を持つという基本的なことに猪瀬都知事および”日本村”の方々は気づいていないようだ。



長い準備期間と莫大な予算があるのだから船長の私なら日本を除外した先進国何カ国かの第三者機関を作り(イギリスのBBCでもよい)、東京、ロンドン、ニューヨーク、パリの4都市の空間放射線量、飲料水の放射線量、食料100品目の放射線量を計り、それをきっちりとした表にしてプレゼンの折に提示する。



その数値が「東京の放射線量はロンドンやニューヨーク、パリと同じ。水も食物も空気も絶対に安全なレベル」という言葉と一致してこそはじめて説得力を持つわけだ。



先に猪瀬都知事は無知なイスラム観を披瀝し、対世界感覚の脆弱を露わにしたが、あの強面を演じる面構えとは裏腹に、原発問題に関する発言は実に日本人的でヤワと言わざるを得ない。


もしこれで東京開催が落ちたら「原発問題が響いた」と言うだろうが本当は「原発問題対策の不備が響いた」と言わなければならないところだ。





     

 

2013/08/29(Thu)

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2013/08/27(Tue)

爆笑問題。


今日のニュースでクェートを訪問している安倍首相のメッセージが報じられているのだが、この人はブラックジョークもお得意のようだ。





「クェートの原発で何かあったときには日本におまかせください。」





                      (爆笑)





おまかせくださいのあとに「どんなに汚染水が貯まっても永遠に貯めてみせます」と続くのがよいかも知れない。

彼らは実情を知らないだろうからね。





                        ◉







その安倍首相が(戦犯を回避するがごとく)外遊している間に有識者を集めての消費税点検会議のようなものが催されているわけだが、またやっているな感(既視感)が濃厚。



例のTPP参加の是非が国民の中で論じられているおり、TPP反対派の尾辻秀久元厚生労働相と西川公也TPP対策委員長との殴り合い寸前のような睨み合いが各局で大げさに報じられたが、これはこれだけ自民党内で議論が沸騰してますとの”アリバイ作り”の演技のようだな、と思っていると案の定、その後TPP参加はさしたる紛糾もせずあっけなく参加が決まった。



件のバトル演出というものを広告代理店が仕切っているのはどうかはわからないが、今回の「点検会議」はそっち方面の仕切りが濃厚のように思える。



帯状に60名の有識者の意見を伺う。

これが消費税増税のためのアリバイ作りだとすれば単に税金の無駄遣い以外のなにものでもない。

反対論者は種馬(安倍首相)のとんだ当て馬のようなもので、ノコノコと馬場に出かけるということ自体、消費税増税という子馬を産みやすくする、という意味で結果的に消費税増税に加担することになる。



私個人は今の国の財政状況や国際関係からするなら3パーセントくらいの増税は致し方ないだろうとは思っているが、こういう”小細工”をやれば国民は簡単に懐柔できるという現政府の国民をバカにした手練手管を労したやり方には毎度のごとく苦笑いを禁じ得ない。



かりに反対意見があったとして”それではやめます”ということには120パーセントならないわけだから、アリバイ作りの長ったらしい有識者会議などせず、(そして中東に姿をくらませたりせず)安倍首相自らが堂々と意見を述べ、国民を納得させた上で増税すればよいわけだ。

どうも安倍にはそういったスケール感が足りない。

     

 

2013/08/26(Mon)

藤圭子とその時代、そして今。(Cat Walkより転載)

藤圭子の「夢は夜ひらく」がヒットした70年の春、私はインドから一時帰国していた。

女性ボーカルの空に抜けるようなインド歌謡の明るい歌を長い間耳にしてきた私は、そのどんよりと滞った沼のような歌の暗さに違和感を覚えたものである。




                  ◉




赤く咲くのは けしの花

白く咲くのは 百合の花

どう咲きゃいいのさ この私

夢は夜ひらく



十五、十六、十七と

私の人生暗かった

過去はどんなに暗くとも

夢は夜ひらく




                ◉





この歌が大ヒットした背景は70年安保の終焉と無縁ではないだろう。


69年1月に安保闘争の象徴だった東大の安田講堂が陥落し、やがて一連の闘争は終焉を迎えた。

その後は連合赤軍によるハイジャックや成田の三里塚闘争など部分的は闘争はあったが、安保闘争に熱狂した若者の多く(主に団塊の世代)は挫折の中で悶々とした煮え切らぬ時代と添い寝することとなる。

”しらけ”という言葉が生まれたのもこのころである。


そして圭子の「夢は夜ひらく」のあとには井上陽水の「傘がない」や吉田拓郎の「結婚しようよ」などがヒットする。





                  ◉







都会では自殺する若者が増えている

今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども

問題は今日の雨

傘がない

行かなくちゃ

君に逢いに行かなくちゃ



テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる

だけども問題は今日の雨

傘がない

行かなくちゃ

君に逢いに行かなくちゃ





                  ◉





僕の髪が肩までのびて

君と同じになったら

約束どおり 町の教会で

結婚しようよ





                 ◉





藤圭子の「夢は夜ひらく」はリアルタイムで聴いているが、井上陽水の「傘がない」や吉田拓郎の「結婚しようよ」がヒットしていた72年はすでに日本を離れていたので、これらの歌の小耳に挟んだのは後年のことである。


”どう咲きゃいいのさ この私 夢は夜ひらく”という安保闘争終焉直後の苦悩と逡巡から、シラケという言葉が流行った71年の翌年の、陽水の歌う”国家問題や若者の自殺のニュースより、恋人に会ひに行く傘”の方がずっと切実、という自己韜晦(とうかい)はおそらく安保闘争に関わった団塊の世代の無意識を代弁していたのだろう。


団塊の世代の上にあたり、シラケの時代に日本不在だった私は斜に構えた陽水の歌にも違和感を覚えたが、のちに聴いた吉田拓郎の”僕の髪が肩までのびて君と同じになったら町の教会で結婚しよう”という歌はただ気持ち悪い歌だった。


私はインドではサドゥ(修行僧)と同じように髪を背中の半分くらいまで伸ばしていた。
それは世の中の常軌とは一線を画するというシンボルのようなものだった。
恋人とゴールインするためのファッションとしての拓郎の歌の中の髪は同じ長い髪でもずいぶんと異なっており、それも安保闘争のひとつの行き着く先ということなのだろうと思ったものだ。


そんな70年安保挫折以降の、つまり大命題を避け、ミニマリズム(自分周辺)の中で自足するという闘争以降の団塊の世代的生き方は、その後の若者の生き方のモデルになったと言えなくもない。


そればかりかかつてゲバ棒を持って国家や企業の欺瞞に反旗を掲げた者がシラケ後は企業の販促活動に参加するという糸井重里のような者も数多く輩出した。

そういう意味で”自分はかつて若者のころは云々”という武勇伝を下の世代に自慢し、若者のミニマリズムを非難するこの態度には腐臭をすら感じる。




                 ◉




先日、フランスのジャーナリストに会う機会があった時、フランスのテレビ局で原発問題に言及する日本のアーティストや作家の特集を組みたいのだが、どういう人がいるかと問われた。


私の知識が不足しているのか、その質問を受け、名前や顔が思い浮かばないことに焦りを感じた。


原発問題に触れない知識人、作家、アーティストに表現者としての資質を問うというのは傲慢だとも思う。

だがまた思うに原発問題という国家や文明や自からの子孫の存続をも脅かす、この逼迫した”人間の問題”にまるで(放射能すらない)他の世界の空気でも吸っているかのように一切言及しない表現者が多いこの国の風景も異様だとも思う。


団塊の世代ではないが作家では浅田次郎やアーティストでは故忌野清志郎や坂本龍一、加藤登紀子、沢田研二(団塊の世代)などが正面から発言をしているが(おそらく他にもいるだろうが)たとえばノンフィクション作家の沢木耕太郎が原発問題に言及したという話は聞かないし、村上春樹が震災や原発に言及したとしてもそれは”押さえ”としてのコメントの域を出ない。


そういう意味では70年代の若者の意識を代弁した陽水の歌の歌詞に見る自己韜晦は2000年代の今においてもトラウマのようにいまだに尾をひいているということだろう。




                 ◉





藤圭子の自殺を知って走馬灯のように脳裏に去来したのは、なぜか安保以降のそんな時の流れだった。

だがきわめて70年代的であったと言える藤圭子という表現者はシラケや自己韜晦とは無縁な人だった。



彼女はずっと暗かった。



自殺という結末はさらにそのイメージを倍加してやまない。

が、私はそんな藤圭子の信じられないくらい異なった姿をこの目で見ている。



アメリカを旅した83年、ロスアンゼルスはメルローズ通りのとあるレストランに入ったおりのことである。

私のテーブルから3つ先のテーブルに偶然藤圭子が居た。

主人とおぼしき人と向かい合わせに座っていて、藤圭子は生まれたての赤子を抱いていた。

その赤子はのちの宇多田ヒカルである。

圭子は笑っていた。

日本のあらゆる場面で見た圭子のそれからは想像できないくらい明るい笑顔だった。

白い歯が眩しかった。

カメラは持っていたが、その異国というサンクチュアリでの彼女の至福を邪魔しないように、写真は撮らなかった。

当然挨拶もしなかった。


自殺の報を聞いた時、私の脳裏に浮かんだ圭子の顔は、日本人の中に固着した70年の怨歌を歌う彼女のこわばった顔ではなく、なぜかカルフォルニアの明るい陽射しが窓から降り注ぐ中の、あの笑顔だった。





                  ◉





旅の途上、一瞬袖振り合った彼女のその隠し立てのない素顔を記憶する私は、なぜか知己のヒトのようにその死を悼む。


ゆっくりお休みください。





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