銀座のマチ弁(弁護士遠藤きみのブログ) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-11-26

[][][][]11月26日 特養211日目 虎の門病院再々入院24日目(排水管の清掃、看護師からの質問,夜中の電話) 12:58

 12時近くなっても清掃業者からの連絡がないので、管理室に電話して「今日も病院に行かなければならばいので、できれば早めにお願いしたいのですが」と話したら、間もなく、管理員さんから、「これから伺ってもよろしいでしょうか」という連絡。

 10分ほどして、作業員の方が2人見えて、台所、洗面所、浴室の各配水管の清掃。

 15分ほどで無事完了して、押印。

 これから病院へ。

(追記)

 銀座四丁目でバスを降りてから、地下鉄の駅に降りる前に、docomoの店へ。

 充電しても電池がすぐ無くなってしまうので、新しい電池との交換をとお願いしたところ、古い機種なので、適合する電池の在庫はないという説明。

 「それでは、新しい携帯に」という話になって、その購入手続き。

 貯まったポイントと契約期間10年ということでの割引きなどで、買い替えについての支払いはゼロだそう。

 インターネット無制限の契約にしたが、毎月の電話料金は、これまでより1000円くらい安くなるのではないでしょうというお話。

 その後、銀行2店に寄った後、病院へ。

 2時20分到着。

 病室から、高機能情報モニターの器械が無くなり、人工呼吸器の「スタンバイ」の表示も消えていた。

 夫は、酸素マスクを着けて、穏やかな表情。

 持参したパジャマを仕舞おうと戸棚の扉を開いたら、パッドの袋が無くなっていたので、売店に行って、前と同じ20枚入りを購入(2270円)。

 病室に戻って、パッドを戸棚に仕舞ってから、夫に排水管清掃のことなど説明。

 それから、レストランに行って、昼食(ホットケーキセット、680円)。

 病室に戻ったら、看護師さんから、「奥様、パッドがなくなりましたので」と言われたので、「さっき買って来て、戸棚に入れておきました」と説明。

 胃ろうの接続チューブの内側が汚れたので、新しいのと取り替えたいので、「型番などをご存知でしょうか」との質問も。

 前回10月の胃ろうのカテーテルの交換は、特養の看護師さんが器具を注文して、かかりつけ医の先生にやっていただいたと聞いているので、特養の夫の担当の看護師さんに聞いていただけば分かると思うが、この器具は、1ヶ月ごとに交換する必要があるということなので、この病院で、交換していただければ、退院してすぐ胃ろうのカテーテルの交換の手配を特養の看護師や相談員にお願いする必要がなくなるという話をさせていただいた。

 オムツの交換ということで、20分ほどデイルームで待機。

 病室に戻ってから、看護師さんから、いろいろな質問。

 「奥様は、先生からいろいろ厳しいことを言われたはずなのに、どうして、遠藤さんにこれからも生きていて欲しいと考えておられるのですか。」「奥様にとって、遠藤さんは、どういう存在なのですか」「痰の吸引の時、苦しそうにされるのをご覧になって、どう感じておられますか」などなど。

 担当医からの説得ができなかったので、今度は、看護師からの説得という方法を試みようということになったのだろうか。

 先生方にお見せした夫の写真を見てもらったら、「他の看護師たちにも見せたい」と言って、ステーションに持って行かれた。

 塩分不足でおかしくなる前は、元気にしていたということが分かって、びっくりされたよう。

 「主人は、いつも病院に入院すると、まるで何も分からないというような態度で、先生方や看護師さんとの対応を続けるのですが、退院の際には、皆さんが「これが遠藤さん」と驚くような、きりっとした顔付きに変わって、笑顔で、皆様にお礼の挨拶をしてきたのです。」などと説明。

 その後、本日、携帯電話を新しくしたことも報告。

 これでいつでも連絡がつくとほっとされたよう。

 私からは、事務所にいる間と自宅にいる間は、できるだけ事務所と自宅の電話に掛けていただくようお願い(常時携帯電話が通じるようにしておくのは,のべつまくなしに依頼者や親戚、同窓会の役員などからの電話がかかって来るようになって、落ち着いていられなくなり、いろいろ支障が出てくるはずというほか、夜中に電話の音で目が覚めるのは、自宅の電話だけ。)。

 

 6時過ぎに、目を開けていた夫に「今日は、まだ事務所に行っていないので、これから事務所で仕事。明日は、11時からの事件の後、12時頃面会に来るわね。元気でいてね。」と声を掛けて、病室を出た。

 事務所に戻ったのは、7時。

 金曜日の事件の依頼者から、期日の開始時刻を教えて欲しいというメールが届いていたので、返信。

 (追記)

 帰宅後の12時半頃、電話。

 病院の看護師さんから。

 血中酸素の値が50台に下がってしまったので、高機能人工呼吸器を装着した。血圧は変わらず。これから病院に来てもらえるかというお話。

 一昨日の昼間の看護師の時は、痰の吸引をする度に血中酸素の値が50台に下がってしまい、慌てて人工呼吸器のマスクを被せていたが、間もなく元の状態(99か100)に戻っていた。

 恐らく同様であろうと考え、「様子が更におかしくなったら、電話してください。起きていますから。」と返事。

 看護師さんは、「それでは、そうさせていただきます。心臓マッサージは30分でお終いになります。」と言って、電話が切れた。 今病院に来れば生きているうちに会えるのに、心臓が停まってからでは間に合いませんよ」と言いたかったのでしょう。

 

 その後、電話がかかってこないところをみると、おそらく大丈夫なのであろう。

 若い看護師さんは、夫の当番の前に、土曜日の晩の看護師さんのような方から酸素マスクを外した状態で行なわなければならない痰の吸引の方法について、実技訓練を受けていただけないものだろうか。

 

 

2013-11-25

[][][]11月25日 特養210日目 虎の門病院再々入院23日目(5つの荷物を持って裁判所へ、義妹と一緒に、鑑定の申出、人工呼吸器が外れた) 20:00

 今朝は、7時45分に事務所到着。

 まず、午後2時からの事件の関係で、鑑定の申出書を作成して、裁判所と相手方代理人宛にFAX送信。

 次に、特養宛の報告書を作成してから、病院で受け取った説明書などを添付してFAX送信しようとしたところへ、特養の相談員さんから電話。

手短かに夫の状態を説明して、詳しくはこれからFAXする報告書をお読みいただくことに。

 金曜日に死にそうになった話をしたら、驚いておられた。

 10時に両手に5つの荷物(ハンドバッグ、手提げ鞄(筆記用具、職印、期日簿、夫の医療介護保険などの証明書類、その他常に携行していた方がよいと考えられる書類、デジカメ)、2件の事件記録を別に入れた皮製と布製の手提げ袋、夫用の洗濯済みのバスタオルを入れた紙袋)をぶら下げて、事務所を出て、裁判所へ。

 1階の司法協会の受付で、木曜日にお願いした調書の謄写ができているかどうかうかがったら、金曜日に仕上がって、2回事務所に電話したが、出てもらえなかったと言われ、「朝から病院に行っていたもので」とお詫び。

 謄写料金は、1260円。

 その後、13階の民事○○部へ。

 11時から私が原告の事件の和解期日。

 合議体の裁判長と右陪席のお二人が、受命裁判官

 和解案が提示され、次回までに相手方が検討ということに。

 

 期日の後、病院へ直行。

 病院の手前の交差点で義妹と一緒に。

 私が、午前と午後裁判の期日と言っていたので、不在の間の夫に何かあったら大変と心配されて来てくれたもの。

 12時に病院到着。

 夫は、大丈夫そう。

 すべて安定した数値。

 12時20分頃、二人で、レストランに行って、昼食(冷やしきつね蕎麦、900円)。

 レストランに入る前、エレベータから降りたところで、「遠藤さん」と声を掛けられて、お顔を見たら、夫が一昨年の5月にこの病院に初めて入院した時、リハビリを担当してくださった理学療法士さん。

 「またお世話になっています。○○○号室です。」と申し上げた。

 義妹は、1時20分頃、次の予定地へ。

 私は、1時40分ころ、病室を出て、もう一度、東京地裁へ。

 2時に裁判所に着き、12階の民事○○部の書記官室の前に。

 依頼者お2人は、既にご到着。

 期日間に提出した各書類の写しを、それぞれお渡ししてから、その内容について、改めて、説明。

 やがて、相手方の代理人も到着。書証の写しを受領。

 2時半を少し過ぎてから、準備室へ。

 各書面、書証の提出の後、鑑定の申出が採用され、次回期日は追って指定ということに。

 その後、弁護士会館の面談室で、依頼者との打合せ。

 打合せが済んでから、また病院へ。

 4時に病院に到着。

 夫の顔から人工呼吸器が外され、酸素マスクに変わっていた。

血中酸素の値は、100(90以上ならOK)。

 点滴も、ブドウ糖液500mlに。

 5時頃、◎◎先生が見えて、「大丈夫ですね。」とおっしゃって、病室を出て行かれた。

 高機能人工呼吸器は、夫の血中酸素の値が低くなったらいつでも装着できるように、「スタンバイ」の状態にセットされていた。

 入院の5日ほど前に入浴したきりお風呂に入っていないので、腕に剥けそうな薄皮が一杯。

 お絞りに石鹸をつけて、ごしごし。綺麗になった。

 5時50分頃、病室を出て、事務所へ。

 夫は、看護師さんお二人に体位の交換をしていただいた後、スヤスヤ気持ち良さそうに目を閉じていた。

 明日は、午前9時から午後5時まで自宅マンションの排水管の清掃。時刻の指定はできないとのことなので、業者が来るまで自宅待機。

 済み次第病院に直行の予定。

 

 

 

 


 

2013-11-24

[][]11月24日 特養209日目 虎の門病院再々入院22日目(更に良くなっていた) 19:17

 午前7時45分に家を出て、事務所へ。

 11時30分に事務所を出て、病院へ。

 病室に入って、まず夫の顔を見てから、モニターの確認。

 なんと心拍数が82と表示されていた。

 間もなく◎◎先生が見えて、「随分良くなりましたね。来週の初めには人工呼吸器を外して、酸素マスクだけで大丈夫でしょう。酸素の量も徐々に減らしていきます。」などというお話。

 私が、「さっき目を開けていました」と言ったら、先生も「さっき私が来た時も目を開けていましたよ」とおっしゃった。

 夫に「先生が見えたのよ。目を開けて」と言ってみたが、夫は、目を開こうとせず(眠ってはいないはず)。

 今日の昼の担当の看護師さんは、若い可愛らしい方。

 一生懸命やっておられたが、時々失敗。その度に、ステーションに行って、相談したり、応援の看護師さんに来てもらったり。

 途中夫の酸素量が異常に低くなってしまった時は、少し心配になったが、なんとか無事に済んで、夜の担当の方に代わった時のモニターの各数値は、血圧92・65.心拍数80と更に安定。

 夫は、気持ち良さそうに、すやすや。

 夕方、◎◎先生が見えて、検査用の血液の採取。

 その後、ベッドの上での、体重測定も。

 来週は、諸検査の結果が判明してから、特養の職員への説明などが実施されて、退院に向けての調整ということになるのでしょうか。

 夫に、「いつも昼食の時話掛けてくださった87歳のおばあさんが「遠藤さんどうされたんだろう」と心配して、廊下の訃報を毎日見ているのではないかしら。元気な姿で特養に戻れたら、きっと喜んでくださるでしょうね」と言ったら、目から涙。

 

 5時45分に、今晩と明日の私の行動予定と連絡先を記載したメモを看護師さんにお渡しした後、病室を出て、事務所へ。

 明日は、午前11時と午後2時30分に、各東京地裁の期日。

 

[][]11月23日 特養208日目 虎の門病院再々入院21日目(良くなってね、弁護士仲間は薄情) 07:42

 午前7時過ぎに,10円玉をあるだけ持って、東久留米の義妹と東あずまの弟にそれぞれ病院の公衆電話から電話(携帯電話は電池切れ)。

 義妹夫婦は、その長男の車で、10時頃、弟夫婦は、11時頃、来てくれるそう。

 夫は、一時39度近かった体温が平熱に戻り、血圧も上が90台、下が60台に戻って、「スースー」という息の音。

 8時頃、渡り廊下の向こう側に行って、自動販売機のヨーグルトを買って来た。

 夕食も食べていなかったので、お腹が空いた。

 ハンドバッグの中に、播磨屋の黒豆の甘納豆の残りがあったのを思い出して、3粒食べた。

 10時前に義妹夫婦と甥、姪3人の5人が、11時頃弟夫婦が、到着。

 弟夫婦の到着前に、下のレストランで、義妹一家と一緒に朝食(ホットケーキセット、義妹が全部払ってくれた)。

 仙台の義弟も来てくれることが判り、その到着を皆で待つことに。

 昼食は、弟夫婦と一緒に下のレストランで。

 弟夫婦は、来週の土日に義妹の亡父の七回忌の法要のため一家で香川県に行く予定になっているため、夫の葬儀と重なるようなことになったらどうしようかと心配していたそう。

 私から「そんなことにならないよう主人に頑張ってもらうから」と言ったので、少し安心したよう。

 弟の妻の姉夫妻からのお見舞いをいただいた。

 (最近いただいた喪中の挨拶状でご主人のお母様がこの秋亡くなられたことを知った。そのお悔やみもしていないのに、先にお見舞いをいただいてしまい、申し訳ない。)。

 義弟が、1時少し前に到着。

 弟夫婦とは、その結婚式以来の再会のよう。

 私が、弟の妻は、「当時、宝塚のスターのようだった」と言ったら、ご本人も含めて、皆さん、同じように考えていたそうで、義妹から、「紫色のドレス、素敵だった」などという話も。

 8人の方々が、それぞれ、「マコちゃん、良くなってね」と夫に声を掛けてくれた。

 夫は、目を瞑ったままだったが、話は全部聴いているよう。

 甥・姪・義妹の夫の後、弟夫婦が先に帰って、義妹と義弟が残り、5時半頃まで夫の様子を見守ってくれた。

 オムツ交換のため病室から出された際、播磨屋の喫茶コーナーへ。

 「これは安い」と二人とも大喜び。

 「マコちゃんにもう少し入院していてもらって、また寄りたい」とも。

 病院への道で、私から、「主人の、弁護士仲間は、最初の入院直後に私がいない時に1人面会に来て、名刺を置いていってくれただけで、年賀状などで、折に触れ入院先、入所先などをお知らせしているのに、誰も面会に来てくれず、お見舞いの手紙などもなく、所属している形になっている派閥からは、何度断っても、弁護士会の選挙の度に、誰それに投票するようにという割り当ての書面、会費の請求、ゴルフなどの遊びの連絡や派閥の会員の家族の訃報などがしょっちゅうFAXで届くの。主人がとても大切に思ってお付き合いしてきた仲良しグループのメンバーも含めて、誰も病気で倒れてからの主人のことを気遣ってくれている人はいないようなので、もしも葬儀ということになった際、主人の弁護士仲間への連絡は一切する必要がないと思っているの。私のお客さんや友達は、いろいろ心配してくださっているのに。」という話をしたら、二人とも「弁護士って、そんなものなの」と驚いていたが、「そうした方がいい」と言ってくれた。

 何はともあれ、夫の弟妹も含めての今晩からの葬儀の準備ということにならずに済んで良かった。

 これからのこともあるので、万一の場合の、連絡先の名簿の作成と葬儀の方法などについての検討位はそろそろしておいた方がよいであろう(アプラスの墓石ローンを利用して、永代使用権の購入費用と墓石の建立費用の合計額の8割を7年間の割賦弁済とした関係で、お寺には、私が権利者として登録されているが、亡義母の希望で、建立者の氏名は夫の氏名にした生前墓が根岸のお寺にあるが、そこに夫の遺骨を埋葬するためには、その寺の住職による葬儀が必要。簡単に小額の費用で済む葬儀というわけにはいきそうもない。)

 看護師さんが見えて、「奥様、今晩はお帰りになって結構ですが、緊急の場合にすぐ電話連絡できるようにしておいて下さい」というお話。

 6時45分頃、病室を出て、事務所に戻った。

 病室を出る際、夫に、「これから事務所に戻ります。また明日来ます。それまで元気でいてね」と声を掛けたら、「ウン」という声が、呼吸器のマスクから(口から発せられる声が外に大きく聞こえるようになっているよう)。

 事務所には、水曜日の事件の相手方代理人から、準備書面などがFAX送信されて来ていた。

 FAXの受信日は、22日と表示されていたが、23日受領と記載して、受領書を送信。22日は不在で受け取れなかったことも付記。

2013-11-22

[][]11月22日 特養207日目 虎の門病院再々入院19日目(担当医からの電話で、午前9時半に病院へ) 10:57

 午前8時15分に事務所へ。

 境界確定事件の鑑定の申出書を起案していたら、病院の担当医から電話。

 「昨晩から不整脈が現れ、生命に関わることなので、説明したい。すぐ来て欲しい」というお話。

 すぐ事務所を出て、病院へ。

 9時半に到着。

 ステーションに担当医の○○先生がおられ、「こちらへ」と言われたが、まず夫の様子を確認してからと考えて、病室へ。

 酸素マスクをして、激しい息をしていた、

 南病棟のステーションの奥の部屋に案内された。

 既に担当医の◎先生がモニターの横に座っておられ、○○医師も同席して、説明開始。

 内容は、心臓や肺の状態が良くないので、いつ死んでも不思議でない状態になってしまっている。

 心臓が停止した時、人工呼吸や気管切開までしたとしても、良くなる見込みはないので、救命措置は不要ということにされてはどうか。ご本人も意識があれば、それを希望されるのではないかという説明とご意見。

 私からは、ナトリウムの急激な増量が原因で、状態が悪くなったのではないかと考えてきたという話をしたところ、「それは全く関係がない」と言われた。

 ◎◎医師からは、「奥さん、救命措置の結果がどういうことになるのか、弁護士だったら分かるでしょう」などとも言われたが、私からは、「最後まで命を助ける方法を講じてください」とお願い。

病室に戻って、夫に「頑張ってね」と声を掛けてから、看護師さんに「仕事をやり掛けできたので、事務所に戻ります。また12時に参ります。」と断って、事務所に戻った。

 

 5分ほどして、今朝配達を頼んでおいた、依頼者からのメール便をクロネコのお兄さんが届けに来てくれた。

(追記)

 午前11時半に事務所を出て、再び病院へ。

 病室に入ったところで、「これから☆☆先生(主治医)からの説明がある」とのことで、朝の説明と同じ部屋へ。

 ☆☆先生から、鼻と口の上に載せるだけで済むという人工呼吸器の装着と首の中心静脈へのカテーテルの挿入という提案。

 それで結構と同意。

 その際、心臓マッサージは、30分を限度としたいという点についても承諾。

 その後、病室で受け取った説明書には、病名が「うっ血性心不全、呼吸不全、敗血症」と記載されていた。

 早速上記の処置をするので、30分ほどデイルームで待つようにと言われ、待機。

 30分ほどして、「遠藤さん、病室へ」と呼ばれて、中に入ったら、手前の部屋におられた患者さんは他の病室に移されたようで、2人部屋が1人部屋に変わっていて、パジャマのボタンを外された状態で、胸がむき出しの夫のベッドを囲んで、医師3人と看護師多数。

 夫のお腹の上には、心臓マッサージの器械。私の右後ろにそのモニター。

 ☆☆先生から、「首の中心静脈へのカテーテルの挿入は、ご主人の抵抗が激しくて、出来ませんでした。人工呼吸器の装着は済ませました。」と言われたので、私から、「中心静脈の方は無理にされなくても結構です」と申し上げた。

 その後、☆☆先生から、「モニターを見てください」と言われ、そちらに目を向けたら、複数の横の直線。

 中心静脈へのカテーテルの挿入作業の間に血圧が下がってしまい、ショック状態となり、心停止の状態となってしまったというような説明。

 ところが、私がモニターの画面に目を向けた直後、その直線が突然大きな波状に変わり、夫の胸が力強く動き始めた。

 ☆☆先生から「アラ動き始めた」という驚いたような声。

 その後、☆☆先生の「遠藤さん、頑張ってるわね。」という言葉も。

 恐らく、夫は、私の姿が見えないところで、突然、首の中心静脈に針を刺されるということを聞かされて、女房のいないところでそんな危険なことを受け入れるわけにはいかないと考えて、必死で抵抗し、ショック状態にまで至ってしまったが、私が病室に入ってきて、中心静脈へのカテーテルの設置はやめにと言ったその声を聴いて、安心したことから、また心臓が動き出したということなのでしょう。

 これまでも、夫はいつも、私に相談したり、私が賛成しない限り、後で私が困るようなことになるかもしれないことを、一人で勝手に決めてしまうということは、決してしない人でしたから。

 それから、「部屋を片付けるので」と言われて、私は、再びデイルームで待機。

 間もなく、看護師さんが見えて、「奥様、今晩は、病室に泊まってください」という話。

 事務所に戻ってやってしまいたい仕事はあったが、病院の方々は夫が今晩息を引き取る可能性が大きいと考えているようなので、事務所に戻るわけにいかなくなり、了承。

 東京の義妹宅と私の二弟宅にその旨の電話連絡。

 「奥様どうぞ」と言われて、病室に入ったら、夫が、人工呼吸器を装着されて、ベッドに寝ていた。

 かなりすばらしい器械のよう。

 その横にこれもすばらしい諸医療情報のモニター。

 間もなく、簡易ベッドが運ばれて、看護師さんが寝床の準備をしてくださった。

 今晩の夫の担当は、「佐藤さん」という看護師さん。初めて見るお顔。

 

 この看護師さんが実にすばらしい看護振り。

 私は12時頃から4時まで仮眠を取ったが、その間も、痰を吸引する音で目を覚ますこと多数回。一生懸命、そして、適切かつ巧みにすべての処置をこなされた。

 そのおかげで、最初不安定な数値ばかりで、絶えず警告音が鳴っていたモニターの表示が、翌朝、佐藤さんのお別れのご挨拶の時には、すべて良い数値に。

 最後に、丁寧に髭剃りまでしてくださった。

 「遠藤さん、早くお元気になってくださいね。私、この病棟の者ではなく、今晩だけの特別派遣ということで、来た者なのですが、遠藤さんがお元気になられるようお祈りしております」というご挨拶。ご勤務先を伺ったら、この病院の「集中治療室」とのこと。

 夫に「佐藤さんのお陰で危機を脱することが出来たのよ。退院できるようになったら、お礼に伺いましょうね」と話した。夫は細く眼を開いていて、分かったというような表情。

 私に朝、救命措置不要という回答を迫った先生は、午後10時近くまで、何回も夫の様子を見に来てくださった。そして、遠方のご自宅への終電ぎりぎりに帰宅されたよう。「大丈夫そうですね。来週から、○○薬を使った治療方法にすることにしましょう。」というお話の後、「奥さん、済みませんでした」というお言葉も。



 



 

 

 

2013-11-21

[][]11月21日 特養206日目 虎の門病院再々入院18日目(調書の謄写依頼、カファシスト18:27

 今朝は、7時半頃事務所に到着。

 暫くご無沙汰している特養へ、前回の報告以降の夫の状態についての報告書を作成して、FAX送信。

 9時過ぎに東京地裁民事○○部の書記官から、「原告本人尋問の調書ができましたので、謄写されるようでしたらどうぞ。」という電話。

 10時15分に事務所を出て、地裁1階の司法協会に行って、上記調書の謄写依頼。

 受付の方が、私がお渡しした申請書に印刷された「代理人」の文字に○印を付けられたので、「代理人ではなく、本人なんです」と言ったら、「そうなんですか」とびっくりしておられた。

 11時近かったので、地下一階のレストランに行って、早目の昼食(ベジタブルカレーとコーヒー,650円)。

 お隣の席で、老婦人が、女性弁護士から、「今日の法廷での発言内容は適当でなかった」と叱られていた。

 その後、歩いて、病院へ。

 夫は、昨日と同じく、鼻に酸素吸入用のチューブを装着していたが、熱は下がったようで、両手は、普通の温かさ。

 看護師さんが身体を拭いてくださったそうで、昨日着ていたパジャマがポリ袋に入れられて、台の上に(自宅に持ち帰って、洗濯してくる)。

 点滴は、500mlの維持液。看護師さんが見えて、栄養の注入開始。

 栄養の注入が済んでから、痰の吸引。2日ほど前から台の上に置かれていた器具にチューブを差し込んで、チューブの反対側の先を夫の口にくわえさせた後、スイッチを入れると、口に加えた器具の外側から蒸気。

 「痰が出やすくなるんです。少し経ってから、また来ます」と言って、病室を出て行かれた。

 10分ほどしてから、戻って、痰の吸引。

(事務所に戻ってから調べてみたら、カファシストという医療器具と判った。)

  http://www.geocities.jp/yasu1nakae/byouki/kahusetu.htm

 3時頃の検温と血圧測定の結果は、37.7度と107・62。

 痰を取っていただいてからの夫は、「ハーハー」も納まって、穏やかな表情。

面会の間、目は開かず。

 しかし、看護師さんが右腕に点滴用の針を刺した瞬間、「痛い」というしかめっ面。

 正午から3時半までずっと病室に居たが、今日も先生方からの説明はなかった。

 恐らく私が推測しているとおりなのであろう。

 明後日の土曜日で入院20日目。

 入院日数が20日以上になると、既に保険料払込済みの夫名義の生命保険から入院給付金1日当たり6000円の給付が受けられるはず。

 明日、保険会社営業所に電話して、手続書類を送っていただこう・・・。保険会社所定の用紙で主治医に診断書兼入院証明書を作成していただいたり(作成手数料は8000円)、戸籍謄本と住民票の写しの交付を受けたりしなければならない(20倍補償だった保険が、現在の保険金の額は僅か100万円。夫は、多額の保険料を長い間払わされて、たった100万円というのは、おかしい、騙されたなどと言って、怒っていたが、入院給付金特約は、役に立った。)。

 退院の日に診断書兼入院証明書のお願いをして、保険会社への請求は1回で済ませるようにしたい(前回脳梗塞の発症からリハビリ病院入院の途中までの180日分の請求の際は、1か月分ずつ手続していたので、診断書をその都度請求して、その費用が随分かかってしまった。)。

 病院の帰りに、播磨屋に寄って、銀袋の甘納豆のセット(200円)を受け取って、コーヒーとオレンジジュースをいただき、10分程、一息入れてから、事務所へ。

 昨晩京橋郵便局で差し出した書証の写しなどの受領書が、相手方の代理人から届いていた。

 5時頃、佐川急便の配達。中身は、法曹会の職員録(6050円)。

 今朝、事務所を出る時、ドアに「4時半頃までに戻る予定」というメモを貼っておいたので、再配達に来てくれたのであろう。

 早く喪中の挨拶状の準備をしなければならないのだが、量が多過ぎて大変なので、無理をせず、事務所移転のお知らせと一緒にさせていただこうかと考えているところ。

 今晩は、事務所で、複数の事件の書面の起案など。

 帰宅してからは、溜まったパンフレットや雑誌類の廃棄作業など。

(追記)

 9時40分頃、事務所のドアを叩く音、大家さんの息子さんだった。

 「これに記入して提出していただきたいのですが」と言われて、受け取った封筒の中の紙を見たら、

 退去の際の工事業者の名称、工事の期間、鍵の受渡日、12月中の伝記水道料金の請求書の送り先、退去後に返還される保証金の振込先を記入する用紙。

 工事業者はまだ決まってないという話をしたら、「○○工務店でもよろしければ、見積もりに来させますが」というお話。

 入居の際の工事業者。管理会社の提携業者とのこと。

 「結構です」ということになり、近く来ていただくことに。

 「大先生はいかがですか。父が今日店に着たので、また入院されたと奥さんから聞いたという話をしたら、とても心配していました。」と言われたので、経過を説明して、もうしばらく入院ということになりそうと説明。

 ゴミの袋を外に出してから、最終のバスで帰宅。