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K2再敗退とHAJ・G1隊遭難救助
日本勤労者山岳連盟K2/G2登山隊2002レポート
 2002年夏、労山全国連盟登山隊は敗退した2000年の雪辱を期して世界第2の高峰K2(8611m)と、合わせて許可を取得したガッシャーブルム2峰(8035m)の2座登頂を目指した。2000年の時はK2の前に先ずビロード・ピーク(8051m)を目指したが、6月中に最終キャンプまでルートを伸ばす順調な進展ぶりだったものの7月に入ってから一転して悪天候続きとなり、登頂を果たせたのは7月末になってしまった。その結果K2に転進した時には時間切れ寸前となり、しかも天候も味方してくれずC3到達までで敗退となった。そのようなわけで今回はK2攻略を先に始めたのだったが、前回を上回る持続的な悪天候に妨げられて7月17日に南東稜の肩(ショルダー・7900m)に最終キャンプを建設したのを最高到達点として、またしても敗退のやむなきに至ってしまった。その後G2に転進を図ったが、G1登頂後に1隊員が行動不能に陥った日本ヒマラヤ協会(HAJ)隊からの救助要請を受けたので、登山を取り止めて救助活動に切り替えた。その結果、事故者を救出できたのは幸いだったが、2座とも登頂は逸することとなった。
■隊構成

: 近藤和美 (60・東京/峰凌倶楽部)
登攀隊長 : 倉橋秀都 (42・東京/墨田山の会)
: 池田壮彦 (55・長野/佐久山の会)
矢野利明 (49・京都洛中勤労者山岳会)
清野嘉樹 (40・青森/弘前勤労者山岳会)
川原庸照 (29・岡山勤労者山岳会)









■行動日誌 (5月)

5/11 近藤、池田、清野の先発3人が出国。準備活動のため先ずネパールへ。

1516 印パ関係の悪化からパキスタンへの最短空路が運航停止となっており、先発隊はダッカ、カラチ経由で2日がかりでイスラマバードに移動。
17 後発3人は成田から直航便でイスラマバードに到着し、先発隊と合流。
22 空路スカルドへ。
24 ジープでアスコーレへ。
25 キャラバン開始。デュモルド川は角材2本の仮橋が架けられていて徒渉の必要はなかった(通行料はポーターを含めて1人10ルピー)。ジョラまで。
26 パイユへ。翌日は慣例どおり休養・停滞。
2830 バルトロ氷河上の歩行となり、ウルドカス、ゴロ(ゴレ)2、コンコルディアと進む。この時期、ゴロ2から奥は残雪が多くなる。
31 ゴドウィン・オースティン氷河に入る。ブロード・ピークBCを過ぎて、サボイア氷河を左に分け、右に折れるゴ氷河本流に入って右岸寄りのモレーン上をしばし進むとK2BC(5100m)で、我が隊が一番乗りとなった。
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